幸せの赤い夜空
白里りこ
幸せの赤い夜空
昔の日本では、夜空に
この光の正体は極光、即ちオーロラであり、今ではその仕組みの研究が科学的に進んでいる。未だに解明されていないこともあるとはいえ、現代の日本人が極光を無闇に恐れることはまずない。
名前と正体が定義されてしまえば、不安に思わずに済むのである。
幸せには大きく分けて、平凡と非凡の二種類があるように思う。どちらを選ぶかは自由であり、自分次第。そして人は、非凡を手にするのを躊躇いがちだ。自然科学と違って、幸福は定義も仕組みも曖昧である。非凡を選び取った後に、それが実は幸福ではなかったと判明したら、困ってしまう。人生はやり直しが効かない。
残念なことに私は昔から、良くも悪くも非凡な子だった。右に倣えで行動することに全く価値を感じなかった。そのせいで数多の苦労を経験したが、平凡になれることも周囲との違いがなくなることもなかった。虐めでも遊びでも学級会でも、私は周りからの同調圧力を跳ね除けて、信念を曲げなかった。
にも拘わらず私は、平凡な幸せを掴む未来を疑わなかった。いずれそこそこ素敵な人と出会って、そこそこ素敵な恋愛をする予定を立てていた。それが私の知る幸福の最適解だったからだ。私の想定していた他者との差異とはあくまで、平凡な幸せを手に入れられる範疇に収まっていた。
夜空はどこへ行っても同じ夜空だ。三笠の山に出る月と有明の海に出る月は同一である。夏になれば織姫星と彦星が、冬になれば源氏星と平家星が、日本全国で観測できる。そこに赤気が出現するなどと、誰が予測できようか。
しかし現実として、そこそこ良い人は全然いなかった。私がモテなかったというだけの話ではない。私自身、特定の誰かとお付き合いしたい、その先へ進みたいと願うことがなかった。恋愛に興味が湧く時期というのが、いつまで経っても来なかったのだ。
映画を観た感想で「あの二人にくっついて欲しかった」と言われても、作品の主題はそうじゃないのになあと思っていた。むしろ熱烈な恋愛シーンは苦手だった。
俳優の写真を見せられて「どっちの方が格好良いと思う?」と問われても、人間の男性の顔の良し悪しは判断できないなあと思っていた。普段から格好良いかどうかで人の顔面を識別していなかった。
そうして恋愛を遍歴しないまま、そろそろ三十路を迎える頃合いになった。友人たちはそれぞれ相手を見つけて、同棲や結婚をし始めていた。私は不安になった。どうも可怪しい。予定と違う。誰しも一度は、血縁関係の無い他人と愛し合ったことがあるのに、私だけが違う。私だけが、愛されないし、愛せない。他人が幸せになるのは結構なことだが、このままでは私の人生のみが寂しく虚しいものになってしまう気がする。
みんなが揃って同じ星空の下にいる中で、私の上空がどことも繋がらない別個の物だというのは、切々と哀しいことだった。私は、赤気が出ている空もみんなと同じ空だということを──恋愛的に好き合った経験がなくとも幸せになれるということを、確認しておきたくなった。
思い立ったら後は容易だった。インターネットには性的指向に関する無料の診断が無造作に転がっている。私はなるべく多くのデータを取ろうと考え、試しに片端から診断を受けた。
そしてぎょっとした。吃驚仰天とは正にこのことだった。頭蓋に隕石が降ってきたかのような激震が走った。
どの診断にも、他人を性的に見ることがあるか、という類の質問項目が必ずあったのだ。そう、性欲というのは基本的に、他者の存在を介する概念である。
質問を見るまでさして深く考えてこなかったが、私の答えは明確に否だった。他人の身体を見て興奮したことはないし、他人と性的な接触をする想像には強い忌避感がある。しかしそれは平凡な感覚ではないらしい。マジョリティの人々には、他人を性的に見る経験が、当たり前にあるのだ。
私は自分がアセクシュアルであると結論づけた。他人に対して性愛感情を抱かない性的指向のことだ。この「性愛感情」のニュアンスが重要だと私は感じた。至上の愛とは恋愛や性愛に限定されないのだ。
かくして、頭上の紅い光は一つの自然現象であり、妖しくも可怪しくもないと説明がついた。極光が出る空も、地球上の空には違いない。恋愛感情が希薄でも、性愛感情が皆無でも、人はちゃんと人を愛せる。幸福になれる。そう定義づけられ、ひとまず私は安心した。
しかし問題は残っている。二種類の幸せの内、非凡の方を選ばざるを得なさそうな件だ。昔からの性分で、非凡であることを曲げるつもりはさらさら無い。ただ、やはり躊躇う。このままでは幸福の最適解が導き出せない。私がどのくらい非凡なのかによっても、答えは変わってくる。
調べると、日本におけるアセクシュアルの割合は1%前後だという説を見つけた。意外と多いなと私は拍子抜けした。世界人口の内、日本人が占める割合と大差ないではないか。
所変われば品変わる。日本国内にいる日本人が、己をエスニックマイノリティと思うことはない。極光は、中緯度地域では珍しい現象だが、高緯度地域では当たり前の日常に過ぎない。私も見方を変えればちっとも非凡ではない。考え方によっては、これまでとは異なる平凡を見つけられるかもしれない。
この世には無数の夜空がある。北極星を観測できる夜空。南十字星が浮かぶ夜空。色鮮やかな極光が降り注ぐ空。
私の頭上は相変わらず赤く光っている。だが、これをどんな空に繋ぎにいくかは、結局は自分次第なのだろう。
幸せの赤い夜空 白里りこ @Tomaten
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