第1話 車を盗む時の作法

 耳鳴りが、なかなか止まらなかった。

 ジィィ……という金属音が頭の奥に張りついたまま離れず、世界の音がくぐもって聞こえる。


 アスファルトに押しつけられた頬がじんじんと痛い。

 焦げたタイヤとガソリン、それに火薬の匂いが鼻の奥に刺さって、反射的にむせた。


「……っげほっ、ごほっ! な、なにが……!」


 息を整えようとしていると、上から渋いがら声が振ってきた。


「おい、生きてるか」


 見上げると、さっき俺を地面に押し倒した張本人──スーツ姿の男が俺の襟首をつかんでいた。

 良く通るいい声。おかしい、初めて聞いた気がしない。


 四十代くらいだろうか。無精ひげに刻まれた深い皺。

 ゆるく結んだネクタイの奥から覗く胸元は、なんか妙に色気がある。

 サングラスは、俺に飛びかかったときに吹き飛んだらしく、ブルーの瞳が光を弾いていた。


 その瞳が、俺の顔と体をすばやく確認する。

 怪我がないと判断したらしい。ふっと安堵した息がこぼすと、顔を上げる。


「おい、マーカス! 無事か!」


 腹に響くような声量に、思わずビクッとなる。

 男の声に応じて、吹き飛んだ車の陰から影が動いた。


「あぁ。くそ! ひどい目にあったぜ、まったく!」


 現れた大男は二メートル近い巨体で、タンクトップから覗く筋肉は服という概念を拒否している。

 開いたジャケットから覗くタトゥーもギラギラしていて、見るからに“武闘派”だ。銃なんかよりも、素手でぶん殴ったほうが早い見た目をしてる。


 おいおい、あんたの声もどっかで聞いたことあるぞ。夕方のナレーションとかやってました? んでもって、揃いも揃ってなんで日本語話してるの? 英語でしゃべらないの?


「そんなことより、早くここから離れた方がいい。っと、言ってるそばから、これだ」


 白人のイケオジ──さっき俺を救ったスーツ男が、眉を寄せながら視線を巡らせる。

 その視線の先、路地から複数の車両がスキール音を鳴らして飛び出してきた。


「急げ! こっちだ!」


 呼ばれた方向を見ると、マーカスと呼ばれたムキムキ黒人が手招きしている。


「よし、行くぞ!」


 行くぞじゃないが。

 止める暇もなく、脇にぐいっと腕を差し込まれた俺は、立たされ、そのまま引きずられる形で連行されていく。


「え、なんで? なんで俺まで!?」


 ツッコミも虚しく、状況は待ってくれなかった。


 迫り来る車から、箱乗りした黒スーツの男が身を乗り出し、ライフルを構えているのが見えた。


 ちょっ……ライフル!? なんで!? ここ日本だよ!?


 思考が止まる暇もなく──


 バラララララ!!


 耳を裂く破裂音の連射。

 日常では絶対に聞かない、背筋を氷で撫でられるような音。


「早くしろ!」


 隣を走るイケオジの一喝に、反射的に足が動く。

 前方を走るマーカスの背中がやたらと頼もしい。


「だぁぁぁぁ!?」


 情けない叫びを上げながら、頭を押さえ背を丸め、銃弾の嵐をジグザグ走法で掻い潜る。


 スーツジャケットの脇を掴まれてるせいで走りにくいこと山のごとしだが、文句を言ってる暇などない。


 マーカスの後を追い、車が入れない細い路地へ逃げ込む。

 なぜか海外ドラマに出てきそうなボックスタイプのゴミ箱があり、ここ本当に日本?という疑問が脳内で点滅する。


 右へ、左へ。

 めまぐるしく曲がりながら、俺たちはどこかの店の裏手にある駐車場に飛び出した。


 当然ながら見覚えのない場所だ。

 というか、日常の景色と似てるのに“どこでもない街”に迷い込んだ感覚がよぎる。


 先を行っていたマーカスは、周囲をきょろきょろと見回し、なにかを探しているようだった。


 俺はといえば──息も絶え絶え。

 学生以来だぞ、こんな全力疾走。


 なのに隣のイケオジスーツ男は汗一つかいてない。息も乱れてない。


 バケモンかよ……。どんなスタミナしてるんだ……?


「リチャード! こいつがいけそうだ!」


 マーカスが手を上げる。

 そこにはここらでは滅多に見ないアメ車が彼の横に鎮座していた。


 イケオジ、リチャードって名前なのか……なんとなく、納得できる名前だな……。

 思わずそんな的外れな感想が漏れる。


 ぐい、と腕を引かれ、俺も車へと連れていかれる。


「え? いやいや、そろそろ帰らせてくださいませんかね!? 僕、ただの会社員なんですけど!?」


 口を開いた瞬間──


「よし、開いたぞ!」


 マーカスの声が俺の言葉を押し流す。

 そのまま、ムキムキマッチョの彼はさっさと運転席に乗り込み、俺は後部座席に“放り込まれた”。


「うおっ……!」


 抵抗は?

 もちろんした。したけど──リチャードの腕力がエグすぎて無理だった。

 ちょっと細いとはいえ、大の大人を軽々と持ち上げられるってどういうことだ。


 そのまま、リチャードは助手席へ。

 マーカスはバイザーやダッシュボードを手当たり次第に開けて、キーを探している。


 わかるわかる……映画でよく見る……でもキーってだいたい無いんだよな……。

 となると。


 予想通り、キーは見つからないらしい。

 マーカスは無言でステアリング下のカバーをベリッと外した。


 そこから引っ張り出したコードを二本──

 むき出しの銅線同士をバチバチと擦り合わせる。


 でたぁぁぁぁ!! このシーン!!


 すると。


 ブルルルルン!!


 エンジンが掛かった。


「よし!」


 よし、じゃないが。

 いや、凄いけども。


「早くだせ。連中、まだ諦めてないみたいだぞ」


 リチャードの渋い声に、ピタリと合わせるように、さっきの追手の車が駐車場の入口に現れた。


 あそこ、出口でもあるんだけど。完全に塞がった。


(どうすんの、これ……?)


 俺が呆然とする間に、マーカスはガコガコとシフトレバーを雑に動かし、アクセルを踏み込んだ。


 クラッチ操作とか……どうなってるんですかね!?


 スキール音を響かせながら急発進したアメ車が、信じられない勢いで前に飛び出す。


 俺は後部座席で死に物狂いでシートにしがみついた。


 目の前には──金網。


「ちょっ、ま──」


 ガシャァァァァン!!


 驚くほど簡単に突き破るアメ車。

 金網が後ろへぶっ飛んでいくのを視界の端で見ながら、車体は大通りへと踊り出た。


 片道三車線、計六車線の巨大道路。

 え、うちの近所にこんなバカでかい道あったっけ?


 疑問を抱く暇もなく、車は激しく蛇行しながら前の車を抜かしていく。

 後ろには追ってくる黒い車列──いや、増えてる。完全に増えてる。


 おいおいおいおい、勘弁してくれ!!

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