第10話 展望台
「そういえば、渡辺先輩ってお父さんと生き別れたんですか?」
「ああ、あれは嘘よ」
「そうなの!?」
やっと、張り詰めた空気からいつもの和やかな雰囲気に戻った。身体から力が抜けて、どっと疲れが押し寄せてくる。
「改めまして、私は渡辺蜜熊」
「よろしくっす。あー、久しぶりに外出た」
大きく伸びをして、ようやく解放されたことを実感したのか快活そうに笑っている。
勝手な印象だけど、部活は絶対にバスケ部だったと思う。
「まるで本当に監獄にいたみたいな言いようね」
「監獄って表現で大正解だったかも」
げんなりとして先輩は肩をすくめてみせた。
「実は唯子、サンドウィッチ作ってきたんだ! じゃーん。保冷剤足りないからここにあるやつ借りて行ってもいい?」
「ん? 保冷剤なんてないんじゃない?」
あるよー、と言いながら、先輩が応接間と他の部屋の扉を開ける。すると、廊下に小さな冷蔵庫が一つ置かれている。
「昨日届いたんだ。安くて小さいけど、使えるよ。夏とか飲み物冷やしたいかなと思って。このラックの中は冷凍庫みたい」
確かにあった方が便利だが、本当に金遣いが荒い。死ぬから、気にならないのかもしれないけど。
「一通りこの事務所とか現状の説明は聞いたんですけど、本当に佐藤さんがここの家賃払ってるんですか? お金足りなくなりそうですけど」
「あの人、昔から物欲ないからね。約二十年分のお年玉とかお盆玉とかを貯めまくってたんだべ」
「確かに。あんな感じだけど、社長の息子ですもんね」
「ちょっと、あんな感じって何? 聞こえてるんですけど。はい、保冷剤」
いくつか保冷剤を持ってきて、唯子ちゃんが持参した保冷バッグに足している。
「ありがとう! ここで食べる? あっちで食べる?」
「あっちって?」
伊藤くんが不思議そうに尋ねるが、私も一緒になって首を傾げた。
「これからみんなでピクニックがてら展望台行くんだけど、アオも行くべ?」
すっかり忘れてた。先輩からスマホを借りて私のスマホの位置を確認するがまだ一は変わっていないので大丈夫そうだ。
「ガチ!? ちょー行きてー! あ、その前にオレも検査ってやつしていいすか。自分が、何の毒持ってるのか気になります」
デバイスを取り出して、手渡している。そういえば、伊藤くんはスマホを持っているのだろうか。
「伊藤くんってスマホ持ってるの?」
「あ。常に管理されてて、リビングから持ち出し禁止なんですよね。どうしたらいっかな」
「んじゃコレ使いな。俺のお下がりでよければだけど。こうなるかと思って持ってきておいて良かった」
「有能だ!」
ポケットから取り出したのは、だいぶ前の機種のスマホだった。
「明らかに成績下がったらバレるだろうから、必要なアプリだけにしなよ。まあ、自分でコントロールできるなら入れたって良いだろうけど。それあげる」
「こんなの貰っていいんすか!? 金払うっすよ」
「いいよ別に。無能にはいらないです」
早速「ドックん」をダウンロードして登録している。デバイスに手をかけると、青色にライトが点灯した。
「そう。スマホにセットして。指紋と採血でデータ取るから。強制的に毒素が致死量になった状態にするけど、すぐ終わるから我慢して」
「うっす。いつでもおっけーっす」
スタートボタンを押す。全員で見守るが、一向に何も変わらない。
「……あれ? 全然なんともないですね」
しかし、アプリには「検査中」とローディングが表示されている。数秒後に音割れした愉快な音が鳴って検査結果が出てきた。
苦しくて気が付かなかったが、こんな間抜けな音がなっていたのか。高橋先輩め、私に恥をかかせやがった!!
「羽舞さん、なんか出てきたっす。ブルードラゴンっだって」
ブルードラゴンという生き物は初めて聞いた。ユニコーンみたいな空想上の生き物だろうか。
「毒素ゲージいくつか教えてくれる?」
「一個っすね」
至極真面目な顔をして、人差し指を立てている。高橋先輩のツボにハマったのか、音を立てずに爆笑している。
「っちげぇよ! ごめん、聞き方悪かった。何パーセントか教えてくれる?」
「あ……すんません、六十三パーセントっすね」
「え!? 高くない?」
「ブルードラゴンって、ウミウシみたいなやつですよね? 基本的に自分では毒持ってなくて、クラゲとか他の生物を取り込んで毒強くなるぜって感じの」
そう言いながら早速スマホで検索をかけて、写真を見せてくれる。確かに、見た感じ龍のフォルムではない。
「そうなんだ、よく知ってるね」
「ちっちぇー頃から、図鑑読むの好きなんですよ。毒持ってる動物とか電車とかすげー見てた」
「すご。また有能なメンバーが増えちゃったな」
先輩は、高橋先輩の方を向いてわざとらしくニヤニヤしていた。しかし、その気配を感じ取ったのか、一切先輩の方を向こうとしない。これが幼馴染か。
「そんじゃ、展望台行くべ」
「運転お願いしまーす」
***
どうして展望台なのかずっと疑問だったが、先輩と高橋先輩が大学生になってからたまに来ているらしい。
山を堪能出来て、空気も最高なので気分転換にピッタリだと教えてくれた。
「久しぶりにこんな空気良さそうなところに来たかも。綺麗」
「美味しい空気吸いたい! 唯子も降り……うわぁ!! すごく綺麗」
車の中からでも綺麗だったが、降りるとより綺麗だ。一面の雪景色が上から見渡すことが出来る。駐車場から少し歩いて移動して、展望デッキのある所まで行く。
「なんか思ってたより寒いわね。もう一枚羽織ってくればよかった」
「これ……ごめんなんでもない」
「タカハシ! 今のは貸す流れだった!」
自分の上着を脱いでかけてあげようとしたのだろう。ただ脱いでもう一度袖を通した人になっている。
「普通にキモいことした。マジで最悪。溶けて消えてなくなりたい。蒸発して、いなかったことにしたい」
「羽舞さん、オレ着たい! うお、おしゃれ」
そこに伊藤くんが駆け寄って、もう一度脱がせていた。
「高橋、あんたほんとに面倒くさいわね。あ、折角だし写真撮りましょうよ。私小さい頃にスタジオでスカウトされてモデルやったこともあるのよ。だから写真の撮り方には定評があって……」
「どうせ嘘なんダヨ」
まだ途中なのに唯子ちゃんから遮られた。スマホを片手に大袈裟に喋っていた渡辺先輩は、黙って不満そうな顔をしている。
「ほら、撮るわよ!」
撮った写真を確認してグループに送ってくれた。
なぜか渡辺先輩だけ画風が違うレベルに目が大きく鼻は小さくなっている。唇は腫れているのか見間違えるほどに幅が広い。
「加工はマックスでやる派なのよ」
本人の面影なんて一ミリもないが、気に入ってるなら口出しするのも失礼だろう。
「うわ、ここから自分の住んでる街見るとミニチュアみてーっすね。うわ、何これ!」
一方で伊藤くんは、望遠鏡に目を輝かせている。お金を投入して、なぜか高橋先輩と片目ずつ使っている。両目で見ればいいのに。
「あ、唯子サンドウィッチ車に置いてきちゃった。タカハシ、鍵貸して」
近くのベンチで食べようと思っていたサンドイッチを車に置き忘れてきたらしい。幸い、駐車場までそう遠くはない。唯子ちゃんは鍵を催促している。
「俺が行こうか? なんかあったらヤバいべ」
「だいじょーぶ! すぐ近くだし、人も少ないから誘拐とかはないと思う」
鍵を受け取った唯子ちゃんは駆け出した。ちょっとは混んでいるかと思ったが、結構な穴場スポットなのもあり人は少ない。
冬の平日のこんな時間帯に山に来る人はいないのだろうか。
「……あれ絶対フラグだと思うんだよね」
「流石にそんなことないでしょ。建物、小さいわね」
「なんで、こんなにちっせーのに抜け出せないんでしょうね」
こんな小さな町から抜け出せない。そんなちっぽけな悩みのはずなのに。
そんなちっぽけな悩みに人生を大きく左右されていることが許せないし、無力感に襲われる。
「しょうがないよ。嫌いだろうと何だろうと、親は親だし。僕たちだって育ててもらった恩は感じないといけないんじゃない? 育てるのが当たり前って人もいるけど、親も人間だもん。難しいよ」
正直、先輩がそんなことを言うなんて意外だった。あの事務所を作って、愛毒症を無くしたいと願うトリカブトなら、相当家族を嫌っていてもおかしくない。
というか、どうして先輩はトリカブトになったのだろうか。誰も聞こうとしないし、本人も教えようとしない。
聞いたら教えてくれるのかもしれないけど、なんとなくそれじゃ意味がない気がした。
高橋先輩と渡辺先輩の卒業式にこの人は自首する。それまでに暴かないと。
「仕方ないよ。僕はトリカブトで君たちは愛毒士だもん」
この、ニコニコ笑みを浮かべている最強の先輩の謎を。
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