第4話 機械の身体
他人をうらんだりねたんだりひがんだりうらやんだりやっかんでもなんの足しにも、腹の足しにもならないことは重々承知しているが、このような不平等な状況でこのような負の感情を完全に脳みそ・腹・魂・その他に持たない人間なんてすでに人間じゃない。もうアストラル体になっているか機械の身体を手に入れたヤツだろう。
明らかにスタート地点がマイナスから始まって、そのマイナスを埋めるのに必死になっている間にスタート地点がプラスのやつらはどんどんプラスを増やしていくだけの不公平格差レールウェイ人生システム。その一方的なシステムに必死になって抗っても、差は広がる一方で必死にがんばって生きるのが馬鹿らしくなっても、仕方がないことなのではないですか?ねえ、まだアンドロメダ星雲に行ってタダで機械の身体をもらってないんだから。まどろみながら、思考はあちこちに飛ぶ。
音もなく進む汽車の行方の西の空に、真珠星(スピカ)が青白く、瞬いているのがおぼろけに見える。乙女の持つ麦の穂先にあたるこの星は、1つに見えるが連星として知られる。お互いの重力に惹かれあい、どうみても1つにしか見えない光を2つに分ける意味はあるのだろうか。
物質的な豊かさが「ほんとうの幸せ」ではないんだからそう悲観するものではない論も存在するし、たしかにその通りだとは思うときもあるが、今の世の中はやはり「幸せ」という概念自体がなんとなく「男女(もしくはそれに類するもの)のツガイ」を作るところから、始まっているような気がするし、食堂の席ですら、ひとりで座るのは気が引けるような作りになっているんだから、だいたいのことは常々「ヒト+ヒト」の1組を最小単位として、この世の中が動いているような節があるので、この最小単位の公式に乗っ取らずにおっさんがひとりで「ぼくわ、しあわせだなあ」なんてつぶやいていたら、周りの人は「あいつヤケクソになったな」としか思わないだろうし、たぶんそいつもヤケクソで言っているだろうし。
そんな「おふたりさま=シアワセ探求資格あり」「おひとりさま=ヤケクソヤケッパチ」な世の中だから「ほんとうの幸せ」とは「男女(もしくはこれに類するもの)の1組を最小単位としワレと他者及びその類するものとの精神・肉体を両輪とした深い交流」の中に見えてくる(ような気がする)ため、この幸せの最低条件「ツガイ」になるためのパートナーの質と量を確保し「シアワセ探求資格」を担保するには、やはりある程度の物質的豊かさが絶対的に必要だと思われる。
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