nco純文学短編集

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逃避する私の希望と遊離する欲望

私は、大学を卒業してからの20年、人並みの職業に就いた経験はなかった。


新卒カードを上手に活用できずに、自分と釣り合う企業を希望できなかったことが第一のつまづき。就職が人生の逆転になると信じていた浅はかさが当時の自分にはあった。しかし、中学校、高校、大学と上がる度に抱いた希望と同種のものを就職時にも抱く馬鹿さ加減にまたしても気づかなかった自分がいて、それからもそれまでも同じく間抜けな自分が常にいた。


そうして、私は結婚適齢期を逃したまま、まともな収入もないまま、両親も元気で遺産相続も見込めぬままに、同世代の約半分が味わっている無力感と将来への虚しさに満たされたままに、日常を送っている。


そんな自分にも彼女ができた。人生で初めての彼女が。


彼女は同世代の醜女ではあるが、自分とはちょうどいいくらいに釣り合いの取れる異性ということもあり、声をかけられた時は妙に心が躍った。


きっかけは政治活動をしていた時の配信だった。


うだつの上がらない中年になった私にも一つだけ誇れるものがあり、それは20代後半に始めた配信業で、それなりに数字(収入になるほどではないが)が取れることであった。自尊心なのか承認欲求なのか、日々の心に感じていた痛みや疲れが癒やされるには十分だったのだろう。


自分自身への正当な評価と勘違いしてしまうほどの数字ではあったが、生活を支えたり、出版社や配信業者から声がかかるほどの数字でもなく、とはいえ、プライベートで特にすることもない私がのめり込むには十分な生きがいにはなっていった。


時間は若さを奪う。


夢中になるのはあっという間だ。夢中になったらあっという間だった。夢中であったと気づいた時にはあっという間に大切なものが過ぎ去っていった。かくして、手元にはなけなしの支持者と彼女だけが残った。


僕という一人称が似合わない、どころか、痛々しい年齢と容姿になった自分を振り返る。そんな自分を「愛している」と言ってくる醜女。私の童貞はこの醜女に捧げるのであろうか。ここに反語は用意するつもりはない、が、心も胸も踊るものはないのは事実だ。


10代の頃はアニメが好きだった。いつか自分は大事な人のためにしゃにむに人生を頑張るのだろうと思っていた。期待と希望が自然だった頃の自分は確かにそこにいた。


20代の頃は地下アイドルが好きだった。純愛という言葉で、いつしかと身の丈に合わない恋をしているとの自覚はあった。だが、自分もそちら側に行けばと始めたのが配信業だったのかもしれない。金にならないのだから、業はおかしいのだろうが。


それなりに名前は売れた。それなりに。


30代の頃はあと一歩で何者かになれると信じていた。無我夢中になれたのはこの時だったのかもしれない。一生懸命に配信をした。パソコンの前で何時間もダラダラと座って喋ってコメントを読み上げるだけの一生懸命さを、私は一生懸命とすり替えて、人生の重要事項の如く扱った。


40代になった。


それまでの僕を見てくれていた女性が一人だけいた。


その女性は今、私の部屋にいる。


醜女「ご飯できたから、一緒に食べよ☺️」


等身大の僕がそこにいた。

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