第2話 リンゴと至高のリンゴ
勇一は、魔女と名乗る女性にリンゴを食べさせることになった。
魔女を連れて向かったのは近所のスーパー。開店までは時間があったため、二人は店の前に立って待つことにした。
スーパーに面した道路を勇一と同じスーツ姿の人々が通り過ぎていく。通行人の多くは立ち尽くしている勇一と魔女を怪訝そうに見やり、すぐに興味を失ってスマフォに目を戻していた。
勇一はスマフォをいじる気力もなく、道路や空に視線をさまよわせる。
魔女は珍しそうに通行人を眺めていたかと思えば、続いて見比べるように勇一を見つめるなどしている。静かだが、その興味は無垢な子どものように忙しない。
自分のことを魔女と呼ぶのも納得の変わり者だ。そう思って勇一は魔女の横顔を盗み見る。
勇一が知る魔女とは物語のなかの存在だ。リンゴに関係する魔女も知っているが、それは毒リンゴをお姫様に食べさせる魔女だった。魔女もリンゴを食べるだろうが、それが決まったことだという魔女の言い分はわからない。
勇一は魔女について興味が湧いていた。魔女だと名乗る女性は自身をどう説明するのだろうか。
「あなたは魔女なんですよね」
「あなたが人間であるようにね」
「魔女なんだから、魔法でリンゴを出せばいいんじゃないですか」
「魔法使いの女だから、魔女だなんて安易ね」
魔女は面白がるように勇一を見返す。
「魔法を使わないのなら、
「箒に乗ってなにをするの」
「空を飛ぶんです」
「あなたの知っている魔女は、とても面白いのね」
魔女の口唇がつり上がる。形式的で感情の伴わない笑み。
「俺が知っている魔女とは違うんですね」
「私が知っている人間とあなたが違うようにね」
「言っていることが、よくわからないんですけど」
「あなたは自己紹介するとき、人間という存在について説明するのかしら」
要領を得ずに相手を惑わせる魔女の答えに疲れ、勇一は話題を変えることにした。
「至高のリンゴを食べることに意味はあるんですか」
「それが魔女の試験なの。本当の魔女になるためのね」
「本当の魔女になるってことは、あなたは偽物の魔女なんですか」
「魔女だと言ったでしょう。でも、本当の魔女とはまた違うじゃない」
「わかりました」
わからない。至高のリンゴを食べることが、魔女の試験だということもわからない。だが、この魔女は勇一の知っている魔女とは違う。そういうものだと割り切るしかなかった。
スーパーのシャッターが上がる音が聞こえた。勇一が振り向くと店内は照明の光で満たされて、店員が立ち働いている。
魔女を促して店内に入った。早くも勇一たちのほかにも買い物客の姿がある。
何度か来たことのある店で青果売り場の位置は知っている。野菜や果物が並ぶなかで勇一は目的のものを見つけた。
勇一はリンゴが三つ入ったパックを指さした。
「これがリンゴです」
「どれかしら」
「この赤いのが全部リンゴです」
「ふうん。この赤くて丸いもの一つ一つがリンゴということ」
魔女がうなずく。
最大のリンゴの産地である青森県産、そして等級も最高であれば文句も言われまいというのが勇一の考えだった。
魔女は道路で通行人に向けていたのと同じ、冷めた視線をリンゴに向けていた。
「これが、あなたの考える至高のリンゴなの」
「えっと、少なくとも最高の等級ですよ。太陽の光を果実に浴びせて育てた青森県産のサンふじですし」
「これがあなたにとって、私に食べさせるための至高のリンゴということ?」
安易な答えを出した勇一を咎めるような口調だった。
「有名な産地だから、最高の等級だと他人が決めたから、それが至高のリンゴだと、あなたは考えたわけ」
「それ以外にリンゴの良し悪しを……」
「至高の」
「それ以外の基準で、至高のリンゴを決めることなんてできるんですか」
「あなたが考える至高のリンゴよ。他人の決めた基準に従えばいいのだったら、あなたに頼んだ意味がないんじゃないの」
勇一は押し黙った。
「それとも、あなたを選んだのは私の間違いだったのかしら」
勇一の胸に痛みが走る。それは仕事で失敗し、叱責されたときとは違う痛みだった。嘘を吐いて学校をサボったのが見つかり、親に叱られたときの気持ちに似ていた。
至高のリンゴを食べさせるという魔女の願いに対し、真剣に向き合っていなかったことが相手に伝わってしまった罪悪感かもしれない。
「すみません、間違っていたのは俺の方です」
間違っていたのは、魔女と名乗る変わり者の女性を、おざなりにやりすごすために自分が出した答え。
「至高のリンゴを食べさせてあげます」
魔女は少し顎を下げて勇一を見上げるようにした。
「期待しているわ」
魔女と至高のリンゴを探す旅路 小柄宗 @syukitada
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