第7話 自称・ライバルの登場

「浮気だ、うーわーきー! 絶対に行かせないからね!!」


「だから違うってば! まったく、子どもじゃないんだから聞き分けてよね」


 ヒルデブラントの泣き叫ぶ声が部屋中にこだまする。


 夕食前の、ともに過ごす時間。リンがいつものように今日の出来事を報告したところまではよかったのだが、明日の授業内容を伝えた途端、ヒルデブラントの態度が豹変した。


 ヒルデブラントが駄々をこねるのはよくあることだ。しかし、今日は一段とひどい。彼は半泣きでリンの腰に抱きつくと、部屋を出ようとする彼女を妨害していた。先程から頑張って引きはがそうとしているリンだが、繊細そうな見た目に反してヒルデブラントは力も強い。


「……神竜様はいったいどうされたんですか」


 たまたま部屋を訪れたアトリが、呆れた様子で尋ねてきた。ヒルデブラントを引きずって移動しつつ、リンは答える。


「明日の授業で騎乗訓練(初級編)があるって伝えたらこうなって」

 

 騎乗するのは馬ではなく竜だ。この世界において、竜を乗りこなすことは貴族のたしなみの一つだった。

 竜は貴重な生き物のため、個人で所有することは難しい。だがリンが通う学園では、生徒一人に一体ずつ、相棒となる竜を用意していた。当然のことながらリンにも相棒がいるわけだが、ヒルデブラントはそれを知った際にも、


『僕以外の竜を相棒と呼ぶだなんて!!』


 と騒ぎ立ててひと悶着起こした。怒りのあまりリンを退学させようとしたくらいだ。支援者として学園の経営方針を決めたのはヒルデブラントのはずだが……。

 最終的に、「心の狭い神竜様は嫌い」とリンが言ったことで、彼は折れた。しかし、内心は納得いっていなかったらしい。


 リンはこめかみを押さえつつヒルデブラントに言い聞かせる。


「あのね、神竜様。わたしが乗る竜は女の子なの」


「……女の子?」


 ヒルデブラントの動きが止まる。彼は探るような目でリンを見上げた。


「うん。ピンク色のかわいい竜なの」


 しばらく逡巡していたヒルデブラントは、


「…………………………それならいいか?」

 

 と受け入れる素振りを見せた。安心しかけたのも束の間、


「うーん。でもやっぱり、僕以外の竜なんて滅びるべきだよね?」


 残念ながらまだごねるようだ。


「もう、そんなに目の敵にしないでよ。わたしの竜、ヒルデガルドって名前をつけたの。神竜様の名前からとったのよ。仲間みたいなものなんだから仲良くしてよね」


「ふぅん。僕にちなんだ名前、ねえ……なるほど。つまり、その竜は僕とリンの子、みたいなもの……?」


「いや違うけど!?」


 あまりにも突飛な発想に、リンは天を仰いだ。なんだかめまいがしてきた。


「――いや、やっぱり駄目だ。そもそもの話だけど、空を飛ぶなんて危ないじゃないか。もし落ちて怪我でもしたら……」

 

 ヒルデブラントはどうしてもリンを竜に乗せたくないらしい。彼はアトリの存在に気がつくと、鬼の形相で睨みつけた。


「神官長! 何をぼやっとしているんだ。早く学園に圧をかけて、明日の授業を今すぐやめさせるんだ!」


「あっ申し訳ありませんが眩しいのでいきなり振り向かないでもらってもいいですか」


 アトリはさりげなく視線をそらす。側仕えの神官たちは顔を布で覆っているが、それでも至近距離でヒルデブラントの輝きを浴びると眩しいようだ。


「神竜様、いい加減にしてくれる? わたし一人のために、学園に迷惑をかけるわけにはいかないわ」


「で、でも!」


「神竜様はわたしの頼みを聞いてくれないの?」


「……うぅ」


 己よりもさらに恐ろしい形相となったリンに睨まれ、ようやくヒルデブラントはおとなしくなった。床に正座してうなだれる姿は一見気の毒に見えるが、ただの自業自得だ。


「そういえば、神官長はどうしてここに?」


「少し早いですが、お茶の時間にしてはどうかと思いまして」


 そう言うと、アトリは部屋の外からお茶とお菓子を運んでくる。今日のおやつは桃のタルトだった。リンは目を輝かせる。


「これ、今聖都で話題になっているお店のものよね!」

 

 ずっと気になってはいたが、連日行列ができる人気店のため、なかなか縁がなかった。

 リンの目を盗んで立ち上がったヒルデブラントは、意外そうな様子でタルトを眺める。


「驚いたね。神官長がいつの間にか若者の流行に詳しくなっていたなんて」


「私は今でも若者ですが? こちらはセティ殿に用意していただきました。きっとオルトリンデ様の好みに合うはずだ、と」


「……セティ?」


 その名を聞いた瞬間、ヒルデブラントは忌々しそうに顔を歪め、タルトに伸ばしかけていた手を引っ込めた。基本的に人間の名前や特徴を覚えない彼だが、セティのことは何かと目の敵にしている。


「神竜様……前から言おうと思っていたけど、彼に対する態度は少しひどいと思うわ」


「リンはあの男の恐ろしさを知らないからそんなことが言えるんだ。命の恩人だか何だか知らないけど、わざわざ聖都まで追いかけてくるなんて、執着心の表れじゃないか。あの男は絶対リンのことを狙っている。断言してもいい」


「そんなわけないでしょうが……それ、食べないの?」

 

 せっかく用意してくれたお菓子を残すのはもったいないので、リンはヒルデブラントの分ももらうことにした。でも、二つも食べたら太ってしまうかもしれない。どうしてくれるのか。


「まったくもう……ただでさえ悩ましい状況だというのに、余計な手間かけさせないでよね」

 

 リンがため息交じりに漏らした呟きを、ヒルデブラントは耳ざとく聞きつけた。


「リン、何か悩みがあるの?」

 

 しまった、と思った時にはもう遅い。しょぼくれた様子から一転して、ヒルデブラントの目に不穏な光が宿った。妙に生き生きしているように見えるのは気のせいだろうか。


「遠慮せずに僕に話してごらん? それで、誰を消せばいい? もしかして、例の友人の兄とやらがまた絡んできたの? 安心してくれ、君の平穏な学園生活を妨げる存在は、僕が全部排除してあげるからね」


「消すな消すな! 神竜様が言うと洒落にならないのよ。それに、ルイの方は全然大したことないわ。子犬が威嚇してくるみたいなものだし」


「ルイの方『は』? そういえば、少し前に迷子になってリンに迷惑をかけた友人って、その男の妹……」


「そこに引っかからない! ……まったく、神竜様が一番平穏な学園生活を妨げようとしているわよ」


 危うくミレイユへ標的が向かいそうになり、リンはひやりとする。悩みというのは、他でもない彼女のことだった。


 ――ミレイユが、わたしとロベールをくっつけようとしているかもしれない。


 バラ園で迷子になって以来、ミレイユはリンと出かけると頻繁に迷子になっていた。最初はただの方向音痴だと思っていたが、何回も続くとわざとではないかと疑ってしまう。以前のようにリンとロベールが二人きりになることを狙っているのかもしれないが、ヒルデブラントに怒られて以降、聖騎士団の皆はもうリンのそばから離れようとしなかった。

 どうやら、ロベールの方は何も知らないようだ。ミレイユが行方不明になるたびに血相を変えて捜し回っている様子を見ると、気の毒になってくる。


 他にも、リンとの会話中、ミレイユはしきりにロベールへと話題を振り、強引に会話へ参加させようとしていた。

 

 リンがロベールと会うことを楽しみにしているのは事実だ。しかし、最初は舞い上がっていた心も、時間がたてばたつほど冷静さを取り戻していた。

 リンはあくまでもヒルデブラントの婚約者で、その立場を放り出すつもりはない。ミレイユも十分理解してくれていると思っていたが……。

 

 いつの間にか、リンはミレイユと顔を合わせることが憂鬱になっていた。同時に、生まれて初めてできた友人に負の感情を抱いてしまう自分のことも嫌悪している。


 ――あの子はいったい何を考えているのかしら?


 だが数日後、さらに平穏な学園生活を脅かすような事態が発生してしまう。


   ◇◇◇


「ねえ、あなたが神竜様の婚約者?」


 放課後の教室。

 ミレイユと顔を合わせる前に帰宅しようと急いで支度をしていたリンは、一人の生徒に呼び止められた。

 

 燃えるような赤毛とそばかすが特徴的な少女である。幼さの残るかわいらしい顔立ちをしているが、吊り上がった瞳とこちらを値踏みするような視線は、いかにも意地悪そうだ。

 リンの頭の上から爪先まで全身を舐めるように観察すると、少女は勝ち誇った笑みを浮かべた。彼女が体を動かすたび、ツインテールがふわふわと揺れる。


「……へぇ。『神竜の巫女』とか言われてちやほやされているから、どんなトクベツな人間なのかと思ったけど、全っ然普通の子じゃない」


「……」


 ――いきなりなんだこいつは。

 

 あまりにも無礼な物言いに、リンは閉口する。まるで自分の方が格上とでも言いたげな顔だ。


(確かに、彼女が可愛いのは認めるけど……)


 そういえば、少し前にミレイユから話を聞いた気がする。なんでも、婚約者のいる男性に言い寄る令嬢がいるとか――なるほど、これが噂の問題児か。


「……失礼だけど、あなたは何者かしら? わたしとは初対面のはずよね」


 リンが指摘すると、少女はようやく、自分が名乗っていないことを思い出したようだ。腰に手を当て、えっへん、と胸を張って自己紹介をする。


「あたしは第三王国の伯爵令嬢、セイラ・マーキュリー。庶民のあんたとは生まれも育ちも違うのよ! だから――」

 

 そう言って、リンへ右手の人差し指を突きつける。


「――神竜様の婚約者の座、あたしがいただくわ!」


「えぇ……?」


 ――これはまた面倒そうなのが現れた。

 

 リンは内心げんなりしていた。

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