消えた32分 ―柏木町事件記録―
@tamacco
第1話 目撃された消滅
【ドキュメンタリー制作メモ:2025年8月3日】
取材開始から3日目。柏木町に着いて、まず驚いたのは「静けさ」だった。駅前ですら、人の話し声が聞こえない。車の音も少ない。空気そのものが、何かを隠しているように感じた。
――高橋亮(ドキュメンタリー作家)
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2025年5月17日、午後3時。柏木高校2年生・佐藤悠真(17歳)は、いつものように自転車で帰宅途中だった。
彼の通学路は、高校から自宅まで約2.3キロ。住宅街を抜け、商店街の一角を通って、小さな川沿いの道を走る。その道は、地元住民の間で「桜並木通り」と呼ばれていた。季節外れの5月でも、なぜかその名前は変わらない。
午後2時58分。悠真は高校の正門を自転車で出た。門の監視カメラがそれを捉えていた。青い学生カバンを背負い、左肩にジャージをかけている。表情は特になし。むしろ、眠たそうな目をしていた。
午後3時00分。コンビニ「スリーエイト柏木店」の防犯カメラに、悠真と同型の自転車が映る。ただし、映像の人物はヘルメットをかぶり、顔は確認できない。店員によると、「買い物はしていなかった」とのこと。
午後3時02分。柏木商店街の肉屋「田中精肉店」の店主・田中久夫(68歳)が、悠真を目撃したと証言している。
「高校のジャージ着ててね。カバンぶら下げて、自転車でゆっくり走ってたよ。手を振ったら、こっち見てちょっと会釈してくれた。あの子、いつもそうだったからね」
しかし、商店街に設置された4台の防犯カメラのいずれにも、悠真の姿は映っていない。
午後3時05分。悠真の母親・佐藤美香(45歳)は、在宅中だった。自宅の玄関ドアに、息子の自転車の音が聞こえるのを待っていた。しかし、その音は聞こえなかった。
午後3時37分。悠真のスマートフォンの最終通信記録。この時点で、柏木町西部の基地局に接続していたが、GPS情報は取得不能。以後、通信は途絶える。
午後4時10分。佐藤家が警察に通報。「帰宅時間が過ぎても戻らない」との内容だった。
午後5時30分。柏木警察署が「所在不明者」として捜索を開始。当初は「ちょっと寄り道しただけ」の可能性が高いと判断されていた。
だが、翌日になっても悠真は帰らなかった。そして、3日後には警察が本格的な捜査を開始した。
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【インタビュー音声文字起こし:2025年6月1日】
対象:柏木高校2年B組・生徒A(匿名希望)
場所:柏木高校・空き教室
「悠真くん? うん、クラスでは結構目立ってたよ。頭いいし、先生にも好かれてたし。でも、なんか……距離感がちょっとあった。話しかければ普通に答えてくれるんだけど、自分から誰かに話しかけたり、放課後に遊んだりって、あんまりなかったかな」
「失踪当日? 午後は体育だったよ。悠真くんは軽く汗かいてて、体育館のロッカーで着替えしてた。俺、隣のロッカーだったから、よく覚えてる。『また今日も早く帰る?』って聞いたら、『うん、家でやることあるから』って言ってた」
「……でも、不思議なのは、あの後、誰も彼を見かけてないってこと。俺は校門で見送ったし、他にも3人くらいが『見かけた』って言ってるのに、カメラに全然写ってないんだよ。おかしくない?」
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【柏木町警察署・捜査資料抜粋】
目撃証言件数:23件
(※うち17件が「午後3時00分〜3時10分の間」)
目撃場所の分布:
・高校正門周辺:5件
・商店街:8件
・桜並木通り:6件
・その他(自宅付近など):4件
※全証言者に対し、本人確認および証言内容の整合性を確認済み。虚偽申告の疑いなし。
防犯カメラ検証結果:
・高校正門:本人映像あり
・スリーエイト柏木店:類似人物(未確認)
・商店街・桜並木通り・自宅周辺:該当人物の映像なし
※商店街には合計12台の防犯カメラが設置されているが、いずれも悠真と特定できる映像は存在しない。
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【取材メモ:2025年8月4日】
本日、商店街を歩いてみた。スリーエイト柏木店の店員に話を聞いた。若い女性だった。
「あの日? うーん……自転車の高校生、何人か見かけますよ。でも、店に入ってこなかったら、顔までは覚えてないですね」
「防犯カメラの映像ですか? 警察が見に来て、コピーも取っていったみたいです。でも……最近、本部のシステムでデータが消えちゃったって連絡が来たんですよ。『誤って上書きされた』とか? 正直、よくわかんないんですけど」
「……でも、変ですよね。一人の高校生が、こんな小さな町で、20人以上に見られて、カメラに全然写らないなんて」
彼女は、そう言って視線を下に落とした。
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【SNS投稿・削除済み(2025年5月18日)】
ユーザーID:@kashiwagi_anon
【拡散希望】
柏木高校の佐藤悠真くんが昨日の午後3時すぎに失踪。目撃情報多数あるのに、防犯カメラに映ってない。不気味すぎる。
俺もその時間帯、商店街の入口で見たよ。青いカバン、左肩にジャージ。絶対間違いない。
でも警察は『証拠がない』って。
誰か、情報ある人いたら教えて。#柏木町失踪 #佐藤悠真
※この投稿は翌日に削除され、アカウントも非公開となっている。
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【取材メモ:2025年8月5日】
今日は悠真の家を訪ねた。母親の美香さんは、玄関先で10分ほど話してくれた。表情は疲れていたが、丁寧に答えてくれた。
「警察が来て、カメラのデータとか、スマホの記録とか、全部調べました。でも……結局、何もわからなかったんです」
「息子は普通の子でした。部活もやってないし、喧嘩もしたことない。SNSも、親の前で見せてくれるくらいで、隠し事なんて……あるはずないと思ってた」
「でも、事件のあと、友達の親御さんから『裏アカウント持ってたかも』って聞いて。信じられなくて……」
彼女はそこで言葉を切り、目を伏せた。
「……あの日、3時5分に帰ってくるはずだったんです。玄関の鍵の音を、ずっと待ってました」
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【インタビュー音声文字起こし:2025年7月12日】
対象:柏木警察署・捜査官・中村健一(42歳)
場所:柏木警察署・会議室
「我々としても、初めてのケースでした。目撃者がこれだけ多いのに、映像的証拠がゼロというのは。通常、何かしらカメラに引っかかるもんです」
「携帯の基地局ログから推定した移動経路とも、目撃場所と矛盾があります。例えば、午後3時02分に商店街にいたと証言されているのに、携帯はその時点で町外の基地局に接続していた記録がある。物理的に不可能です」
「……もちろん、証言者が嘘をついている可能性もあります。でも、全員が揃って嘘をつく理由が見当たらない。しかも、証言内容はそれぞれ微妙に違う。共謀しているとは思えない」
「結局、我々は『32分の空白』に直面しただけでした」
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【ドキュメンタリー制作メモ:2025年8月6日】
今日、桜並木通りを歩いてみた。午後3時ちょうど。日差しは強く、空気は少し湿っている。自転車で通る高校生が2、3人いた。誰もが無言で、ただ前に進んでいく。
ふと、自分が悠真だったらどう感じるか、と考えた。この通りを午後3時に走って、何を感じるだろう。何を考えるだろう。
そして――どこで、何が起きたのだろう。
商店街のカメラが写さなかったのはなぜか。携帯の電波が矛盾するのはなぜか。23人の目撃証言が、なぜ「記録」されないのか。
柏木町は静かすぎる。静かすぎて、何かが隠されているように思える。
取材を始めてわずか4日だが、すでに違和感がまとわりついている。まるで、この町が私を拒んでいるようだ。
だが、私は続ける。なぜなら――
悠真は、確かに「見られた」のだから。
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【付記:2025年8月7日】
本日、柏木高校に許可を得て、5月17日の監視カメラ映像を再確認した。午後2時58分、悠真が正門を出る映像。自転車の色は黒。カバンは青。ジャージは左肩。
そして、彼の後ろにいた別の生徒が、カメラに向かって小さく手を振っている。悠真は振り返らなかった。
その映像を見終えたとき、不意に背筋が冷たくなった。
なぜなら――
その「別の生徒」の制服の色が、柏木高校のものではなかったからだ。
(つづく)
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