第2話 誰もが知っている“普通”

【取材メモ:2025年8月8日】

今日、悠真の担任・小林先生に初めて会った。高校の職員室の隅で、彼はコーヒーを飲みながら言った。

「佐藤くんは、“普通”でした。本当に、“普通”の子だったんです」

その言葉を、今日までに少なくとも7人が口にしている。

“普通”。

でも、その“普通”が、なぜかひどく不安をかき立てる。


――高橋亮


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【インタビュー音声文字起こし:2025年8月9日】

対象:佐藤美香(悠真の母)

場所:佐藤家・リビング


「悠真は小さい頃から、あまり泣かない子でした。保育園の先生にも『おとなしすぎる』って言われて……。でも、問題行動なんて全然なくて、宿題も自分からちゃんとやって。中学に入ってからも、一度も遅刻したことがなかったんです」


「友達? いたとは思うんですけど……家に連れてきたことは一度もありませんでした。LINEの通知音はよく聞こえてきたけど、誰と話してたのかまでは……」


「あ、でも、最近になって気づいたんですけど。彼のスマホには、『Y_S_2025』っていう名前のアカウントでログインしてるアプリがあったの。親の知らないSNSで……パスワードがわからなくて、警察に見せてもらったんですけど、中身はもう消えてて」


「……“普通”だったはずなのに、なんで隠してたんでしょうか」


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【柏木高校・2年B組 担任教師 小林雅彦(39歳)提出資料】


提出日:2025年6月3日

件名:「佐藤悠真に関する学校生活記録」


・出席状況:全期間満点(欠席0日、遅刻0回)

・成績:学年トップ10以内(特に数学・物理に優れる)

・部活動:なし(ただし、放課後に図書室で個人学習を頻繁に行っていた)

・人間関係:トラブルなし。友人関係は希薄だが、敵対関係もなし

・担任面談記録:「大学進学希望。地方国立大を志望。将来は研究職に就きたいと語っていた」


※本人から「精神的な不安」や「いじめ」に関する相談は一度もなし。


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【取材メモ:2025年8月10日】


柏木高校の図書室を訪問。司書の田中さんは、悠真のことを「静かな常連さん」と呼んだ。


「毎週月・水・金の放課後、必ず3時20分に来ていたんです。自転車を裏口の駐輪場に置いて、4時50分に帰る。その時間、ほぼ100%ここにいました」


「読む本は……科学雑誌とか、地図帳とか、古い民俗学の本とか。一見バラバラなんですけど、彼曰く『パターンを探してる』って」


「最後に来たのは、失踪の前日。その日は、『柏木町史 昭和編』を読んでました。でも、コピーもメモも取ってなかった。ただ、じっと見てるだけだった」


「……今思えば、あの目は、何かを探してるんじゃなくて、“確認”してたみたいだった」


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【SNS投稿・アーカイブ保存済み】

プラットフォーム:匿名掲示板「KashiBoard」

スレッドタイトル:【柏木】高校生いなくなりすぎ問題

投稿日時:2025年5月18日 02:17


>>1

またかよ。佐藤って奴、今日いねーじゃん。クラスで話題になってたけど、誰も詳細知らねー。警察来てるらしいな。


>>3

お前ら知らないのか? アイツ、裏垢で『柏木は嘘つきの町』って連投してたぞ。IDはY_S_2008。今見たら消えてるけど。


>>5

マジで? あんな地味なやつが?

俺、その日商店街で見たよ。なんか青いノート握ってた。普通の手帳じゃねー感じだった。


>>7

それ、多分“時間手帳”だろ。昔、柏木の旧家が使ってたやつ。祖母が言ってた。32分刻みで書くんだって。


※このスレッドは5月20日に削除。KashiBoardは2025年6月にサービス終了。


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【警察提出資料:佐藤悠真 所持品検証報告書】


回収日:2025年5月20日

回収場所:佐藤悠真 自室


・スマートフォン(ロック解除不可。後にデジタルフォレンジック解析実施)

・財布(現金3200円、学生証、図書カード)

・学生カバン(教科書、ノート類)

・手帳(青い布装、A6サイズ。表紙に「Y.S. 2025」と鉛筆で記載)


【手帳内容抜粋】

5月1日「川の音が昨日より速い。なぜ?」

5月5日「駅前の時計、32秒遅れてる」

5月10日「祖母の日記、また読んだ。32分の意味がわかんない」

5月15日「誰も見てないとき、町は違う顔をする」

5月16日「明日、確かめる。本当かどうか」


最終記入日:5月16日

その後のページは、すべて無地。


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【取材メモ:2025年8月11日】


本日、悠真の親友とされる男子生徒・中村大輔(17歳)に接触。最初は取材を拒否されたが、3度目の訪問でようやく応じてくれた。


「親友? 俺が? ……違うよ。付き合ってただけだよ。悠真は誰とも“親しく”なんてしなかった」


「でも、たしかに放課後、ときどき一緒に帰ってた。ほとんど話さないけど、なんか居心地が悪くはなかった」


「裏アカウント? 知らなかった。でも……最近、『町の時間がズレてる』って言ってたことはある。『32分だけ、誰も覚えてない時間がある』って。冗談かと思って流したけど……」


彼はそこで言葉を詰まらせ、しばらく黙っていた。


「……あの日、3時05分に自宅に着くはずだったって、悠真が前日に言ってたのを思い出した。なんでそんな正確に? って思ったけど、今なら……」


そのあと、彼は立ち上がり、取材の続行を断った。


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【メール記録:2025年8月12日】

送信者:匿名

宛先:高橋亮(ドキュメンタリー制作チーム)


件名:手帳の文字について


柏木町出身の者です。

悠真くんの手帳にあった「32分の意味がわかんない」という記述ですが、これは“柏木時計伝説”に関係しているかもしれません。


昭和初期、柏木町には「32分だけ止まる時計塔」がありました。地元の有力者が建てたもので、毎日午後3時から3時32分の間だけ、故意に針を止めていたそうです。理由は不明。戦時中に撤去されましたが、一部住民の間では「その32分は神様の時間で、人間は記憶できない」と信じられていました。


祖母が生きていた頃、よくそんな話を聞かされました。


もしこれが本当なら、悠真くんは“その時間”に巻き込まれたのかもしれません。


返信は不要です。ただ、伝えておきたかっただけです。


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【インタビュー音声文字起こし:2025年8月13日】

対象:佐藤悠真の祖母・佐藤千鶴(86歳)

場所:柏木町・特別養護老人ホーム「さくらの里」


「悠真? あの子、小さいころから“時間”にこだわってたのよ。時計ばっかり見てて。『ばあちゃん、今日は何分遅れてる?』なんて、よく聞いてきたわ」


「32分? ああ……昔の話ね。うちは、柏木の旧家なの。時計塔を建てた家の末裔よ。でも、もう誰も覚えてないわ。町も変わって、若い人はそんな話、信じないでしょうしね」


「悠真は、私の日記を読んでたの。『神の時間が来る』って書いてあるページを、何度も読んでた。怖がってたみたいだけど、同時に“見てみたい”とも言ってた」


「……あの子、3時37分に消えたんでしょ? だったら、3時05分から3時37分の間に、何かがあったのよ。誰も覚えてない、32分の間に」


彼女の声は震えていたが、目はしっかりとこちらを見据えていた。


「あなたも気をつけて。カメラで撮ろうとしても、“その時間”は映らないわ」


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【取材メモ:2025年8月14日】


今日は悠真の自室を再調査した。警察が一度調査済みだが、許可を得て入室。


机の引き出しの奥に、小さなメモ用紙が挟まっていた。折り畳まれており、開くと、手書きの文字が。


「32=3+2=5」

「5月17日=5+1+7=13」

「13→1+3=4」

「4×8=32」


意味不明の数式。だが、最後の「4×8=32」の“8”にだけ、赤い丸がされていた。


壁のカレンダーには、5月17日だけが赤ペンで丸で囲まれていた。


そして、ベッドの下から、小さなSDカードが見つかった。ラベルには「再現用」とだけ記載。


カードをプレイヤーに差し込むと、15秒ほどの映像が再生された。


画面には、悠真が自室で話し掛けている様子。


「もし誰かがこれを見てるなら……俺は“消えた”んじゃない。ただ、“記録されなかっただけ”だ」


映像はそこで途切れた。


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【ドキュメンタリー制作メモ:2025年8月15日】


“普通”という言葉が、ますます不気味に思えてきた。


悠真は優等生で、真面目で、無難で、誰にも迷惑をかけない“普通の高校生”だった。

でも、その“普通”の裏に、彼は一体何を見ていたのだろう。


祖母の日記。32分の伝説。裏アカウント。誰も見ていない町の顔。

そして、手帳に残された謎の数式。


すべてがバラバラなピースのように見えるが、どこかでつながっている気がする。


特に気になるのは、祖母の言葉だ。


「誰も覚えてない、32分の間に」


――もしかすると、悠真は“消えた”のではなく、“その時間に入った”のかもしれない。


そして我々は、その時間の外側にいるから、彼を“記録”できない。


馬鹿げた話かもしれない。でも、23人の目撃者がいるのに、カメラに一切映らない現実を前にして、私は笑い飛ばすことができない。


明日から、柏木町の歴史を本格的に掘り下げる。

特に、あの“時計塔”について。


何かが、始まっている。


(つづく)

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