愛され上手の珍子ちゃん
渡貫とゐち
第1話
「
これで女子というのだから最悪だ。
いや、本人を非難するつもりはない。
名字と名前の組み合わせが……こう、多感な中学生にとっては格好の的だ。
――彼女は転校生だ。
私のクラスへ配属されることになる。
……今からもう、いじめの現場が想像できる。
当然、こういう名前だからと言って、いじるのはなしだ、と注意をするつもりだが、さて、私のいないところで生徒が彼女を受け入れるかは怪しいものだ。
いじめというのは教師の前ではおこなわれないものだからな――。
こんな名前を付けた(こんな、と言うのも失礼だが)親の顔を見たが、至って普通だった。手続きの際には、丁寧な対応をしてくれた。
彼女のお父さんも、お母さんも、ちゃんとしている人である。なのにこの名前か……。
子の名前を両親が必ずしも付けられるわけではない、という家庭の事情があるなら、なかなか踏み込めないだろう。いくら担任教師と言えど、一線はある。
かつてはそういう名前の女性もいたそうだが……、しかし現在、多くいないということは、そういうことだろう。消える名前には理由がある。
古臭い、と言っても、一郎などがまったくいないわけではないのだから。
だが、やはり珍子はいない。少なくとも私は聞いたことがないな。
正直、この名前ならキラキラネームの方がマシだ。
……そこで、もしかしたら私が読み方を間違えているのかもしれない、と思った。
もちろんのこと、書類のフリガナを見たが、これ自体が間違っていれば、私は間違った情報を本当だと信じてしまう。渡されたものが全て正解だと思わない方がいい。
…………、電話をかけ、チェックしてみたが、やはりフリガナは合っていた。
彼女は立川珍子だ。
やれやれ…………面倒ごとが起きなければいいのだが……。
#
転校生を連れて、朝のホームルームへ。
自己紹介をした彼女へ向けられたのは、やはり、名前をいじる雰囲気だった。
特に男子だ。水を得た魚のように、合法的(?)に「ちんこ」と口に出せるのが嬉しいのか、いつも以上にはしゃいでいる。子供か。ああいや、そうか、子供なのか……。
ちんこがそんなに面白いか?
……まあそうか、面白いだろう。当時の私が、この子を見ても笑うだろう……。いじるかどうかはともかく、やはり彼女と話すことになればまずそれを聞く。
「なんでその名前なの?」と。
それが地雷であると分かっていても、聞かないわけにはいかないだろう。
聞かないことで際立つこともある。
「なんでちんこなん?」
「おじいちゃんが付けてくれたの。先祖の……、天才の名前? なんだってー」
と、転校生・立川珍子は平然と答えていた。
さすがに慣れているらしく、顔を真っ赤にすることもなく、笑顔を絶やさず、名前をいじりたい男子の質問に答えている。
中には、中学生でなければ間違いなくセクハラになる質問もあったが、当人が笑っているので問題にはなっていない。
それから段々と、最初は引いていた女子たちも、男子の悪ふざけの空気に飲まれつつある――
「病院で呼ばれる時ってどうなるの? やっぱり看護師さんも言いづらそうにするの?」
「んー、人によると思うけど。でも結局、部位の名前だからねー。腕とか足とかと一緒なんじゃないかな? それこそ、お医者さんは人体の一部としか思っていないと思うよ」
医者でなくとも大人は気にしないだろう。聞いて笑うのは中学生までだ――。
感覚がアップデートされていない高校生も、盛り上がるだろうが、周りの目を気にしてそういうことには反応しなくなるものだ……この私がそうである。
下ネタには反応しなくなる。
反応しない、と意識している時点で誰よりも意識してしまっているが……。
「――はいはいっ、ちんこさんに聞きたいことがあります!」
「どうぞっ、そんなに手を立たせて……立派な男の子だね!」
立川の笑顔には、人を貶めよう、反撃しよう、とする邪気がなかった。
名前ひとつで場が盛り上がっていることを、本当に喜んでいるようだ。
……厄介な運命を背負った、という見方しかできなかったが、しかし飛び抜けた話題性があるという意味では、この名前は便利だ。
自己紹介をすればその場が回り出す。もちろん、いじられることにはなるが、愛あるいじりならあった方がいい。
まったくいじられない人生というのも、それはそれでつまらないからな。
「ちんこさんは、」
「ちんこちゃんでいいよ? あと、わたしで立ってもらってもいいからね? わたし、ちんこはないけどそれなりに女の武器は持ってるの――ほら」
と、制服のボタンを外し、小さい胸――ではなく、胸元の白い肌を見せた。
それだけでも中学生からすれば刺激が強いだろう。
発育が良いわけではなく、むしろ中学生にしては遅い方だろうが、ちら見せ、という色気はある……この子、慣れている。
名前をいじられるだけで終わらず、男子を釘付けにする方法を心得ているな……――と、おっと、ついつい私まで釣られてしまった。さすがに、中学生に興味はない。
私の子供だったとしても、違和感がない年齢差があるのだ。
「ちょ、やめ……肌見せんな!」
「えー、見たくないのー?」
ちらちらと。ぱたぱた胸元へ風を送るように、立川が男子たちを誘惑していた。
そうは言ってもちゃんと見せる気はもちろんなく、モラルを弁えている。
本当に肌を見せているだけだ。谷間さえ見えていない。
「あ、わたしより立たせてるじゃん」
「立たせてねーわ!」
……この子、強か過ぎるだろう。
もう既に、自分の名前を使った、他人をいじる手段を持っている。
彼女の名前だと確実にいじられる側なのに、いじる側に回れているという凄さだ。
立ち回り方が上手い。
さらに、色仕掛けをしているが、他の女子を刺激しないあたりで抑えている。
発育の良さで言えば、周りに立川以上がたくさんいるわけで……。
その気になれば、色仕掛けをして立川以外が勝つようにできている。
いじめられると思っていた名前は、八方から愛されるための手段に使われていた。
……誰がその名を貰うのか、で、結果がこうも変わるとはな……。
恐らくは、経験で手に入れた、群れの中で生きるための知恵なのだろうが……。
苦労の分、彼女はきちんと相応のリターンを受け取っていた。
既にクラスでは、『ちんこちゃん』という愛称で輪の中に入っている。
ただ……これがクラス外となるとどうだろう。
噂が広がれば、彼女の人となりを知らなければ名前でいじるだろう。
野次馬は自覚なく、思春期の子供を自殺へ追い込むものだ。
そのあたり、上手くやれるのだろうか……立川珍子は。
#
一か月後にあった文化祭の準備にて、立川はクラスだけでなく、クラス外でも活躍するようになっていた。
「ちーちゃん、先輩が呼んでるー」
「うんっ、いまいくー!」
頬に黄色いペンキを付けた立川が、小走りで三年生の元へ。
小柄で人懐っこくて……素直で純粋。
名前いじりができる、という部分で三年生の先輩も話しかけやすいらしい。
……こんな名前のせいで、と言ってしまいがちだが、名前のおかげで、彼女の人柄がより広い範囲に浸透していた。
今では外部の人への聞かれ方を考え、誰かが言った「ちーちゃん」という呼び名が定着していた。……確かに、学校外でちんこはマズイだろう。
ファミレスや電車内で呼ばれたら、周りの人は戸惑うはずだ……耳を疑うかもしれない。
だけど「ちーちゃん」ならば問題ない。
気づけば、立川はクラスどころか学年で――学校全体で見ても特に有名な生徒となった。
ボランティア活動で表彰されたのも大きいだろう……、そこで名前を呼ばれて、一気に広まった。認知度は生徒の中では一番だ。
こういう名前だから覚えられるし、こういう名前だから妬み嫉みもなく……。
この名前だからこそ得したことが多い。
私は、彼女に聞いたことがあった。
「この名前を付けられて、大人を恨んだことはないか?」
特に名付け親である祖父のことを。
こんな名前にしたことを、どう捉えているのか。
彼女は言った。
「感謝してますよー。だってこれ、最強の武器じゃないですか」
「……そうか?」
「はい。最大の武器であり、盾です。ようは使い方ですよね? 先生」
いじめられる人がいれば人気者になる人もいる。
……彼女は使い方を示したのだ。
立川珍子という名前は、こう使うのだと。
こんなの、ハンデとは言わないのだと――……教師でありながら、勉強になる。
「お前が納得しているなら、私はもうなにも言わないよ」
心配するのは彼女に失礼か。
この件に関しては、もう彼女に一任してしまおう。
立川珍子は自分の名前を磨き続けたのだ。
そして、強い輝きを放った――。
「ま、大人になったら改名しますけどね」
「あ、するのか……」
「しますよー。この武器が通用するのは子供だけですからね」
大人になればデメリットの方が多くなる……とのことだった。
なるほど、彼女はちゃんと先が見えているようだ。
頼もしいが、しかし、私は思ってしまった……、子供らしくないなあ。
可愛げがない、とも言う。
そつなくなんでもこなす若手を好きになれないのと同じことか。
愛され上手だが、同世代にしか刺さらない限定的なもののようだ。
・・・おわり
愛され上手の珍子ちゃん 渡貫とゐち @josho
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