第3話 学園の友人①
聖都ラグナルの一角に、神官養成学校や士官学校など、様々な教育機関が集中している地域がある。その中にリンが通う学園もあった。
学園の正式名称は『ヒルデブラント記念学園』。語学留学という名目の元、聖地や周囲にある七つの王国から貴族の子弟が集まってきている。各国の王族や貴族と親交を深めるため、リンも半年ほど前からこの学園に通っていた。本来であれば全寮制だが、ヒルデブラントがリンと離れることを嫌がったため、特例として自宅通学だ。
学園の中でも、四季の花に彩られる庭園は生徒たちに人気の場所である。
特に、授業がない日の午後は令嬢たちがお茶を楽しむことも多い。今日はリンも友人に誘われて優雅なひと時を過ごしていた。
「――という噂が令嬢たちの間で広まっておりまして」
「……へえ」
リンの向かい側に座る少女は、話終えると困ったように首をかしげた。彼女はふとした仕草が可憐で様になるため、思わず見とれてしまうことも多い。
少女の名前はミレイユ。学園でできた、リンの唯一の友人だ。
聖地の周囲を取り巻く王国は、成立した順に一から七の数字を冠している。ミレイユはそのうちの一つ・第五王国の王族だ。元庶民のリンとは違い、生まれながらの高貴な身分である。
本来であれば、ミレイユは王位に程遠い存在だった。
だが、数年前に第五王国を襲った疫病で、ほとんどの王族が命を落としてしまう。その結果、ミレイユと彼女の双子の兄・ルイにまで順番が回ってきた。
このルイという人物は非情に性格が歪んでいて、いつも妹にネチネチと嫌味を言ったり罵声を浴びせたりする問題児である。
かつてその場面に遭遇したリンは、ルイを撃退してミレイユを助け、それがきっかけで二人は仲良くなった。なお、ルイはその後も懲りずにミレイユへ嫌がらせを続けている。先程も取り巻きを引き連れて絡んできたが、「混ぜてほしいなら素直にそう言いなさい」とリンがやり返したところ、ぷりぷり怒りながら去っていった。正直、小物すぎてかわいらしいとすら思える。
傲慢な兄とは違い、ミレイユは決して身分の高さをひけらかしたりはしなかった。
ミレイユの所作には品があり、儚げな美貌も相まって、どこか浮世離れした雰囲気を醸し出している。だけど、話してみると感情豊かで親しみやすい。控えめで内気なところはあるが、どのような相手にも思いやりを持って接する姿には好感が持てた。
本来であれば、ミレイユと語らう時間はリンにとって楽しいものだ。だが、今日は正直それどころではない。
「……」
リンはこっそりとミレイユの背後に視線を向ける――数日前、運命的な出会いをした騎士がそこにいた。
――まさかこんなに早く再会するとは。
なんと彼は、ミレイユの護衛だった。どこかで見たような気がするとは思っていたが、ここまで身近にいたとは予想外だ。世間の狭さを実感する。
リンの視線は無意識に騎士へと吸い寄せられてしまう。
ピンと伸びた背筋。使い込まれた、けれども手入れの行き届いた鎧。周囲をくまなく警戒する、隙のないまなざし。彼が真面目な性格であることが窺える。
(うーん、やっぱりかっこいい――はっ!?)
またよくない感情を抱いてしまった。邪念を振り払うかのように、リンは首を振る。自分はただ、真剣に仕事に励んでいる姿を好ましいと思っただけだ。
(だって、ほら!)
言い訳がましく、リンは背後を振り返る。彼女の護衛は、口に手を当ててあくびをするところだった。
彼女の名前はナンナ。いかにも眠そうな顔をしているが、こう見えて只者ではない。
ナンナが所属しているのは、ヒルデブラント直属の臣下であるラグナル聖騎士団。一握りのエリートしか任命されない狭き門だが、彼女はわずか二十歳にして入団を許された優秀な人物だ。
しかし、非常に能天気で恐れ知らずな性格でもあった。二年前の叙任式では、ヒルデブラントに対して、
『あ、こんちわーっす』
と気の抜けた挨拶して場を騒然とさせたことは皆の記憶に新しい。ある意味期待の大型新人だ。
本来であればそのような舐めた口をきいたら即刻クビだが、現在騎士団には女性が不足している。ヒルデブラントとしては、リンが心配なので常に護衛をつけたいが、異性はなるべく近づけたくないという複雑な思いがあったようだ。その結果、「もうお前はそれでいいよ」とあきらめるに至った。
一応仕事へのやる気はあるようだが、ナンナのだるそうな口調と態度はいくら注意されても直らない。彼女がヒルデブラントから怒られた際は、なぜかリンが庇う羽目になっている。もう少しミレイユの騎士を見習ってもらいたい。
「あ」
もう一度騎士へ視線を向けると、うっかり目が合ってしまった。思わずリンの胸が高鳴る。
だが、騎士の態度はあくまでも冷静だった。彼は一瞬目を見張るが、すぐに表情を引き締め、さりげなく視線をそらしてしまう。
どうやら、意識していたのはリンだけのようだ。
――わたしばっかり舞い上がっていて馬鹿みたい。
そもそも、自分はいったい何を期待していたのだろうか。リンにはすでに婚約者がいるのだ。
急に恥ずかしくなってきて、リンは自分の顔を覆う。頬が熱い。
「オルトリンデ様、どうかされましたか? もしやどこか具合でも悪いのでは?」
「あ、いえ。なんでもないわ。……ごめん、何の話していたっけ」
心配した様子のミレイユに声をかけられ、リンは彼女に意識を戻す。騎士の存在に気を取られていたせいで、先程までの会話をほとんど覚えていなかった。
「最近噂になっている令嬢の話ですわ」
「……ああ、そうだった」
少し思い出してきた。
なんでも、婚約者のいる男性にばかり言い寄る不届者がいるという。確かに、良縁を求めて学園に来る貴族たちも多い。でも他人の婚約者を奪おうとするのはよくないことだ。
「婚約者のいる令嬢たちは気が気じゃないでしょうね」
「ええ……ヴォルフラム様なら大丈夫だと思うのですけれど」
ミレイユの婚約者は、リンの故郷でもある第七王国の王子・ヴォルフラムだ。リンも何度か話したことはあるが、真面目で誠実そうな人物である。少なくとも、ルイのような陰湿暴言男ではない。彼が相手であれば安心してミレイユを任せることができるだろう。
「最近はどう? うまくやれているかしら」
「ええ。ようやく緊張せずにお話できるようになりましたわ」
ほんのりと頬を染めて照れくさそうに微笑むミレイユの姿は、本当にいじらしい。
「オルトリンデ様の方はいかがですか?」
「そうね……うちは相変わらずね」
頭の中に浮かんできたのは、今朝のヒルデブラントの様子である。彼がなかなか部屋から出てこないため、神官たちに泣きつかれたリンは、仕方なく説得しに行く羽目になったのだ。
部屋に入ると、リンに抱き着いたヒルデブラントは、「人間の相手なんてしたくない」と半泣きでごね始めた。彼の気持ちはわからないでもないが、公務を滞らせたら関係者に迷惑がかかるし、リンも遅刻してしまう。最終的には、いいから早く仕事に行け、と部屋の外へ放り出してきた。
ちなみに、これが月一くらいの頻度で発生する。
「学園卒業後はすぐに結婚されるのですよね。仲が良さそうでうらやましいですわ」
「仲良い……のかしら?」
まあ、悪くはないだろう。
ミレイユは頬に手を当てて首をかしげた。
「でも、少し不思議ですわね。神竜様は何千年もの長い時を生きているというのに、今まで一度も結婚されたことがなかったなんて」
「ああ、やっぱり気になるわよね」
リンはクッキーをつまみながら答える。
「普通の人間は神竜様の力に耐えられないのよ」
ヒルデブラントが全身から放つ輝きは、神としての力が体の外にあふれたものだという。眩しすぎて常人では直視困難なため、彼に謁見する者は皆、顔を伏せて目を合わせないようにしていた。彼と接する機会が多い側仕えの神官たちにあっては、分厚い布で顔を覆っている。
ヒルデブラントが彼らを「人間」呼ばわりする背景には、顔が見えないので区別がつかない、という理由もあるかもしれない。
他には、ヒルデブラントの神気に当てられると、圧迫感で息苦しくなるとも聞く。特に新人の神官によく現れる症状だ。
だが、リンはそのどちらも感じない。ヒルデブラントを見ても眩しくないし、近寄っても平気だ。それこそが『神竜の巫女』であることの証らしい。
「神竜様にとっては、オルトリンデ様こそが運命の相手だったのですね」
リンの説明を聞いたミレイユは、夢見るような表情を浮かべる。しかし、すぐに顔を曇らせた。
「でもそうだとすると、今までは神竜様お一人で世界を守ってきたのですよね。さぞ苦労されたことでしょう」
「……そうみたいね」
ヒルデブラントは、世界を守護者として生み出された存在だ。世界の始まりとともに誕生し、滅びる時に命運を共にする。そのため、彼には寿命という概念が存在しない。気の遠くなるほどの長い年月を生きてきて、今後も人々の暮らしを見守っていく。
しかし、ヒルデブラントが守ってきた人間の中には、恩を仇で返そうとする者もいた。
飢饉や疫病の原因を彼に押し付けて逆恨みする者。邪竜アースムンドを信奉し、その復活の儀式のために神竜王を生贄にしようとする者。本人は決して語ろうとはしないが、そのような愚かな人間たちが反乱を起こしたり、彼を殺そうとしたせいで、世界は何度も滅びかけたという。
ヒルデブラントはよく、リンの前で人間は嫌いだと口にする。それでも彼は自らの役目を放り出したりはしない。何千年もの間、自分の力を注いで結界を維持し続け、人々を外界の脅威から守り続けている。
幾度も裏切られ、人間という存在に失望しつつも、本当は自分に寄り添ってくれる誰かを求めていた。だからこそ、ヒルデブラントはリンを愛おしく思っているのだろう。
一度出会ってしまった以上、彼はもうリンなしには生きられない――それがわかっているからこそ、重すぎる愛にうんざりしていても、リンは彼のそばにいるのだ。
「でも、これからはわたしがずっと一緒にいるわ。……さすがにあと百年くらいすれば、あの過保護っぷりも落ち着くと思うわ」
「……百年? わたくしの聞き間違いでしょうか」
ティーカップに手を伸ばしかけたミレイユが、リンの言葉に手を止める。穏やかな微笑みが怪訝そうな表情に変わった。
「そういえば、言っていなかったかもしれないわね。神竜様の血を飲むと、彼の眷属になることができるそうなの」
「眷属?」
「ええ。眷属になると、神竜様が生きている限りは死ぬことがなくなるの。半分、不老不死みたいなものね。わたしも結婚式の時に飲む予定よ――今まで飲んだ人は神竜様の力に耐えきれず死んじゃったらしいけど、わたしは『神竜の巫女』だからたぶん平気」
「そ、それは……」
なんてことのないような顔で答えたリンに対して、ミレイユの顔はどんどん青ざめていった。
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