ばあちゃん

芳江 一基

第1話

 そう、あれは、あの、ばあちゃんがまだ元気だった頃だと思う。

 その年、いつもより少し暑かった夏もようやく終わりかけようとしていた、ある日だった。

 ばあちゃんから頼まれたお使いのため、村で唯一のコンビニへ、僕はいやいや出かけていた、確かその時だと思うが、記憶は定かではない。

 もう、日は暮れていたはずだ。見上げると、所々小さな星々の輝きで、澄んだ紺色の空が美しかったのを覚えている・・・。


 その時、向こうから歩いて来る女の子を見たのだった。村では見たことのない女の子だった。僕と同い年頃の女の子だったと思う。小さな村だった、大体の同学年の女子の顔と名前は押さえていた。

 僕はただ、何も言わずにすれ違えなかっただけだった。

 この村の女子にはない、そう、何か、何かだった気がする。その子は持っていた。

 真っ赤なスカートを履いていた。それは都会、そう、僕のまだ見たことのない都会の色だった気がする。・


 それはただの好奇心だった。僕は思わず、すれ違いざまに声を掛けてしまった。

「ねっ、ねえ、君・・・?」しかし、彼女は僕が声を掛けても振り向きもせずに、通り過ぎて行った。僕はしばらく振り向いたまま、その子の後ろ姿を、夏の夜風になびく、長い黒髪を見つめていた。


 恋愛というほどの年齢ではなかった。

 僕はその時、村で唯一の小さな小学校へ通っていた5年生だったのだ。


 次の日だった、学校に行くと、先生の横に、その子があの真っ赤なスカート履いて立っていた。そして先生がにっこり笑って、クラスのみんなに向かって言った。

「今日からみんなの友達になる美里理恵ちゃんです」

 するとその子は深々と頭を下げた。

「美里理恵です。理恵って呼んでください」

 そして彼女は頭を上げると、その子を見つめていた僕をチラリと見つめた。

 僕はすぐに目をそらした。

 目を合わせていることができなかった。


 めったに来ない転校生だったので、休み時間はみんな彼女の周りに輪になった。

しかし僕はその輪に入れなかった。

 恐かった。「また無視されるのじゃないか」僕は一人で机に座って、そ知らぬふりで教科書を呼んでいた。

 

 すると良太が彼女に声を掛けたのだ。

「ねえ、どこから来たの?」奴はやたらと女の子に近づいていく。

他の男子は一歩引いて彼女を見つめてるというのに、声までかけていやがる。

僕は少しムカついた。奴は僕といろんな面でライバル関係にある男子だった。

(成績は一番は無理だったが、二番と三番を争った)

とりあえず彼女がなんと答えるか、僕は耳を澄ましたが、彼女の声が小さくて聞こえなかった。しかし、にこやかに笑って何かを言っていた。良太は笑っていたのだ。

あの様子からするとあの子はかなりおとなしい女の子に違いない。

すれ違いざまに声を掛けられ、返事をするような子ではないらしい。


 僕を嫌がって無視したわけではないと思い、僕は少し安心した。

 そこでお昼休み、給食を早めに済ませた僕は、思い切って彼女の机に近づいた。

 その時、恵の視線を感じたが、僕は気にしなかった。

 しかたがない、彼女は恵よりも可愛いいのだ。


 恵は4年生になった頃から僕と良太が奪い合ったが、恵は僕を選んだのだ。

 それ以来、学校が終わると、僕は毎日公園の分かれ道まで、少し遠回りになる道を恵と一緒に学校から帰ることにしていた。だが僕は心の中で決心していた。今度はこの子だ。

 当然良太も僕を見ていたようだが奴には今度も負けない。僕は思っていた。


 彼女の机に近づいた僕は彼女に聞いた。今度はただの好奇心ではなかった。昨日僕の家の近所で会ったのだ。家は僕の近所に違いない。「これからは、この子と学校から帰る」。僕は決心していた。


「君、どこに住んでるの?」

まだ、給食を食べていたその子に僕は聞いた。

その子は何も言わずに給食を食べ続けていた。僕はもう一度聞いた。

「ねえ、どこなの?」

するとその子は言った。

「よしてくれない、まだ食べてるの」


 僕は驚いた、というか、傷ついてしまった。さっきの良太への返事とはまるで違う、その子のきつい一面を僕に向けたのだ。もろくも僕の決心は崩れ、しかもそれが僕のトラウマとなり、僕はそれ以来女性への「告白」という行為がまるっきりできない男になってしまった。ただ恵は違った。それ以前に自分の思いを打ち明けていた恵には何でも言えたのだった。


 その日も学校が終わった帰り道、ちょっと冷たい恵の横で僕は俯きながら歩いていた。

「今日の給食美味しかったわね」恵はいった。

「そうだね・・・」僕は俯いたまま言った。

 恵は体格とおり寛容な女子だった。その一言で、その日のことを恵は許してくれた。僕はそれ以来、理恵に近づくことはやめた。


 帰るとばあちゃんがもう、夕飯の準備を始めていた。ジャガイモと玉ねぎ、ニンジン、それに鶏肉。カレーかシチューだろう、僕は思いながら流しに向かい、背を向けているばあちゃんの後ろを通った。

「おかえりなさい」ばあちゃんが言った。何となくばあちゃんはその日に学校であった出来事を、全部知っているような気がした。


「ただいま」僕はそう言って、カバンを背負ったまま二階の自分の部屋に上がり、着替えると、ベットに寝転がって、最近買ってもらった新刊の漫画を読みながらばあちゃんに呼ばれるのを待った。言い忘れていたが、僕にはお父さん、お母さんなるものがいなかった。小さい頃に死んだと聞かされたが、そのことを悲しんだり、淋しがったりした事は今まで一度もなかった。それほどばあちゃんの存在が僕には大きかった。


 カレーの匂いはしてきたが、なかなかお呼びがかからなかった。しばらくすると、ようやくばあちゃんの少し、しわがれた声が聞こえた。

「まさる、ご飯だよ」

 僕は何も言わずに部屋を出て、赤い福神漬けの乗ったカレーのお皿が二つ並べられたテーブルに座った。

僕は何も言わなかった。というよりは、何も言えなかった。

いつもは僕が何も言わないとばあちゃんが何か聞くのだが、ばあちゃんも黙っていた。やっぱりばあちゃんは知ってる。僕は思ってしまった。

僕のスプーンを持つ手が少し震えた。でっ、でも、女の子に振られたくらい、僕は思った。

ばあちゃんは知っている。何故か知らないが、今日の学校での出来事を知っている様だった。情報は本人も早く伝わっていくようだった。僕は怖くなった。情報というものは、ほとんどが悪く伝わっていくものだ。伝われば、伝わるほどが、悪くなっていく。今回の一件も。

 テーブルに着いたばあちゃんが僕を見ずに言った。

「まさる、振られたか?」

「振られたわけじゃない」僕はばあちゃんを見て叫んだ。

「いい、わかっとる」

「よくない、わかってないじゃないか。僕は声を掛けただけだ」

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ばあちゃん 芳江 一基 @YosieKazuki

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