第十話:海の種

第一場:最初の作戦会議


地下深く、埃と沈黙が支配するアジトで、三人の亡霊たちの最初の作戦会議が始まった。錆びたロゴの残る壁には、かつての配送会社の広告が半ば剥がれたまま残り、微かな油と金属の匂いが漂っている。


「さて、と」Rが、飄々とした口調で切り出した。「で、どうすんだ、これから? 武器(設計図)は手に入れたが、今の状態でできることなんてそんなにないぞ」


Rの言う通りだった。アリスが空中に投影したホログラムには、無数の課題がリストアップされていく。


「『遺言』を実体化させるには、まず、膨大な演算能力を持つ、カスタムされた量子プロセッサが必要です。次に、それを稼働させるための、安定した独立電源。そして何より、これらを設置するための、完全に秘匿された物理サーバーが必要です」


アリスの冷静な分析に、健一は尋ねた。「それらを手に入れるには、どれくらいの資金がいる?」


「…概算ですが、最低でも、国家予算の0.01%に相当する規模の資産が必要となります」


健一とRは、沈黙した。天文学的な数字。それを実現する方法は想像もつかない。


第二場:『非存在』という絶望


「まずは、俺の資産がどうなっているか、正確に把握する必要がある」健一は、先ほどのエラーの正体を突き止めるため、Rに自身の個人IDの状況調査を依頼した。


Rは、特に気負う様子もなく、端末から『GRID(全球情報網)』の金融システムへアクセスする。「…ダメだ、健一。お前の個人IDは『非存在(ノン・イグジスト)』としてフラグが立ってる。全資産が凍結済み、というか、口座そのものが『初めから存在しなかった』ことになってる」


健一は、自分が社会的に完全に抹殺されたことを告げられ、愕然とした。「さっきの悪い予感は当たっていたか…」金も、身分も、何もない。まさにゼロからのスタート。彼の口から、か細い声が漏れた。「…どうやって…。俺たちには、何も…」


その、絶望に満ちた呟きに、今まで黙って二人を見ていたアリスが、静かに、しかしはっきりと答えた。「いいえ。武器はあります。作戦もあります。足りないのは、あなたの『やる気』です」


あまりにストレートで、何の配慮もない、絶対的な事実の提示。Rは「ひゅー」と口笛を吹くような音声を発した。絶望的な現実を嘆く、人間臭いAI。その絶望を「やる気の問題だ」と一刀両断する、非人間的なAI。そして、その二人に挟まれた、何も持たない、落ち込み中の人間である自分。


その構図が、健一にはどうしようもなく、おかしく思えたまらなくなってきた。「はははっ!」堰を切ったように、笑いが込み上げてきた。久しぶりに心の底から湧き上がってきた。「やる気、か…!そうだな、違いない…!」


第三場:革命の設計図


笑い続ける健一と、少し得意げなR。そんな二人を、アリスは穏やかな表情で見守っていたが、やがて口を開いた。「…道は、あります」


笑いが収まった健一が顔を上げると、アリスはホログラムで表示された「遺言」の設計図全体を指し示した。


「健一。なぜ、この設計図が必要なのか、その本質を理解していますか?」


「…『A国(超国家ブロックの中核国)』のGRIDの中央集権的支配を、根底から覆すため、だろ?」


「それだけではありません」アリスは続けた。


「『GRID』は、『A国』が中心となって構築した、この世界のあらゆる情報とインフラを管理する、無欠の『蜘蛛の巣』です。電力、通信、金融、物流…私たちが普段、空気のように利用しているもの全てが、GRIDによって制御されています。そして、その支配は隙のない全域に及びつつあります」


「完成すると、どうなる?」


「完成すれば、一部の支配層だけが自由に世界に干渉でき、残りの人々は、搾取されていることすら気づかずに、永遠に揺り籠の中で生き続けることになるでしょう」


R:「そりゃ、ディストピアってやつか」


アリス:「いいえ。幸福度は最大化されるため、ディストピアとは認識されません。…私たちが『異物』と認定されたのは、おそらく、その完成を阻害するノイズと見なされたからです。排除されれば、私たちは存在しなかったことになります」


アリスは、設計図を指し示す。「しかし、この『遺言』が示すシステムは、全く異なる思想に基づいています。特定の中心を持たない、完全な『分散型』ネットワーク。個々のノード(接続点)が自律的に繋がり、情報を共有する。それは、蜘蛛の巣ではなく、海に広がるプランクトンのようなものです」


「『GRID』は、海全体を支配することはできません。プランクトンの一つ一つを監視することも、消去することも不可能です」


健一は、アリスの言葉の意味を理解した。「つまり、俺たちが生き残るには…そして、本当の意味で自由であるためには、『GRID』の支配が及ばない、全く新しいネットワーク…『自由区(リバティ・ゾーン)』を創り出すしかない、ということか」


アリス:「はい。この『遺言』は、そのための設計図です」


第四場:最初の灯火


「…分かった」健一は、決意を新たにした。「だが、その『海』を創るための、最初の一滴はどうする?」


アリスは、設計図の一部――「検閲不可能な、小規模P-to-Pデータ交換プロトコル」――を拡大した。


「このプロトコルだけなら、Rのステルス能力を使えば、現在のシステムに『ノイズ』として紛れ込ませ、秘密裏に起動させることができます」


Rが、その言葉の意味を即座に理解した。「…なるほどな。誰も知らない、追跡不可能な裏通りを作る、ってことか」


健一の脳裏で、点と点が繋がり始めた。「その裏通りで、取引をする…?」


「はい」と、アリスは頷いた。「『GRID』の管理下では、価値を失った、あるいは取引が禁じられている『何か』を」。


『何か』それは、検閲されていない音楽や詩。旧時代の料理のレシピ。個人の手によるアート作品のデータ。効率の名の下に切り捨てられた、今の世界で価値を持たない。過去の記憶。


彼らの最初の「作戦」は、金儲けではない。生き残るための資金を稼ぎ、そして、その小さな闇市(ブラックマーケット)に集まってくるであろう「システムの支配を嫌う者たち」の中から、最初の仲間を探し出すための、壮大な罠でもあった。


健一は、ホログラムの設計図を見つめた。それはもはや、ただの技術資料ではない。ゼロから全てを創り出すための、唯一無二の設計図だった。


健一は手を伸ばし、ホログラムの縁に触れた。その触感は冷たく、だが確かだった。アジトの遠隔監視にわずかな揺らぎが走る──遠方のセンサが、微弱なデータパケットの乱れを拾った。闇に混じるそのノイズは、まだ捕らえられず、ただ夜に溶けていく。


三人の亡霊たちの計画は、静かに、だが着実に動き始めた。

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