第5話 縮まる距離①
ある日の午後。
学園の授業が休みだったため、リンはミレイユとともにバラ園へ来ていた。様々な種類のバラが一年中咲き乱れる、人気の観光スポットだ。
聖都ラグナルはあまり園芸が盛んな方でないが、なぜかバラの品種改良だけは熱心に行われている。リンが幼い頃、ヒルデブラントに故郷のバラが綺麗だったと教えた記憶はあるが、そのせいだろうか。
「見てください、オルトリンデ様。この色合い、見事ですわね」
ヒルデブラントが直接資金援助を行っているこのバラ園では、他では見られない変わった品種が多い。綺麗なグラデーションを作るバラ、星の形をしたバラ、宝石のようにキラキラと輝くバラ――工夫を凝らして作られたバラたちが目を楽しませてくれる。
「このような場所でお茶会を開いたら素敵でしょうね」
「ええ、そうね」
ミレイユは、友人と遊びに行くのは初めてらしい。まるで幼い子どものように、見るものすべてに目を輝かせ、声を弾ませている。楽しそうな彼女の姿を見ることができただけでも、ここに来た価値はあったと思う。
実をいうと、今日の外出はヒルデブラントに強く反対されていた。警備が厳重な学園ならともかく、一般人が立ち入ることができる場所は危険だから、という理由だ。でも、リンだって友人との外出は初めてだった。
最終的に、バラ園を貸し切りにする、という条件付きで外出許可が下りた。さらに、園の周囲には聖騎士団を配置しているそうだ。聖都の中だというのに大げさではないだろうか。
今日のリンの護衛はセティだった。どこか幸の薄そうな顔をしているが、真面目で心優しい性格の好青年である。
セティは十年前、リンが命を救った王国騎士だ。彼はリンが聖都へ行ったと聞くと、助けられた恩を返すため、ラグナル聖騎士団へと志願してきた。
しかし、ヒルデブラントはセティの存在を面白く思っていないようだ。彼に対しては他の騎士よりも当たりが強く、リンの護衛につけるたびに、
『まさか命の恩人に手を出すような真似はしないよね?』
と脅している。そのせいかセティはよく胃を痛めていた。彼の健康ためにも、今日の外出はなるべくトラブルなく終えたいものだ。
「うわっ」
バラ園の一番目立つ一角に、リンは見覚えのある品種を見つけた。花弁はリンの瞳と同じ、淡い琥珀色をしている。プレートに記載されている名前は『オルトリンデ』。
リンはミレイユの服の袖を引く。
「ミレイユ。次はあちらに行きましょう」
「え? でもまだこちらは見ていませんが――まあ! もしかしてこの品種、神竜様が命名されたものでは?」
抵抗むなしく、『オルトリンデ』はミレイユに発見されてしまった。彼女の言う通り、このバラはヒルデブラントがリンのために作らせたものだ。こういうところが重い男の証でもある。
「あぁもう、神竜様ったら……」
だが、ミレイユの目にはロマンチックに映ったらしい。頬に手を当て、うっとりとしたまなざしでバラに見とれている。
「このバラは、神竜様がオルトリンデ様のことを想って作らせた愛の証。素敵ですわね」
恥ずかしさのあまり、リンはどこかに隠れたくなってきた。
「……」
リンは背後にいるロベールの様子を窺う。彼は今日もミレイユの護衛として控えているのだ。やはり今のミレイユの言葉は聞かれていただろうか。
しかし、ロベールは全身から殺気のようなものを発して周囲を警戒していた。いつものように真面目に職務に励んでいる彼は、リンのことなど少しも気にかけていない。
――わたしばかり意識しているわね。
思わずため息が出そうになる。
視線を前に戻したリンは、先程まで隣にいたはずのミレイユがいなくなっていることに気づいた。
「……ねえ、ミレイユは?」
「えっ。……あれ!? 殿下がいない!!」
ロベールがぎょっとした表情で周囲を見渡す。とんでもない大失態に、彼の顔はどんどん青ざめていく。
(彼はずっとミレイユのことを見ていたんじゃ……?)
疑問には思ったが、今はそれどことろではない。
ミレイユは忽然と姿を消してしまっていた。
◇
皆で手分けして捜し回っている途中、リンは一度集合地点に戻る。すると、反対側から現れたロベールに遭遇した。
「ええっと、ロベール。そっちはどうだった?」
名前を呼ぶことすら緊張してしまう。いけないことをしているような気がするのだ。
「こちらにはいませんでした。……ところでオルトリンデ様。護衛の方は今どちらに?」
ロベールの声には咎めるような響きがあった。冷たいまなざしで一瞥されると、心にチクリと痛みが走る。
リンはどうにか平静を装って答えた。
「セティには別の方角を捜してもらっているわ。その方が効率いいでしょう?」
だが、ロベールの顔はさらに険しくなる。
「それでは護衛の意味がありません。おひとりで出歩くなんて危険です。殿下の捜索にご協力いただいていることには感謝しておりますが、あなたはもう少しご自身の立場を自覚されては?」
「うっ……で、でも! それを言ったらミレイユだって危険だわ」
ロベールといいヒルデブラントといい、少し大げさすぎると思う。聖都ラグナルはヒルデブラントのお膝元で、他所と比べても格段に治安が良いのだ。おまけに、この施設は聖騎士団が厳重に警備している。
でも、もしかしたらミレイユはもう、バラ園の内部にはいないのかもしれない。どうやって警備の目をかいくぐったのかは不明だが、これだけ探しても見つからない以上、他の可能性は考えられなかった。
慌てて外に飛び出そうとしたリンを、ロベールは引き止める。
「お待ちください。おひとりでは危険だと申しましたよね。どうしても行かれるというのであれば、俺も一緒に行きます」
「え……? あ、うん……」
咄嗟のことに、リンは思わず頷いてしまった。
◇
――どうしてこうなったのだろう。
外を警備していた聖騎士団の者に許可を取り、リンとロベールはバラ園を出た。
ミレイユを探しながらも、リンはどうしても隣を気にしてしまう。今、リンはロベールと二人きりなのだ。緊張していることを悟られたくなくて距離を取ろうとしたリンだったが、即座に鋭い視線が飛んでくる。
「あまり俺から離れないでください。何かあった時にお守りすることができません」
「ご、ごめんなさい」
リンはおとなしくロベールの右隣へと並んだ。
二人の出会いを聞いて以来、ミレイユはリンに、ロベールのことをたくさん話してくれた。
王国の剣術大会で優勝経験があること。没落貴族のため、彼が一家の大黒柱として弟や妹を養っていること。左目の傷は暗殺者からミレイユを庇った時にできたこと。言葉を交わした経験はないのに、リンはずいぶんとロベールに詳しくなっていた。彼のことを知れば知るほど、リンの胸の中でその存在が大きくなっていく。
もちろん、自分の婚約者のことは忘れていない。ロベールのことを考えるたび、リンの頭の中にヒルデブラントが現れ、悲しい顔をする。だからリンはいつも罪悪感に苛まれていた。
今日もまた、リンは一人で悶々としている。
こっそりロベールの方を盗み見ると、彼は真剣な表情で周囲を見渡していた。
「あ……」
リンの浮ついていた気持ちが一気に落ち着く。
今一番重要なのは、いなくなったミレイユを見つけることだ。彼女はリンの大切な友人だというのに、別のことばかり考えていた自分が恥ずかしい。
それからはリンもミレイユの捜索に集中した。
最初に言われた通り、リンはロベールのそばから離れないように心がける。
隣を歩いていたせいか、自然と二人の手は触れ合う。
次の瞬間、
「――うわあぁっ!? す、すすすすみません!!」
「!?」
ロベールは突然大きな叫び声を上げると、驚いた猫のように飛びのいた。
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