第6話 過去と未来が触れる場所

ふと、我に返った。

ぼんやりとしていた意識が澄み、目に映る光景にユイは思わず息を呑んだ。

そこはまるで、絵本の中のファンタジーの世界だった。

四方を巨大な木の幹に囲まれた、閉ざされた空間。それにもかかわらず、天井の裂け目や木のひび割れから差し込む赤紫色の光が、空間全体に柔らかな揺らぎを与えていた。自然と人工の狭間のような幻想的なその光景に、心が少しだけ安らいだ。


ユイ「ここがテト君達の住んでいる村。」


ぽつりと呟いたユイに、隣を歩くテトがこくんとうなずく。

テト「うん。他の種族が来るのは初めてだよ。誰にも言わないでね」


ユイ「もちろん。任せて。」


小さく笑いかけると、テトの耳がぴくりと反応した。

その少し後ろから、重々しい足音を響かせながら、ガルドが肩にミルを背負って歩いていた。


ガルド「とにかく村長の元へ急ぐぞ。まずはミルを診てもらう。生きているのか、それとも、そうでないのか。はっきりさせなきゃなんねぇ。」


その言葉に、テトは唇をかみしめながら頷く。


テト「そう…だね。」


ユイ「はい…。」


ユイもまた力なく返事をし、目線を落とした。

廃工場での戦い。ミルが傷つくまでの一部始終が脳裏に焼き付いて離れない。

助けたい気持ちだけはあった。けれど、実際に助けられなかった。その事実がユイの胸に、冷たい鉛のように重くのしかかっていた。


ガルド「よく事情は分からないが、君のせいじゃねぇってことだけは言っとくぜ?」


ガルドの声に顔を上げると、彼は前を向いたまま、不器用に言葉を続けた。


ガルド「勝手にこんな世界に押し込められてよ、勝手に牙むいてくる連中が何もかも、ぜーんぶわりぃんだからよ。」


その優しさに、ユイは胸が熱くなった。


ユイ「はい、ありがとうございます。でも、みんな同じ状況なのに、皆は戦ってるのに、私だけ何も出来ないのが悔しくて。」


声が震えた。けれど、返ってきたのは、今度はテトの穏やかな言葉だった。


テト「お姉ちゃんはまだ、ここに来て間もないんだ、仕方ないよ。僕だって戦いはいつもミルに任せてたし、大きく飛び跳ねるくらいしかできなかったもん。」


優しさが胸に沁みる。臆病な心を、ほんの少しだけ照らしてくれる。

その時だった。


ロウザン「お話中悪いが、お前さん達帰ってきてたのか。」


背後から、どこかゆっくりとした、けれど芯のある声が響いた。

振り向けば、年老いた獣族の男が、静かに佇んでいた。豊かな白髪と、時間の積み重ねを感じさせる皺。けれどその目には、深く澄んだ光が宿っている。


ガルド「ロウザン村長!」


ガルドが声を張り上げ、姿勢を正した。

老いた獣族、ロウザンは、ミルの様子をひと目見るなり、穏やかながらも鋭い声で言った。


ロウザン「とりあえず、私の家に来なさい。ミルを早く診てやらねば。テト、悪いが医者とルーファスを呼んできてくれんか。今後の事もあるだろう。」


テト「分かったよ、じいちゃん!」


テトはミルを一度見やり、小さく頷いてから駆けだした。

その背中を見送ったロウザンは、ゆっくりとガルドの方へ視線を移す。


ロウザン「ガルド。その女の子は?」


問いかけられたガルドは、片眉を上げて肩をすくめた。


ガルド「いや、俺も詳しくは知らねぇ。テトの知り合いみてぇだからよ。とりあえず村長の家で話そうや。ここで立ち話してると、周りの連中もザワついちまう、良いよな?」


その言葉に呼応するように、静かだった村の空気がわずかに変わる。

どこからともなく、いや、木陰や枝の上、幹の影や高い通路の奥から複数の視線がこちらに注がれているのを、ユイははっきりと感じた。

毛並みを持つ獣族の民たちが、物陰から半身だけを覗かせ、何かを察したような顔で彼女を見ている。

その目には警戒、困惑、そして微かな恐れが滲んでいた。


ロウザン「君も着いて来なさい。」


ユイは身を強張らせ、思わず背筋を伸ばした。


ユイ「は、はいっ!」


ユイは少し驚いたように返事をし、思わず背筋を正した。緊張と恐縮と、それでもこの場所にいさせてもらっている感謝とが混ざり合い、彼女の姿勢に表れた。

ロウザンはそんな彼女を見て、微笑のようなものを浮かべると、重い杖を一度コツンと地に突き、歩き出した。


ロウザン「家に着いて、話はそれからだ。」


村の中心部を抜け、しばらく歩いた先に他の家々よりも少し大きな木造の建物が現れた。

温かな灯りが差し込む軒先には、古びた風見鶏のような飾りが揺れており、歳月の重みと静けさがそこに宿っているようだった。

ロウザンは家の前で足を止め、ゆっくりと木製の扉を開く。


ロウザン「入るがよい。」


ユイとガルドが後に続き、中へと入る。

内部は予想以上に広く、天井が高い。自然の木材の温もりと、壁にかけられた草編みの装飾がどこか懐かしさを感じさせる。


ロウザン「疲れておるじゃろう。そこで座って待っていなさい。二階でミルを寝かせておいてやろう。」


ユイ「はい、ありがとうございます。」


ロウザン、ガルドは黙って階段を上がり、ミルを抱えたまま二階の客室へと向かい、やがて静かに扉を閉めた。

数分後、再び一階の居間に二人が戻ってきた時、ロウザンが口を開いた。


ロウザン「正直なところ、私には息をしているようには見えん。だが今、医者とルーファスがこちらへ向かっておる。そこでハッキリするじゃろう。」


声は静かだが、わずかに揺れていた。

老いた長の目にも、不安と焦りが滲んでいるのがわかる。


ガルド「ゴブリンどもは、普段から妙な術を使ってやがる。これも、あの術の一つなのかもしれねぇ。」


ユイは拳を握りしめ、勇気を振り絞るように声を出した。

ユイ「あの、私見ていたんです。ゴブリン?達が、あのとき、その。」


ガルド「おおっと、待った。」


ガルドが手を軽く上げて止めた。


ガルド「その話は、テトが連れてくる奴らが来てからにしようぜ。話が前後するとややこしくなる。」


ユイ「あ、はい。」


ガルド「まずは、君の名前を教えてくれ。」

その言葉に、ユイは一瞬戸惑いながらも、すぐに姿勢を正した。


ユイ「え、あ、わ、私ですか! 私は風見ユイと言います。ユイで大丈夫です。」


恥ずかしそうに微笑むその顔に、まだあどけなさが残る。

ロウザンとガルドは、ユイの名を反芻するように小さくうなずいた。


ロウザン「ユイ、ふむ。」


そのままユイは、この世界に来てからの経緯を─簡潔に、けれど必要な事は省かずに語った。

異常なエレベーター事故、クロスラインレジデンスの存在、ミイラのような怪異、そしてあの思念の存在について。

二人の獣族の男たちは、一言も発せず、じっと話に耳を傾けていた。

ときおり顔を見合わせながら、目を丸くし、まるで知らなかった現実が突きつけられたかのように、黙って深く息をついた。

そんな話をしている最中だった。

カタンと扉の開く音が、静かな家の中に響いた。


テト「じいちゃん!連れてきたよ!」


元気な声と共に、テトが玄関から駆け込んでくる。そのすぐ後ろに、二つの人影が続いていた。

一人は、鋭い眼光を持ち、筋肉質な体をゆったりとした革の衣で包んだ男だった。

肩には傷のような跡があり、長い尾が背後で静かに揺れている。目の奥には洞察と経験の色が宿っており、ただ者ではないことが一目で分かる。彼こそが、ルーファスである。

もう一人は、白衣に身を包み、細身の体に眼鏡をかけた獣族の男だった。

毛並みの整った顔立ちに、冷静沈着な空気を漂わせており、その佇まいは医者という職にふさわしい厳粛さを湛えていた。


ロウザン「二人共よく来てくれた。」


ロウザンが椅子からゆっくりと立ち上がり、彼らに歩み寄る。

ロウザン「早速だが、二階の部屋に寝かせてある。ミルの状態を見てほしいのじゃ。」


言葉の端に、普段は見せぬ焦りが滲む。


医者「了解しました。すぐに確認します。」


医者の男が静かに頷き、白衣の裾を翻して階段へと向かう。

その背を追うように、ルーファスも無言のまま後を続いた。

彼の鋭い視線が、一瞬だけユイの方をかすめた。

その目は問いかけるようであり、試すようでもあった。

二階の客室に全員が集まる。

木の床に敷かれた柔らかな毛布の上に、ミルは静かに横たわっていた。

呼吸の気配はなく、胸も上下しない。けれど、その顔は苦痛も安らぎも浮かべておらず、まるで眠っているかのように静かだった。

部屋に入った医者は無言で鞄を開け、携帯型の医療器具や簡易モニターを取り出し、素早くミルの周囲に展開した。

聴診器を胸に当てる。

小さな腕の脈を取る。

血中酸素濃度や脳波を検知するためのセンサーを順に取り付けていく。

木造の空間に、わずかに機械の電子音が混じった。

ユイはただじっと見守ることしかできなかった。

ガルドもロウザンも、言葉少なに医者の手元に注目している。

ルーファスは腕を組み、眉をひそめたまま黙していた。

数分後、モニターに何も反応が出ないまま、医者の手がぴたりと止まった。

眉間に皺を寄せた彼は、数秒考え込むようにしてから、ようやく口を開いた。


医者「これは、どういうことなんだ?」


医者の声は低く、困惑と驚きが混ざっていた。


医者「心拍、ゼロ。呼吸、ゼロ。脳波の反応もなし。医学的には、完全な死亡状態だ。」


空気が重くなる。

しかし、彼はそこで言葉を切らなかった。 


医者「だが、死後硬直が起きていない。体温も自然に維持されているし、腐敗の兆候もない。普通なら、こうして放置されていれば肉体に異常が出るはずなのに、それが全くない。まるで、時間が止まっているみたいだ。」

ロウザンが重く問いかける。


ロウザン「それはどういうことじゃ?」


医者は唇を噛んだあと、恐る恐る言葉を続けた。


医者「まるで魂だけが抜き取られたような、そんな感覚です。肉体はこの世にあるのに、意志だけがどこかへ持ち去られている。」 


ガルドが息を呑み、目を細める。


ガルド「まさな、魂流石か……。」


医者「思念の作用か、それともこの世界特有の法則なのか、はっきりしたことは言えません。ただ一つ言えるのは。」


医者は、静かにミルの顔に目を向ける。


医者「この子は、死んでいる。けれど、死んでいない。そんな矛盾した状態にある、ということです。」


誰もが、不可解なこの現象に動揺を隠せなかった。

沈黙を破ったのは、ガルドだった。


ガルド「そういえば、ユイ。さっき、言いかけていたことがあったよな。聞かせてもらっていいか?」


彼の声は静かだが、真剣だった。

ユイはわずかに目を伏せたまま、視線だけでガルドを見上げる。そして部屋にいる全員、ロウザン、医者、ルーファスの顔を一度ずつ確かめるように見回すと、小さく頷いて語り始めた。


ユイ「ミルちゃんは、途中まではゴブリン達と対等に戦っていたと思います。」


言葉はゆっくり、だが確かな調子で紡がれていく。


ユイ「凄く素早くて、相手の攻撃も見切っていたし、ミルちゃんの短剣の使い方も勇敢で。だから、まさかって思ったんです。あのゴブリンの、リーダーみたいな奴が。」


ユイは一度目を閉じ、あの瞬間を頭の中で再生する。

ユイ「首からぶら下げていた、黒っぽい光る石。それを、強くミルちゃんのお腹のあたり。多分、みぞおちのあたりに、押し当てて……。」


声が震える。


ユイ「その瞬間、ミルちゃんが絶叫して、崩れるように一瞬にひて気を失ったんです。」


ユイの拳が、膝の上でぎゅっと握られる。


ユイ「それは、普通の攻撃っていうより何か、魔法みたいな、不思議な力にしか見えませんでした。まるで、体の奥に直接響くような、そんな。」


ガルドとロウザンが目を見交わし、医者も静かに息を呑んだ。


ユイ「私も、この世界に来たばかりで、ちゃんとした知識はないです。でも、ただの攻撃とは違った。あの石が何か、おかしいんだと思います。」


ユイはそう締めくくると、小さく「すみません。」と呟いて俯いた。

ルーファスが低く唸るように言った。


ルーファス「ガルドの言うように魂流石…やっぱり、そうなのか。」


ロウザン「お前さん達、その石の存在を知っているのか?」


ルーファス「ええ、私がこの世界に来て間もない頃、龍族が開拓と支配を進めていた時です。ロウザン村長とも、まだ合流していない頃でしょうか、とある龍族の戦士一人と私、ガルドとの間に局地的な争いが起きたんです。」


ルーファスは静かに言葉を選びながら続ける。


ルーファス「それは、明確な戦闘というよりも試験に近いものだった。彼らは私達がどう反応するか観察する為に攻撃してきたとのだと確信した。龍族はまるで生きた装甲のような存在で、その中でも、ひときわ異質なものを感じさせた戦士、名前はカイン=オルディアと名乗っていた。彼は一言も発さず、まるで主の命令だけに従う影のようだった。私はその戦いで同じく魂流石という石の攻撃を受けた。石が私に触れた瞬間、まるでこの世界そのものから切り離されたような。意識も感覚も、時間すらも存在しない虚無。私は、自分が誰だったのかという記憶さえ薄れていくのを感じた。」


言葉を切り、ルーファスは手袋を外して左手の甲を見せる。そこには薄く黒ずんだ痕が、まるで焼き印のように残っていた。


ルーファス「この痕は、あの石に触れた証。肉体は生きていても、魂は閉じ込められていた。私が戻れたのはガルドが身体を強く揺さぶり、名前を呼び続けてくれたから。魂流石には魂を奪うだけでなく、隔離し、封じる力がある。おそらく今回のミルの症状もそれと酷似している。」


ロウザンは黙ってうなずき、ガルドは渋い顔で言葉を続ける。


ガルド「俺もあの時はただ突っ込んで行っただけだった。だがルーファスを見て、あれはただの攻撃じゃないと悟った。今考えれば、龍族は既にこの世界に生きる者を道具として見ていたのかもしれん。」


ルーファスはユイへと視線を移し、静かに言った。


ルーファス「君が見たゴブリンが持っていた石。おおそらく、それは龍族が使っていた魂流石の一部でと思われる。なぜ彼らがそれを所持しているのかは、まだ分からないが。」


彼は、薄く目を細めた。


ルーファス「思念の支配者達が、この世界で何を見ているのか。私達はそれを、知らなければならない。」

ロウザン「なるほどの、その石の存在は辻褄が合う。しかし、ミルにも何度も呼びかけをしたのだろう。それでも目を覚さないのは何故だ?」


ロウザンの顔には深い憂いと戸惑いが浮かんでいた。

ミルの頭をそっと撫でながら、長年の知識では測れぬ事態に言葉を詰まらせる。

ルーファスは静かに頷き、眉間に軽く皺を寄せながら口を開く。


ルーファス「おそらく、ゴブリン達の悪知恵と小細工が関係しているのかもしれない。魂流石は、元々魂と肉体を乖離させる為の術具だった。だが、今回の件には、明らかに異質な加工が加えられている。」


彼は一瞬、記憶の中を探るように目を細める。

ルーファス「以前、私が龍族の持次石に触れた際は、仲間の呼びかけで意識を取り戻すことが出来た。だが、ミルはどれだけ声をかけても反応しない。これはすなわち、魂が呼びかけに応じられないほどの場所に幽閉されているということ。ゴブリン達は、魂流石の隔離の力を強化し、単なる一時的な乖離ではなく、魂そのものを別の器に転移し、封じる術を使った可能性が高い。」


ロウザン「別の器?」


ルーファス「はい。魂を石に封じ、更にその魂をどこか別の媒体、あるいは呪具のようなものに転送することで、外部からの干渉を完全に遮断しているのではないかと。」


ユイはハッとし、思わず声を上げた。


ユイ「壺!あの時、もう一体のゴブリンが首にぶら下げてた石とは別に、小さな壺を持っていました!」


ルーファスは深く頷く。

ルーファス「それが魂の収蔵器か。ならば、その壺を見つけ、封じられた魂を取り戻すしかない。希望は、まだ潰えていない。」


ロウザンは深く目を閉じ、祈るように呟いた。


ロウザン「どうか、ミルを、取り戻してくれ。」


ユイ「その壺をゴブリン達から奪いたいです。」


ユイは力強く言った。

視線はまっすぐルーファスに向けられている。


ユイ「ルーファスさん、ゴブリン達はどこにいるんですか?」


ルーファスは少しだけ目を細め、不意に肩をすくめた。


ルーファス「ゴブリンがどこにいるかって、ユイさん。あなた、知らないのか?奴らの根城は君達が暮らす、あの禍々しいクロスラインレジデンスだ。」


ユイ「え?」


声が震えた。


ユイ「あそこにゴブリン達が?見たことないですけど。でも、そういえば、ゴブリン達と会った時もそんなことを言っていたような。」


ルーファス「奴らは普段、人目につかないように行動している。おそらく、住人達に気付かれないよう地下や壁裏、あるいは管理階層の隙間に潜んでいるのだろう。」


ルーファスは静かに続けた。


ルーファス「奴らは建物の中ではなく、常時外で活動する傾向がある。クロスラインレジデンスの前で待ち伏せすれば、必ず姿を見せる筈。」


ユイ「分かりました!」


ユイは拳を握り締めた。

その手に込められた思いは、恐怖でも怒りでもなく、強い覚悟。


ユイ「私にも、協力させてください。ミルちゃんを救う事もそうです、助けたいんです。」


ルーファスは少し視線を逸らし、静かに溜息をついた。


ルーファス「あまり無理をしないでほしい。君はあくまで後方で見守ってくれれば、それで十分。こちらで片付けるさ。」


ガルド「ユイさんまで魂抜かれちゃ、たまんねぇからな。」


ガルドが苦笑交じりに言った。


ユイ「でも、私も!」


ユイが食い下がると、ガルドは片手をあげて制した。

ガルド「あー、わかった。ついてくるのは構わねぇ。ただし、邪魔だけはするなよな?」


ユイ「はい、私は、私に出来る事をします!」


その言葉に呼応するように、長く黙っていたテトが、ゆっくりと口を開いた。


テト「僕も行くよ。」


その声は低く、けれどしっかりとした響きを持っていた。


テト「ミルは僕の唯一の兄弟だ。お姉ちゃんを遊びに誘って、危ない目にあわせたきっかけを作ったのも僕だ。だから、僕にも責任があるんだ。」


ルーファス「テト、君までもか…。」


ガルドが腕を組みながら言う。


ガルド「まぁ、俺達二人が準備して挑めば問題ねぇと思うが。どうするよ、ルーファス?」


ルーファスは短く沈黙したのち、頷いた。


ルーファス「構わない。ただし、何か異常や危険を感じたら、その場から即時撤退してくれ。テト、君が判断して、ユイさんを連れて、すぐにだ。」


テト「分かったよ。約束する。」


テトは静かに応じた。

ロウザンと医者は、不安を隠せない表情を浮かべた。

だがこの村で最も信頼される二人、ルーファスとガルドの判断であれば、否定できなかった。

こうして、ミルの魂を取り戻すための戦いが、静かに動き出した。

再び、ゴブリンたちとの決着に向けて。

ユイ、ルーファス、ガルド、テトの四人は、クロスラインレジデンスを目指すため、静かに村の入り口へと向かう。

広場に出ると、そこには数人の獣族たちの姿があった。武装している者もいれば、水汲みの途中で足を止めたような者もいる。その誰もが、ユイの姿をまるで異物を見るかのように凝視していた。


ユイ(私、すっごく目立っちゃってる。)


ユイは背筋にぞくりと冷たい感覚が走るのを感じながらも、視線を逸らさずに前を見据えた。


ユイ(でも気にしない!今はミルちゃんを助けることが大事なんだ!)


その覚悟に呼応するように、一歩、一歩を踏みしめる。

その横で、ガルドが小さく咳払いをしてから口を開いた。


ガルド「ユイさん、この村の存在は外に出ても絶対に誰にも言うな。口外禁止だ。もし約束を破ったらその時は、俺たちは敵同士になるかもしれない。それだけは、覚えておいてくれ。」


真剣な目で告げられたその言葉に、ユイは立ち止まってぴしりと姿勢を正した。


ユイ「はい!大丈夫です! 私、口は硬い方なので!」(あれ?自分、割とお喋りだったような…。)


内心でツッコんだが、いまはそんなことを考えている場合ではない。

この先にあるのは、命を賭けた再戦なのだ。

ガルドはふっと口元を緩めると、前を向いたまま短く頷いた。


ガルド「よし、それでいい。」


そして彼らは、大樹の根元にある転送の光路へと足を踏み出していくのだった。

幹の内部から抜ける通路は、まるで生きているかのように木の鼓動を感じさせる静けさに包まれている。出口が近づくにつれ、淡く差し込む赤紫の光が徐々に外界の明るさへと変わっていく。



同じ頃。

クロスラインレジデンス201号室。

灯りのない室内は、まるで世界そのものが呼吸を止めたようだった。重たく湿った空気が、目に見えない膜のように漂っている。

そこでは、神代 陸が浅く呼吸を繰り返しながら、うなされるようにベッドで眠っていた。

額にはじっとりと汗がにじみ、時折、寝言のように唇が微かに動いている。

彼が見ているのは、ただの夢ではない。

それは、彼自身の過去。

忌まわしくも鮮明な記憶だった。

病院の個室のような、冷たい照明に照らされた和室。

神代はまだ、小学生だった。

背筋を正して机に向かう自分の姿を、夢の中で俯瞰していた。


父「神代家の子がゲームだの遊びだのと口にするな。」


父「お前は俺の後を継ぐ。それ以外に価値はない。」


怒号のような父の声が、頭に焼きついていた。

何度も、何度も同じ言葉を浴びせられた。

隣の部屋からは母の咳が聞こえる。

それでも、父は一切気にも留めなかった。

唯一、あの頃の自分を抱きしめてくれた人。

母はいつも優しく言ってくれた。


母「大丈夫、陸。今は苦しくても、お母さんは信じてるからね。」


母「陸は、陸のままでいいのよ。」


ベッドに横たわる母は、やせ細り、顔色も悪くなっていた。

それでも、最後まで笑っていた。

そんな俺の、唯一の支えであった母は、俺が中学に進学して間もなく、悪性の癌が見つかった。

発覚からわずか一年。

それほどの時間も与えられないまま、母は静かにこの世を去ってしまった。

その時の俺は、まるで心にぽっかりと穴が空いたような感覚に陥っていた。

感情の色が消え、音が遠のいたような、そんな日々だった。

父は母を失った悲しみを、何か別の形に変えて受け止めようとしたのかもしれない。

だが、それは俺への当たりとして、より強く、冷たく、激しくなっていった。


中高一貫の私立校に通っていた俺は、六年間殆ど同じ顔ぶれの生徒たちと過ごすことになった。

友達なんて、できる筈もなかった。

付き合いが悪い、どこか浮いている。

そんなレッテルを貼られた俺に対するあからさまな態度は、次第に陰湿なイジメへと変わっていった。

机や体育館シューズに落書きをされる。

ゴミをカバンに詰め込まれる。

教室で笑い声が上がるたびに、それが自分のことではないかと怯える。

誰にも相談できなかった。

父に話したところで、返ってくるのは決まってこうだった。


父「お前が人付き合いを学ばなかったせいだ。そんなことで潰れてどうする。医者になりたいなら、それくらい我慢しろ。」


医者になりたい?

そんなこと、俺は一度だって思ったことはない。

逃げ場なんて、どこにもなかった。

何のために学校へ行き、何のために勉強をしているのかも分からなくなっていた。

ただただ、時間だけが流れていった。

成績も、やっとの思いで中の上を保つ程度。

でも、それすら心の限界と引き換えにやっと得ていた。

気づけば、高校三年生になっていた。

そして俺の心は、そこでぷつんと、音を立てて切れていた気がする。

やがて、大学受験の季節がやってきた。

第一志望、第二志望、第三志望、第四志望。

それぞれの試験に全て挑んだ。

結果は、全て「不合格」。

一枚ずつ届く通知に、胸を殴られるような衝撃すら感じなかった。

もう、何も感じなかった。

不合格の通知が届いたその日、俺は重い足取りで家に帰った。

覚悟はしていたはずだった。だが、父にそれを伝える瞬間の胸のざわつきは、今でも忘れられない。

静まり返った居間で、俺はぽつりと口にした。


神代「全部、落ちたよ。」


父は新聞を読む手を止め、ゆっくりと顔を上げた。

その表情は、まるで氷のようだった。何の感情も宿っていない、ただ重く、冷たい目。


父「消えろ。」


その一言が、部屋に落ちた。


神代「え?今、なんて言った?」


父「消えろと言ったんだよ!!」


怒鳴り声が壁に跳ね返った。


神代「っ!なんだよ、急に!」


父「お前にこれまでどれだけの金と時間をかけてきたと思ってる!?俺の人生を、お前に賭けたんだぞ!? この親不孝者!!死んだ母さんにどう報告するつもりだ!? ふざけるなよ!!」


神代「俺がいつ医者になりたいなんて言ったよ……!勝手なことばっかり言うなよ!!」


父「何だと!?俺の金で飯を食ってる分際でお前には勉強しかできないはずだ!それすら結果が出せないなら、お前には何も残らないんだよ!!」


父の怒声は、剥き出しの刃のようだった。


父「あと一年、浪人させてやる。だが結果を出せなかったらお前は俺の息子でもなんでもない。この家にいる意味も価値もない。」


神代「……。」


言葉が出なかった。心が、冷え切っていた。

俺は、ひどく落胆していた。

心のどこかで、父がようやく俺の限界に気づき、

医者という道を諦め、新しい道を模索させてくれるのではないか。

そんな、淡い期待を抱いてしまっていたのだ。

愚かにも。

そして今、俺はその期待を持ってしまった自分自身に、深く、強く、嫌気が差していた。

俺はその後、浪人の許可はもらったものの、勉強にはまったく打ち込まなかった。何も考えたくなかった。ただ、家を出るための資金が必要だったから、最寄りのコンビニでアルバイトを始めた。

もちろん、俺は誰とも交流を持たなかったし、誰も俺に関心を示さなかった。もはや、それが当たり前だった。そこにいたのは、ただの高校生、学校を中退した風の若者、ワーキングプアのおじさん、何か訳アリの中年女性、どこかしらに事情を抱えた人間ばかりだった。でもその中でも、俺は多分、一番ヤバい奴だと思われていた気がする。

ある日を境に、誰も俺に挨拶を返さなくなった。完全に空気として扱われていた。

特に店のリーダー格の女、やたらと態度のでかい奴がいた。そいつが俺の陰口を主導していた。こいつの名前は豊川真里亜。

「気持ち悪い」「死ねばいいのに」「マジで辞めてほしい」「臭いんだけど」そんな声が、隣の休憩室から、あるいは商品棚の向こうから、いつも聞こえてきた。

俺はそういうのには慣れていたつもりだったから、聞こえないふりをしてやり過ごしていた。けれど限界はある。

そして、ある日。

俺の中で、何かが壊れる出来事が起きた。

店長、揚石克也もまた、俺を虐げる存在の一人だった。

何かにつけて理由をつけては、俺に理不尽な命令を下す。まるで俺を人間として扱っていないかのように。


揚石「あー、神代くん。トイレ、汚ぇからもう一回掃除しといて。てか、ちゃんと仕上げとけよ?」


神代「さっき、念入りにやったんですが……。」


揚石「だからよ、汚いからやり直せって言ってんだろ!?口答えすんなや、早くやれや!」


神代「はい…。」


何も言い返せなかった。いや、言い返したところで無意味だと知っていた。

俺は小さく頭を下げ、そそくさとトイレ掃除の用具がある倉庫へと足を運んだ。

こんな日常は慣れきっていたはずだったのに、なぜかこの日は妙に心がざわついた。

一方その頃、豊川真里亜はバックヤードの休憩室にいた。

扇情的なメイクに、制服の上から見える大量のアクセサリー。

職場だというのに、平然と電子タバコをくゆらせながら、吐き捨てるように言った。


豊川「はぁ?マジきっもちわりーなぁ。店長〜、あいついつもロッカーにカバン入れてんだけど、なんかヤベーもん持ってきてんじゃね?」


揚石「あぁ?さぁな、学校も行ってねーんだろ?何しに来てんだか分かんねぇしな。不要なもんなら、ちょっと俺から言っとくか?」


豊川「フフ、うける。ああいう奴ってさ、壊れてるっていうか、なんかやらかしそうで怖いよね〜。」


その言葉は、まるで興味でもあるかのように不気味に笑っていた。

彼らの中では、俺の存在は異物として、完全に処理されていた。

ただ働き、ただ生きているだけの俺に、理由もなく敵意を向けるその空気が心をすり減らしていった。

そんな日々が続いていたある日。それは、静かに、そして決定的に起こった。

神代が外の掃き掃除を命じられていたその頃、休憩室には豊川真里亜と、もう一人の男性スタッフ中村の姿があった。

中村は豊川とつるむことの多い、腰の軽い若い男だった。


豊川「ねえ、中村〜。あのキモ男、今外掃除してっからさ、ロッカーのカバン出して中見てみなよ、ウケるからさ(笑)」


中村「マジっすか?真里亜さん、さすがにマズいんじゃ。」


真里亜「いいのいいの。どーせあいつ何も言えないし。なんかさ、やたら荷物入れてるじゃん?絶対怪しいって。一回、抜き打ちチェックね〜。」


中村「オッケーっす、知らないっすからね〜(笑)」


軽いノリで中村はロッカーを開け、俺のカバンを取り出した。

そして、そのまま逆さにして中身を床へぶちまけた。

カラン、と落ちるペットボトル。

折り畳み傘が転がる音に続き、小さな木製枠の手鏡が床へ転がった。

それは、母さんの形見だった。


豊川「ひゃー!キッモ〜〜! なんで手鏡なんて持ち歩いてんの?しかも超古くね?」


中村「え、なんか骨董品みたいっすね……。」


豊川「ちょ、それ貸して。」


豊川は中村の手から手鏡をひったくる。

ためらいもなく、そのまま床に叩きつけた。


豊川「ッ!」


ガシャァァンッ!!

鏡の砕ける高い音が、休憩室に一瞬、鋭く響いた。


中村「うわっ!真里亜さん、マジで危ないっすよ! ゴミ、散らかさないでくださいよ。」


豊川「うるっさいな〜。ホウキとちりとりで片付けときゃ済む話でしょ?」


約十分後、俺は掃除を終えて休憩室へと戻ってきた。

そして、見た。

俺のカバンが、無造作に投げ捨てられていたことを。

慌てて駆け寄り中を確認する。だがそこに、いつも入れていた手鏡がない。

俺の心臓が音を立てて冷たくなる。

恐る恐る、視線をゴミ箱へ向けると。

そこには粉々に砕かれた手鏡の残骸が、ぐちゃぐちゃに捨てられていた。

俺はその場で立ち尽くした。

怒りで震え、涙すら出ないほどの衝撃に襲われた。

ああ。

レジに立つ中村。

検品作業をしている豊川真里亜。

こいつらだ。

絶対にこいつらがやった。


神代(殺す。絶対に殺す。最も苦しめて地獄の中でのたうち回るように、ぶっ殺してやる。)


その時、俺の中に迷いは一片もなかった。

俺はその日のシフトを、何事もなかったかのように淡々とこなした。

そして帰宅後、即座に毒物の生成を進めた。

次の勤務日、あいつらを、確実に、苦しみの底に沈める為に。

復讐は、既に現実の計画として進み始めていた。


そして翌日。

俺はある瓶を手に、家を出た。

中には自作した有毒ガス生成用の化学薬品。

市販の洗剤や漂白剤、そしてネットで見つけた情報を元に密封瓶で反応させることで、致死性のガスが即座に充満する仕組みだ。

密室であれば、二人を殺すには十分。

コンビニの休憩室で奴らを苦しめながら殺す。

完璧な計画だった。

俺はそれを、通勤バッグに忍ばせ、歩き出す。

胸の中に渦巻くのは怒りでも後悔でもない。氷のように冷えた憎悪だけだった。


神代(豊川……中村……お前らだけは絶対に許さない。そして、こんな社会も全部、壊れてしまえばいい。)


駅前の交差点を渡り、あとはコンビニまで徒歩五分。

時計はいつもより少し早い時刻を示していた。

その時だった。

ドンッ。


神代「……っ!」


誰かと肩がぶつかった。


神代「何すんだよ!!」


苛立ちが抑えきれず、思わず怒鳴る。

振り返ったその相手は背の高い男だった。

顔は見えなかった。

だが、男は立ち止まることなく、一言だけ、ぽつりと呟いた。

背の高い男「君に救いがあればいい。君は変われる。」


そのまま、振り返ることもなく角を曲がっていった。


神代(は? 何なんだ、あいつふざけやがって!)


訳の分からない言葉に、俺の怒りは頂点に達した。

一発ぶん殴ってやろうと、反射的に角の先へと駆け出す。

だが、角を曲がった時、俺は一瞬、立ち止まった。


神代(速い!?あの速度で、もうあそこまで?)


古びたアパートが視界に入る。

そこには、黒須荘という錆びた看板がかかっていた。

二階の階段を駆け上がる男の背中、203号室に入っていくのが見えた。


神代(なんだあそこ?)


冷静に考えれば、曲がった直後に二階まで行ける距離じゃない。

でもその時の俺に、そんな違和感を精査する余裕はなかった。

ただただ、衝動のままに後を追いかける。

203号室のドアを開けた。

その瞬間だった。

視界が紫の光に包まれ、世界が反転した。

まるで幻覚のような、現実がひび割れていく感覚。

重力が歪み、身体が引き裂かれるような感覚の中。

気がついた時には、

俺はもう、あの世界にいた。

そう、あのクロスラインレジデンスのエントランスに。


神代は過去の夢から目を覚ました。

重たいまぶたの裏に、赤黒い記憶が渦巻いていた。頬に触れる湿り気に、ひどく寝汗をかいたのか、それとも泣いていたのかも分からない。

はっきりしない視界の中で、天井の染みがゆっくりと滲んでいく。


神代(また、昔の夢を見てたのか。)


現実と記憶の境界が曖昧になるほど、あの頃の感覚が生々しく蘇っていた。

気づけば、拳を握りしめていた。爪が掌に食い込む痛みで、ようやく今が現実だと認識する。

神代はベッドから重たい体を引きずるようにして起き上がると、壁にもたれながらゆっくりと立ち上がった。

部屋の空気はこもっていて、息が詰まるように感じた。


神代(一回、外に出よう。)


床に置きっぱなしの上着を拾い、腕を通す。

ドアの覗き穴から慎重に外の廊下を覗き込む。

誰もいない。

少しだけ安心して、音を立てぬよう、そっと扉を開いた。

共用廊下を歩き、屋内階段を下って、エントランスに出る。

辺りは静まり返っていた。


神代「やり返しがあったら面倒だと思ったけど大丈夫そうだな。ははっ、本当に焦らせやがって……。」


その時だった。


???「何をそんなに焦った、のかな?」


背筋に電流が走る。

ビクッと跳ねるようにして、神代は背をそらせた。

確かに、誰もいなかった筈のエントランス。

だが、カツ、カツとヒールのような音だけが近づいてくる。


???「エレベーターまで壊して不便極まりないなぁ。七階から降りるのにも苦労するよ、リク。」


神代「何の、用だ。」


ゆっくりと振り返る。

そこに立っていたのは、異様な美しさを宿す女だった。

肩甲骨まで伸びる赤い髪が揺れ、その頭には禍々しい二本の角が生えていた。

艶やかな肌に、琥珀のような瞳。

その姿は、まるでこの世界そのものを具現化したかのような威圧感と妖しさに満ちていた。


???「何の用だとは、随分他人行儀じゃないか。君に思念の力を教えてやったのは誰だと思ってるんだい?なぁ、リク。私はひどく君を心配しているんだよ?」


神代「いい加減なこと言うな。おまえが、俺の何を知ってるっていうんだよ。」


???「知っているに決まっているだろう?私が知らないことなんて、何一つない。誰よりも可哀想な君の理解者だ。」


女は艶めいた笑みを浮かべながら、一歩、また一歩と神代に近づく。

そして、白く冷たい手で神代の頬を優しく撫でる。


???「だからこそ、教えてあげるんだよ。君がこれから為すべき事を。早くこの世界から出て、復讐を果たしたいだろう? 君をあんなにも苦しめた連中を、最も苦しい方法で、殺めたいと思っているのだろう?」


女の声は甘く、耳元に囁くようだった。

だがその奥には、深く濁った何かが蠢いていた。


神代「俺は、今分からない。本当に現実に戻って復讐を果たすことが全てなのか、もうあれから何年も経っている。俺に残されてる選択肢は、それしかないのか……。」


???「言っただろう? リク。君は、私の言葉だけを信じていればいい。私だけを見ていればいいんだよ。」


赤い髪の女は、そっと顎に手を添えて神代の目線を引き上げた。


???「これまで、誰が君に優しさを見せてくれた? 誰が、君を助けてくれた? 君の痛みを、理解してくれた人間が、一人でも居たかい? それが現実の答えなのさ。」


神代「くそが、じゃあ、どうしろって言うんだよ!」


怒鳴るように叫んだ神代に対し、女はまるで子供をなだめるように柔らかく微笑んだ。


???「君は、この世界の成り立ちを知る必要がある。」


神代「この世界の? 勿体ぶらないで早く言えって。」


???「ふふ……よろしい。」


女は少しだけ間を空け、胸元に手を当てるようにして言葉を紡ぎ出した。


???「この世界には、点在する六つの結晶体が存在する。それは創造主が遺したもの。言い換えるならば、この世界を形作る創造主の記憶のカケラであり、このクロスラインレジデンスを中心に構築されるこの世界そのものの核となる。それぞれの結晶体の中には、鍵が一本ずつ封印されていて、この世界から元の世界に戻るにはその合計六つの鍵を手に入れる必要がある。その鍵を使って創造主の記憶の開放をしてならねばならない。」


神代「鍵……。」


???「そう、鍵だ。もう一度言うよ。その鍵を全て集めれば創造主の記憶が開放され、同時に君はこの異常な世界から出ることが出来る。もちろん、細かな条件や制約は存在するけれど、それは君がまず一本目の鍵を手に入れてから、ゆっくりと教えてあげよう。」


神代「よく分からねぇ、そこに行けば、簡単に手に入るようなもんなのか?俺である必要は何だ?あとさっき、創造主の記憶って言ってたよな。それって何だよ。」


???「ふふ、今はそれらの理解は必要ないさ。君は、私の言葉を疑わずに飲み込めばいい。大切なのは、君には思念の力があるということ。君だけが成し遂げられることがある。だから、信じて進め。他の誰かに先を越される前に、まずは動くんだ。」


神代「どこにあるんだよ、その鍵は。」


???「このレジデンスを出て、北東へ進むんだ。その先に、長く廃棄された古い病院がある。その五階ホールに、一つ目の鍵が光る結晶の中に眠っている。今日はこれをリクに伝えにきたのさ。期待しているよ、まずは君の第一歩に。」


神代「おい!!俺は、そんなことするなんて一言も言ってねぇぞ!!」


反射的に怒鳴り返し、神代は身体を強くひねってその女と向き合おうとする。

しかし、そこには、誰もいなかった。

先ほどまで確かに存在していた赤い髪の女の姿は影も形もなく、ただ冷たい空気と、誰もいないエントランスの静けさだけが残されていた。


神代「俺はな、お前が思ってるほど馬鹿じゃねぇんだよ。」


誰に向けるでもなく吐き捨てるように呟くと、神代はゆっくりと振り返り、そのまま階段を上り、無言で201号室の扉を閉めた。


同時刻。

強い決意と希望を胸に抱きながら、ユイたちは静かに歩を進めていた。目指すは、クロスラインレジデンス。冷たい風が頬をかすめ、空は鈍く曇っている。ユイ、ルーファス、ガルド、テトの四人は、夕暮れ迫る林道を慎重に進んでいた。レジデンスへと続く帰路の途中、あたりは妙に静まり返っていた。

ユイは不安げに口を開く。


ユイ「ねぇ、この世界に来てから、あの建物で人間以外の種族を見たことって、屋上の一回しかないんだけど本当に、レジデンスの入り口でゴブリンたちと遭遇できるのかな?」


すると横を歩いていたルーファスが静かに応じる。


ルーファス「君は知らないかもしれないが、あの建造物には門限のようなものが存在しているようだ。例え、どんな立場であれ、レジデンスの住人は、ある時間帯には外出を禁じられている。違反すれば、管理者からペナルティが課されると聞いたことがある。」


ユイ「あ、そういえば。」


ユイは何かを思い出したように目を見開いた。


ユイ「入り口のところに赤い砂時計があってそれが落ちてる時間は外出禁止って、管理人から渡された管理規約に書いてあった気がする。」


ガルド「ほう。あの塔には管理人なんているのかよ。」

怪訝な顔で唸る。


ガルド「何の理由があって、あんな閉じた建物に特定の種族だけが住んでるんだか、納得がいかねぇな。」


ルーファスは少しだけ肩をすくめ、思案気に言葉を続けた。


ルーファス「推測の域を出ないがおそらく、あのレジデンスはこの世界の創造主が最初に構築した中心の器なのだろう。何か意味があるはずだ。最もその意味を今、我々が知る術はないがな。」


ガルド「ふん、住んでようが何だろうが、どうでもいいさ。敵なら叩き潰すだけだ。」


ガルドは拳を握りながら言い放つ。


ガルド「こんな歪んだ世界に、望んで来た奴なんざいやしねぇ。だからこそ、とことん抵抗してやるって決めてるんだ、俺はな。」


ルーファス「その通りだ。だがガルド、油断はするな。我々は招かれた囚人も同然。何が起きても不思議じゃない。」


ガルド「わぁってるよ。いちいち言わんでも、こっちは最初から全力だ。」


二人のやり取りに挟まれながら、ユイはそっと息を吸った。

すると、ルーファスがふと思い出したように彼女を見た。


ルーファス「ユイさん、君は思念の力は全く使えないのか?」


ユイ「はい…全然。私、自分じゃ分からないんですけど、何も使えないみたいで。でも。」


ユイは少しだけ声を落としてから、真っすぐ前を向いた。


ユイ「一緒にこの世界に来た友達が使えるから、私も、ちゃんと使えるようになりたいって思ってます。少しでも、みんなの足を引っ張らないように。」


ルーファスはその言葉を静かに受け止めた後、低く真剣な声で言った。


ルーファス「君は今力は何も使えないかもしれない、だが、決して無力だとは思わない。理由は説明出来ない。ただ、私の本能が告げている。君は実践を経験すべきだとな。」


ユイ「え?」


ユイは戸惑いながら、けれど少しだけ微笑んだ。


ユイ「それは、きっと気のせいですよ。だって、私いっつも迷惑かけてばっかりで。」


ルーファス「命は大事にすることだ。」


遮るように言った。


ルーファス「驕りは身を滅ぼす。だが、君の内にあるものは、いずれ力として形になる。焦ることはない。」


その言葉に、ユイは小さく息を飲んだ。

思念の力がなくても自分はここにいても、いいのかもしれない。

まだ足は震えていたが、それでも彼女の胸の奥に、小さな希望が灯るのを感じていた。

あと数百メートルという距離まで迫ったとき、クロスラインレジデンスの敷地へと足を踏み入れようとしたその瞬間だった。

テトの獣耳がピクリと反応し、すぐに警戒態勢に入る。

テト「まずい。強い気配が、僕らの周囲を囲いはじめてる!」


その声に、ガルドの表情が一瞬で険しくなる。


ガルド「なにっ!?くそっ、やっぱり来やがったか!」

ルーファスもすぐさま辺りを見渡し、状況を察知する。

ルーファス「これは逆に張られていたということか。我々の動きは、完全に読まれていたようだな。」


テト「ダメだ、もう戻れない。」


テトは唇を噛みながら、さらに耳を動かして周囲の気配を探る。


テト「四方八方、包囲されてる。完全に囲まれた。」


辺りは夕闇に沈みかけ、街灯のない路地のコンクリートが鈍く光っている。歩道、遊歩道、立ち並ぶ無機質な建造物。

目を凝らしても、何者の姿も目視できない。だが、確かに気配だけが肌を刺すように迫ってくる。

ユイは無意識に肩を震わせた。けれど、すぐに唇を噛んでその恐怖を振り払う。


ユイ(どこ!?見えない、でも、絶対に来る。今度は、絶対にお荷物になんてならない!)


拳を握る。


ユイ(私の力で、私の意思で、みんなを守るんだ。)


胸の奥で、何かが熱く燃え始める感覚があった。

彼女の視線は、もう迷ってはいなかった。


ユイ(上!?)


ユイは咄嗟に頭上から降りかかる影に気づいた。その瞬間、テトが彼女の手を掴み、大きく後退の跳躍を促す。


テト「ユイ、下がって!」


ユイ「うん!」


二人は息を合わせて宙を跳んだ。わずか一拍遅れて。

テト「うおおおおあああああ!!」


ガルドの轟くような声とともに、爆発的な破裂音が地を揺らす。

直後、彼の拳が下から突き上げられ、その先に落下してきた一台のバイクが粉砕され、吹き飛ぶ。


ユイ(あれは私がいた場所!?)


ユイは空中で目を見開き、己の目前にあった危機を理解した。


ユイ「助かった。」


ルーファス「ガルド、私が敵の動きを伝える!君は正確に潰せ!」


ルーファスが冷静に叫ぶ。


ガルド「おうよ、任せとけ!!」


すぐさま遊歩道の脇から、一本の影が飛び出す。

細身のゴブリンが、研ぎ澄まされた棍棒を振りかざしながらガルドに襲いかかってきた。


ゴブリンNo.4「死ねェエエエ!!」


ルーファス「そいつだけじゃない、右後ろから遅れて攻撃が来る!」


ルーファスの声が響く。

ガルドは鋭く体をひねると、飛び込んできた細身のゴブリンの棍棒を、腕で真正面から受け止めた。


ゴブリンNo.4「なっ!? 何だと……ッ!?」


目を見開くゴブリンを、ガルドは強引に押し返し、強烈な回し蹴りを放つ。

その足がゴブリンの側頭部に炸裂し、骨の砕ける音と共に空中を舞わせた。


ゴブリンNo.4「ぎえええええぇッ!!」


倒れ込む敵の手から棍棒を引き抜き、それを反動で背後に振り返り。


ガルド「おらあああッ!!」


現れた太ったゴブリンの顔面に、容赦なく棍棒が振り下ろされる。


ゴブリンNo.5「ぶべええッ!!」


ゴブリンは呻き声を上げながら仰向けに地に叩きつけられ、白目を剥いて動かなくなった。

二体のゴブリンが地面に叩き伏され、呻き声を上げる間もなく気絶する。瞬く間の連携と破壊力。ルーファスとガルド、廃工場での初戦とは比べ物にならないコンビネーションだ。

だが、それに反応するように、奥の暗がりから影が三つ。

足音とともに姿を現したのは、明らかに格の違う三体のゴブリンたちだった。

中央のリーダー格が、不敵な笑みを浮かべて呟く。


ゴブリンNo.1 グランザ「やるじゃねえか?待ち伏せしてた側がこの様じゃ、ザラグ様に説明もつけられねえな。だが俺達三人いりゃ、十分間に合うだろ?」


左右の二体がニヤリと笑う。


ゴブリンNo.2ドルゴン「新入り二人と同じと思うなよ、人間ども。一気にバラバラにしてやる。」


ゴブリンNo.3ヴェルム「ザラグ、魂流石で吸っちまえば早いんじゃないか?一発で全部、な?」


グランザ「それじゃ面子が立たねえんだよ。どうせなら瀕死まで追い込んでから、じっくり吸ってやるさ。」


ヴェルム「まったく、わがままなリーダーだぜ。」


その言葉を聞くや否や、ガルドが吠えるように叫び、拳を握ってグランザに突進する。


ガルド「うるせぇ!!やってみろやあああああっ!!」


グランザは一歩も引かず、巨大な石斧を構えて迎撃体勢に入る。


ルーファス「ガルド!石斧が来るぞ、だが本命は左右だ!注意しろ、先に潰すべきはそっちだ!」


ルーファスの警告と同時に、グランザが巨大な石斧を振りかぶって豪快に投げつけてくる。

ズガァァンッ!!

ガルドは身体をひねって間一髪かわすが、すぐに左右から飛び出してきたドルゴンとヴェルムが刃を閃かせる。

左のドルゴンが棍棒を振り上げた瞬間、ルーファスが割って入り、強引にその腕を掴んで膝蹴りを叩き込む。


ドルゴン「ぐっ!生意気が、力比べはてめぇじゃ話にならねぇ!先に頭脳潰しゃ全て終いだろうが!!」


ルーファス「試してみるがいい。」


ドルゴンのもう片方の拳が、反射的にルーファスへ振り下ろされる。受け流すルーファスだったが、その威力に耐えきれず、後方へ吹き飛ばされ、地面を滑りながら止まる。

反対側では、ガルドとヴェルムの激しい接近戦が始まっていた。

ガルドの拳は空気を裂き、火花を伴って唸る。思念が拳に宿り、純粋なパワーだけではない圧力が周囲に伝わる。だが、ヴェルムは二本の短剣をしなやかに操り、紙一重でガルドの拳をかわし続ける。


ヴェルム「動きだけは悪くないが、隙が多いねぇ?」


ガルド「うるせぇ、当たりゃ一撃だろ!!」


互いの攻撃が火花を散らし、どちらが先に傷を与えるか、その均衡は容易に崩れそうになかった。

だが、第三の勢力がそこに割って入る。


テト「うおおおおっ!!僕が一番速いんだ!!」


一陣の風のように、テトが低い姿勢で地面を蹴り、ドルゴンに向かって駆ける。

彼の獣耳が揺れ、肉球つきの足が地面を鳴らす。


ドルゴン「なっ!? 速ぇッ!!」


その瞬間、戦場の重力が、ほんの僅かにユイの方へ傾いた。

心の奥が、何かに強く揺さぶられる音がした。


テトは静かに目を閉じ、心の奥にある強い想いを念じた。

誰にも負けない速度で、仲間を守る。

必ず、ミルを救い出すんだ。

その意思が限界を超え、ついにテトの足元に変化が現れた。俊足の摩擦が生むエネルギーが、思念の力と共鳴し、足裏と爪先から微かに青白い火花が走る。


テト「おらあああ!!」


テトは弾丸のように地を蹴り、轟音とともに疾駆。次の瞬間、彼の足がドルゴンの脛に電撃と共に直撃した。


ドルゴン「ぬおおっ!」


ドルゴンはそのままよろめき、倒れかけるも、必死に体勢を保つ。


ドルゴン「な、なにっ?」


彼の身体は、じわじわと脛から全身にかけて痺れと麻痺に支配されていく。身体が重く、動かせない。

テトが叫ぶ。


テト「ガルド!!今だ!!」


ガルド「よくやったあ!!テト!!お前が主役だ!」


ガルドは拳に炎を纏わせ、一直線に飛び込む。雷と炎、二つの思念がドルゴンに迫る。ドルゴンは動けぬ身体でギリギリ腕を盾にして構える。


ドルゴン「ぬごおおあああ!!いてええ!!!!」


爆音と共にその巨体が宙に舞い、地面に叩きつけられた。

ドルゴンは仰向けにのたうち、呻く。


ドルゴン「ほ、骨がいったぁ…クソガキがぁ。」


ユイはテトの活躍を目の当たりにしていた。


ユイ(テト君、すごい。戦いながら力を、思念の力を掴んでる!)


悔しさ、焦り、そして決意。それらを全部、胸に押し込める。

ユイは、大きく深呼吸し、初めての確信を抱いていた。

もう、私は失敗しない。

その手には、ストームキャット Mk-IIが握られていた。構える銃口、その先にはヴェルムの姿。


ユイ「狙いは定まってるから!」


ユイはトリガーを引く。その瞬間、銃口に黄色い光が微かに灯る。

今までとは明らかに違う手応え。

ドン!!

オモチャとは思えぬ轟音と共に、弾丸がヴェルムへ向けて放たれる。

ヴェルムはとっさに短剣を交差させてガードする。


ヴェルム「何だと!?今のは、あのガキ。やばいな!」


そのまま尻餅をつくほどの衝撃。ヴェルムの目が血走る。

ヴェルム「早めに始末しねえと。」


だが、ユイの照準は逸れず、銃口はまっすぐヴェルムを捉えていた。


ユイ「まだ、終わらないからね!覚悟してよね!」

連続で放たれる二発の弾丸。


ヴェルム「まずい!!」


そこに割り込んできたのは、グランザだった。


グランザ「おりゃあああ!!」


彼は地面から回収した巨大な石斧を、思念の力を込めてフルスイング。

その一撃は、二発の弾丸を空中で叩き返した!


ルーファス「ユイさん、伏せろ!!」


ルーファスが飛び込み、ユイを地面に押し倒すようにして守る。

弾丸はユイの髪をかすめ、背後の壁を抉って飛び去った。


ユイ「っ……!あ、ありがとうございます!間一髪!私、死ぬところでした!」


ルーファスはすぐさまユイを立たせ、肩を貸しながら言った。


ルーファス「君の成長は見事なものだ。私は、敵の念の流れを視覚で読むことが出来る。つまり、強い攻撃ほど、事前に感知できる。」


ユイ「それって、いわゆる未来予知ですね!? 凄すぎます!」


ルーファス「ガルドと君を私が援護する。君は、君のすべきことに集中するんだ。」


ユイはコクリとうなずき、再び銃口をヴェルムに向けた。

グランザ「次は俺が相手だ。見せてやろう、格の違いってやつをな!」


その言葉と同時に、グランザの巨体が地を蹴った。信じられない俊敏さ、それは見る者全ての想像を裏切った。一気にユイとルーファスとの距離を詰めてくる。


ユイ「っ速!」


ユイはストームキャットMk-IIを構えるが、あまりの速度に照準が追いつかない。

その瞬間。


ルーファス「ユイさん!」


ルーファスがユイの手を掴み、そのまま振り上げるようにして宙へ投げ上げた。


ユイ「えっ!?えええっ!?」


突然の浮遊感にユイは声を上げる。

ルーファス「着地は気にするな!上空から撃ち込め!思いっきりだ!!」


宙に浮かぶ間に状況を理解したユイの表情が引き締まる。

空から見下ろす視界の先には、武器を構えたグランザ。


ユイ「いっけえええ!!」


ユイは両手でストームキャットMk-IIを構え、念力を銃口に集中させた。

連続して引かれるトリガー。銃口から黄色の光を帯びた弾丸が連続七発放たれる。

地上のグランザは即座に反応した。


グランザ「その程度、斧で打ち返して、ああ?」


腕が動かない。

グランザの手に握られていた石斧に、どこからともなく現れた鞭が絡みついている。


グランザ「貴様!」


ルーファス「気付くのが遅かったな。」


それはルーファスの仕掛けた先手だった。

グランザは咄嗟に斧を手放し、身体を捻ってその場から離脱する。

次の瞬間、ユイの弾丸が先程まで彼のいた地面をえぐった。

グランザ「ちっ、厄介な連携を!」


だが、グランザが逃げ込んだ先、そこには拳を構えたガルドが立ちはだかっていた。


ガルド「おおおおらああああ!!」


ガルドの渾身の拳が唸りを上げる。

しかし、グランザは空中で身体を捻り、拳を紙一重で回避。

その勢いを利用して斜め上から足蹴りをガルドに見舞う。


ガルド「ぐっ!」


ガルドは一瞬痛みの表情を見せるが、その背後。

彼の肩に、ひょいと手をかけていた小さな影があった。


テト「そおおおりゃああああ!!」


それはテト。

ガルドの肩を支点にし、俊足と共に電撃を纏った蹴りを発動。

勢いよく跳躍し、グランザの顔面へ。

ビリィィッ!!


グランザ「ぐっ!!」


雷光と共に、電撃の蹴りがグランザの頬を打ち抜く。

宙でバランスを失ったグランザは、そのまま着地に足を取られかけるが、土壇場で踏ん張って転倒を回避する。

だが、彼の呼吸はすでに乱れ、焦りの色が濃くなっていた。


グランザ「こうなりゃ、メンツもクソもねえ!」


怒りに満ちた表情で、グランザは腰にぶら下げていた禍々しい石を握りしめた。


グランザ「魂流石で一気にカタをつけてやる!!」


ヴェルム「おっ、ついにその気になったか、グランザ!」


グランザ「こいつらの連携は並じゃなかった。侮っていた。だがこれでもう終わる!」


彼は咆哮と共に魂流石を空へ高く掲げる。

その瞬間、石がどす黒い紫色の光を発し始めた。


ルーファス「みんなっ!一旦距離を取れ!!」


ユイ「はいっ!!」


ガルド「おうよ!!」


テト「うんっ!!」


全員が一斉に動き出すが、その一歩、遅かった。


ヴェルム「ドルゴン!起きろ!!いつまで昼寝してやがんだ、クソが!!」


ドルゴンは顔をしかめながらゆっくりと起き上がる。


ドルゴン「ちっ、やかましい。だが、ようやく形勢逆転だな。ぶっ殺してやるぜ。」


グランザが掲げた魂流石が、まるで意思を持つかのように輝きを増していく。

シュバァァァッ!!!

紫の光が一直線に大地へと放たれる。

しかし、それは地面に向けられたのではなかった。周囲に点在していたカーブミラー。

何の意味もないと思われていた三つの古びたミラーが奇妙な三角形を描くように配置されていた。


ルーファス「っ!?あのミラー!」


光は正確にその三点へ跳ね返り、まるで反射レーザーのように三角形の結界状フィールドを形成した。

その中にガルドとテトの二人が、閉じ込められていた。


ガルド「なんだこりゃ!? 出られねぇぞ!?」


テト「動けない。脚が、力が入らないっ!」


ルーファス「しまった。これは、魂の捕縛結界!!」

ユイ「ガルドさん!!テト君!!」


両手でストームキャットMk-IIを構えたまま、ユイの叫びが響く。

紫色の結界の内側では、徐々に空間そのものが揺らぎ始めていた。

グランザ「さあて、ザラグ様の壺が、楽しみにしてらっしゃるぜ。お前らの魂、頂いていくぞ!!」


ルーファス「あのカーブミラー!くっ、奴らの仕込みだったか!」


拳を強く握りしめ、ルーファスは悔しげに唸った。


ルーファス「待ち伏せも、あのミラーが自然に見えるようにここを選んだってわけか……くそっ、やられた!」


その瞬間、グランザが懐から取り出したのは、無数の細かいガラス片が詰まった袋だった。


グランザ「もう遊びは終わりだ!!」


そう叫ぶと、グランザは大きく跳躍し、魂の三角結界の真上へと舞い上がる。


ユイ「上空から、まさか!」


ルーファス「避けろ、二人とも!」


だが、逃げ場などなかった。

グランザが空中からガラス片を一気に撒き散らした。

ガラスはきらきらと輝きながら落ちていき、魂の結界内にいるガルドとテトの周囲へと降り注いでいく。


グランザ「終わりだああああああ!!!」


グランザは再び魂流石を高く掲げ、直線状の濃紫のレーザーを放出した。

レーザーは落下中のガラス片に次々と反射し合い、網のように組み合わされながら降り注ぐ。

まるで呪いの光の檻が落下してくるかのようだった。


ガルド「うあああああああ!!」


テト「ぐ……ぐううううっ!!」


逃げられない。抵抗もできない。

魂が、まさに引き剥がされていくような感覚。

二人は意識の残り火を振り絞るが、それもすぐに途切れ、無力に地面へ崩れ落ちた。


グランザ「ハッ、これで終いだ。魂、頂くぜ。」


すぐさま駆け寄ってくるヴェルムとドルゴン。

彼らも小さな、しかし光を帯びた魂流石のカケラを懐から取り出していた。


ヴェルム「レーザーだけじゃ完全には魂は吸いきれねぇ。石をヤツらに押し当てろ!」


ドルゴン「へっへっへっ、勝ったぜぇぇぇ!!」


ユイ「勝手に終わらせないで!!」


ユイは既に行動していた。

一歩も迷わず、敵の動きに反応し、反射的に跳躍。

そのまま、空中からストームキャットMk-IIを構えて銃弾を三連射!!

ヴェルムは短剣を交差させて迎撃する。


ヴェルム「ふん、甘いっ!!」


ガキンッ!ガキンッ!ガキンッ!

すべての弾丸が弾かれ、火花を散らして地面へ消える。

ユイ「くっ!」


ドルゴン「先にこの女を封じる!!」


ヴェルム「やれ!!」


ドルゴンはごつい拳を振りかぶり、ユイの目前まで迫る。

ユイは必死に避けようとするが間に合わない。


ユイ「ッ!」


ドスン!!


鈍く重い音が鳴り響いた。


ユイ「え?」


目を開いたユイの視界に映ったのは、自分の目の前で大きな身体を盾にして立つルーファスの背中だった。


ルーファス「がっ…!」


ルーファスの上半身が鈍く軋み、歪む。

強烈な一撃が、彼の肩口から胴体にかけて直撃していた。


ユイ「ルーファスさん!!」


ルーファス「無事で、良かった。」


その声は、かすれていた。

ルーファスの身体が、地面に崩れ落ちる。


ユイ「ごめんなさい!私の、せいで……。」


ルーファス「構うな、とにかく逃げなさい。この状況では巻き返せない……。」


彼の言葉は苦しげに、かすれていた。

だが、ユイの足は動かない。目に大粒の涙が浮かび、そのまま頬を伝い落ちる。


ユイ「出来ません。私、このまま逃げるくらいなら、逃げるくらいなら!」


ずっと抑えてきた感情が堰を切ったように溢れ出し、ユイはその場で叫んだ。

涙がとめどなく零れ落ち、視界がにじむ。


ドルゴン「どこ見てんだ、ブ女がッ!!」


鋭い怒声が飛んだ直後、

ユイの顔が一瞬、凍りつく。

次の瞬間。

ドゴッ!!

鈍く重い衝撃が腹部に直撃した。

ドルゴンの蹴りだ。

ユイの身体は地面から跳ね上がり、五メートル以上も吹き飛ばされた。

息が、できない。

空中で意識がブラックアウトし、地面に叩きつけられた感覚だけが生々しく残る。

遠ざかる視界。暗くなる意識。

だが、足音だけが、近づいてくる音だけが、妙に鮮明に響いていた。


ヴェルム「ドルゴン、やっちまえ。このガキも仕上げて壺送りだ。デカいのとチビはもう完了した。キザな男は俺が片付ける。」


ドルゴン「オーケイ、任せとけよ。」


死ぬ。

ユイはそう本能で確信した。


ユイ(私がもっと早く、思念の力に目覚めていたら。もっと強くいられたら。こんなことにならなかった。皆ごめん、レイナちゃんまた、会いたかったな。)


その瞬間。


声「まだ、終わっていない。」


不意に、知らない男性の声が、意識の底でユイに語りかけてきた。


声「君を選んだのはレイナを守れるのが、君だけだから。」


ユイ(え?誰?)


意識の奥に差し込む微かな光。

そして、やさしく、それでいて悲しみを含んだ声が続く。


声「妹、レイナを、お願いしたい。こんなことに巻き込んでしまって申し訳ない。だから、僕が君に足りない部分を補う。」


その声の主は、黒い影のようなシルエットの男性だった。

顔は見えない。けれど、ユイはその背中にどこか懐かしさすら感じていた。その男性は、倒れたユイの背中に手をそっと押し当てた。


ユイ「あなたは一体、何をしようとして。」


男性「ごめんよ。」


その言葉とともに、シルエットはユイの中に溶け込むように消えていく。

直後、ユイの視界が超加速する。

世界の色が一気に変わる。空間が光に包まれ、音が途切れ、時間が伸びて、そして跳ね返った。


そして、意識の中。

ユイの視界は一瞬、色相が反転し、まるで世界が裏返るような感覚が走る。

そこは雪のちらつく冬の公園。現実に見覚えのある場所。錆びかけたジャングルジムと、凍えたベンチ、そして白く息が上がる空気の冷たさ。

そんな中、目の前でひとりの女の子が泣いていた。十歳にも満たないくらい、髪の短い黒髪の少女。


ユイ「この子どこかで。あの、大丈夫?」


だが、女の子のすすり泣きは止まらない。ユイの声は届かないようだった。


ユイ「ど、どうしよう……。」


すると、背後から別の声が掛かる。


「どうしたの?どこか痛い?」


ユイははっとして、声の方向に振り返る。

そこにいた者の姿に動揺する。


ユイ「えっ、わ、私?」


そこには、幼い頃の自分、幼き結衣が立っていた。

ユイはただただ驚いて見つめる。


幼き結衣「お母さんとはぐれちゃったのかな?お名前、なんていうの?」


泣いていた女の子がしゃくりあげながら口を開く。


幼き玲那「くろせ、れいな…。」


幼き結衣「玲那ちゃんか、わたしは結衣!迷子ならお母さん私が探してあげるよ!とりあえず、これあげる。美味しいよ!」


幼き結衣は紙袋から、中華まんを取り出し玲那に差し出す。


幼き玲那「えっ、でも。」


幼き結衣「いいのいいの、気にしないで!お母さん見つかるまで、私とおしゃべりしようよ!同じ小学校じゃないよね?隣の街から来たの?」


幼き玲那「うん、たぶん。お兄ちゃんとケンカして、家出してきちゃったの。お母さんもお父さんも帰ってこないから。」


幼き結衣「そっか、じゃあ、まずお兄さん探そう!きっと心配してるよ。」


幼き玲那「ありがとう、あと、これすごく美味しい。」


幼き結衣「でしょ〜、私これ大好きなんだ!お兄さんにもオススメしなきゃね!あ、でも仲直りした後だよ。」


幼き玲那「うん。私がわがまま言ったから私が悪いの。ちゃんと謝りたいな……。」


幼き結衣「うんうん、仲良しが一番だよ。家族って、大事だから。」


少しずつ玲那の表情が和らいでいく。そんな時だった。

「玲那!ここにいたのか!」


背後、公園の入口に現れたのは大学生ほどの年齢の青年玲那の兄、明(アキラ)だった。


幼き玲那「お兄ちゃん!」


明「探したぞ、俺が悪かった。家に、帰ろう。」


玲那は安心からか、涙をこぼす。


明「行こう。ん? 君は玲那の友達か?」


幼き結衣「はいっ!今、お友達になりました、風見結衣です!玲那ちゃんとは、また遊びたいし、これからもお友達がいいな?」


チラッと玲那に視線を送ると、玲那はしっかりと頷いた。


明「お、玲那に友達。良かったな。人見知りなのに仲良くできるなんて、それに君は俺より親が出来そうだな、はは!」


幼き結衣「ええっ!?私が親!?」


明「いや、なんでもない!忘れてくれ。とにかく、ありがとう。」


明「行くぞ、玲那?」


玲那「うん、お兄ちゃん、ごめん。」


アキラ「おいおい……玲那が謝るなんて珍しいな。君のお陰かな?もし良かったらまた玲那と遊んであげくれな?」


幼き結衣「もちろん!」


玲那「ばいばい。」


幼き結衣「うん!ばいばーい!!」


静かに、雪が舞う。記憶の景色がフェードアウトしていく。

ユイ(私、昔、玲那ちゃんとお兄さんに会ってたんだ。忘れていたけど、確かにあれは現実だった。でもどうして過去の映像が…。この世界は玲那ちゃんとお兄さんの過去に関係しているのかもしれない。)


ユイはふと、現実へ引き戻されるような感覚を覚えた。

その時だった。

聞き覚えのある、けれど深く響く声が空間に残るように届いた。


アキラ「君にこの過去を見せたのは、君を選んだのは俺自身だからだ。」


その声の主、やはり、それはレイナの兄・アキラだった。

ユイが最初に出会ったあの冬の日と、どこか変わらぬ寂しげな響きを残す声。


アキラ「いきなり勝手な事ばかり言って本当に申し訳ない。こんなつもりではなかった。だけど時間がない。君には、多くを伝えられない。とにかく、レイナを、妹を、どうか助けてあげてほしい。」


ユイ「私が…?」


アキラ「俺が知る限り、心を閉ざしていたレイナの友達になれたのは君だけだ。そして君が。」


その瞬間、黒い光がアキラの全身を覆い始めた。


その時、アキラの手の平だけはユイの頭に添えられる。

そのまま何かを言い残したげな表情のまま、彼の姿は光のなかへと消えていく。


ユイ「レイナちゃんのお兄さん!」


アキラ「君に…。」


最後の言葉は、黒い光に呑まれて掻き消えた。

視界が真っ暗に染まり、ユイはその場に静かに立ち尽くした。


ユイ(ここに来たのは、偶然なんかじゃなかった。知らないうちに、私は、レイナちゃんのお兄さんにとって希望になってたって事?でも、確かにレイナちゃんは大切なお友達だもん。どんな事情があるのかは知らないけれど、お兄さん。私はレイナちゃんを助けたいよ。ううん、この世界で生きる仲間達皆を私が守るよ。)


胸に火が灯るような、温かい決意が走った。


ユイ(私はきっと、恵まれすぎていたんだと思う。家族も友達も沢山いるし。悩みなんて、勉強がちょっと苦手くらいで、だから私は、いつしか本気になる理由も、自分で何かを変える必然も持たずに生きていたのかもしれない。自分の意志じゃなくて、周囲の環境に守られていた。それが私自身の力だと、どこかで錯覚していたんだ。でも違った。この世界で、私はようやく知った。)


心の中の引っ掛かりが雪解けのように消えていく。


ユイ(今度は絶対にやる。誰かの力を借りるんじゃなくて、私自身の力で、この世界を守ってみせる。私自身の為にも、普通の高校生に戻るんだ。)


ユイの中で、何かが吹っ切れた。

静かに、そして確かに。

現実に帰還するその一歩手前、

ユイは取り戻した現実感と、生き抜くという意志を手に入れていた。芽生える強い意志こそ思念を強めるのだと理解する。


ユイは目を覚ました。

身体が痛む。だが、それよりも先に空気の流れが、読めた。

まるで風が語りかけてくるように、死の匂いを孕んだ気配が頭上から迫ってくるのを、ユイの全神経が告げていた。


ユイ(来る!)


振り下ろされる巨大な鈍器。

だが、それより早く、ユイの身体が跳ね起きる。

次の瞬間。

地面が砕け、乾いた破裂音が走る。爆風の余波に舞い上がる砂煙の中、狂ったように笑う声が響いた。


ドルゴン「ふはははは!!!クソガキ一丁あがりだァ!!」


ヴェルム「おい。」


ドルゴン「あ?」


不穏な沈黙。砂塵の奥から現れたのはかつての玩具には見えなかった、異様な光沢をまとった銃。

ストームキャットⅡ。

その銃口が、ドルゴンの後頭部に突きつけられていた。

ユイの声が冷ややかに届く。


ユイ「ごめんね、私すっごい怒ってるから。」


漆黒のボディに沿って走る金色の細いラインが、まるで意思を持つかのように微かに脈打ち、銃口の先には六角形の砲口フレームが取り付けられている。

その中心部には淡い黄色の結晶がはめ込まれており、ユイの思念に応じてほのかに輝きを増していた。

ドルゴンが振り返るよりも早く、ユイの姿が煙の中から消える。

世界が、遅くなる。

全ての動きが、まるで水の中に沈んだかのように、ユイにはゆっくりと見えた。

一瞬で更に背後に回り込むと、彼女は迷いなく引き金を引いた。

ストームキャットⅡが爆裂の如き閃光を発し、魂を喰らうかのようにドルゴンの肉体を貫通する。


ドルゴン「ぎゃあああああ!!!!!」


悲鳴が虚空に響いた刹那、身体が膨れ上がり、爆ぜる。

砂埃と血飛沫が混ざり合い、空中で混濁する。

ユイの視線は微塵も揺らがない。

そのまま、弾かれたようにヴェルムが数歩後ずさる。


ヴェルム「ばかな!?何が起きたというのだ…。」


そこに立っていたのは、戦いの中で覚醒し、魂ごと強化された少女、ユイであった。

ユイの手に握られた《ストームキャットⅡ》はユイの意志と共鳴する本物の武器へと昇華していた。


ユイ「目が覚めてからあなた達から、凄く頭が痛くなるくらい、血の臭いがする。あなた達、人を何人も殺してきたよね?私には想像もつかないくらい。」


ヴェルム「てめぇ、一体何者だ!?なんでそこまで急に強くなりやがった?最初から実力を隠してたってのか!」


ユイ「そんな事、あなた達には関係ないよ。私の仲間を、友達を、元に戻して。」


ヴェルム「ふん、一人倒したくらいで、調子に乗るなよ。いいか、こっちは今からお前を戦士として扱う。全力で、殺す意味で戦うってことだ。後悔しても、もう遅いぞ!」


ユイ「あなたの答えがそれならもう、いい。」


グランザ「ヴェルム!こいつらの魂はすでに吸い取ってある!あの小娘は、嬲り殺しでも構わん!遊び尽くせ!」


ヴェルム「へへ……楽しみだな。どこからもぎ取ってやろうか。まずは腕か?それとも、足か?」


ヴェルムは一歩後退し、手にした短剣を交差させて刃を閃かせる。視線を逸らさぬまま、重心を落とし、地を蹴った。

一気に距離を詰めてくる。音が遅れて届くほどのスピードだった。

だが、ユイは動かない。

殺気を帯びた短剣が、ユイの首元を捉えようとしたその瞬間。

ユイの腰が滑らかに沈み、まるで誘われるように体を沈める。そして、ミルの残した短剣が、風のように抜かれ、ヴェルムの胴に突き立った。


ヴェルム「ぐがっ!」


激痛に顔を歪めたヴェルムに、ユイは一瞬の隙も与えず短剣を引き抜く。

そしてすぐさま横に飛び、ヴェルムの背後へと回り込む。

次の瞬間、光沢を帯びたストームキャットⅡの銃口が、ヴェルムの後頭部に押し当てられた。

ヴェルムは時が止まったかのように思考も停止する。時間とともに状況を理解し、我に返った。


ヴェルム「ま、待て!わ、分かった!俺が悪かった!もう全部謝る、仲間達も、全部、元に戻させる!本当に、本当に……!!」


ユイ「嘘は、許さないよ?」


ヴェルム「嘘なんかじゃねぇ!お前の強さは、もう十分わかった!抵抗しねぇよ。俺は死にたくねぇんだよ!」


グランザ「てめぇ!ヴェルム、何言ってやがる!?マジで言ってんのか!!」


ヴェルム「マジだともよ!おい、聞いたか女!あいつの方がよっぽどの悪党だ、俺はもう関係ねぇ、あいつと心中なんざゴメンだ!」


ユイは黙って彼を見つめていた。


ユイ「どんなに悪人でもね、自分の仲間を、こんな簡単に捨てるのはどうかと思うよ。」


そして、冷たい声と共に、ストームキャットⅡのグリップ底でヴェルムの後頭部を殴りつけた。

ヴェルムは声もなくその場に崩れ落ち、静かに気を失う。

ユイは、銃を下ろさずに、ゆっくりと顔を上げる。

その視線の先には、最後の敵、グランザが憤怒の表情を浮かべて立っていた。


グランザ「ヴェルムの野郎、後で処刑だな。おい、小娘、お前の動きの速さだけでは勝てないことを教えてやる。」


グランザはごつごつとした拳を掲げ、そこに嵌め込まれた魂流石が禍々しい紫光を放ち始める。


ユイ「その石の光で私を封じようとしてるんだね。でも、絶対に避けてやるから。」


鋭い視線で敵を睨みつけながら、ユイは眉間に力を込め、全神経を集中させる。


ユイ(テト君とずっと一緒に動いてきたからかな。人間離れした跳躍と俊足、いつの間にか私も扱えるようになってる。でも、あの石が放つ光、あれはそれよりも、もっと速い。思考の一瞬すらも許さない速さ。なら。)


ユイは次の瞬間、ミルの形見である短剣を天に掲げる。

その刃からは淡い光が吹き出し、チャームの部分が雷のように閃光を放つ。


グランザ「ぬっ!」


思わずそのまばゆさに顔をかすめ、片目を閉じてしまう。

グランザ「目を眩まそうたって、そうはいかないぞッ!!」


怒号と共に、グランザの魂流石が光を解き放とうと震え始めた。

グランザは魂流石を掲げ、あらゆる角度から無造作に光線を放ち始めた。

ユイはその手の動きとわずかな気配を読み取り、間一髪で身を翻す。光線がすぐ背後を掠め、地を抉る。

刹那、ユイは一気に距離を詰め、ストームキャットⅡの引き金に指をかけた。


グランザ「くそっ!」


グランザが咄嗟に背を向け、後退しようとする。その瞬間をユイは見逃さない。

勢いよく踏み込んだ彼女の蹴りが、グランザの背中を叩き、重い身体を前のめりに地へと倒した。


グランザ「ぐ…ぐぅっ!」


グランザは苦悶の声を漏らしながら地面を抉り、その土塊を勢いよくユイに投げつける。

砂煙が周囲に舞い、視界が一瞬曇る。ユイは即座に横へ跳び、距離を取った。

土煙の向こう、怒りに染まったグランザの目が光る。

もはや手段を選ばないとう決意が宿る。


グランザ「ザラグ様には禁じられていたが……今はそんな事言ってられねえ。ここで終わらせる。」


グランザは腰に吊っていた小ぶりの壺をゆっくりと外す。

ユイの表情がこわばった。


ユイ「それは!」


グランザ「こいつはな。俺たちがこの世界に来たとき、いくつもの種族から刈り取った魂が詰まってる。門を開くために貯めてきた莫大なエネルギー源だ。だが、使うしかねぇ。」


ユイ「待って!それって、テトくんやガルドさんも中にいるの!?」


グランザ「安心しな、あいつらは別の壺、ザラグ様が持つ壺に転移されてる。ここにいるのは器もなく、とうに朽ち果てた命の残滓よ。」


そう言いながら、グランザは壺の蓋を外し、そこから立ち上る光の流れを、まるで吸い込むように口へと迎え入れる。

ユイの目の前で、魂がぞくりと飲み干されていく。


ユイ「やめて!」


ザクッ、バリバリッ

耳慣れぬ異質な咀嚼音が、あたりに反響する。


ユイ「ふざけてるよ…命を、なんだと思ってるの!?あなた達にはもう心もないの?」


グランザ「はっ、温い世界で生きてきたんだな。命は喰う為にあり、強者が奪い、より強い命へと昇華される。それがこの世の摂理だ。」


ユイ「違う、それはただのエゴ!私は、そんな理屈、絶対に認めない。こんな事二度とさせない。絶対あなたを、ここで倒すから!」


グランザ「へへっ、やってみな、ガキが。」


魂を吸収したグランザの身体が、みるみる膨れ上がっていく。

筋肉が肥大し、肌は赤く変色、血管は浮き上がり、目は狂気に充ちて血走っていた。

その姿は、もはや人ならざる獣のように、異形の相へと変貌していた。

グランザは先ほどとは比べものにならないほどの怪力で拳を繰り出してきた。ユイはその攻撃を俊足でわずかに上回り、紙一重で回避する。しかしグランザはさらに勢いを増し、連続して拳を振るってくる。


ユイ(持久戦は不利。)


体力の消耗を見越したユイは一瞬の隙を見出し、距離を取る。そして目を使わず、グランザの気配だけを頼りに、ストームキャットⅡを連続発射。

赤く輝く念を宿した弾丸は、閃光のごとく軌道を描いて放たれる。

しかし、グランザの頬や腕をかすめるに留まり、致命傷には至らなかった。


グランザ「スピードだけじゃ、限界があるな!!」


咆哮とともに、グランザは大きく回し蹴りを放つ。ユイは身を屈め、ギリギリで避けながらも、ゼロ距離で弾を撃ち放つ。

ストームキャットⅡの弾丸はグランザの顔面を正確に捉えた、そう思った瞬間。


グランザ「ガリッ!」


グランザは口を開き、数発の弾丸をその牙で噛み砕いた。


ユイ(そんな…!)


グランザ「ぶははは!もう通用しねぇぞ!てめぇの念力なんざ、赤子の遊戯だ!!」


嘲笑とともに、グランザは両手の爪を立てた。

その刹那、シュルリと音を立てて、彼の爪はまるで鋼の短剣のように一直線に伸び、鋭利な刃物へと変化する。

横薙ぎに放たれる鋭い手刀。ユイは避けきれないと即座に判断し、ミルの短剣を盾のように構え、受け止めに入る。

ズレを誘い、斜めに受け流したつもりだったが。


ユイ「っくぅ……!」


衝撃は凄まじく、ユイの身体は空中に吹き飛ばされる。

数十メートルを飛ばされた彼女は、空中でどうにか体勢を整え、地を擦るようにして着地した。

だが、右肩には鋭い痛みが走っていた。


ユイ(打撲、いや、下手すれば骨ヒビが入ってる…!)


だが容赦はない。グランザはすでに目の前に迫っていた。

鋭利な爪を左右に振り下ろす。連撃、殺意を帯びた刃がユイを裂こうと迫る。

ユイは最後の力を振り絞り、瞬時に跳躍。更にストームキャットⅡを地面に向けて撃ち放つ。

弾撃の反動が、ユイの身体をさらなる高みへと押し上げる。

宙を裂くように、ユイの体は空を翔ける。

上空に飛んだは良いが、そこには逃げ場など無かった。


ユイ(ここで撃ち込むしかない。それも二、三発じゃ足りない。マシンガンのように一気に撃ち尽くさなきゃ、あの巨躯は崩せない!)


ユイがそう決意した中、グランザは地を蹴り、大きく跳躍。猛然と空中へ追いかけてくる。

ユイは宙で一度目を閉じ、深く、深く呼吸を整えた。

自分の中にある恐れと痛みを押し込み、代わりに未来への執念と、守りたいものの記憶を呼び起こす。

絶対に生き延びてやる。絶対に未来を取り返して掴んでやる!

その思念が形を成した瞬間、ユイは目を見開き、魂を燃やすように咆哮した。


ユイ「はあああああッ!!!」


ストームキャットⅡが閃光を吐き出す。轟音と共に、無数の赤い弾丸がマシンガンの如く撃ち出された。

宙を裂き、グランザへと降り注ぐ光弾の嵐。


グランザ「ぐぐっ……!」


いくつかは拳で砕き、口で噛み砕いた。だが、それはほんの序盤に過ぎなかった。

第二波、第三波、数百発の弾丸が、次々に間を空けずに続く。

閃光に包まれ、グランザの巨体は宙で揺らぎ、背をのけぞらせた。


グランザ「こ、このガキィイイイ!!」


怒声とともに、グランザの全身が弾丸に貫かれていく。それでもなお、完全には倒れない。

空中戦の幕は、激しさを増していった。

グランザは空中で何十発もの弾丸を浴びながらも、なおも意地で踏みとどまり、地面へと落下する。

その巨体が轟音と共に地に叩きつけられるかに思えたが、土煙を巻き上げながらも、両足で踏ん張り、ひび割れる大地にしっかりと着地した。

ユイもまた遅れて落下してくるが、バランスが取れない。宙で体勢を崩し、落下の勢いは衰えない。


ユイ「マズイ!このままだと地面に叩きつけられる、潰れるっ!」


強く覚悟を決めた瞬間、ふわりと全身が包まれる感覚が訪れた。まるで厚く柔らかなクッションに守られたかのように、衝撃が消える。

目を開けると、彼女の身体を受け止めていたのは、あの銀色の鎧だった。


ルーファス「ユイさん。遅くなったが、加勢するぞ。」

その声は、重みと優しさの中に静かな闘志を秘めていた。


ユイ「ルーファスさんっ!? 無事だったの!?」


彼女の瞳が潤む。だが、戦いは終わっていない。彼の眼差しはすでに、再び立ち上がろうとするグランザを捉えていた。


ルーファス「君が時間を稼いでくれたおかげで、回復に集中できた。獣族は自然治癒に関しては、多種族よりも優れているんだ。とはいえ、肋骨数本くらいは折れているだろうがね。」


ユイ「命が無事で良かった…本当に良かった……。でも、あの石を押し付けられたんじゃ?」


ルーファス「詳しくは分からない。気を失ったが、すぐに意識を取り戻した。もしかしたら、以前、あのカイン=オルディアと交えたときに魂干渉を受けた影響かもしれない。あのとき魂を砕かれかけて、何かが変わった。だが今は、その話は後だ。」


ユイ「そ、そうですね!」


二人は改めて、眼前の敵に視線を移した。

グランザの視線がギラリと光る。


グランザ「てめぇ、魂流石が効かねぇ奴なんざ、見たことねぇ。ふざけやがって!」


怒りと苛立ちを爆発させるように、グランザが突進してくる。

ルーファス「速い! ユイさん、奴は私が拘束する。隙を見て、撃ち込んでくれ!」


次の瞬間、グランザの鋭い爪が地面を抉り、ルーファスの立っていた場所に穴を穿つ。

ルーファスは寸前で身を翻し、鞭を手に取った。

そのまま踏み込んで、渾身の膝蹴りをグランザの顎へ叩き込む。


グランザ「ぐわあ!!」


砕けた歯が宙を舞い、グランザの巨体が脇へ逸れる。

すかさずルーファスが鞭で両腕を絡め取り、動きを封じる。

ユイはすかさず、ストームキャットⅡを構えた。

かつてないほどの念を集中させ、引き金に力を込める。


グランザ「ガワオオオオオオオオオン!!!」


地を割るような咆哮が辺りに響き渡った。

あまりの音量に、ユイもルーファスも思わず耳をふさぐ。

ルーファス「しまった、鼓膜をやられた!」


ユイ(耳が痛い! 音が聴こえない!)


その間に、グランザは鞭の束縛を断ち切り、ユイへと猛進。

そのまま巨大な掌で、身体ごと吹き飛ばす。


ユイ「きゃあ!!」


意識が遠のきかけるなかで、彼女は必死に覚醒を保った。

視覚に頼るしかない状況。頭が痛む。焦燥感が胸を焼く。

ルーファスは再び、グランザの片足を鞭で拘束する。


グランザ「しつけぇヤロウだ!」


ユイ(ここで踏ん張らなきゃ、この先、生き残れない!)


片腕は折れていた。だが、残る腕でストームキャットⅡを構えた。

銃口に、意志と念を込める。


ユイ(この一瞬のチャンス、絶対に逃さない!)


だがその刹那。

グランザが鞭を引き千切り、ルーファスを蹴り飛ばす!


ユイ(駄目だ、間に合わない! やられる!!)


ヴェルム「おらああああああああ!!!」


その声とともに、ヴェルムの双剣がグランザの両肩に突き刺さる!


グランザ「ヴェルムてめぇ!!!」


ヴェルム「女ァ! 今しかねえ、やれ!!」


ヴェルムは怒声と共に剣を残し、跳ね退く。


ユイ(飛べ!)


全身全霊の念がこもったストームキャットⅡが、

大砲のような轟音とともに咆哮する。

砲撃はグランザの胴体を一直線に貫いた。


グランザ「ぐわあああああああ!!!」


凄まじい衝撃と共に、巨体が地面へ崩れ落ちる。

もう、その身体が二度と動くことはなかった。


ユイは力を使い果たし、その場に崩れ落ち、膝をついた。荒い息を吐きながら、ぼんやりと視界に映るのはヴェルムと、意識のないテトとガルドの姿だった。

ルーファスは無言で前に出る。鋭い目つきでヴェルムを睨みつけると、鞭をゆっくりと構えた。


ルーファス「何のつもりだと、問いただしたいところだが。」


彼は低く呟き、耳の後ろを指で押さえる。

ルーファス「生憎、耳をやられてしまってな。お前の言葉を聞くことはできん。」


その言葉を聞きながら、ヴェルムは無言でテトとガルドの身体をひょいと持ち上げた。魂の抜けたその肉体を、まるで壊れた人形のように軽々と扱う姿に、ルーファスは怒気を込めた声をぶつける。


ルーファス「貴様、何をするつもりだ!!」


ルーファスは構えを解かず、一歩踏み出す。が、その腕をユイが手で制した。


ルーファス「……!」


ルーファスが訝しげに振り返る。ユイは指で自分の耳を指し、片耳だけを示すようにジェスチャーを送った。


ユイ(私、片耳だけなら少し聞こえる。だから、私が話す。)


ユイ「何のつもり?私たちの仲間に手を出したら、絶対に許さないから。」


ユイの声は、怒りと疲弊と、そして一縷の希望が入り交じっていた。

ヴェルムは肩をすくめ、口を開く。


ヴェルム「勘違いするな。俺は自分の命の為に、お前らについただけだ。もう、戻る場所はねぇ。戻ればボスに殺される。それだけの話だ。」


ヴェルムはテトとガルドをゆっくりと地に下ろし、続けた。


ヴェルム「だから、お前らについて行かせろ。その代わり、ちゃんと働く。こいつらの魂を取り戻す事にも協力する。その為に、この器をお前らのアジトまで運んでやろうって言ってるんだ。休戦協定を結ばせてくれ。」


ユイ「ふざけないで、平気で仲間を売るような相手の言葉、信じられるわけない!」


ヴェルム「まぁ、当然だな。だからこうする。」

そう言うと、ヴェルムは腰から一本の笛を取り出した。それはどこか奇妙な、独特の造形をしている。


ヴェルム「これをやる。信用できないなら、これを使っていつでも俺を呼べ。そうすれば、戦力として駆けつけてやる。もちろん、お前らのアジトには行かねぇ。途中まで運ぶだけだ。」


ユイはその言葉を聞き、唇を噛んだ。


ユイ(今の私も、ルーファスさんも負傷してる。このままじゃ、テト君とガルドさんを村に戻せない。しかも、一刻も早く、彼らの魂を取り返さなきゃ…。)


ユイはゆっくりと立ち上がり、拳を握った。


ユイ「約束して。途中まで運んでくれるなら、それ以上は何もしてもらわなくていい。その代わり、もう二度と、私たちの前に現れないで。」


ヴェルムは少し口をへの字に曲げ、不満そうに眉をしかめた。


ヴェルム「くっ、つれないな。分かったよ、それでいいぜ。」(しょうがねぇ、今はそれしかねーか。)


ユイは、ルーファスにこれまでのやり取りを簡単な動作で伝える。ルーファスは難しい表情を浮かべながらも、最後には渋々頷いてくれた。

こうして、不本意ながらも、一時の休戦と引き換えに、彼らの帰還の道は拓かれるのだった。

ヴェルムは、意識を失ったテトとガルドを左右の肩に乗せ、ゆっくりと歩みを進めていた。その後ろから、無言のルーファスとユイが続く。


ヴェルム(想定外の事態だが何としても、何としてもこいつらの仲間にならないと!)


ヴェルムは焦燥感に駆られていた。


ヴェルム(クロスラインレジデンスの赤い砂時計が落ちてくるまでに取り入らなくては…外にいても次元の捻れに飲み込まれて死ぬ。ザラグ様はこの状況を透視してるのは間違いない。このまま帰れば冥主にだって殺されかねない。ああ、やるしかねえ!)


ユイ「この辺でいいよ。二人を下ろして。」


ユイの声が、背中越しに届く。

ヴェルムは振り返り、テトとガルドを丁寧に地面に降ろした。

ヴェルム「先程も言ったが、俺はもう後がない。頼む、人間、俺を、雇ってくれ。」


ユイはしばらく黙ったまま、真っ直ぐに彼を見つめていた。


ユイ「あなた達がしてきた事を私は許すことはできないよ。」


ヴェルム「くっ……!」


それでも、ユイはポケットから取り出した黒鉄製の小さな笛を見せると、それを手に取った。


ユイ「ここまで運んでくれて、ありがとう。この笛を借りる。信用するのは、これが最初で最後。」


ルーファスは眉をひそめ、小さく呻く。


ルーファス(正気か、ユイさん……!?)


だが、ユイは一切の躊躇を見せなかった。


ユイ(歩きながら考えたんだけど、やっぱり今は情報が必要。この世界、魂の石の事も。嫌だけど我慢して、ルーファスさん。もし裏切ったら、私が撃ち抜く。)


ユイ「私達が傷を癒したら、あなたに聞きたいことがある。その時はこの笛を吹くから。」


ヴェルム「わ、分かった!情報なら、何だって提供する!」


ヴェルムの表情に、僅かな安堵の色が滲んだ。


ユイ「それなら、早くここから離れて。」


ユイの一言に、ヴェルムはすぐさま向きを変え、走り出すようにして元来た道を戻っていった。

その後、ユイとルーファスはテトとガルドをそれぞれ背負いながら、村へと続く道を慎重に進んでいった。

大樹の根元に位置する村にたどり着くと、ロウザンを先頭に、複数の獣族の住人たちが駆け寄ってきた。


住人A「テト! ガルド!」


住人B「この子達、ひどい怪我を!」


動揺する住人たちの声が響く中、ユイとルーファスはそのまま診療所のような建物へと案内される。

ロウザンが険しい表情で言った。


ロウザン「何ということか、お前さんたちもボロボロじゃ。治療を行う、着いてこい。」


彼の声は深く、しかし確かな温かみがあった。  

ロウザンは二人を診療所の裏口へと案内し、テトとガルドは医者を筆頭に他の住人達に担ぎ運ばれていく。


ロウザン「お前さんたちの回復を最優先とするぞ。」


ロウザンの声には、いつもの穏やかさよりも深い憂いが滲んでいた。


ロウザン「ルーファス、お前は耳がほとんど聴こえとらんようじゃな。ユイさんも片腕は骨折、片耳はかろうじて音が拾える程度の難聴。切り傷も数え切れんほどある。よくぞ、よくぞ生きて帰ってきてくれた。」


ユイ「はい。事情は、後ほどお伝えします。」


ユイの声はか細く、身体を支えるのがやっとの状態だった。彼女の足取りはふらつき、まるで倒れ込む寸前のようだった。

ロウザンは急ぎ足で裏口の扉を開け、中に招き入れる。診療所の奥、床に設けられた重厚な鉄枠の扉の先には、地下へと続く階段があった。

ルーファスはその扉を見た瞬間、目を見開く。


ルーファス(ここはまさか、あの雫を使うつもりか!?)「ロウザン村長!その樹液は、あまりにも貴重すぎる。私はいい。ユイさんにだけ使ってくれ。」

ロウザンは一瞬だけ立ち止まり、深く溜息をついた。


ロウザン「何を言うとる。お前さんがこのまま耳が使えんままでは、詳しい話も聞けんじゃろうが。まあ、こっちの声も聞こえておらんようだがな!」


そう言うと、ロウザンは大きく腕を振って拒絶の身振りを見せ、ルーファスの言葉をばっさりと否定した。そして彼の腕を掴むと、ぐいと引っ張り、地下階段へと導く。

戸惑いの表情を浮かべたルーファスだったが、次第に力を抜き、そのままロウザンに連れられていった。

階段を降りると、そこには祭壇のような神聖な空間が広がっていた。わずかに青白い光を放つ石壁の中、診察台に似た寝台がいくつか並んでいる。空気は静まり返り、どこか重みのある静けさに包まれていた。


ロウザン「ここはな、通常よりも早く回復を望む時、あるいは、他に手立てがないときだけに使う場所じゃ。今回は、前者になるがの。」


ロウザンの声には、どこか敬意と緊張が混じっていた。


ユイ「ここに、座ればいいですか?」


ユイは小さく問いかける。


ロウザン「ああ。何なら、そこで横になっていてくれればええ。これから命還の杯の準備に取り掛かる。」


ロウザンがそう告げると、ユイとルーファスはそれぞれの台へと身体を横たえた。祭壇の奥では、精霊の息吹のような風が微かに吹き抜けていた。

ロウザンは台の脇にある棚から、厚手の布に包まれた木箱を丁寧に取り出した。蓋を外すと、中には透き通るような青白い杯が静かに収まっていた。その表面には、枝葉や獣を模した文様が繊細に刻まれており、かすかに光を放っている。


ロウザン「これは『命還の杯』神樹ルフリアの恩恵を最も効率的に身体に取り入れるために作られた器じゃ。慎重にな。」


そう呟きながら、ロウザンはさらに隣の棚から銀の小瓶を二本取り出す。そのうちの一本は、神樹ルフリアから採取した貴重な樹液が収められたものであり、もう一本には祭壇の地下から汲み上げた精霊水が入っている。

ロウザンは両手を合わせ、小さく何かを唱えた。診療所の地下に張り詰めた静寂が、次第に柔らかく振動するような空気へと変わっていく。


ロウザン「いまより、命還の儀に入る。」


慎重に銀の小瓶を開け、まずは精霊水を注ぐ。杯の底から青い光がふわりと広がり、空間の温度が少しだけ上がったように感じられる。続いて、神樹の樹液を数滴だけ、指先で落とすように加えると、杯の中の液体がほのかに金色へと変化し、やがて光の層をまとい始めた。


ロウザン「片方ずつ、順に飲んでもらう。これは、神樹の意思とこの地の自然の力、そのすべての調和をもって命を繋ぎなおすものじゃ。効果が現れるまで、しばし眠りに入ることになる。」


ロウザンは最初の杯をユイの枕元へと運び、手渡すのではなく、彼女の唇にそっと触れさせるように傾ける。ユイはゆっくりと、杯の中の液体を飲み干した。

同じように、ルーファスにも杯が差し出される。


ロウザン「さあ、心を空にするんじゃ。おぬし達の命は、もう一度この大地に繋がる。」


杯が空になると同時に、二人の身体を淡い光が包み、静かに眠りへと落ちていった。

一瞬にして意識は深く沈んだが、覚醒まではそこまでの時間を要さなかった。

ふとユイは、目を覚ます。

重く沈んでいた意識がまるで霧が晴れるように澄みわたり、瞼を開くと、そこには見慣れた木の天井が広がっていた。場所は、確かに自分が横たわった台の上、祭壇の診療所だった。


ユイ「……!」


すぐ隣には、すでに起き上がったルーファスが立っていた。彼はロウザンと何やら話をしており、その顔にはかつてないほどの落ち着きと明るさが戻っている。


ルーファス「起きたか、ユイさん。」


ロウザンがこちらに顔を向け、穏やかな声で語りかける。

ロウザン「身体はどうじゃ?もう何ともないだろう?」


ユイはゆっくりと上体を起こし、自分の身体の感覚を確かめた。肩の痛みも、足の重だるさもない。何より、あれほど耳をふさがれていたような世界の静けさが、まるで最初からなかったかのように消えていた。


ユイ「うっそ、信じられない!身体が軽い。ルーファスさんも?」


ルーファス「ああ、おかげで完全回復してる。」


ルーファスが頷きながら、短くも力強く応えた。

ロウザンは静かに頷くと、手を組んだまま説明を始める。

ロウザン「命還の杯は、神樹ルフリアの樹液と精霊水を調合して作る、癒しの極み。杯の力が身体の深層にまで染み入り、破損した組織や魂の揺らぎまでも調律してくれる。儀式を正しく行えば、時間にして一刻ほどで回復する。」


ユイが目を丸くするのを見て、ロウザンはわずかに笑みを見せた。


ロウザン「ただし、神樹の樹液は一年に数滴しか採れん。扱える者も限られておる。誰にでも授けられる力ではないのだ。」


ユイは静かに息を呑み、その奇跡の重さを実感するのだった。


ユイ「そんな貴重なものを、ありがとうございます!私、これでまだまだ戦えます!」


そう言って握り拳をぐっと立て、勢いよく立ち上がる。

ユイ「テト君、ガルドさんを助けに行きます!レイナちゃんとも合流したいし、えーっと。」


ロウザンは微笑みを浮かべながら静かに言った。


ロウザン「先程までの話なら、今し方、全てルーファスから聞いたよ。ユイさんが強くなったこともな。テト、ガルドが心配じゃ。わしにできることは今これだけだ。二人を助けてほしい思いもあるし、同時に命を落とすくらいならここに留まってほしくもある。」


ユイは真剣な眼差しでロウザンを見つめ、力強く答える。


ユイ「ロウザンさん。私はどのみちクロスラインレジデンスに戻ります。あそこの住人ですから。それに残りのゴブリンのボスとも、ちゃんと決着をつけなくちゃいけないんです、必ず。」


ロウザン「だが、やはり危険すぎるのでは。」


ルーファスが一歩前に出て、毅然とした声で言う。

ルーファス「私も行こう。門限云々は、そこに住む住人に課せられた義務なのだろう?私も同じ立場だ、行かせてもらう。」


ユイ「ありがとうございます……!」


ルーファスは静かに微笑む。


ルーファス「ユイさん。いや、ユイ。私達はもう仲間だ。共に協力して、二人を助け出そう。」


ユイ「はい、ありがとうございます!」


ロウザンは目を細め、少しだけ寂しげな笑みを浮かべた。

ロウザン「すまないな、二人とも。戦力として力になれずに。」


ルーファス「ロウザン村長、構いませんよ。私達は仲間の為に、それぞれが出来ることを精一杯やるだけです。ここの村人たちも、みんなそうしてきたように。」

ロウザンはしっかりと頷いた。


ロウザン「分かった。くれぐれも注意して、必ず必ず生きて帰ってくるのだぞ。」


ユイ「はいっ!」


ルーファス「任せてください。」


決意を込めた二人は、まっすぐに村の出口へと向かい、次なる戦いへの支度に入ったのだった。

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