第4話
無音の荒野を越えて、どれほど歩いただろう。
ミラの状態はようやく安定し、足取りも戻ってきていた。
だが——彼女の表情には、ずっと薄い影がまとっている。
記憶の欠損。
第2層で失われた、一部のデータ。
(ミラは……どれを忘れたんだ?)
レオンは何度も喉まで出かかった問いを飲み込み続けていた。
ミラの胸元で光が一度揺れる。
「……レオン、あれ」
指さした先に、黒い影が立ち並んでいた。
建物のようで、建物ではない。
石造りの家が横倒しになっていたり、天井だけが宙に浮かんでいたり、階段が空へ伸びて途切れていたり——
世界の法則を無視した都市が広がっていた。
レオンはその奇妙な光景を見つめた。
「街……なのか?」
ミラが淡い声で答える。
「正式名称は……“反転都市ノイズヘイム”。第3層の中核領域……のはず」
その声が不自然に途切れた。
まるで言いかけた単語を自分で思い出せず、読み込めていないようだった。
(やっぱり……記憶が足りてないのか)
レオンはミラを振り返る。
「無理はするなよ。思い出せなくても、それは——」
「……怖くないわけ、ないよ」
ミラの声は、砂よりも細く震えた。
「私は……自分が“自分じゃなくなっていく”のが、いちばん……」
言葉を継ごうとして、彼女は首を振った。
見ていられなかった。
レオンはそっと彼女の頭に手を置いた。
「大丈夫だよ。全部……一緒に取り戻す」
ミラは俯き、かすかに頷いた。
都市へ足を踏み入れると同時に、空気が変わった。
静寂ではない。
音が“反響しすぎる”。
レオンの靴音が——
「コ」
という瞬間、
「コ」
「コ」
「コ」
「コ」
……と無限に遅れて広がり、建物の壁や天井に跳ね返って続いた。
(……気持ち悪い)
ミラの眉がひそむ。
「この反響は……“過去の音”が残留してる。正常な世界じゃ、あり得ない……」
レオンが周囲を警戒していると——
カツン。
背後から、ひとつだけ違う“足音”が響いた。
レオンは即座に振り返った。
誰もいない。
だが足音だけが、明確にそこに“残っている”。
ミラがすぐにレオンの腕を掴む。
「レオン……来るよ!」
次の瞬間、足音が形を持った。
黒い残像が集まり、輪郭のない人影となり、
ゆっくりと二人の前へ現れる。
「……過去の住人の残響……? 違う、これは——」
ミラが息を呑む。
「フェイズゴースト! 第3層の上位個体!」
レオンは剣を構えた。
人影は首だけを不自然な角度で傾けると、
口の位置に当たるあたりから、空気が“逆流する音”を響かせた。
キィィィ……ィ……ィ
レオンの全身が一瞬だけ痺れを感じた。
音とは思えない音。
鼓膜ではなく、脳に直接擦れるような振動。
ミラが警告する。
「気をつけて! あれは——“認識干渉”!」
ゴーストが一気に距離を詰めてきた。
霧のように揺らぐ腕がレオンの顔へ伸びる。
レオンは剣を振る。
炎が走るが、手応えはない。
すり抜ける——!
「レオン! 横!」
ミラの叫びでレオンが跳ぶ。
直後、後ろの地面がえぐれた。
(物理攻撃もしてくるのか!)
霧状の身体なのに、一瞬だけ“実体化”する。
実体化の瞬間だけ攻撃が通るはず。
レオンは呼吸を整える。
——見極めろ。
霧の揺らぎ。
光の屈折。
粒子の集まり具合。
ほんの一瞬だけ、フェイズゴーストの胸が濃くなる。
「今だ——っ!」
レオンは踏み込み、炎を纏わせた剣を横薙ぎに振った。
火線がゴーストの胸を焼き裂き、黒い影が悲鳴のように揺らぐ。
ミラが両手を広げ、光の束を放つ。
「——サブコード、展開!」
ゴーストの動きが一瞬鈍る。
レオンは逃さず剣を突き立てた。
影が破裂するように砕け、黒い霧となって消えていった。
静寂が戻る。
しかし、レオンはミラの方を振り向いた瞬間、息を呑んだ。
ミラは立っているのに、足元の影が——揺らいでいた。
“読み込みが遅れた影”のように、形が定まらない。
「……ミラ、おまえ……」
ミラはかすかに微笑む。
「大丈夫。これは……まだ、この層に馴染んでないだけ……」
その強がりが、逆に不安を煽った。
レオンが何か言おうとした瞬間——
都市の奥から、巨大な鐘のような“反響音”が響いた。
いや、鐘ではない。
世界そのものがきしむ音。
ミラが顔を上げ、青ざめた声で言う。
「……レオン。この都市の中心——『反転塔』で、何かが動き始めてる……」
レオンは剣を握りしめた。
「行くしかないな」
ミラは小さく頷いた。
その背後で影がまだ遅れて揺れる。
二人は、反響に満ちた都市の奥へ歩き出した。
第3層の核心へ——
そして、彼女の失われた記憶の真実へと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます