第6話 縮まる距離②
「え、何。何? どうしたの」
リンは手が触れ合ったことよりも、ロベールの勢いにびっくりしていた。
「も、申し訳ありません、いきなり大きな声を出して……その、女性に触れることなどめったにありませんので……」
ロベールは耳まで真っ赤になっていた。視線はあちこちさまよい、明らかに動揺している。落ち着くために大きく深呼吸をしているが、あまり効果はなさそうだ。
リンは意外に思ってロベールの顔を見つめる。
「そうなの? あなた格好いいから女性に人気ありそうなのに」
「格好いい!? な、ななな……」
声を裏返らせると、ロベールは空気を求めるかのように口をパクパクさせた。先程までの冷静沈着な態度が嘘のようだ。
ここまでくると、恋愛経験のないリンにも察しがつく。
――この人、かなり初心では?
下手するとリン以上に恋愛耐性がない。
だが、いかにも真面目そうなロベールに経験がないことは納得できるし、そんな彼が慌てふためく様子はかわいらしいとすら思えた。
その一方で、疑問も浮かぶ。
「でもあなた、ミレイユの手は普通に触っていたわよね。あれは平気なの?」
「殿下をそのような目で見るだなんて、とんでもない!!」
先程の叫び声と同じくらいの勢いで、ロベールは食い気味に答えた。何を馬鹿なことを言っているんだと、でも言いたげな大真面目な表情だ。
「俺にとって、殿下は主であると同時に恩人なんです。殿下に取り立てていただかなければ、俺の家族は今頃路頭に迷っていたことでしょう――そのようなお方を異性として意識するだなんて、恐れ多いことです」
「な、なるほど」
別に主や恩人に恋をしても問題ないのではとリンは思うが……そこは貴族と庶民の価値観の違いだろうか。
ロベールは左目を覆う眼帯にそっと触れた。
「それに、俺は騎士としてまだまだ未熟です。恋愛に現を抜かしている暇などありません」
「そう……」
「ですが――」
急にロベールの歯切れが悪くなる。彼は一度リンと目を合わせたものの、すぐにそらしてしまう。
「なぜかあなたのことは、初めて会った時からずっと気になっていたんです。恥ずかしくて声はかけられませんでしたが……」
「っ!!」
心臓が飛び跳ねたような気がして、リンは思わず自分の胸を押さえる。
再会してからのロベールは、リンを見ても何の感慨も抱いていないように見えた。だからこちらに全く興味がないのだと思っていたのに、まさか自分と同じ気持ちだったなんて。
これではまるで、運命の出会いみたいだ。
「でも、あなたは……」
ロベールの表情に、わずかに翳が落ちる。
「あなたには、婚約者がいらっしゃるんですよね」
「……うん」
浮ついた心に、現実が重くのしかかってくる。
「そのことを知ってから、俺は自分の感情を隠し通そうと決意しました。でも、どうしてもあなたのことが頭から離れないんです。今日だって、ついあなたのことばかり目で追ってしまい……殿下を見失うという大失態を犯しました」
「そうだったの!?」
全然気がつかなかった。真面目にミレイユを警護しているのだと思っていたが、本当は彼もリンに気を取られていたというのか。
「殿下を捜している時もずっと、あなたが隣にいるのかと思うと、緊張して顔を見ることもできなくて……あなたは俺のことを愛想のない男だと思っているでしょうが、そうでもしないと本音が出てしまいそうで怖かったんです。どうか誤解しないでください」
「そんな! いいのよ、あやまらなくて。わたしの方こそ、あなたのことが気になってじろじろ見てしまったわ。とても失礼な女でしょう? ――ほら、これでおあいこにしましょう」
リンは胸の前で両手を振る。
ロベールの勢いに押されて、リンもつられて本音を口にしてしまった。
「……」
リンの言葉に目を丸くしたロベールは、しばらく考え込んでから、震える声で問いかける。
「もしかして、あなたは――あなたも俺と同じ気持ちだった、ということですか?」
「……うん」
「ああ……俺のうぬぼれじゃなかったんですね。うれしいです」
感極まったようにロベールは深く息を吐く。目を閉じて、歓喜の余韻に浸っていた。
リンもまた、秘密を吐露したことで開放感に包まれる。だが、すぐに罪悪感も襲いかかってきた。
――ああ、伝えてしまった。
ナンナから気をつけろと言われたばかりだったのに。
リンの立場を考えれば、ロベールのことは突き放すべきだ。でも、彼の悲しむ顔は見たくない。だから拒絶できなかった。
「どうしましたか? オルトリンデ様」
ロベールへ視線を向けると、彼は照れくさそうに頬を緩ませる。初めて見せてくれた柔らかい笑みに、リンの悩みはきれいさっぱり吹き飛んでしまった。
「いいえ、特に何もないわ」
リンの口元も自然と笑みを作る。きっと、これが幸せというものなのだろう。出会ってから間もないはずのロベールにこのような感情を抱くなんて、不思議でならない。
……ところで、この後どうすればいいのだろう。
リンは次にロベールへかけるべき言葉に迷っていた。
「……」
「……」
どうやらロベールも同じ状況らしい。困ったように頬をかいている。
そもそも、二人とも明確には「好き」だと言っていない。どちらも恋愛初心者であるがゆえに、自らの内に芽生えた淡い感情を、正確には理解できていなかった。
二人は困ったように見つめ合ったまま、いたずらに時を過ごしていく。
「――おう、いい身なりしているじゃねえか。金目のもん置いていけや」
「なっ!?」
気がつくと、二人はごろつきたちに取り囲まれていた。
数は全部で五人。皆薄汚い衣服を身にまとい、刃物で武装している。
「オルトリンデ様。俺のそばから離れないでください」
ロベールの雰囲気が一瞬にして張り詰める。彼はリンを庇うようにして前に進み出ると、視線をごろつきへと向けたまま囁いた。
リンはいまだに目の前の現実を受け入れられない。
(まさか聖都でこんな連中に出くわす……)
先程から、ロベールは一人で歩くなと言っていた。
だが周囲の王国ならともかく、聖都ラグナルには、ヒルデブラントの威光が行き届いているはずなのだ。リンは十年ほど聖都に住んでいるが、このような輩と遭遇することは今まで一度もなかった。
正面の、ごろつきの頭らしき男が、舐めまわすような視線をリンに向ける。
「ほう、こりゃあなかなかの上玉じゃねえか。高く売れそうだ」
「ひっ」
ごろつきの標的にされ、リンは小さく悲鳴を上げた。彼らがしているのは、リンの知らない裏社会の話だ。
「……」
リンに矛先が向けられたことで、ロベールの目に剣呑な光が宿った。彼は無言で剣の柄に手をかける。そんな彼の姿を、ごろつきたちは面白そうに眺めていた。多勢に無勢だと油断しているようだ。
「おっと、やる気か? 後ろの嬢ちゃんを差し出せばお前は見逃してやってもいいぜ」
「……断ると言ったら?」
「そうなったら力ずくで奪うまでよ!!」
正面の男はロベールに飛びかかろうと一歩を踏み出し――次の瞬間には、斬り捨てられて地面を転がっていた。遅れて血しぶきが上がる。
ロベールはいつの間にか剣を抜いていた。
「何っ!?」
「お、お頭が……」
ごろつきたちにどよめきが走る。
「ええい、怯むな! 相手は一人だ!」
今度は左右から同時に二人が襲いかかってきた。これもロベールは冷静に対処する。
まずは左側の敵を斬り上げると、すぐさま体を反転させて右側の敵も薙ぎ払う。目にも止まらぬ早業だ。
――す、すごい……!
血なまぐさい光景にも関わらず、リンはロベールの戦いぶりに目を奪われていた。体捌きは羽のように軽やかで、唸る刃は鋼鉄をも斬り裂けそうなほどに重く鋭い。これが、王国一の剣の腕前か。
「くそっ、この野郎!」
「っ、危ない!!」
ごろつきの一人が、ロベールの左側後方から襲いかかる。リンは思わず叫んだが、杞憂だったようだ。ロベールは身をひるがえすと、危なげなく斬り捨てた。
「見えないとでも思ったか――甘いな」
そして、最後の一人を睨みつける。
「残るはお前だけだが」
「ひ、ひぃいいいいい!! すみませんでしたー!!」
最後のごろつきは武器を放り捨てると、情けない悲鳴を上げながら逃げ出してしまった。
「ふん、口ほどにもない」
ロベールは呆れたように呟くと、剣の血を払い鞘に収める。それからリンの方を振り返り、心配そうに顔をのぞき込んだ。
「オルトリンデ様、お怪我はありませんか?」
「ええ……」
まだぼんやりしているリンを見て、ロベールは怯えていると判断したらしい。自らの未熟さを恥じるように謝罪してくる。
「申し訳ありません! こんなもの、あなたの目に入れるべきではありませんでしたね。あの、一応急所は外したので、生きているとは思います。たぶん」
「う、うん」
てっきり彼らは死んでしまったと思っていたが、殺さずに無力化するとは。ロベールの剣の腕前は相当なものだ。
「――オルトリンデ様、ご無事ですか!!」
ちょうどその時、騒ぎを聞きつけた聖騎士団の者たちも駆けつけてきた。彼らは地面に倒れているごろつきたちを見て、息を呑む。リンが事情を説明すると、皆の間に動揺が広がる。やはり聖都ラグナルにこのような輩が出没するのは珍しいのだ。
「ところで、あなたはロベール殿でお間違いないですか?」
聖騎士団の一人がロベールに声をかけてくる。
「あ、はい。そうです」
「我々の仲間がミレイユ殿下を保護しています。なんでも、バラ園のそばで道に迷われたとか……」
「あ」
リンとロベールは顔を見合わせた――色々あり、二人ともすっかりミレイユのことを忘れてしまっていた。
「すぐに案内いたしますね」
「すみません、お願いします!! オルトリンデ様、また今度」
「う、うん……」
ロベールは慌ただしく去っていく。助けてもらった礼を言う暇もなかった。
名残惜しく彼の後ろ姿を見送っていると、聖騎士団の者が声をかけてくる。
「オルトリンデ様。あなたもそろそろお帰りになられた方がよろしいかと。神殿までお送りします」
「ええ、わかったわ。ところでセティは?」
「今はミレイユ殿下と一緒にいるかと。あのお方を発見したのは彼なんです」
「そうなんだ。さすがセティね」
セティは昔から捜しものが得意なのだ。
聖騎士団の者に連れられ、リンは帰宅することとなった。
◇◇◇
神殿に帰るとヒルデブラントが出迎えてくれたが、彼はリンを見るなり気を失ってしまった。それもそのはず、リンの衣服にはごろつきたちの返り血が飛んでいたのだ。
意識を取り戻したヒルデブラントは、すぐに聖騎士団の面々を招集した。
「ラグナルにあのような不逞の輩が現れるなんて……お前たちの仕事は民の安全を守ることだろう? 普段何を見回っている?」
竜形態のヒルデブラントは体が大きい分、人間形態の時よりも迫力がある。怒っている時はなおさらだ。跪いて彼の話を聞いている騎士たちは皆、恐怖で肩を震わせていた。
「特にお前! 護衛のくせにリンのそばから離れるなんて、職務怠慢じゃないのか?」
矛先を向けられたセティは、胃を押さえながら謝罪する。
「も、申し訳ありません。迷子になったミレイユ殿下を捜索して、保護したものですから。オルトリンデ様にはロベール殿がついていると聞き、それなら大丈夫かと思い……」
「やかましい!! お前の主は誰だ? そのような言い訳をするくらいなら、今すぐ転職するといい――もういい。クビだ、クビ。全員まとめてクビだ!!」
「神竜様!? そんな簡単にクビにしたらダメでしょう!!」
今日ばかりはリンもなだめるのに苦労している。
怒鳴りすぎたせいだろうか。騎士たちがようやく解放された頃には、ヒルデブラントは息も絶え絶えになっていた。
「神竜様、大丈夫?」
人間の姿に戻ったヒルデブラントは、恨めしそうなまなざしをリンに向ける。
「言っておくけど、僕はリンにも怒っているんだよ。聖都は治安がいいから大丈夫、って言い張るから外出を許してあげたのに、こんな騒動に巻き込まれるなんて――今後一切、外出禁止!!」
「そ、そんなぁ!」
ヒルデブラントの怒りが収まるまでは学園にも行けそうにない。次にミレイユやロベールと会えるのはいつになるだろうか。
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