第2話 踏み出した魔女

 父の亡骸の前で手を合わせるべきか悩んだ。


(この人が居なければ。この人がわたしに使命を与えなければ)


 小さくなった拳を握り締め、唇を噛み締める。

 怒りと憎しみに囚われた父によって魔女にされ、故人となった父の無念を晴らすために人生を捧げたユイマリールは全てを失った。


(違う。全部お父様が悪いわけじゃない。わたしの行いが間違っていると気づくのが遅すぎたのよ)


 道はいくつもあったはずだ。

 それなのに選択肢を間違え続けた結果があの未来だ。


 途中で足を止めることもできた。

 しかし、歩み続けたのはユイマリール自身だ。父は関係ない。


 以前はそんな風に考えられなかったが、死んで客観的に自分の行いを見つめ直せたからこその心境の変化だった。


「……っ」


 形容し難い苦々しい顔で、膝をつき、指を組む。

 今更、聖女の真似事なんて、と思いつつも自然に体が動いた。


 どれだけの時間を祈っていただろう。

 閉じていた瞳を開けて、呆然と立ち尽くしている暇はないぞ、と自分を叱責する。

 かつて悪の限りを尽くし、レイス王国の女帝にまで上り詰めたユイマリールは迅速に判断した。


 鼓動はまだ速い。

 頭の中もぐちゃぐちゃで混乱しているのは間違いないが、このまま突っ立って時間を浪費するのは無駄だと自分に言い聞かせて、細いふとももを叩いた。


(確かこの後、教会の人が来て保護してくれたはず)


 焼け焦げた毛先をいじりながら思案した。


 ここが過去の世界だと証明するためには、自分の記憶とこれから起こることが一致するのか確かめる必要がある。


 ユイマリールは公爵邸の焼け跡に影を潜め、じっとその時を待った。


(ほんとに来たっ!)


 ユイマリールの視線の先には修道服を来た3人組の男女がいる。

 アグナムート公爵が息絶えていることを観察してから辺りを見回し始めた。


「公爵家唯一の生き残りになる娘がいるはずだ。なんとしても探し出せ」

「死んでいた場合は?」

「仮にも聖女候補よ。亡骸にも価値があるわ」


 ユイマリールはこの3人組によって教会に保護されて真の聖女と再会する。そして、あの未来に繋がる一大イベントを起こすのだ。


(わたしの行動を……そもそもの生き方を変えれば、記憶通りに人生が進まない。教会に行かず、聖女あの子と再会しなければ、未来は変えられるかもしれない!)


 一筋の希望を見つけたユイマリールはそのまま息をひそめ、修道士たちの捜索から逃げ切った。


 方法は簡単だ。

 この体はすでに魔力を帯びている。扱いはつたなくても魔法そのものは使える。

 ユイマリールは姿を隠す火の魔法――陽炎ヘイズで彼らをあざむいた。


(よりにもよって10歳の頃に戻るとは。もう少し前ならまだ魔女にされていなかったのに。いいえ……この力も制御できれば立派な贈り物よ。そう信じましょう)


 教会の手の者から距離を取ったユイマリールが目にしたのは公爵領の悲惨な有様だった。


「……うっ」


 これまでいくつもの国を焼いてきて、耐性はついていると思っていたが、幼い頃に戻ったからか込み上げてくるものがあった。


 立ちこめる白煙が鼻につく。

 あんなに活気づいていた町は見る影もなく、親を探す子供たちが泣きじゃくりながら歩き、権力者たちは我先にと逃げ出していた。


(これが、わたしの……罪……。わたしの魔力が引き起こした災厄)


 過去のユイマリールはすぐに教会に保護されてしまい、公爵領の姿を見ていない。

 まさかここまで酷いとは思っておらず、力無く膝を折ってしまった。


 子供が叫んでいる。

 親を探しているのか。あるいは、すでに死んでしまっていて目覚めない親を呼んでいるのか。

 そんな光景すらも確認することができなかった。


 ユイマリールはポツポツと濡れていく地面を見つめ、嗚咽を漏らさないように唇を結んだ。


「お母さんを助けて」


 声につられて顔を上げる。

 魔法を解除したユイマリールの側にいたのは、まだ5歳にも満たない男の子だった。


 ユイマリールは答えられない。

 男の子が指差す方を見て視線を逸らした。


 火の魔女だったとしても、一度消えた命の灯火ともしびを再び灯すことはできない。

 以前の成人済みの体だったならまだしもこの幼い体で大人を埋葬できるはずもなかった。


「……ごめんなさい」


 苦虫を噛み潰したように、うめくように、つぶやくことしかできなかった。


 男の子が大人に助けを求め、慰められ、生き絶えた母親が亡くなった人たちが集められている場所に移される光景を呆然と見つめていた。

 そして、おもむろに立ち上がる。


「何が聖女よ。何が魔女よ」


 ユイマリールの覚悟は決まった。


(二度と悲劇は繰り返さない。わたしが幸せを奪ってきた大勢の人たちの幸福だけを願って生きてやる)


 足元に落ちているガラス片を手に取り、髪を鷲掴みにして雑に切り落とす。

 貴族令嬢のたしなみとして伸ばしてきた髪だ。腰の長さまであったワインレッドの髪は肩に付く長さまで切り揃えられた。


 一人、公爵領を去ったユイマリール。

 少女の体力では一日の移動距離は限られるが、魔女となった彼女は休みなく歩き続けられた。


 幸いなことに公爵家の焼け跡から拝借した小さな装飾品を金貨に替えて、危険な目に遭わないように細心の注意を払った。


 子供一人での旅を不審に思い、声をかけてきた大人もいたが、誰もユイマリールが公爵令嬢だと気づくことなかった。

 ユイマリールの見た目は少女でも中身は成人している淑女だ。

 下手なうたい文句にほいほい着いていくほど純朴ではない。


 ふと、立ち寄った町のショーウィンドーに映った自分の姿を見つめる機会があった。


 艶が抑えられたワインレッドの髪に、情熱を帯びる真紅の瞳。若き頃のユイマリールそのものだ。

 ただ、自分でも驚くほどにやつれていて、以前のような傲慢さも狡猾こうかつさも感じられなかった。


「誰の仕業かわからないけれど、唯一神は死よりも恐ろしい罰をわたしに与えたということね」


 どうしてこうなったのかは分からない。

 ぎゅっと小さな手を握りしめて、ユイマリールはショーウィンドーに映る自分自身に問いかけた。


「ねぇ……やり直せる?」


 やり直せると信じるならば手はある。

 まずは今の小さな体の中で荒れ狂う膨大で凶暴な魔力を制御する術を学ぶことだ。


 ユイマリールは当てもなく彷徨っているわけではない。

 彼女は師と仰ぐに相応しい女性の元へ向かっている。


 かつて"悪逆女帝"だったユイマリールが自分の立場を棚に上げて行った政策――『魔女狩り』によって隠れ家を探し出し、抹殺した正真正銘の魔女の元である。

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