第9話 リンツ・トーア

 ラルタ・デルシーは世界樹を囲むように作られた建物の中へと入っていった。囲むようにというのは決して比喩ではない。この街の象徴にして人間たちを瘴気から守ってくれる世界樹を更に守るために作られた政府機関の建物。

 近くで火事が起きても機関や世界樹には延焼しないように周囲を水を張った人工堀で囲み、東西南北四箇所に橋をかけてそれぞれ門に繋がるようになっている。建物の構造上、どの門から入ったとしても目的の場所に辿り着けるが、治安局が西側にあるためラルタは西門を主に使っていた。

 いつものように西側の橋を渡って門を潜ったその時だった。


「デルシー君、止まってくれるー?」


 間延びした、それでいて鋭さを残す声。ラルタはそれが誰かわかると背筋を伸ばして相手を振り返った。


「お呼びでしょうか、トーア調査官」

「お呼びですぅ」


 黒いスーツを着崩した背の高い男はふざけた口調で言いつつラルタに近付いてきた。年の頃は三十半ば。癖のある赤みがかった銀髪を肩まで伸ばして後ろに撫でつけている。薄茶色の虹彩は小さいが色が薄いために光によく映えていて、どこか猫を思わせるような容姿をしていた。

 リンツ・トーア調査官。監査局の人間で、ラルタとは仕事上多少の付き合いがある。だがこうしていきなり呼び止められることは初めてだった。


「皆忙しくお仕事に行ってるのに、お前さんは何してるわけ?」

「い、いえ。少し確認することがあって」

「へぇえ。今更何を確認することがあるんだよ。お前さんの仕事は「腐食」の保護だろ。それとも奴を見つけたのか?」

「いえ……」


 口ごもるラルタにリンツは鼻で笑った。そして一歩詰め寄り、耳元に口を近づける。


「お友達はどこに居る」

「な……ぜ」


 思わず絞り出した言葉は、あまりに不用意だった。しかし後悔した時にはもう遅く、リンツの顔には陰湿な笑みが浮かんでいた。


「やーっぱり会ってたのか。で、何処にいるの?」

「……知りません」

「お前さんの能力を使えば一時的に人を隠したりするのなんて朝飯前だもんねぇ。さっき別隊から報告受けたんだけど、急に目標を見失ったって言うからさ。そうじゃないかなぁと思ってたんだよね」


 ラルタは口を噤んだが、相手はお構いなしに続ける。


「だんまりか。俺の能力を使えば痕跡を辿るぐらいは簡単だって知ってるくせに。美しき友情ってやつかなぁ。俺もそういうの憧れるんだよね。だーれも俺のお友達になってくれないんだけど。なんでだろう?」

「わかりません」

「わかってたまるか」


 急に低い声で吐き捨てるように言われて、ラルタは思わず数歩後ずさった。しかしリンツは薄い口唇を笑みの形にしたままだった。


「サロ・レネーが異端に認定された理由を知ってる?」

「いえ、知りません。調査官がご存じなのでは」

「それがねぇ、そうでもないんだ。いつもは調査局全員で調べて協議のうえで保護するかどうか決める。なのに今回は上の人間だけで決めて、俺たち下っ端の所には決定事項だけ降ってきた。どういうことだろうね」


 可笑しそうに歪んだリンツの眼差しはラルタに答えを求めていた。それから逃れることは出来ず、ラルタはなんとか声を出す。


「……普通の異端とは異なる扱い。そういうことでしょうか」

「そういうことでしょうねぇ。しかし会議にはレネー調査長もいらっしゃったにも関わらず、息子に対する保護命令を止めなかった」

「止めなかった?」


 サロとその母親のイルナスとの関係が難しいことは知っていた。だがそもそもラルタはイルナスと余り話したことはなかったし、子供の頃の記憶だけをもって彼女の人格を決めつけることも憚られた。


「どうしてかわかる?」

「……僕には何とも」

「一つ、仮説を思いついたんだ。聞くよねぇ?」


 疑問の形を取ってはいるが、拒否権は一切認めないという響きを持っていた。ラルタが何も言わない間にリンツは言葉を続ける。


「サロ・レネーが異端ではないにせよ、何か重大な罪を犯していた場合はどうなると思う?」

「……は?」

「何でもいいさ。殺人でも誘拐でも窃盗でも。能力とは関係ない彼本人の素養や倫理や美学によって犯した罪があったとしたら? そしてそれが公になった場合に監査局にとって良からぬ影響を及ぼすとしたら?」


 ラルタは何か言い返そうとしたが、リンツはその口元に手を当てて制止した。


「隠蔽だよ、隠蔽。彼の罪を隠すために、異端ということにして保護させることにした。そうすれば色々と辻褄が合う。俺たちが調査しないうちに執行命令が出されたのも、彼の能力についての情報がないことも」

「情報がない?」

「なんだ。それも知らなかったのか。随分とお友達ってのは薄情な生き物なんだな。俺の周りには誰一人いなくて助かった」


 乾いた笑いが上がり、消える。


「普通は保護対象の能力は命令書に書かれる。でもサロ・レネーの能力については不明だ。お前さんは彼の能力はご存じだろ?」

「……鍵開けです」


 リンツは鼻で笑った。


「それじゃ命令書に書くわけにはいかないな。敢えて書かないことで危険度の高い人物だと思わせたのかもしれない」

「待ってください。では調査官はサロが何か罪を犯したと」

「俺はそう考える。異端の能力の持ち主なんかじゃない、ただの危険な犯罪者。それを隠蔽しようとしてるのさ」

「サロはそんな人間じゃない!」


 思わず大声を出してしまったラルタは慌てて周囲を見回したが、幸いにして誰もいなかった。リンツは突然の大声に驚いたように何度か瞬きをし、それから面白そうに目を細めた。


「異端としての保護なら「運が悪い人間」扱いで終わりだ。偉大なる世界樹から頂いた種子が悪さをしただけだからね。本人の罪になるのは、その能力で誰かを傷つけてからだ。今の時点で彼を異端の能力持ちとして捕らえてしまえば、他の罪に問われることはない」

「サロは犯罪を犯すような人間ではありません。空き巣が起きる度にそれに憤りを覚えるような奴です」

「それは自分の能力のために疑われるからだろ」


 リンツは下らなそうに言った。


「人が犯罪を犯すかどうかなんて、その瞬間までは誰にもわからないものだよ。罪だけは平等に人間の中にあり、不平等なのはその裁かれ方、ってね」

「でも」

「わかったわかった、お前さんの主張も理解するよ」


 食い下がったラルタに、リンツは今度は笑顔で返す。


「お友達を疑いたくない。お友達を守ってあげたい。そういうことでしょ」

「……これは何かの間違いです。サロの保護命令も、貴方の考えも」

「そこまで言うなら、サロ・レネーを連れてきなよ」


 リンツは口元を歪ませるようにしながら言った。


「俺もこの仮説が正しいかどうか興味がある。お前さんがサロ・レネーを連れてきてくれるのであれば、悪いようにはしない。異端審査に掛けられる前に彼から話を聞いて、それなりの便宜を図ることも可能だ」

「……その言葉を信じる理由が僕にはありません」

「信じるも信じないもないだろ。お前さんには選択肢はない。俺が今すぐにでもそちらの上長に言いつければ、お前さんは尋問を受けることになる。あるいは俺が今すぐお前さんを尋問したっていい。偶にはこの能力も使わないと可哀想だ」


 首筋に浮かんだ蔓の紋様が、その下に走る血によって色濃くなったようだった。


「それをしないでやろうって言ってるんだ。俺としては最大限の譲歩だよ」

「でも」

「言っただろ。仮説が正しいか確かめたいって。もし俺の考えが正しければ、それをネタにして上層部を脅すことだって出来る。そうすれば俺の出世は間違いなし、そのお礼に彼を見逃したっていい。どうせこのまま逃げ惑ったところで捕まるのは時間の問題だろう? だったら少しでも可能性のあるほうに賭けるほうがいいとは思わない?」


 提案と脅し。リンツの言葉はまさにその中間にあった。

 ラルタは口を閉じて考え込む。そもそも此処に戻ってきたのは、サロの命令書や調査書を探すためである。勿論それが簡単にできるとは思っていなかったが、リンツの言葉を聞く限り、治安局に渡された書類に信憑性はなさそうだった。

 それにサロ自身も長く逃げ回る意思はないと言っていた。ただ異端扱いされた原因を知りたいと。リンツの言うような犯罪を犯す人間でないことは、ラルタ自身がよくわかっている。ならばここに連れてきて、リンツと話をさせたほうが良いのではないか。

 長いようで短い思考を終わらせると、ラルタはその場で姿勢を正した。無意識にリンツと距離を取ろうとしていたのか、背中がだいぶ後ろに反っていた。


「約束していただけますか。サロに危害を加えないと」

「安心しなよ。俺は平和主義者だ」


 全く信用できない顔と声でリンツが言う。しかしラルタはそれを気にしない振りをした。どう足掻いても相手から逃げられそうにはなかったし、逃げたところで自分に為す術がないことを理解していたためだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る