ドキュメント03
はっきり云おう。彼には才能など、なくて、しかしやめられない。
そう、やめられないのです。と、芸人のオデュッセウスは思った。彼は芸人だった。今も昔もそうであったし、つまり今もそうであった。
道は終わらず続いている。
こんな虚しい人生を続けて、一体何になるんだろう? 彼は思う。生きているせいで、この思いからは永遠に抜け出せない気がしてきて、彼は深い、あるいは軽々とした絶望に落ち込む。
そのような気分でいたから、俺はどんな幸福にも辿り着けないんだよ。そう思う。
誰にも否定はできないだろうが、オデュッセウスは湯船に浸かっていた。
「……今、何時だろ…………」
一人で呟き、冷え切った水と熱湯を指でかき混ぜているうちに、彼の頭の中である一つの思いが沸騰し始める。
彼は性的な機能を喪ってしまうのではないか、と無駄な焦りが頭に発生し、視界もぼやけて意識はけれどはっきりしていることに驚く。
「……今は何時だろ?」
ねえ? と微かな光に問いかけるも、彼の腐り切った脳みそでは現実と夢の境目を認知することは不可能であったし、たとえ可能であったとしても深い霧の中。
俺は芸人のオデュッセウス。なぜ彼は芸人なのだろうか? それは彼にも誰にも分からない。理解に至る日が果たして来るのかどうかも、結局のところ分からぬままに彼は死ぬ。
そんな運命にある。
芸人は道化であり、道化であると運命が定めた以上、オデュッセウスはそれに徹しなければならない、と決定したわけでもないが、彼自身がやや強く望んでいた。
彼は白く脆い意識の中、この湯船よりも遥かに巨大な船に乗り、いや、乗っているような気持ちがだんだんと膨らみ制御不能に堕ちた。
けれど俺は死なない、死ねない。彼はある種の確信を得ていたし、死ぬ運命ごとぶち壊してしまえば何の問題もないことを知っていた。
人は矛盾しています、そういう、生き物として運命づけられているのです……。講師のその言葉は、オデュッセウスの腹に浅く響いた。そういえば腹が減った俺は腹が減った減っては戦ができぬというからには何か何かを食わないと食わねばならぬ何事も!
講義。終わるまでにいくらの時間がかかるか、彼は時計をちらりと見る。彼の裸眼は意味不明な精度と鮮度を誇っており、日によっては木星と火星のあわいを漂う近代詩人の睫毛の美しささえ目に映すことができた。
おお、今日も美しい美貌だこと……と彼は喉を鳴らす。そういえば腹が減った。腹が減っていたことを完璧に一瞬のうちに忘却し、それは一瞬のうちに再生される。
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