第8話 ライバルとの対決①
次の授業の教室に向かうため、リンは学園の廊下を歩いていた。
うんざりとした顔でため息をつくと、護衛のナンナが声をかけてくる。
「オルトリンデ様、お疲れっすね」
「まあ、そうね……」
突如襲来したセイラの宣戦布告より、早一週間。
――神竜様の婚約者の座、あたしがいただくわ!
というセイラの挑発に対して、リンはやる気のない返事をしてしまった。
「……ああ、うん。勝手にすれば」
しかし、それが余計にセイラの対抗心に火をつけてしまったようだ。リンとしては、真面目に相手をするべきではないと判断したのだが……。
「ちょっと、何なのよその態度! あんたの婚約者を奪うって言っているのよ? もっと焦りなさいよ」
「うーん。絶対に無理だと思うけれど……まあ、やれるものならやってみたら」
「きぃ――!! むっかつくぅ!!」
地団太を踏んで怒りをあらわにするセイラは、まるで小さな子どものようだった。
「何よ、余裕ぶっちゃって! 今に見てなさい、そのすました顔を歪めてあげるんだから! 神竜様だって、すぐにあたしの虜になるわ!! だからほら、早く神竜様に会わせなさいよ。今、すぐに!」
「えぇ……」
それ以来セイラは毎日のようにリンの元へ押しかけてきて、神竜様に会わせろ会わせろとうるさかった。ヒルデブラントは忙しいからそう簡単には会えない、と伝えているのだが聞き入れやしない。
「これ、本当に会わせてあげるまで続くのかしら……」
そう考えると、頭と胃が痛い。セティに頼めば薬をくれるだろうか。
「まあまあ。こういう時は楽しい話でもして気を紛らわせましょう。聞いてくださいよぉ。この前、神官長がすごく年寄りくさいこと言っててー。椅子に座る時に『どっこいしょ』って――」
「ふん、ずいぶんとしけた面をしているな」
前方から、見覚えのある顔が現れた。
「うわ、出た」
「なんだその物言いは! 人を化け物扱いするなんて、相変わらず失礼な女だ」
リンの言葉にぷんすかと憤っているのは、ミレイユの双子の兄・ルイだ。彼はいつものように大勢の取り巻きを引き連れ、ぞろぞろと廊下を歩いてきた。
ルイの容姿はミレイユに瓜二つだが、常に眉根を寄せて気難しそうな表情をしているため、せっかくの綺麗な顔も台無しである。実際、彼は疑り深く攻撃的な性格をしているため、取り巻きも頻繁に入れ替わっていた。
もっとも、ミレイユが過去に暗殺されそうになったことを考えると、ルイ自身も何度か危険な目に遭っているはずだ。彼がピリピリしているのも仕方のないことだと思う。
とはいえ、リンとしては、ミレイユに執拗に絡んでくることは許しがたい。彼女を庇うため、リンはルイと頻繁に口論を繰り返している。
なお、勝つのはいつもリンの方だ。彼女がヒルデブラントの婚約者であることをわかっていて喧嘩を売ってくるのだから、ルイもある意味大物かもしれない。
「悪いけど、今日はあなたの相手をしている余裕はないの。セイラ・マーキュリーのせいで疲れているんだから……」
ルイを追い払おうとした後でふと、セイラに関する噂を思い出した。
相手に婚約者がいても構わず言い寄っていくセイラ。特に、王族や公爵など身分の高い者を狙っているという。
「ねえ、あなたもあの娘のこと知っている?」
「む……たとえ声をかけられていたとしても、僕が覚えているとは限らないぞ。なにせ、この僕に言い寄る女など星の数ほどいるからな――ああ、思い出したぞ。あいつか」
どうやら心当たりがあるようだ。
「少し前に僕も声をかけられたな。人を見る目はあるし顔も悪くはなかったが――でも、母親が娼婦だと聞いたぞ。そのような卑しい身分の娘、次期国王たる僕にはふさわしくないね」
「……聞いた今の?」
「はい。なんかやな感じっすね」
「何様のつもりかしらね。まだ正式に指名されてはいないくせに」
リンはナンナと身を寄せ合ってひそひそ話をする。
「おい、聞こえているぞ!! ……そういえば、あの女にだって婚約者がいるそうじゃないか。この僕と二股をかけようとするだなんて、不敬にもほどがある」
「え、そうなんだ」
たまにはルイの話もまともに聞いてみるものだ。セイラの母親や婚約者の話は初耳だった。
もしかすると、ルイの態度同様に、セイラの行動にも何か原因があるのかもしれない。
◇◇◇
その日の授業終わり。
帰宅しようとしたリンは、校舎を出たところでミレイユに声をかけられた。
「オルトリンデ様。今日は天気がよいことですし、これからお茶でもどうですか。ロベールもあなたに会いたがっていますわ」
「で、殿下……おやめください……」
悪気のなさそうなミレイユの言葉を、ロベールは照れた様子で制止する。彼はリンと目が合うと、控えめに微笑んだ。
「ええっと、今日は――」
「残念だけど、先約があるから」
返答に迷っていると、何者かがリンとミレイユの間に割り込んできた。セイラである。いったいどこから現れたのだろう。約束をした覚えはないのだが。
「あ、あの、あなたは?」
人見知りのミレイユは、突然登場したセイラを警戒している。
「悪いけど、あたし急いでいるの――ほら、行くわよオルトリンデ・シュタイナー! 今日こそ神竜様に会わせてもらうんだから」
「ちょっと、何を勝手に……ごめんね、ミレイユ。また今度」
リンはセイラに腕を取られ、引きずられていく。ナンナが引きはがそうと試みるが、セイラは信じられないくらい力が強かった。
◇
「ふんふんふーん」
無理やり乗り込んだ馬車の中で、セイラはご機嫌に鼻歌まで奏でている。楽しそうな彼女とは対照的に、リンの気分は最悪だった。ナンナとともに頭を抱える。
――どうしよう、これ。
ヒルデブラントは毎日必ずリンとの時間を作ってくれるが、基本的には公務で忙しい。
一方、セイラが住んでいる学園の寮には門限がある。それまでに公務が終わらなかった、という理由で帰らせることは可能だろう。だが、強引な彼女のことだ。いつまでも待つから泊まらせろ、と主張してくるかもしれない。
「神竜様って、顔もかっこいいんでしょ? 楽しみだわ」
リンの気も知らないで、セイラはうきうきと窓の外を眺めている。
悩んでいるうちに馬車は神殿へとたどり着いてしまった。
さらに運の悪いことに、今日のヒルデブラントは早めに公務を終わせたらしい。リンが帰宅したと聞きつけた彼は、光の速さで彼女の部屋まで飛んできた。
「リン!!」
ドタバタと足音が聞こえたかと思うと、勢いよく扉が開く。セイラを隠すため、リンは慌てて入口に立ちふさがった。ヒルデブラントはリンの顔を見ると満面の笑みを浮かべる。
「会いたかった……!! 聞いてくれる? 僕、今日はかなり頑張ったんだよ」
「ええっと、神竜様」
「もしかしてその人が神竜様!?」
部屋の中からセイラのはしゃぐ声が聞こえてくる。
「――は?」
その瞬間、ヒルデブラントから表情が抜け落ちた。
地の底から響くような低い声。荒れ狂う感情を押し殺したそれは、嵐の前の静けさを思わせた。周囲の温度が急激に下がる。
――予想通りの反応だ。
リンは額に手を当てる。
ヒルデブラントは、リンと二人きりの時間を邪魔されることが何よりも嫌いだった。
「……誰か部屋にいるの?」
「あー……実はその。わたしの知り合いでどうしても神竜様に会いたい、って子がいて……ついてきちゃったのよ」
「ふぅん……」
誰かを刺し殺すことができそうなほど凍てついた、氷のまなざし。
ヒルデブラントは普段、リンに対しては優しい。けれども、このように怒っている姿を見ると、やはり人ならざる存在なのだと実感する。彼の発する怒気に、自分に向けられたものではないとわかっていても、リンの背筋も寒くなってしまった。
「ごめんね。やっぱり帰ってもらうから――」
「ねえ、まだぁ? 早く挨拶させてよ」
空気の読めないセイラが、背後から声をかけてくる。
「あ、ちょっと! 今は駄目!」
リンの制止も聞かずにセイラは入口まで来てしまった。彼女はリンを押しのけると、ヒルデブラントの前に進み出る。
「こんにちはぁ。あたし、セイラと言いま――ぎゃあっ!? ま、眩しいっ」
「あぁもう、だから駄目だって言ったのに!」
セイラはヒルデブラントの姿を見るなり悲鳴を上げて、目を押さえてしゃがみ込んだ。
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