第9話 ライバルとの対決②

「……なるほどね。『それ』が例の無礼者か」


 床に転がって悶絶しているセイラの姿を、ヒルデブラントは無感情な瞳で見下ろす。 


「おい、人間。お前、僕に会いたがっていたそうだね」


 両手で顔を覆ったまま、セイラはこくこくと頷いた。


「それで? お前は僕に会ってどうしたかったわけ?」


「そ、れは……」

 

 セイラは言葉に詰まってしまう。いくら面の皮が厚い彼女でも、真っ正直にあなたの婚約者の座を狙っています、とは答えられないようだ。

 言いよどむセイラを見て、ヒルデブラントは面倒くさそうにため息をつく。さらに周囲の気温が下がり、部屋の中に冬が訪れたのかと錯覚するほどの寒さになった。


「じゃあ本当に、ただ会いたかっただけ? ……あのね。お前は知らないかもしれないけど、僕はいつも忙しいんだよ? それでもリンに早く会いたいから、こうして時間を作っているわけで。それなのにどうして、いきなり押しかけてきた無礼者の相手をしなくちゃいけないのかな」


「あ、あの……あたし……」


 さすがにセイラも身の危険を感じたらしい。体中の震えが止まらなくなった彼女に、ヒルデブラントは虫けらでも見るような視線を向ける。


「お前――僕とリンの貴重な時間を邪魔したんだ、ただで済むと思うなよ」


「ひっ……!」

 

 セイラが息を呑んだ。喘ぐような悲鳴が彼女の喉からこぼれる。

 リンは慌ててヒルデブラントとセイラの間に割って入った。これ以上セイラをこの場所に留めておくわけにはいかないだろう。


「ごめん神竜様。この子、そろそろ帰らなくちゃいけないの。だから連れていくわね」


「ちょっとリン。今、僕は彼女と大事な話をしていて――」


「後で聞くから! ほらセイラ、行くわよ」


「う、うん……」


 リンはセイラの腕を掴んで立たせると、肩を貸してあげながら部屋から連れ出した。


   ◇◇◇


 帰りの馬車に乗せられたセイラは、安全地帯に入ったとわかった途端、リンに文句をぶつけてくる。


「あぁ、怖かった……死ぬかと思ったわ。眩しいし、寒いし、息ができなくなるし――ちょっと、神竜様があんなにおっかない人だったなんて、聞いてないわよ! なんでもっと早く教えてくれなかったの!?」


「いや、だってあなた聞く耳持たなかったし……」


 先程恐怖に震えていたのが嘘みたいなやかましさだ。


「特にあの輝き! まさかまともに顔を見ることすらできないなんて! あんたはアレ、平気なの?」


「わたしは大丈夫。光っているのはわかるけど、全然眩しくないわ」


「けっ。さすがは『神竜の巫女』サマ。私は選ばれた人間です、ってか」


「そんなこと一言も言っていないでしょう?」


 セイラはだらしなく背もたれに寄りかかると、わざとらしくため息をついた。恨めしそうにリンを睨みつける。


「あーあ、今回の作戦は失敗だわ。神竜様はあんたのこと大好きみたいだし、あたしの入り込む隙はなさそう。そもそも物理的に近づけないし……まあ、別にこの世界には他にもいい男がいっぱいいるし? 仕方ないから神竜様のことはあきらめてやっていもいいわよ?」


 なぜか上から目線だ。全く懲りていないらしい。


「あなたまだこんなこと続けるつもり? やめた方がいいと思うけど」


「うるさいわね。あんたには関係ないわよ」

 

 リンはセイラの行く先が少しだけ心配になったが、彼女は聞く耳を持たない。

 とはいえ、これでリンがセイラに絡まれることはなくなるだろう。一安心、といったところか。


 だがこの問題児は、その後再び騒ぎを起こした。


   ◇◇◇


「――まあ。それでまた外出禁止に?」


 セイラの突撃訪問から一週間後。

 学園の中庭にあるベンチで、リンはミレイユと語り合っていた。


「そうなのよ。本当に大変だったわ」

 

 あの後、セイラを帰らせたリンはすぐにヒルデブラントの部屋に向かった。


 セイラを連れてきたことをまだ怒っているのでは、とリンはひやひやしていたが、出迎えてくれたヒルデブラントの様子は穏やかだった。安心したリンがいつも通り彼の隣に座ると、ぎゅっと抱き着かれて身動きが取れなくなってしまった。

 曰く、邪魔が入ったせいでリンと触れ合う時間が足りなかった、とのこと。このままでは公務を頑張れないから、と言われてしまったら、邪魔者を連れてきた罪悪感もあり拒絶することができなかった。


 そして、一度許してしまうとヒルデブラントは調子に乗る。彼がリンをそばから離したがらなくなったせいで学園にも行けず、公務にまで付き添う羽目になった。

  

 ヒルデブラントのことは嫌いではないが、さすがに四六時中そばにいると疲れてしまう。ようやく学園に来ることができてリンはほっとしていた。

 特にミレイユの顔を見ると、懐かしくて涙が出そうになる。彼女の行動には困ることもあるが、セイラと比べたら全然かわいいものだ。


「で、殿下! 大変です!」

 

 おしゃべりに夢中になっていると、ロベールがミレイユの元へ駆け込んでくる。そういえば、今日は彼の姿を見ていなかった。


「どうかしたの、そんなに血相を変えて」


「それが……例の令嬢らしき人物が、ヴォルフラム殿下とともに裏庭へ向かって行きまして……」


「なんですって!?」

 

 リンは思わず立ち上がる。


 ――あの女、性懲りもなく人の婚約者を狙おうとして。


 ふつふつと怒りがこみあげてくる。 

 ヒルデブラントが駄目だったからといって、すぐに別の標的を見つけるとは。しかも、相手はミレイユの婚約者だ。大切な友人を傷つけようとするなんて、許しがたい。


「どうします殿下、乗り込みますか」


 横目でミレイユの様子を窺うと、彼女は両手で口を押さえ、顔を青ざめさせていた。リンは安心させるかのように、ミレイユの肩に手を置く。


「ロベール」


「は、はい!」


 リンの呼びかけに、ロベールは背筋を正した。


「わたしが代わりに行くわ。案内してもらえる?」


「オルトリンデ様が?」

 

 困惑するロベールにリンは微笑みかける。そこには、有無を言わせない迫力があった。


   ◇


 薄暗い校舎の裏庭。人目を忍ぶかのように一組の男女が密着している。


『君、少し距離が近くないだろうか』


『えー、そうですかぁ? これくらい普通ですよぉ』


『そ、そうなのか……それで、僕に相談したいこととは何だい?』


 ――見つけた。


「セイラ・マーキュリー!!」


「うげっ、あんたは!?」

 

 リンの顔を見るなり、セイラは露骨に嫌そうな顔をする。

 リンは二人の元へずかずかと歩み寄っていくと、セイラを乱暴にヴォルフラムから引きはがした。その勢いでセイラは転倒してしまう。


「ちょっと、何するのよ!?」


 地面を転がったセイラは、よろよろと体を起こす。そんな彼女を、リンは仁王立ちで見下ろした。


「あなた、いい加減にしなさいよ。婚約者のいる男性にばかり手を出そうとして……そんなことして何が楽しいの?」


「……僕、狙われていたのか?」


 ヴォルフラムはセイラの魂胆に気づいていなかったらしい。鈍感さが幸いしたようだ。

 とはいえ、これ以上被害者を増やさないためにも、セイラにはここで灸をすえる必要がある。


 痛みのせいか、セイラは涙目で喚いた。


「だって、仕方ないでしょ! 条件のいい男はもう、みんな相手が決まっているんだもの。それを手に入れるためには奪うしかないじゃない!」


「あなたねえ……」


 セイラの勝手な言い分に、リンは顔を顰める。


「あなたはそれでいいかもしれないけど、婚約者を奪われそうになった人たちはどうするのよ。傷つくかもしれない、とか考えないの? この学園の令嬢たちは皆、あなたが婚約者に言い寄ったりするせいで不安な気持ちになっているの。あなたがこんなことしなければ平和に過ごせていたのに――だいたい、あなたにだって婚約者がいるのでしょう? 人から奪おうとする前に、まずは現状で満足する努力をしたらどうなの」


 婚約者の存在に触れた途端、セイラの目の色が変わる。彼女は無言で立ち上がると、ゆらゆらとリンに近づいていき――拳で顔面をぶん殴った。


 先程のセイラよりも勢いよく、リンは地面に叩きつけられる。


「痛……っ」


「オルトリンデ様!!」


 慌てて駆け寄ってきたロベールが助け起こしてくれるが、自分の身に何が起きたのか、リンはすぐに理解できなかった。左の頬がじんじんと痛む。

 ヴォルフラムもリンの元にやってきて、ハンカチを貸してくれた。口元を拭うと血が付着する。道理で鉄のような味がするわけだ。


「くっ……油断したわ」


 最初に感情的になってしまったのはリンの方だが、まさか反撃されるとは思わなかった。しかもパーでなくグーだ。


 暴力を振るったにもかかわらず、セイラは不自然なほど静かだった。下を向いているため表情はよく見えない。だが、かすかに何か言っているのが聞こえた。


「……よ……」


「え、何?」


「あんたにはわかんないわよ――――――――――!!」


 突然、セイラが絶叫した。

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