第4話 学園の友人②

「オルトリンデ様。あなたはそれで本当によろしいのですか」


「えっ……どうして?」


 リンは重くなった場の雰囲気に戸惑う。なぜミレイユは悲痛な表情をしているのだろうか。


「わたくしには、神竜様の眷属になることが素晴らしいことだとは思えません。不老不死――一見すると素晴らしいことのように思えるかもしれません。ですが不死ということは、たとえ死んでしまいたいと思うほどつらい目に遭ったとしても、決して死ぬことはできないのです」


「死にたくなるほどつらいこと……」

 

 あまり想像がつかない。リンは今まで、死にたいと思ったことはなかった。

 だがミレイユの表情は真剣そのもので、大げさだと笑い飛ばすことができない。


「それに、長く生きるということは、親しい方との別れも経験するでしょう? 長生きした分だけ、普通の人の何倍もつらい思いをするのです。オルトリンデ様は優しいお方です。だから余計に心配になってしまいますわ」


 ミレイユはうっすらと涙ぐんでいる。


「あ……」


 それを見て、リンはミレイユから聞いた彼女の過去を思い出した。


 今でこそ元気に学園に通っているミレイユだが、数年前までは体が弱く、何度も生死の淵をさまよったという。死を身近に感じていた彼女だからこそ、不死という概念は受け入れがたいのかもしれない。

 そういえば、王国で疫病が流行した際にミレイユの両親も亡くなっていたような……どうやら、つらい過去を思い出させてしまったらしい。


「ご、ごめんなさい。わたし、あなたを悲しませるつもりじゃ……」

 

 ミレイユは慌てたように首を横に振る。


「いいえ、わたくしの方こそ謝らなければなりません。色々と理由をつけましたが、結局のところは、自分が勝手に不安になっただけ――オルトリンデ様はきっと、これからも多くの人と出会うはずです。そうなったら、いずれわたくしのことなど忘れてしまうのではないかと思って……」


「ミレイユ」


 リンはミレイユの手を両手で包み込むと、まっすぐに彼女の目を見つめた。


「あなたはわたしにとって初めてできたお友達よ。何年たっても絶対に忘れたりはしないわ。だからこれからもずっと、仲良くしましょう」


「オルトリンデ様……」

 

 ようやくミレイユの顔が明るくなる。


「ありがとうございます、とてもうれしいですわ」


 ミレイユの花が咲くような笑み。この笑顔を絶対に守ってみせる、とリンは固く決意した。


   ◇


「……」


 ミレイユが明るさを取り戻したところで、リンは先程彼女に言われたことを反芻する。


 苦しい思いをしても死ねないこと。

 普通の人の何倍も、出会いと別れを繰り返すこと。

 ヒルデブラントは今までずっと、これを一人で耐えてきた。


 でも、これからはヒルデブラントもリンも一人ではない。

 ヒルデブラントはリンのことが大好きだし、リンもなんだかんだ言って、そんな彼のことを支えてあげたいと思っている。


 ――それならなんとかなるのでは?

 

 二人一緒なら、つらいことがあっても耐えられる気がした。


「ところでオルトリンデ様。先程からわたくしの背後を気にされているようですが」


「うぇっ!?」

 

 突然ミレイユに指摘され、リンは飛び上がる。そのはずみで椅子から転げ落ちてしまった。


「オルトリンデ様!?」

 

 ミレイユの驚いた声が聞こえるが、リンには返事をする余裕などなかった。


(ば、バレてる――――――――――!!)

 

 途中真面目な話になったせいですっかり忘れていたが、リンは今日ずっと、ミレイユの騎士に気を取られていたのだ。

 隠していた悪事を指摘された子どものように、胸が早鐘を打っている。呼吸もどんどん浅くなって息苦しい。


「大丈夫ですか!?」

 

 誰かが慌てて駆け寄ってきて、リンを助け起こす。てっきりナンナだと思って顔を上げると、


「あ――」


 例の騎士が、どこか緊張した面持ちでリンの顔をのぞき込んでいた。息がかかりそうなほど接近した彼との距離に、今度は呼吸することすら忘れそうになる。


「……」


 リンは返事をするのも忘れて彼の顔に見入っていた。


 サラサラと流れる黒髪。きりっとした、力強い眉。切れ長の瞳は研ぎ澄まされた刃のようだ。改めて見ても、やはり端正な顔立ちをしている。

 美しさで言えばヒルデブラントやアトリの方が断然優れているはずなのに、どうしてリンはここまで彼に惹かれてしまうのだろう。自分でもよくわからない。


 何も答えられないリンに対して、騎士もまた、無言でリンを凝視していた。先程駆け寄ってきた時は心配そうな顔をしていたが、今はその辺の石ころでも見ているかのような無の表情をしていて、眉一つ動かさない。


 ――いや、どういう心境なのそれ。


「……」


「……」


 目をそらすタイミングを失ったかのように、二人はそのまましばらく見つめ合う。


「あーはいはいそこまでそこまで! いけませんよオルトリンデ様、これ以上は神竜様に怒られます!」


 静寂を破ったのはナンナだった。強引に二人の間に割って入り、リンを隠すように立ちふさがる。彼女の背中で騎士の姿が見えなくなった。


「……申し訳ございません。ご無礼をお許しください」

 

 リンはいまだに動揺から立ち直れていなかったが、どうにかして言葉を絞り出す。


「い、いえ。気にしないで。こちらこそ迷惑をかけてごめんなさい」


「迷惑だなんてとんでありません。お体の方は大丈夫ですか」


「ええ、もう問題ないわ。心配してくれてありがとう」


「ほら、さっさと離れてくださいよ」

 

 ナンナが手で追い払う仕草をすると、騎士は静かに主の元へ戻った。


「ちょっとナンナ、失礼でしょう」


「だってぇ。オルトリンデ様に男を近づけたって、神竜様に怒られるのはこっちなんすよ?」


 ナンナが不服そうに口をとがらせる。リンは呆れてため息をついた。


「そう思うのなら、わたしが倒れた時、真っ先に駆けつけるべきだったんじゃないの? 彼はあなたよりも遠くにいたわよね」


「それは……はい、すみませんでした」

 

 一方、おろおろと成り行きを見守っていたミレイユは、ようやくリンのお目当てに気がついたようだ。


「オルトリンデ様、もしかしてロベールと会ったことが?」


 ――なるほど、彼はロベールという名前らしい。いい名前だ。


「ええ。少し前に、階段で転んだところを助けてもらって」

 

 知られてしまったことは少し恥ずかしいが、別にやましいことではないため正直に答える。


「まあ、そんなことが。ロベール、本当なの?」


「はい、殿下」

 

 ロベールの声には抑揚がない。やはりリンとは関わったことは迷惑だったのだろうか。


「オルトリンデ様、そろそろ帰りましょう」

 

 会話をしている横から、ナンナが口を出してくる。


「え、早くない?」


 いつもであれば、もう少し帰りは遅いのだが……。


「いいえ、早くありません。ほら、行きますよ。神竜様が待っていますからね」


「う、うん」


 ロベールに聞かせるためだろうか。ナンナはわざと「神竜様」の部分を強調した。勢いに押されたリンは咄嗟に頷いてしまう。


「ごめんなさい、ミレイユ。今日はこれで失礼するわ」


「ええ、わかりましたわ。また明日お会いましょう。道中お気をつけて」


 リンは去り際に一度だけ振り返る。相変わらずロベールはすました表情で、その感情を読み取ることはできなかった。


「行きますよ」


「あ」


 ナンナがやや強めにリンの手を引く。後ろ髪を引かれる思いをしつつも、リンは仕方なく彼女についていった。


   ◇◇◇


「オルトリンデ様。ああいうのはよくないと思います」


 帰りの馬車の中。

 案の定、ナンナはリンに苦言を呈してきた。どうしても彼女はリンからロベールを遠ざけたいようだ。だが、リンにはやましいことなど全くない。


「あれはわたしが倒れたから介抱してもらっただけでしょう?」


 リンは窓の外を眺めながら答える。しかし、ナンナはそれで納得してくれない。


「でも、ちょっとときめいていましたよね?」


 心外な言葉に、リンは勢いよく振り返った。


「な、ななな何を言っているの!? そんなこと、そんなこと絶対にないんだから!!」


「動揺しすぎですよ……。まあ、ときめくこと自体は悪いことではありません。オルトリンデ様だって年頃の女の子ですからね――でも、あなたは神竜様の婚約者なんです。そのことは絶対忘れないでほしいです」


 だからときめいていないというのに。やや不満は残るが、ナンナが心配していることはわかるため、リンはおとなしく頷く。


「わかった、これからは行動に気をつけるわ。……それにしてもあなた、こういうところはちゃんとしているのね」


「どういう意味っすか!?」


 今度はナンナが大きな声を出す。

 普段は訓練をさぼったり儀式の最中に寝ていたりするくせに、恋愛に対する態度は意外と真面目らしい。


「……まあ、今日のところはよしとしましょう。ですが一応、あの人のことは神竜様に報告を――」


「だ、ダメよ!! 絶対にダメ!」


 リンは慌てて制止した。

 ヒルデブラントはリンが異性と会話するだけで不機嫌になるのだ。リンがうっかり素敵な男性にときめいてしまった、なんて知られたら、どれほど(相手の男に)怒り狂うだろうか。リンだってしばらくは外出禁止になるだろうし、ロベールに対しては、二度とリンに会うな、と圧をかけると思う。最悪、聖都からの追放処分もあり得る。そうなると彼の主であるミレイユにまで迷惑がかかってしまう。


「えー。でも神竜様からは、オルトリンデ様の交友関係はすべて報告するように、と言われているんですが……隠していたことがバレたら後で怒られますよ」


 ナンナは頭をかく。


「ダメったらダメ! わたしのせいであの二人に迷惑をかけたくないのよ。神竜様にバレた時はわたしが責任を持ってなだめてあげるから、ね?」


「うーん……まあ、オルトリンデ様がそこまで言うのなら仕方ありませんね。今回だけですよ?」


 渋々、といった様子だがナンナは頷いてくれた。リンはほっと一息つく。


「ですが本当に気をつけてくださいよ? 青春したい年頃なのはわかりますが、あなたの婚約者はあの神竜様なんですからね? 不純異性交遊絶対反対!」


「わ、わかってるって」

 

 言われるまでもなく、リンはしっかりと己の立場を自覚していた。

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