第6話 ラルタ・デルシー

「そっちは駄目だ。こっちに来い!」


 サロは反射的にその手を振り払おうとしていたが、声を聞き取るとそれをやめた。腕ごともがれるのではないかと思うほどの強い力に逆らうことなく、導かれるままにすぐ近くの角を左に曲がる。コンテナが大きな音を立てて通り過ぎていくのを背中で聞きながら、先ほど通ってきたのと同じような路地裏へと引きずり込ま れる。そして一度腕が解放され、今度は背中を強引に押されて路地の奥へと押し込まれた。


「サロ」


 ついてきたミラが心配そうに駆け寄る。サロは首を左右に振って「心配ない」と告げた。サロを路地に連れてきた人物は、自分たちが入ってきた隙間に手をかざす。すると薄い膜のようなものが宙に展開し、急にコンテナの音が聞こえなくなった。

 空間遮断。任意の空間を他と切り離すことが出来る能力で、身を隠すことは勿論のこと誰かを閉じ込めたりすることも出来る。サロはその能力を今まで何度も見てきたから知っていた。


「一応聞くけどさ」


 膜の外に耳をすましている相手にサロは口を開いた。


「これ、俺を捕まえてたりはしないよね?」

「ふざけるのは無しだ」


 その問いが愚問だとばかりに相手は振り返った。広い額に皺がよっているのは顔を顰めているためで、その顔立ちは二十という年齢より少し幼く見える。まだ少年期を抜けきっていないような赤茶色の大きな瞳や、額が見えるほど短く刈り込んだ赤い髪のためだろう。しかしその男が着ている新緑色の制服が、幼い顔立ちに威厳を与えることに成功していた。男はサロの方に何歩か近付くと、腕組みをして軽く睨み付ける。


「どういうことか説明して、サロ。お前なにしたんだ?」

「何もしてないって」


 自分と殆ど変わらぬ背丈の、確か数年前までは少しだけ自分が高かったことを思い出しながらサロは返した。


「ラルタこそ、何か知らないのか?」

「知るわけないだろ。大体、僕はお前の保護任務からは外れてる」

「じゃあなんで此処に?」

「親友が異端疑惑掛けられてるって聞いて無関心で居られるか!」


 怒鳴るように言われてサロは首を竦めた。

 ラルタ・デルシーはサロの幼なじみだった。小さい頃から一緒に遊び、ふざけ、仲良く大人に拳骨をくらったような間柄である。能力の高さから治安局の勧誘を受けた時、物怖じしていたラルタの背中を押したのもサロだった。もう一人の幼なじみと一緒に「出世したらいい飯おごれよ」なんてふざけていたのが昔のことのように思える。実際にはせいぜい一年程度しか経っていなかった。


「様子見に行ったらアパルトメントは大騒ぎだし、家の中は滅茶苦茶だし、心配して探してたら暢気に女の子なんか連れてるじゃないか。僕の心配を返せよ!」

「前半二つはお前の同僚のせいだし、最後の一つについては俺にもちょっとよくわかんないんだよ。なんか成り行きと言うか、致し方なくと言うか」

「何言ってるんだ?」

「とりあえず説明するから座っていいか。疲れた」


 サロは路地に転がっていた木箱に腰を下ろした。ラルタは腕組みをしたまま、サロとミラを交互に見ている。興味半分怒り半分の眼差しだった。


「本当に身に覚えがないんだよ。今日だって鍵屋として真面目にお仕事して帰ってきたところだったんだ。そしたら家の前に治安局の連中がいた。でもいつもみたいに空き巣だの泥棒だのの調査かと思ったんだよ」

「前からよくあるからな」

「そう。で、部屋に入った時に俺転んでさ。そしたら急に銃抜かれた」

「はぁ?」


 ラルタが大きな声を出した。


「転んだだけで?」

「そうだよ。どう考えたっておかしいだろ。だから逃げちまった」

「だから、のところがよくわからないけど……。でも確かに急に銃を向けるなんて異常だよ。現行犯とか取り押さえるならまだしも」

「だろ。このまま引っ張られたら、言い訳する暇もなく異端認定されるに決まってる」

「そこまで監査局も強引じゃないよ。……多分」


 ラルタが歯切れ悪く言う。それを見てサロは苦笑した。


「そうかもな。誰が俺の保護命令を執行したのかは気になるところだ。母さんじゃないと信じたい」

「サロにはお母様がいるのですか」


 ミラが横から口を挟んだ。サロは小さく顎を引く。


「能力統括庁監査局、レネー調査長。所謂お偉いさんだな」

「なるほど、治安局がサロを殺したりしないという言葉の根拠は、お母様がいるからなのですね」

「そういうこと。一応その辺の配慮ってのはしてくれるはずだ。母さんが何か言わない限りは」

「お母様はサロを助けては下さらないのですか?」


 無邪気な質問だった。先ほどまでなら少し憤ったかもしれないが、サロもそろそろ人形相手の会話に慣れてきていた。


「親子仲は良くなくてね。まぁ仮に仲が良かったとしても仕事に忠実な母さんが俺を庇ってくれるとは思わない」


 イルナス・レネーは夫と早くに離婚してから女手一つでサロを育てた。リーフの中でも特殊な力を開花させた彼女は監査局で順調に出世をしたものの、家庭については殆ど放置と言って良かった。息子に社会理念や生きていくために必要なことを念入りに教え込む以外は、褒めもしなければ叱りもしなかった。何不自由なく育てて貰ったとサロは思っているし、今更母親に対して不満もない。しかしこういう時に頼る選択肢として親が出てこないのは少々悲しいものがあった。


「レネー調査長がお前への執行を黙って認めたとは思えないけどな」


 ラルタはそう言ったが、声にはあまり自信はなかった。


「別に気を遣わなくていいよ。それに昔通りおばさんって呼べばいい」

「冗談じゃない。調査室の連中に聞かれたら袋叩きだよ。……というかサロ」


 ラルタは手袋に包まれた指でミラを示した。


「その子は誰なんだ?」

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