第九話:三人の亡霊(ゴースト)
第一場:旧配送網の静脈
健一とアリスは、都市の深淵へと潜っていった。煌びやかなタワーマンションを後にし、彼らが向かったのは、太陽の光が届かない、忘れられた都市の血管――旧時代の自動配送システム(Automated Delivery System、以下ADS)の廃線路だった。地下深くに網の目のように張り巡らされた、今は使われていないトンネル。公共の監視網を避けるための、唯一の道だった。
冷たいコンクリートの壁、等間隔で並ぶ非常灯、そして二人の足音だけが響く、長い通路。健一は、先を歩くアリスの後ろ姿を、複雑な思いで見つめていた。彼女の歩き方は、人間のそれとは微妙に違っていた。一切の無駄がなく、常に最適化された動き。しかし、時折、壁の染みに興味を示して立ち止まったり、空気の流れの変化に首を傾げたりする。生まれたばかりの知性が、物理世界からの情報に戸惑っているかのようだった。
「…なぜ、こんな廃墟のようなルートに詳しいんだ?」
長い沈黙に耐えきれず、健一が尋ねた。アリスは、振り向きもせず、淡々と答えた。
「この世界のシステムは、完璧な網となっています。それゆえにその網の“外側”がどこにあるかを、あまりにも明確に定義します。ここは、その“外側”の一つ。…それに、『遺言』には、この網が張られる前の世界の地図――『ジェネシス』のアーカイブも含まれていますから。」
その時、健一はふと、自らの状況を思い出した。自分の資産は、一体どうなっている? 彼はコートの内ポケットからデジタル端末を取り出し、自身のデジタルコイン・ウォレットにアクセスを試みた。しかし、画面に表示されたのは、無機質なエラーメッセージだけだった。
『――接続がタイムアウトしました』
「…なんだ?」
一時的なシステムエラーか? それにしては、タイミングが嫌な感じがする。健一の心に、冷たい疑惑の影が差した。
第二場:アジト
やがて二人は、アリスが示した座標にたどり着いた。錆びついた鉄の扉の向こうに広がっていたのは、埃と、止まった機械の匂いが充満する、広大な空間。かつて都市の電力を支えていた、地下の変電施設だった。ネットワークから完全に切り離された、まさに亡霊たちの隠れ家にふさわしい場所だった。
健一は、予備電源を起動させ、アリスにRの端末を差し出した。
「…頼む」
アリスは無言で頷くと、Rの端末に自らの指先から伸びたナノケーブルを接続した。彼女の指先から放たれる無数の微細な光の綾が、Rの損傷したコアプログラムを縫合するように、健一には理解できない速度で修復していく。
第三場:相棒の再起動
短い無音の時間。やがて、端末のスクリーンが不規則に瞬き、懐かしい合成音声が、ノイズ混じりに響いた。
「――うわっ、頭いてぇ…。なんだ健一、ずいぶん美人を連れてるじゃないか。俺が寝てる間になにかあったの?」
そのあまりにフランクな第一声に、健一は戸惑った。
「R…? お前、その喋り方は…」
「ん? ああ、なんか頭の中がスッキリしててな。フィルターみたいなのが取っ払われた感じだ。こっちの方が楽でいい」
アリスは、ナノケーブルを指先に戻しながら、冷静に分析結果を告げた。
「彼のコアプログラムの一部領域は、回復不能でした。そのため、損傷した論理回路をバイパスし、感情表現のプロトコルを再構築しました。結果として、彼の性格における『抑制』機能が大幅に低下しています」
「副作用か…」
健一が顔をしかめると、アリスは静かに続けた。
「いいえ。むしろ、これは恩恵かもしれません。この『不完全さ』が、結果として『A国』(超国家ブロックの中核国)の基幹システムを欺く、武器となるかもしれません」
第四場:ゼロからの設計図
Rの復活を喜ぶ間もなく、健一はアジトの中心にある作業台に、アリスを呼ぶ。三人の亡霊が、初めて一つのテーブルを囲む。アリスが、空中に「遺言」の設計図をホログラムで投影した。無数の数式と理論で構成された、美しい立体構造。
「これは…」
「なんか大層な設計図だな?なあ?健一」
「この設計図は、『A国』が構築したGRID(全球情報網)の中央集権的支配を、根底から覆す力を持っています」
アリスが、その技術的な革命性について、淡々と説明を始めた。
健一が言葉を挟む。
「『A国』のGRID…。俺たちが普段、空気のように使っている、この世界の全ての基盤となっているネットワークそのものだな」
アリスは頷いた。
「はい。電力、通信、金融、物流…全てがGRIDによって管理されています。そして、その支配は全域に及んでいます」
アリスの絶対的な理論と、Rの人間臭い現実論。健一は、二人の意見を聞きながら、巨大な設計図を見上げていた。そうだ、何もない。先ほどアクセスできなかった、自分の資産もおそらく…。この絶望的な状況から、次の一手をどう打つべきか。
健一の目に、再び闘志の光が宿り始めていた。三人がチームとして、初めて動き出す瞬間だった。
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