第十一話:ゴーストたちの値付け
第一場:三人の食卓
旧時代の自販機が、低いモーター音を立てて、栄養補給用のジェルパックを吐き出した。健一はそれを受け取ると、アジトへ続く地下廃線路の入り口へ、重い足取りで戻る。肉体的な疲労ではない。精神の、もっと深い部分に根差した、鉛のような倦怠感だった。入口付近には、退色した配送会社のポスターが剥がれかけ、焼印の残る配達箱の破片が転がり、油と金属の匂いがかすかに漂っている。彼は、数時間前の出来事を回想していた。
(回想)
アジトに戻り、三人が初めて顔を突き合わせての作戦会議は、すぐに暗礁に乗り上げた。アリスが提示する壮大な計画と、それを実現するために必要な、天文学的なリソース。その絶対的な隔たりが、健一の思考を麻痺させた。
「…少し、休ませてくれ」
健一がそう呟いた瞬間、彼の意識は、まるで糸が切れたようにブラックアウトした。過去の精神ダイブによる負荷が、今になって彼の人間としての限界を超えて、噴出したのだ。
「おい、健一! しっかりしろ!」
遠のく意識の中、Rの焦った声が聞こえた気がした。
健一が目を覚ましたのは、数時間後だった。アジトの片隅で、硬い仮眠ベッドに横たわっていた。
「…目が覚めたか、キャプテン」
Rの声がする。見ると、Rの端末とアリスが、何かの作業をしていた。
「昨晩のバイト代だ。受け取ってくれ」
Rが、健一のモバイル端末に、少額の暗号資産を送金してきた。追跡不可能な、クリーンなデジタルコインだった。
「バイト…?」
「ああ。旧時代のデータ認証作業(CAPTCHA)をクリアしてきたのさ」
「キャプチャ…? ああ、あの歪んだ文字の…そんなものが、まだ金になるのか?」
健一の素朴な疑問に、アリスが補足する。
「はい。現代のAIは隙のない論理に最適化されすぎて、逆にあの種の『不完全なノイズ』の解読を苦手とします。ですが、コアが損傷したRの思考パターンは、皮肉にもそれに酷似しているのです」
R:「俺、バイトの天才かもな」
(回想、終わり)
アジトに戻ると、Rとアリスが彼を待っていた。健一が買ってきたジェルパックをテーブルに並べる。三人が初めて囲む、奇妙な食卓。アリスはエネルギーを直接チャージするだけだが、人間の食事風景を興味深そうに観察している。Rの軽口と、健一のぎこちなさが交差する、静かで、しかし確かなチームとしての最初の時間が流れていった。
第二場:最初の仕入れ
食事の後、改めて作戦会議が始まる。Rが稼いだ虎の子の資金を元手に、最初の「商品」を仕入れることに。Rが見つけ出したのは、物理媒体入りの貴重な音源データを、偽装出品しているコレクターだった。ファイル名は『System_Diagnostics_Audio_Log_7B』。ただのシステム診断音のアーカイブファイル、として出品されている。
「だが、データ構造を解析した結果、中身は全くの別物だ」とRは言う。「21世紀後半…Radioheadとかいうバンドの、未発表セッション音源らしい。奇跡的に、物理媒体からデジタル化されたオリジナルデータだ」
購入は、一瞬で終わった。配送先は、アジト近くの放棄された居住ユニットに指定された。
第三場:廃墟の二人
健一とアリスが、物理的にその居住ユニットへ赴き、配送された小さなパッケージを回収するミッション。GRIDの監視ドローンが巡回する中、息を殺して廃墟ビルに潜入する。ほとんど会話はないが、目線やジェスチャーで合図を送り合う。健一は、隙のない動きを見せるアリスに驚きつつも、彼女が人間ではないことを再認識し、複雑な気持ちを抱いていた。
無事に小さなパッケージを回収し、アジトへの帰路につく。張り詰めていた緊張が解け、二人の間にわずかな安堵と、ミッションを成功させた「共犯者」としての一体感が芽生えていた。
第四場:魂の価格
アジトに戻り、回収したデータクリスタルをシステムに接続する。そして、三人はついに自分たちの闇市――ゴーストマーケットを、世界のシステムの片隅で、静かに起動させた。
最初の価格設定。商品第一号は、回収してきたRadiohead『OK Computer』の未公開セッション音源だった。
「さて、値付けだな」とRが言った。「データの希少性とサイズから計算すると、まあ、これくらいが妥当だろ」
Rが、論理的な価格を提示する。しかし、健一はその音源のジャケット写真に触れた瞬間、心のどこかが疼くような、胸の奥がきしむような既視の感覚を覚えた。その感覚に導かれるように、彼はRの提示額よりも高い、キリの悪い数字を口にした。Rは「素人が」と呆れたが、その価格で出品すると、驚くべきことに、数分で買い手がつき、取引が成立した。
続いて、Metallica『No Life 'til Leather』のマスターテープ音源。「これはただのノイズだぜ?」とRが低めの価格を付けるが、健一はその荒々しいギターリフを数秒聴いただけで、「いや、もっと出す奴がいる」と、またも高い価格を提示し、これも売れてしまう。
さらに、大友克洋『AKIRA』の原画スキャンデータ。健一には、なぜその価格が正しいと感じるのか、全く説明できない。ただ、その作品に触れると、遠い昔に忘れてしまった大切な記憶をなぞるような、甘くも切ない疼きが込み上げ、自然と「価格」が浮かんでくるのだった。その価格は、常に市場の需要と一致していた。
「…お前、なんなんだよ」
Rとアリスは、健一のこの不可解な能力に、驚きと興味を隠せない。健一は、価格設定の担当となった。
第五場:値付けできない音楽
次に仕入れたのは、Bob Marley & The Wailers『Exodus』の未公開マスター音源だった。三人は、その魂を揺さぶるような、生々しいグルーヴとメッセージに、しばし聴き入った。
しかし、価格設定の段になり、健一は黙り込んでしまう。彼は、この音楽に対して、どうしても「価格」というラベルを貼ることができない。悩んだ末、彼はマーケットの常識を遥かに超えた、ありえないほどの法外な価格を設定した。
「おいおい、本気かよ! 誰も買わねえぞ!」
Rは反対したが、健一は「これ以下にはできない」と譲らなかった。結局、その価格で出品されたが、Rの言う通り、その音源だけは全く売れる気配がなかった。
第六場:同志の影
ボブ・マーリーは売れないものの、マーケット自体は順調に成長していく。計画通り、アリスは仲間候補をおびき寄せるための「罠」であるジェネシスのソースコードを、マーケットにアップロードした。
数日後、一人のユーザー「イカロス」が、そのコードに異常な執着を見せ始めた。彼は、そのコードを熱心に解析し、マーケットの秘匿チャットで「このコードのアーキテクチャは、まるで神話時代のものだ…誰か、これの完全版を知らないか?」と問いかけ始める。三人は、最初の仲間候補がコンタクトしてきたと確信する。
「こいつは本物だ。だが、本物すぎて逆に危ねえ。GRIDの罠かもしれん」とRは言う。
「彼の行動パターンと思考の痕跡を分析しました。我々の理念と同調する確率は98.7%。接触する価値はあります」とアリスは分析する。
健一は、決断した。自分と同じように、システムの根源にある「真実」を追い求める魂が、この世界のどこかに、まだ残っているはずだと。
「…接触する。俺が話す」
健一は、Rのステルス機能に守られながら、「イカロス」に最初のメッセージを送る。それは、『静かの海』の中の一節だった。
メッセージは送信された。返信が来るのか、それとも罠が作動するのか。三人は、空調の微かな残響の中、画面を見つめて次の瞬間を待った。
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