第4話

杠木屑(ゆずりは・きくず)は、23歳の秋、全てのやる気を失っていた。大学を中退し、バイトも続かず、アパートの一室で虚無感に苛まれる日々。社会との接点を求めつつも、人との関わりを避けたいという矛盾した感情の渦中で、彼が見つけたのが「VTuber」という存在だった。

​「どうせ、顔なんて出せねぇし。声とアバターだけなら、適当にやってもバレねぇだろ」

​動機は極めて不純で、低レベルな逃避でしかなかった。彼は、貯金を切り崩して最低限の機材と、オーダーメイドのアバターを用意した。

​彼の選んだアバター――榊恋(さかき・れん)は、現実の木屑とはかけ離れた、アンニュイな目つきと、退廃的な美しさを持つ長身のイケメンだった。なぜこの姿を選んだか? それは、彼自身が最もなりたかった「努力せずともクールに見える存在」の具現化だった。

​「俺がなれないものになれば、視聴者は騙せる」

​そんな、ひねくれた皮肉じみた思いが、アバターの名前に「恋」という、木屑には縁遠い文字を選ばせた。

​2. デビュー配信:最低の船出

​VTuber・榊恋としてのデビュー配信。タイトルは『はじめまして。まあ、適当にやるんで。』

​配信開始時刻から10分遅れで、彼はマイクの電源を入れた。

​「……あー、聞こえてますか。榊恋です」

​声は低く、ダルそうで、覇気がない。視聴者数はわずか30人。そのほとんどが事務所のスタッフか、たまたまサムネイルに釣られた野次馬だった。

​『お、来た』『イケメン枠か?』『声はいいな』

​コメントが流れるが、木屑は返す気力もない。

​「自己紹介? ああ。えーっと……酒が好きです。タバコも吸います。パチンコ、たまに打ちます。最近は金ねぇんで、もっぱら天井狙いしかしてねぇけど」

​普通のVTuberが「好きなゲーム」「特技」「夢」を語る中、榊恋が語ったのは「三種の悪習」だった。彼は、テーブルに転がっていた缶ビールをプシュッと開け、配信中にそれを飲み始めた。

​『え、配信中に飲酒?』『いきなりヤバいな』『新ジャンルか?』

​視聴者は戸惑った。だが、木屑は構わない。彼はもう、どうでもよかったのだ。

​「夢とか、そんなもんねぇよ。金を稼いで、酒とタバコとパチンコを維持できれば、それでいい。皆さんもそうだろう? だるいんだろ、生きるの」

​木屑は、VTuberとしての華やかさや熱意を一切拒絶し、自身の虚無と怠惰をそのまま配信に乗せた。それは「演出」ではなく、ただの「素」だった。

​3. 虚無と共感

​しかし、その底抜けのダルさと、隠しもしないクズっぷりが、一部の視聴者の心に奇妙な共感を生んだ。

​『わかる。生きるのダルい』

『この人、嘘ついてないな。好感持てるわ』

『底辺のリアルって感じ。逆に新鮮』

​デビュー配信は、当然ながら「大成功」ではなかった。事務所からは「覇気が足りない」「飲酒は控えて」と苦言を呈された。

​だが、彼はたった数十人のコアな視聴者、つまり、彼の「底辺」に惹かれた者たちを掴んだ。彼らにとって、榊恋は「夢」を売るVTuberではなく、「現実のダルさ」を共有してくれる、ネットの片隅の共犯者だった。

​こうして、榊恋は「底辺酒カスヤニカス」という、誰にも真似できない、そして誰も真似しようとしない唯一無二のポジションを確立した。

​この、「正論よりも感情の揺さぶり」こそが、数年後、花咲可憐という生粋のお嬢様を惹きつけ、彼の元へと弟子入りさせる最大の要因となるのだった。


______


​実乗華(みのり・はな)は、生まれてこの方、「失敗」を知らなかった。

​彼女の生家は、古くからの華族の血筋を引く、由緒正しき大財閥。人生の全てが、厳格な教育プランと「お嬢様」としての品格を保つための青写真(ブループリント)に沿って組み立てられていた。

​VTuberデビューも、その一環だった。若年層への影響力拡大、デジタルメディアへの進出。そのために選ばれたのが、華である。

​アバターは、その完璧なイメージを具現化したものだった。雪のように白い髪、フリルとレースをふんだんに使った紺と白の豪華なドレス。VTuber名、花咲可憐(はなさき・かれん)。

​「完璧すぎて、息が詰まるッス」

​華は、デビューを控えた部屋で、誰にも聞かれないようにそう呟いた。

​彼女の「〜ッス」という口調は、実は、彼女の唯一の反抗だった。厳しい家庭教師や執事たちから徹底的に教え込まれた上品な言葉遣いの裏で、彼女はこっそり、祖父の運転手から習った、体育会系で砕けた「~ッス」を使い始めた。優雅な世界の中で、唯一許された、彼女自身のダーティーな遊びだった。

​2. 史上最も優雅なデビュー配信

​デビュー配信当日。タイトルは『はじめまして。皆様に華やかな時間をお届けするッス!』

​配信開始時刻きっかりに、花咲可憐のアバターは優雅に登場した。

​『皆様、本日はようこそおいでくださいましたッス! 花咲可憐と申しますッス!』

​口調は「〜ッス」だが、内容は完璧だった。自己紹介では、趣味のクラシック音楽と乗馬について優雅に語り、特技のフラワーアレンジメントを披露。視聴者の質問にも、淀みなく、機知に富んだ返答をする。

​[コメント]

​品格がすごい。本当に本物のお嬢様なんだな。

​「〜ッス」のギャップが癖になる!

​語彙力と教養がレベチ。他のVTuberとは一線を画している。

​画面がキラキラしてる。浄化されるようだ。

​配信は大成功。同時接続数は新人としては異例の5,000人を超え、事務所のマネージャーである橘真琴も、思わずガッツポーズをしたほどだ。

​配信後、橘から送られてきたメッセージは、賛辞の嵐だった。

​『花咲さん、パーフェクトです! 品格、ユーモア、ビジュアル、全て完璧にこなしました。あなたは間違いなく、次代のトップVTuberです!』

​完璧なデビュー。周囲からの絶賛。何もかもが、用意された青写真通りに進んでいた。

​3. 満たされない空虚

​しかし、華(可憐)の心の中には、デビュー配信を終えたにもかかわらず、満たされない空虚感が残っていた。

​「完璧……完璧ッスか……」

​彼女がしたことは、全てが「正解」だった。用意された台本、想定内の質問、品格を保つための模範的な応答。そこに、彼女自身の「感情の揺らぎ」は一切なかった。

​彼女の人生と同じだ。何をしても、周囲からは「完璧」「優雅」と称賛される。しかし、それは「お嬢様」という役割に対する賛辞であり、実乗華という人間に対するものではない気がした。

​そんな彼女の心に、ある日、一つの汚点が飛び込んできた。

​偶然、配信サイトのランキング下位で目にした、あのタイトルだ。

​『【底辺雑談】金ねぇ。パチか酒か、それが問題だ』

​サムネイルは、ダルそうなイケメンアバターと、横に置かれた安物の酒瓶。

​「……何、このダーティーなタイトルは。下品ッス!」

​可憐は、眉間に皺を寄せながら、好奇心に抗えず配信をクリックした。

​画面の中で、榊恋(木屑)はタバコの煙を吐き出し、ダルそうに言った。

​「夢? そんなもんねぇよ。金稼いで、酒とタバコとパチンコを維持できればそれでいい。だるいんだろ、生きるの」

​その瞬間、華の体に、強い衝撃が走った。

​完璧な世界で、「だるい」とか「金ねぇ」とか、「夢なんかねぇ」と、何の衒いもなく言い放つ男。彼は、完璧な世界で生きる彼女が、最も口にしてはならない、最も遠い場所にある「自由」を体現していた。

​華は、そのダーティーな存在を、心の底から羨ましいと感じた。

​「これッス……! これこそが、私に足りない『ダーティーな自由』ッス!」

​そして、花咲可憐は、その完璧な世界を飛び出し、榊恋という「底辺の師匠」に弟子入りすることを決意したのだった。

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