第2話

第2章:炎上の着火点(イグニッション)

​1. マネージャーの受難

​師弟コラボの切り抜き動画がアップロードされてから48時間。動画は瞬く間に100万再生を超え、「榊恋」「花咲可憐」「底辺の黄金比率」がトレンド入りを果たした。

​しかし、榊恋(杠木屑)の部屋は相変わらず汚かった。いつもと違うのは、目の前のローテーブルに置かれたウイスキーが、気持ち少しだけ高めの銘柄に変わったことくらいだ。

​Discordの着信音と共に、マネージャーの**橘真琴(たちばな・まこと)**の通話アイコンが点滅した。

​『もしもし、榊! 俺だ、橘だ!』

​その声は、疲れと苛立ちで完全に乾き切っていた。橘は普段は落ち着いたツッコミ口調だが、今は事務所のゴリラ、いや、事務所の番犬としての役割を全うしようと必死だ。

​「ああ、マコトか。うるせぇな。なんだ、儲かっただろ、ゴリラ」

​『儲かったって、お前は! ギリギリだったんだぞ、喫煙推奨は! あと、コメント欄が「可憐ちゃんにストゼロを飲ませて」とか「師匠はパチで負けた金で弟子にご飯おごれ」とか、完全にネタじゃ済まないノリになってるんだ!』

​「ファンサだろ。炎上込みのバズなんだから、気にすんな」

​『気にするわ! いいか、榊。今回のバズで、お前の配信には一気に外部の目が集まってる。特に、競合他社の連中や、うちのトップ層だ』

​橘は溜息を一つ吐き、トーンを落とした。

​『白雪凛(しらゆき・りん)は、今回の騒動についてノーコメントだ。だが、彼女の配信で「品格」について語った切り抜きが、この師弟コンビの動画の関連に上がってきている。つまり、比較対象にされているんだ』

​白雪凛。「日本一のVTuber」と称される彼女の言葉には常に重みがあり、その「品格」は、榊恋の「底辺」とは正反対の極にあった。

​『とにかく、次の配信ではパチンコの話は控えめにして、可憐の教養を活かした上品な趣味でも教えてやれ。それで中和しろ!』

​「フン、上品な趣味? 俺にそんなもんねぇよ」

​木屑は通話を一方的に切り、グラスに残ったウイスキーを煽った。底辺は底辺らしくやる。それが榊恋の美学だった。

​2. 炎のライバル、現る

​バズは、必ずライバルを呼び寄せる。

​その日の夜。配信サイトのトレンドの片隅で、別の炎が燃え上がっていた。

​VTuber名、烈火レツ(れっか・れつ)。黒革のジャケットを纏い、赤い瞳をギラつかせた彼こそ、榊恋の対照となるライバル、黒羽烈(くろば・れつ)(23)だった。彼の配信は常に激しく、視聴者を煽り、勝負を求めることで知られている。

​彼の配信タイトルは『【底辺の黄金比率?】ふざけんな、勝利こそ黄金だろうが【烈火レツ】』。

​炎のエフェクトが飛び散る画面の中で、烈火レツは笑っていた。挑発的な、嘲るような笑みだ。

​『おい、聞いたぞ。あの酒カスヤニカスが、なんとかっていうお嬢様に「底辺の黄金比率」だの「負けを愛する哲学」だのを教えてるらしいな?』

​彼の声は鋭く、視聴者の耳を劈く。コメント欄は瞬く間に「師匠ディスか?」「ケンカ売ってるwww」というコメントで埋まった。

​『笑わせんな。負けを愛する? 底辺を哲学にする? そんなぬるいこと言って、何がエンターテイナーだ。負け犬の遠吠えを教えるのが「師匠」か?』

​烈火レツは、興奮で息を荒げながら、画面に炎を撒き散らした。

​『勝負は見せ場だろ? 俺は負け犬のカスがデカい顔してるのが心底気に食わねぇ。榊恋とか言ったか? その腐った哲学、叩き潰してやるよ』

​彼はそのまま、視聴者を煽るように、榊恋の配信スタイルを徹底的にこき下ろした。その批判の言葉の端々には、VTuberとして頂点を目指す者だけが持つ、純粋な闘争心が宿っていた。

​そして、配信の最後に、彼は爆弾を投下した。

​『おい、榊恋! お前の得意な「パチカス」の哲学と、俺の「勝利至上主義」のどちらが視聴者を熱狂させるか、勝負だ。今週末、同時刻配信で勝負しろ。逃げるなら、そこで終わりだ!』

​この挑発的なセリフは即座に切り抜かれ、SNSを駆け巡った。「#師匠VSライバル」「#底辺戦争」というハッシュタグがトレンドに急浮上した。

​3. 師匠と弟子の覚悟

​翌日。木屑は、自分の名前が載った炎上の切り抜きを、だるそうに眺めていた。

​「フン、黒羽烈か。いかにも熱血バカって感じの炎だな」

​木屑は笑った。面白かったからだ。しかし、彼には一言、言っておかなければならないことがあった。

​『師匠! あの、烈火レツという方は、師匠の哲学を否定しているッス! 私の師匠を侮辱するのは許せないッス!』

​可憐の通話越しの声は、珍しく怒りに震えていた。彼女にとって、榊恋の「底辺の黄金比率」も「負けを愛する哲学」も、全てが真摯な教えであり、美学なのだ。

​「落ち着け、お嬢様。あいつはな、俺と違ってガソリンで動いてるんだ。火をつけたら燃えるに決まってる」

​木屑はタバコに火をつけようとしたが、橘の顔を思い出してやめた。代わりに安物の缶コーヒーをあけ、一気に飲み干す。

​「いいか、可憐。あいつが言ってるのは正論だ。勝つ方が面白いし、上等だ。だがな……」

​木屑は、久しぶりに熱を帯びた目で画面の向こうの可憐を見た。

​「俺は、お前の師匠だ。そして、俺とお前がやったことは、あいつの正論よりもバズった。それが答えだ」

​木屑はニヤリと笑った。

​「乗ってやる。お嬢様。今週末は、お前が教わった底辺の美学が、本当にバズるのかを試す、最高の見せ場だ」

​『はいッス! 師匠のダーティーな教えを、世界に見せつけるッス!』

​こうして、底辺の師匠と純粋な弟子は、日本一のライバルとの炎上必至の対決へと、踏み込んでいくことになった。


第3章:底辺の証明〜バズの熱量は勝敗を超える

​1. 決戦前夜の焦燥

​週末、黒羽烈との同時配信対決の日。事務所は異様な緊張感に包まれていた。

​榊恋(木屑)のアパートの一室では、橘真琴がわざわざオンラインミーティングをセッティングし、画面越しに顔面蒼白になっている。

​『いいか、榊! 頼むから、本当に頼むから、今日はヤニも酒も「底辺の黄金比率」もやめろ! 可憐の天然さを活かして、あくまで「底辺の美学」という名の雑学配信に徹してくれ!』

​「うっせぇな。わかってるよ、ゴリラ。今日のテーマは『パチカス哲学』だ。ギャンブルそのものより、その中で見つける『負けの美しさ』の話をするだけだ」

​木屑はそう言うと、画面の向こうの可憐に視線を送った。

​『師匠! 心して挑むッス! ライバルの方が勝利至上主義なら、私達は**「敗北の尊厳至上主義」**で対抗するッス!』

​可憐は、そのお嬢様アバターの優雅な手を固く握りしめている。その真剣すぎる眼差しに、木屑は久しぶりに「弟子」という存在の重みを感じていた。

​「尊厳ってのはいい響きだ、お嬢様。だがな、今日の勝負、俺たちは数字じゃ勝てねぇよ」

​黒羽烈の配信は常に数千人の視聴者がいる。片や榊恋はバズったとはいえ、普段は3桁が限界だ。

​『勝てない?』

​「ああ。あいつは炎で客を呼ぶプロだ。だからこそ、俺たちは**数字を上回る『熱量』**を作る。切り抜きにして、あいつの配信を食う。それだけだ」

​木屑は、ウイスキーのボトルではなく、冷たい缶ビールを手に取った。

​2. 師匠と弟子の敗北学

​午後9時。決戦の火蓋が切られた。

​【黒羽烈の配信】

タイトル:『【底辺駆逐】榊恋の負け犬哲学を焼き払う!勝利こそ正義だ!』

配信画面は炎のエフェクトで真っ赤。彼は高難易度のアクションゲームをプレイしながら、視聴者からのコメントを煽り、成功した時には「見たか!これが勝利の美学だ!」と吠える。同時接続数は一気に5,000人を超えた。熱狂的な弾幕が画面を埋め尽くす。

​【榊恋と花咲可憐の配信】

タイトル:『【師弟対決】負けを愛する哲学 vs 勝利至上主義【パチカスの尊厳編】』

背景は相変わらず汚いが、可憐の白いアバターが並ぶことで、かろうじて清潔感が保たれている。同時接続数はスタート時で1,500人。

​「さて、レッスン4だ、お嬢様」

​木屑はゆっくりと話し始めた。いつものダルそうな口調だが、その瞳は画面をしっかり見ている。

​「パチンコはな、9割負ける。その9割の時間をどう過ごすか、だ」

​『その負の時間をどう活かすか、ッスね!』

​「そうだ。例えば、一日中打って、財布の中身が空になったとする。その時、人は何を思う? 黒羽烈なら『くそ! 次は勝つ!』だろうな」

​木屑は一服する代わりに、グラスのビールを一口飲む。

​「俺たちは違う。財布の中が空になった時、**『ああ、この金があれば、あと5本タバコが吸えたな』とか、『今夜のつまみが、もやしじゃなくて焼き鳥になったな』**とか、極めて小さな希望と現実の差を噛みしめる」

​『小さな希望……』可憐は真剣な顔で頷く。

​「その『わずかな後悔』を感じる瞬間こそが、次の『小さな勝ち』を輝かせるんだ。負けの深さが、勝ちの感動を増幅させる。パチンコ台の『確変!』の瞬間じゃねぇ。コンビニで100円の当たりくじを引いた時だ」

​木屑は、配信中にスマホを取り出し、コンビニのくじを引いた。結果は「チロルチョコ1個」。

​「はい、当たりだ。お嬢様。これをパチスロで言えば、投資5万円の後の、単発4連チャンくらいの価値がある」

​『うおおお! 師匠、おめでとうございますッス! まさに泥中の蓮ッス!』

​可憐は満面の笑顔になり、その興奮は画面越しでも伝わるほどだった。

​3. 瞬間、切り抜きは生まれる

​その瞬間、可憐は立ち上がった。いや、お嬢様アバターが優雅に、だが勢いよく立ち上がった。

​『師匠! チロルチョコ、おめでとうございますッス! 私、初めて知ったッス! 敗北という名の広大な大地を知るからこそ、チロルチョコ一つが星の輝きになるッスね!』

​彼女は涙目で感動している。木屑は思わず吹き出した。

​「お前、チロルチョコで泣くなよ……。まあ、そうだな。それが、底辺の尊厳ってやつだ」

​『はいッス! このチロルチョコに、師匠の五万円の投資と、私の純粋な感動が凝縮されているッス!』

​この一連のやり取りが、爆発的なバズを生んだ。

​黒羽烈の配信は数字的には5,000人を超え続けた。彼は「勝者」として熱狂のうちに配信を終えた。

​しかし、その30分後、SNSを席巻したのは、黒羽烈の勝利ではなく、可憐の「チロルチョコ」に関する切り抜き動画だった。

​【切り抜きタイトル】

​「敗北を知るからこそ、チロルチョコが星になる」—お嬢様VTuberが悟った底辺の尊厳

​【名言爆誕】 投資5万の価値があるチロルチョコに涙する弟子

​師匠の愛:チロルチョコで弟子を感動させる底辺VTuber

​切り抜き動画の再生数は、黒羽烈の勝利配信の総視聴者数をあっという間に抜き去った。

​敗北を知り尽くした師匠の哲学と、純粋なお嬢様の過剰すぎる感動が、人々の心を打ち、そして笑わせたのだ。

​翌日、橘真琴からの通話。

​『榊……お前、数字では負けたが、切り抜きでは圧勝だ。白雪凛もTwitterで「人生の機微」とか呟いてるぞ』

​「フン。だろ? 正論なんかより、感情の振れ幅の方が強いんだよ」

​木屑は、缶コーヒーではなく、グラスにウイスキーを注ぎながら笑った。

​『だが、可憐の金銭感覚が完全に麻痺してきてるぞ。今朝「チロルチョコ100個ください」って頼まれたんだ。頼むから、もう少し、まともな社会常識を教えてやってくれ……』

​底辺の美学は、確かなバズと、可憐という生粋のお嬢様の金銭感覚を破壊する、という副作用をもたらしていた。

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