打ち捨てられた古着
僕の人生はいつも急に打ち捨てられたようなものだった。
僕は、父と母と言う言葉を知るのが、最も遅い子供だった。物心ついた頃には周囲の大人を、敬称づけか、おじさんおばさんと呼んでいた。
小学校に入る頃に僕は可哀想な子供だと、周囲の人達の反応で気付かされた。可哀想の意味がとんとわからないままに、僕は可哀想なのだと教えられる。僕は、不思議にしか思えなかった。
かと言って、年に一度の注射は痛かった。僕はなぜ痛い思いをするのか聞きたかったが、聞く相手がいなかった。そのことで、僕は誰からも共有してはもらえなかったのだと理解するのはしばらく先のことだ。
女の子の笑顔が眩しく思える日々が来た。その子らはとても眩しくて、目が眩んだ。くらくらと目眩に酔っていると、さすがに先生が心配をしたのか声をかけてくれるようになった。見たことのない張り付いた笑顔に僕はぎょっとした。
僕は高校生になることができた。僕の周りでは僕だけがなってもよかったらしい。お金を出す価値があるのだと説得された。勉強をする義務の重みに、僕は少しだけ気が重くなった。同い年の子らは楽しそうにしていたのが、いまだに目に焼き付いている。
高二の夏、僕のことが好きだという女の子に出会った。仕事のように勉強をしていた僕は、成績が良かった。部活をする暇も心の余裕もなく、いつお金を出してもらえなくなるかもしれない、からと言う不安が僕を勉強に駆り立てた。その姿が僕を少しだけ大人に見せたのだろう。彼女は僕を見ていたのだろうが、彼女の見た僕は僕の作り上げた僕だったのだ。
程なくして別れた。楽しくないわけじゃなかった。が、時間の無為さに、言葉にならなかった。僕はこの時にはすでに、諦めていたのだと思う。その後、自分で学費を稼げるようになる大学2年までは誰とも関わることをしなくなった。
他人の中にある痛みは僕を深く痛めつける。殴られる痛みは痛いだけ。神経の作用である。心の奥底にある痛みは今は忘れさせてくれる。けど、他人が見せてくる痛みには耐えられない。引き裂くような痛みがいつもそこに横たわっていた。
そう思うと、僕は誰とも向き合えなくなっていった。
大学三年の秋に立ち寄った古着屋で床に落ちていた地味で汚いスタジャンを今でも鮮明に覚えている。それはほこりまみれで、糸も解れていて、今流行りのワッペンもなくシンプルなデザインで、裏地も安っぽい。きっと誰からも買われないであろう。値札を見ると900円。時給より少しだけ安い値段。1時間をこいつにくれてやることにした。金銭的に依存しなくなった余裕が、買い物に遊びを生んだのかもしれない。
それから、5年、僕はある女性と結婚をすることになった。
僕はいつしか2つ買う習慣がついていたが、僕はあの時のスタジャンをいまだに着ている。
彼女「そんな古いのじゃなく新しいの買おうよw」
いつもそう言って、こいつをネタにする。本気で言っているわけではないのはわかるが、確かにこんなボロを着た男と歩くのは恥ずかしいだろう。
僕「部屋着にするのもありかな」
ポロッと出た言葉がこれだった。僕のとなりで微笑む彼女が眩しかった。
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