第10話 ライバルの秘密①
「あんたにはわかんないわよ――――――――――!!」
鼓膜が破れそうになるほどの絶叫に、リンは思わず耳をふさぐ。
「あんたはいいわよねぇ!? 婚約者に愛されているし、何かあったらそうやって、いろんな男に助けてもらえるんだから。おまけに『神竜の巫女』? 世界に選ばれし者? だというのにあたしは……あたしの婚約者は、あんな――あんたばっかり恵まれていて不公平だわ! ちくしょう、どうして。どうしてあんたばっかりぃ……!! このままじゃあたしの人生おしまいよぉおお!!」
セイラは床に座り込むと、子どもみたいにわんわんと泣き出した。
これではまともに話もできない。
「オルトリンデ様。どうしましょう、これ」
「うーん……」
リンは落ち着くまでセイラの背中をさすってやることにした。幸い、ヒルデブラントの対応で慣れているため、小さな子どもの相手は得意だ。
それにしても、セイラが泣いて嫌がる婚約者とはどのような人物だろう。今思うと、彼女の今までの行動にはどこか焦りのようなものがあった。
「ねえ、何か困っていることがあるなら話してくれない? わたしでよければ聞くわ。もしかしたら解決できるかも」
「うぅ……」
泣き疲れて静かになったところで、リンはセイラにハンカチを渡す。優しく声をかけると、彼女は鼻をすすりながら少しずつ過去を語り始めた。
「……あたし、結婚したくない」
◇◇◇
セイラ・マーキュリーは第三王国の伯爵令嬢だが、実は育ちがよくない。皆が噂しているように、彼女の母は娼婦で、貴族の愛人をしていた。
幼い頃のセイラは母とともに娼館で暮らしていた。しかし、母が重い病気にかかって働けなくなると、親子ともども追い出されてしまう。
『あなたのお父様は貴族なのよ。今はこんな暮らしをしているけれど、いつか絶対、迎えに来てくれるからね』
路上暮らしを余儀なくされる中、母はいつも父の話をしていた。
かつては高級娼婦として人気だったらしいが、病を得て以降、母の自慢の美貌は見る影もなくなっていた。それでも、彼女は希望を捨てていなかった。過去の栄光を恍惚とした表情で語る母のことを、セイラはずっと馬鹿にしていた。
――いい年して、いつまでも夢見る乙女みたいに。こんな汚らしい親子に迎えが来るわけないじゃない。
それよりも、今日食べる物の方が重要だ。
現実から目をそらし続けた母は、案の定すぐに命を落としてしまった。肉親の死を目の辺りにしてもセイラは何も感じなかった。
それよりも、これからの身の振り方を考える必要があった。いつまでも薄暗い路地裏でくすぶっていたくはない。孤児院に助けを求めるのも悪くないが……。
『あなたのお父様は貴族なのよ』
ふと、母が繰り返し語っていた言葉を思い出す。
貴族。
つまりはお金持ちだ。
母の言うことはずっと話半分で聞いていたが、セイラが本当に貴族の娘なら、娼館にいたころよりも贅沢な暮らしができるかもしれない。
「……仕方ないわね」
セイラはこっそり隠し持っていたお金と、わずかな情報だけを頼りに父の元へ向かった。
――今思うと、この選択は大いに間違っていた。
◇
セイラは運よく父親の元にたどり着き、無事に伯爵家の一員として受け入れられた。
とはいえ、歓迎されていたとは言い難い。初めて父と会った時、自分とよく似た顔が面倒くさそうに歪められたことを覚えている。でも父は慈善家として有名だったから、世間体のために受け入れざるを得なかったらしい。
父だけでなく、正妻やその子どもたち、さらには使用人たちまでもがセイラに冷たい視線を浴びせた。特に二人の異母姉は意地悪で、ことあるごとに嫌がらせをしてきた。わざと足をひっかけて転ばせたり、お気に入りのドレスを破いたり……数えればきりがない。
一カ月後には、早くもセイラは伯爵家に来たことを後悔していた。
けれども、一度伯爵家の一員となってしまった以上、出ていくことは難しい。最初は渋々セイラを受け入れた父は、娘の美貌に利用価値を見出した――政略結婚の道具として。
それからは立派な淑女になるための教育が始まった。
歴史や外国語の勉強、テーブルマナー、刺繍や楽器の演奏、ダンス。
残念なことに、セイラはどれも壊滅的に出来が悪かった。本人は十分頑張っているつもりだが、結果が伴わない。数多の教師に匙を投げられ、父は呆れ、義母や異母姉たちには馬鹿にされた。セイラ本人もすっかりやる気を失ってしまう。
もう何もかも投げ捨てて逃げ出したい。そう思い始めていた時、突然父が亡くなった。
――これでようやく開放されるわね。
家は年の離れた異母兄が継ぐという。彼は仕事の都合で滅多に家へ帰ってこないため、セイラと顔を合わせたことはなかった。でも、彼だってセイラにはよい感情を持っていないだろう。早々に異母妹を追い出そうとするはずだ。
葬式中はこみあげてくる笑いをこらえるのに必死だった。
しかし――
葬式が終わってしばらくたった頃、セイラは異母姉二人に呼び出される。
「喜びなさい、セイラさん。あなたみたいな落ちこぼれと結婚したい、という奇特な殿方が現れたの」
「はぁ?」
結婚など寝耳に水だった。
しかも、驚いたのは相手の年齢である。死んだ父よりも年上なのだ。異母姉たちはそんな相手と、まだ年若いセイラを結婚させようとしている。
「……っ」
目の前が真っ暗になる。
自分より遥かに年上の、女好きで何度か離婚歴もある、家名ばかり一丁前の貧乏貴族――冗談じゃない。
異母姉たちは、青ざめるセイラの様子をにやにやと眺めている。
「あなた、顔だけはいいものねえ。肖像画を送ったらすぐに食いついてきたの。結構お年を召した方だけど、あっちの方はお元気みたいよ」
「あらやだ、お姉さまったら。言っておくけど、すぐに逃げ出したりしないでよね。邪魔な小姑が家にいたら、お兄様や私たちの結婚にまで支障が出てしまうもの」
(こ、こいつら……!!)
異母姉たちはセイラを追い出すよりも、嫌がらせをしてあざ笑うことを選択したのだ。セイラは歯を食いしばって二人を睨みつける。
「まあ、何よその目。見て、お姉さま。この子ったら、私たちが持ってきた婚姻に不満があるみたい」
「身の程知らずねえ」
二人は顔を見合わせてくすくすと笑う。彼女たちの癇に障る態度がセイラの怒りに火をつけた。
そっちがそのつもりなら、こっちにだって考えがある。ジジイよりも良い条件の相手を見つけて、この馬鹿げた縁談を破談にしてやるのだ。
――今に見ていなさい。あんたたちよりも家柄がよくて、かっこよくて、お金持ちの婚約者を捕まえてやるんだから!!
学園入学直前の出来事である。
◇
それから、セイラは学園で結婚相手を探し始めた。
美男美女の両親から生まれたセイラは、自分の可愛さに自信があった。だから相手もすぐに見つかると思っていた。
だが、現実はそううまくはいかない。条件のよい男は皆、すでに婚約済みだ。
それならば、と略奪を試みても、セイラなびくような男たちは、いざ婚約者を捨てろと迫られると、急に及び腰になる。女遊びはしたいが今の立場は捨てたくない、そんな無責任な相手が多くて無駄に時間を浪費してしまった。
次第に学園内でセイラの悪評が流れ始め、異性と接触することすら難しくなってしまった。卒業までに相手を見つけなければいけないのに、どうすることもできない。焦燥感ばかりが募っていく。
神竜王ヒルデブラントの婚約者が入学したと聞いたのは、そんな時だ。
それまでのセイラは、神竜王の存在を信じていなかった。だって、本当に世界を守護してくれているのなら、自分のように飢えて路上暮らしをする人間なんていないはずだ。目の前に現れたらぶん殴ってやろう、と思ったことすらある。
でも、婚約者がいるということは、神竜王は本当に実在するのだ。すなわち、世界で一番偉くてお金持ちの男――結婚相手としてはこれ以上ないほどの好条件だ。
セイラは早速神竜王の婚約者に会ってみたが、どう見ても自分の方が容姿は上である。富や名誉に執着しないタイプに見えたし、本人も勝手にすれば、と言っていたので簡単に奪えると思った。
だが、結果は……。
もうセイラの人生はおしまいである。
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