第8話 地下道の扉
「良い場所かどうかはわからないけど、身を隠せるようなところには心当たりがある」
「どこだ?」
「地下道だよ」
なるほど、とサロは心中で呟いた。
地下道というのは単なる通称に過ぎない。世界樹同様に正式名称はあるのかもしれないが、誰もその名前は知らないし、知っていたとしても使うことはないだろう。
この街は最初から完成されていたわけではない。瘴気から逃れて世界樹の元に集った人々は、なぜこの樹の周りだけ無事なのかすら考える余裕もなく、瘴気を少しでも避けるために地下へと潜った。そしてその生活の中で世界樹から種子をわけてもらって、適性をつけることを覚えた。
要するに地下道はかつての居住区であるが、今は整備されるわけでもなく埋め立てられるわけでもなく、半ば放置されている状態である。出入り口は各所に存在するものの、子供たちが不用意に入り込んだりしないように厳重に封鎖されていた。
「サロの能力なら、出入り口の鍵を外せるだろ」
「まぁ多分。やったことはないけど」
「丁度この建物の裏に出入り口があるんだ。そこから入って暫く身を隠していてほしい」
「……丁度、ね」
偶然ではないだろう。サロは相手の表情を見つつ判断した。此処に隠れる場所があることを知った上で、ラルタは連れてきたに違いない。さっきの考え込む仕草が少々芝居がかっていたこともその証左である。ただサロはそれをわざわざ口に出しはしなかった。
「でも地下道って手入れされてないんだろ。入っても大丈夫なのか?」
「大丈夫。あまり大きな声では言えないけど、地下道に住んでいる人間がいるからね」
「そうなのか?」
そういった噂を聞いたことがないわけではない。しかしそれはあくまで噂話でしかなかったし、半ばお伽噺のような要素すら付け加えられたものばかりだった。曰く、地下には瘴気が満ちあふれているとか、その瘴気で巨大化したワニがいるとか、そのワニを捕って暮らす民族がいるとか、そういう類いの噂話である。
サロがその噂話を思い浮かべているのがわかったのか、ラルタは眉間に皺をよせたまま口元を緩ませた。
「ワニの狩猟民族じゃないよ」
「だよな」
「反政府……レジスタンスの人間が住み着いているんだ」
政府と相反する主張を掲げ、その実現のために破壊活動や抗議運動を繰り返す団体。レジスタンスについてサロが知っているのはその程度だった。新聞でたまに、どこかのレジスタンスが制圧されたという記事が載っていることがあるが真面目に目を通したことはない。
「地下道を拠点としているレジスタンスは結構多いんだよ。何しろ地下道は広いし、混沌期に作られたせいで政府が持っている地図も正確とは言えない。彼らだけが知っている抜け道や隠れ場所を使っているんだ」
「そいつらと鉢合わせしたら、余計に面倒なことになりそうだけど」
「それについては心配ないよ。此処は少し前にレジスタンスの拠点があったんだけど、制圧されたばかりなんだ。そういうところは向こうも警戒して近付いてこない。だから暫く身を隠すだけなら問題ないと思う」
「まぁ地上にいるよりはマシか」
少し不安な要素がないわけではなかったが、我が儘や贅沢を言っていられる場合でもなかったため、サロは一先ず納得することにした。
「明日の朝、此処でもう一度待ち合わせよう。その時には何かしらの話を持ってこれるようにするから」
「あまり無理すんなよ。俺から頼んだこととは言え、お前にあまり迷惑はかけたくない」
「今更だね」
ラルタは苦笑しつつ、制帽をかぶり直した。
「じゃあそろそろ行くよ。サロも無茶はしないようにね」
「あぁ、わかってる」
サロはミラを促し、建物の裏へと移動した。それと同時に遮断されていた空間が元に戻り、周囲の音が復活する。人が通り過ぎ、軽い会話を交わす程度の音がサロには大きく聞こえた。ラルタが早足で去って行く音もその中に混じっていた。
建物の裏には煉瓦を積み上げてつくられたアーチがあり、鉄製の扉が二枚ついていた。蹴ったり殴ったりしただけでは傷一つつけられそうにない扉は固く閉ざされ、鍵穴が一つだけ空いている。サロはそれに左手をかざして中の構造を探った。
「まぁちょっと複雑だけど開けられないことはないな」
「サロ」
ミラが袖を軽く引いた。
「先ほどの話が半分ほど理解不能でした。地下道にはワニがいるのでしょうか」
「あれは冗談ってやつだよ。まぁ要点だけ話すと、俺たちは今から地下道に入る。そんで大人しく朝を待つってわけだ」
「大人しくとは」
「あの家にいた時みたいに静かに座ってろってこと」
アンロッカーを二本、鍵穴に差し込んで細かく動かす。少し錆び付いていたらしく抵抗を感じたが、それでもあっさりと鍵は開錠された。鉄の扉が軋みながら左右に開く。中から水の濁った匂いが漂ってきた。良い匂いではないが、耐えられないような悪臭でもない。
「でも流石に中は真っ暗だな」
「サロ、サロ」
再びミラが袖を引く。振り返るとミラが何かを左手で掲げていた。
「なんだそれ。ランタン?」
「此処に置いてありました」
此処、とミラは自分の足元を示す。ランタンは殆ど加工していない木の枝と硝子を組み合わせたもので、中にはオイルと灯芯が入っている。
この街では世界樹の枝や根があらゆるものに使われている。単純に沢山手に入るからというのもあるが、普通の樹木では街に流れ込んでくる瘴気ですぐに傷んでしまうからである。
ランタンは随分使い込まれているようだったが、手入れは行き渡っていた。
「ラルタが置いていったんだろうな。流石、治安局。余念がないこと」
「このランタンとても素敵です。抱っこしていていいですか」
「やめとけ。下手すると引火するぞ」
ミラの手からランタンを取り、上蓋を取り外す。蓋の裏側に取り付けてあるバネ式の着火装置を操作すると、小さな火種が中に落ちて灯芯に灯った。
「よし、行くぞ」
「はい」
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