第5話

反転した街並みに、二人の足音だけが響く。

建物はすべて逆さに生え、地面には天井の装飾が突き出している。

影と光の位置すらねじれており、遠近感が狂う。

ミラは歩きながら、じっと一点を見つめていた。

揺れる袖の内側で、データ粒子が細かく散る。

「……ミラ。また“ノイズ”が増えてる」

レオンが気づくと、ミラは一瞬だけはにかむように笑った。

「大丈夫です。ただ、この層は少し……懐かしい感じがして」

「懐かしい?」

「……はい。私は、ここで何かを……」

ミラは言葉を濁す。

思考の奥に手を伸ばすたび、何か硬いものに阻まれるような感覚があるらしい。

レオンが続きを促そうとした、その時だった。

――キィィィィィン……。

耳鳴りのような高周波が街の奥から走り抜けた。

同時に、周囲の建造物がわずかに震え、反転した窓ガラスに赤い模様が浮かび上がる。

ミラの表情が強張る。

「……反転塔の“観測網”です。侵入者を感知すると、塔全体の情報層が活性化します」

「敵が来るってことか?」

「はい。ただ、まだ“見ているだけ”です。……でも次は、確実に来ます」

レオンは腰に下げた剣に軽く触れる。

その刃は炎の魔力に反応し、ほのかな熱を帯びる。

「なら迎え撃つだけだ。ここまで来たら、どのみち避けられねぇだろ」

ミラはわずかに頬を緩める。

「ええ。あなたなら……きっと突破できます」

だが次の瞬間、

ミラの身体がぐらりと傾き、膝が落ちかけた。

「ミラ!?」

レオンが慌てて支える。

ミラの身体は軽い。まるで空気のように指がすり抜けてしまいそうで、レオンは思わず強く抱き寄せた。

「……ごめんなさい。深層に近づくほど、私の“存在時間”が削れていきます」

ミラの声は震えていたが、消えるわけではない。

その瞳には確かな意志が宿っている。

「でも……私は進まなきゃいけない。この塔の奥に──私の核データの一部が眠っています。本来の私は……そこで生まれたのかもしれません」

レオンは静かにうなずく。

「じゃあ取り戻しに行こう。お前の記憶も、存在も」

ミラは驚いたように目を見開き、すぐに柔らかく微笑んだ。

「……ありがとう、レオン」

二人は再び歩き出す。

その背後で、街の影がゆっくりと形を変えた。

まるで塔そのものが、二人を観察しているかのように。

そして──

都市の奥から、複数の影が“逆さの天井”を這うように近づいてくる。

「――来るぞ、ミラ。準備しろ」

「はい。深層への門は、この先に」

第3層の核心。

そしてミラの失われた記憶の断片が眠る場所へ。

二人は影の群れが満ちる反転都市へと、真っ直ぐに踏み込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る