第9話
日本一のVTuberから見た榊恋___
白雪凛の配信ルームは、常に白銀の光に満ちている。美しいドレスを纏った彼女の配信は、いつものように穏やかで優雅だった。しかし、彼女の視線は、画面の隅に表示された、榊恋と弟子たちの最新の切り抜き動画へと向けられていた。
『ヤニカス、酒カス、パチカスの三本柱。そして、レイという論理と、可憐という愛。彼らは、今、最も完璧なエンターテイメント・ユニットを形成しています』
凛は、配信中のコメントには答えず、独り言のように静かに呟いた。その声は、女王様然とした口調ながらも、どこか憂いを帯びている。
「榊恋さん。彼は、自分の人生を『ガチャ』と呼びましたが、レイさんによって、その『ガチャ』は『バズの法則』として完全に解明されてしまいました」
凛は、手元の白銀のカップで、優雅に紅茶を啜った。
「彼の『負けを愛する哲学』は、視聴者の『失敗願望』を刺激し、可憐さんの過剰な感動が『成功の錯覚』を生む。この感情の振れ幅こそが、レイさんの言う『バズの法則』の核です。彼は、自分の最も神聖なクズの儀式を『人体実験の変数』にされてしまった」
彼女は、榊恋が抱える虚無感を正確に見抜いていた。
「彼は、自らの『底辺の自由』を失う代わりに、『コンテンツとしての永遠の命』を得たのです。金とデータと愛によって、最も輝く形で飼いならされた天才。危うい、あまりにも危うい品格です」
3. 孤独を売るということ
凛は、視線を可憐のアバターへと移した。可憐が師匠の孤独を見抜いた時の、あの優しさに満ちた瞳を思い出す。
「花咲可憐さん。彼女の『非効率のエレガンス』という解釈は、榊恋さんの自己破壊的な行動に、歴史的な価値を与えてしまいました。『酒は孤独を正当化するエレガンスな祝杯』。彼女は、師匠の孤独を『エレガンス・ブースター』と名付け、バズという名の燃料に注いでいる」
「そして、パチカスの哲学。『賭博は時代を動かす非効率な投資』。ネロや戦国武将になぞらえ、彼の負債を『開拓のための投機費用』へと変えた。彼は今、誰も彼を批判できない、『歴史的な大博打』という名の檻の中にいる」
凛は静かに笑った。それは嘲笑ではなく、深い哀愁を含んだ笑みだった。
「彼の配信は、もはや娯楽ではありません。それは、現代の『聖書』です。努力や成功といった『正典』では救われない、この社会の隅で息を潜める『底辺』の人々にとって、榊恋さんの『負けの美学』こそが、彼らの生きる痛みを正当化してくれる、唯一の福音なのです」
凛は、自分の優雅なアバターを見つめた。彼女の持つ「品格」は、何一つ不自由のない完璧な世界で生み出されたものだ。しかし、榊恋の「危うい品格」は、絶望と孤独、負債という名の泥の中から生まれてきた。
「頂点と底辺。私たちは全く逆の場所にいます。ですが、どちらも『孤独』を燃料にしています。私の孤独は、『完璧であることのプレッシャー』。彼の孤独は、『生きる意味を見失った虚無』」
凛は、静かに結論を下した。
「榊恋さんの底辺哲学は、非常に脆く、一瞬で崩れ去る砂上の楼閣です。しかし、その崩壊の過程こそが、真のエンターテイメントであり、最も強い『品格』なのです。私は、彼の『短い花火』を、静かに、そして最後まで見届けようと思います」
彼女は、視聴者には聞こえないように、そっと囁いた。
「もし、彼がその炎の中で、本当に救いを見つけられるのなら……」
榊恋視点___
目が覚めた。窓の外は、もう昼を過ぎている。いつものダルさだ。
だが、ベッドから起き上がると、体が妙に軽い。原因は分かっている。花咲可憐が愛と財力で送りつけた、『少し汚れた高級寝袋』のおかげだ。奴は俺の「段ボールで寝る美学」を尊重したつもりだろうが、結局は質のいい睡眠を与えて、俺のダルさを効率的に削ぎ落としている。
「フン……俺は、金とデータと愛で、飼いならされたのか」
昨日の白雪凛の言葉が、頭の中で反響する。あの女王様は、俺の哲学を「危うい品格」だと評し、俺が「コンテンツとしての永遠の命」を得るために、最も輝く形で飼いならされた天才だと断じた。
俺の人生は、「大博打」だったはずだ。しかし、レイ(影山零)のデータと、可憐の情緒によって、俺の人生はもう「結果が保証されたバズ生成システム」になってしまった。
俺は、ヤニカスでも酒カスでもパチカスでもない。俺は、底辺哲学の被験者だ。
ローテーブルには、レイが用意した実験キットが並んでいる。最高級タバコ、最低級タバコ、そしてあのクソみたいなビタミン吸引器。そして、心拍数や体温、発言のトーンを計測するためのセンサー類。
俺の最も神聖な『クズの儀式』が、これから「データ」として晒される。
午後9時。配信タイトルは『【人体実験】ヤニカス哲学vsデータ!〜最高級タバコは俺の魂を揺さぶるか?』
レイの声がDiscord越しに響く。いつも以上に冷静で機械的だ。
『師匠。実験プロトコルに従い、本日は底辺維持基金の資金で調達された「最高級のタバコ」を摂取していただきます。心拍数、声のトーンを計測開始』
『師匠! このタバコ、パッケージがものすごくエレガンスッス! これなら、吸っている姿も貴族の嗜みッス!』
可憐は、最高級タバコを「貴族の嗜み」と解釈し、興奮している。
「フン。やってやるよ」
俺は、最高級タバコに火をつけた。その煙は、驚くほど滑らかで、臭みがない。喉に引っかかる抵抗感も少ない。
一口吸い、肺に収める。……悪くはない。だが、決定的に何かが足りない。俺は、痛みが足りないことに気づいた。痛みがないと、俺は俺でいられない。
「だるい」
俺は素直にそう口にした。
『師匠、発言の論理的破綻リスク(LFR)は基準値内です。しかし、感情移入率(ER)が過去最低を記録しています。なぜですか?』レイが即座に分析結果を叩きつける。
「簡単だ、レイ。このタバコには、『喪失の香り』がねぇからだ」
俺は、その高級なフィルターを睨んだ。
「最高級のタバコは、自分の命と金を削っているという罪悪感がねぇんだ。罪悪感がないと、タバコはただの煙だ。何の代償も払っていない。俺が欲しいのは、『これを吸ったら明日、もやし生活が確定する』というあの痛みなんだよ」
その瞬間、配信コメント欄が異常な勢いで荒れ始めた。
[コメント]
烈火レツの配信が始まったぞ!
師匠、攻撃されてるぞ!
テメェは飼い犬だって言われてる!
ライバル、黒羽烈(烈火レツ)が同時刻に配信を開始したのだ。配信タイトルは『【底辺の檻】飼いならされた哲学者に吐き気を催す!勝負は見せ場だろ?』。
烈火レツは画面いっぱいに炎のエフェクトを撒き散らし、俺の配信を直接攻撃してきた。
『おい、榊恋! 最高級タバコを吸って「喪失の香りがねぇ」だと? 笑わせんな! テメェの哲学はもう終わってる!』
彼の声は、熱と怒りに満ちている。彼の指摘は、いつだってストレートだ。
『命を削るのが美学? 負けを愛する哲学? 違うだろ! テメェは金と愛とデータに囲まれて、安全な檻の中で吠えている、ただのペットだ! その実験は、テメェの人生がシステムに組み込まれた証明だ! 何が非効率のエレガンスだ、ただの弱さの美化だ!』
烈火レツの言葉は、俺の虚無感を正確に抉り取った。俺が最も聞きたくなかった、最も恐れていた「正論」だ。俺は、怒りで体が震えるのを感じた。
4. 檻を破るための反撃
『師匠! レイさんのデータによれば、師匠の怒りによる心拍数(HR)が急上昇! ERも瞬間的に爆発しています!』
『師匠、黒羽烈さんの発言は、師匠の哲学に対する、最もエレガンスに欠けた侮辱ッス!』
可憐は憤慨し、レイはデータを叩きつける。しかし、この瞬間、俺のダルさは完全に消え去った。
「黙れ、レイ。黙れ、お嬢様」
俺は、画面越しの烈火レツを睨みつけた。
「俺は、檻の中にいる。お前の言う通り、飼いならされたのかもしれねぇ。だがな、烈火レツ」
俺は、最高級タバコのフィルターを、指で潰した。その潰れたフィルターは、わずかな反抗の証だ。
「俺は、この檻の中でしか生み出せないコンテンツを売っている。お前は、いつだって勝利を追いかけ、熱狂を求める。それは、この社会が求める『まっとうな熱意』だ。だが、俺が売っているのは、その熱意からドロップアウトした、『失われた者たちの最後の安息』なんだよ」
俺は笑った。自嘲的ではない、バズるための、最高の笑顔だ。
「俺の人生は『檻』かもしれない。だが、この檻は、『孤独な底辺の魂』が、愛と論理でバズるために必要な『聖域』なんだ。お前がその炎で、この聖域を焼き払うことはできねぇよ」
この反撃は、再びネットを熱狂させた。「#檻の聖域」「#底辺の反逆」というハッシュタグが瞬く間にトレンド入りし、レイの計測データは、ERが史上最高値を記録したことを示した。
俺は、檻の中で吠えることで、再びバズという名の「自由」を手に入れたのだった。しかし、この戦いは、俺の最も憎む「効率性」によって生み出されていることを、俺は誰よりも理解していた。
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