第2話 出会い②

 それから一週間もしないうちに聖都ラグナルから迎えが来て、リンは世界の中心地、ラグナル大神殿へと連れていかれた。神竜王ヒルデブラントがリンと直接話をしたいという。


 神殿では、アトリという名前の神官が謁見前の心構えを説明してくれた。泣きぼくろが特徴的な、やけに美形の青年だ。


「神竜様はただでさえ気難しいお方です。しかも最近は色々ありまして、特に気が立っておられます。よいですか、決して逆らってはいけませんよ」


「は、はい……」


 年の割にしっかりしていると近所でも評判のリンだが、アトリの言葉を聞くと心配になってしまう。もしヒルデブラントの機嫌を損ねてしまったら、どうなってしまうのだろうか。

 リンの背後では、付き添いでここまで一緒に来た両親も、真っ青な顔でおろおろしている。


 不安そうな子どもの姿を見て気の毒に思ったのだろう。アトリは小さな包み紙をリンに差し出した。


「飴はお好きですか? お一つどうぞ」


「あ、ありがとうごさいます」


 本当は食欲なんてないが、せっかくの好意を無下にするわけにもいかない。リンは包み紙をはがすと、飴を口に放り込んだ。こってりとした甘さが舌いっぱいに広がる。


「……おいしい」


「黒糖味です。お気に召しましたか?」

 

 リンはこくりと頷く。アトリのおかげでいくぶんか気が和らいだ。

 飴を舐め終わるのとほぼ同時に、一同は謁見の間へ到着する。ここから先は両親はついてこれない。


「頑張ってくださいね」とアトリがリンの耳元で囁く。彼はいつの間にか顔を布で覆い隠していた。アトリが兵士に声をかけると、謁見の間の扉が開かれる。いよいよヒルデブラントとの対面の時だ。


「……」


 アトリに先導されたリンは、事前の指示通り、顔を伏せたまま進んでいく。緊張のあまり足がもつれ、何度か転びそうになってしまった。

 やっとの思いでヒルデブラントの元へとたどり着くと、リンの体よりも巨大な、大きな足が視界に入る。そのそばには、アトリと同様に顔を隠した神官たちが大勢控えていた。


「ふぅん。お前がケガレを浄化したという娘か」


 こちらを見下すような冷たい声色。どうせ嘘だ、とはなから決めつけているような態度だ。向こうから呼び出してきたはずなのに、なぜかリンはあまり歓迎されていない。


「まあいい――表を上げよ」


 できることなら今すぐにでも家に帰りたいが、逆らうなと言われたばかりだ。リンはおそるおそる顔を上げた。


「……」


 目の前に広がる光景に、リンは息をするのも忘れそうになる。


 神竜王ヒルデブラントは、今までにみたことがないくらい大きな竜だった。リンの何十倍もある体が、ドーム型の空間の半分ほどを埋め尽くしている。

 うろこの色は一点の曇りもない、雪のような白。それが天窓から差し込む光を反射して、虹色にきらめいている。

 それだけでなく、ヒルデブラントの体そのものが自ら光を放っているように思えた。近づくものを灼き尽くすような、太陽のような輝きだ。

 清らかさと荒々しさを併せ持つ、人を超越した存在。それが神竜王ヒルデブラントだった。


 しかし、リンが目を奪われたのはその風貌だけではない。


 ――なんて寂しそうな目をしているのだろう。


 ヒルデブラントの白銀の瞳は水面のように澄んでいる。だがリンは、その奥底に深い孤独と諦観の念が秘められているように感じた。


 どれほどの時間、彼の目を見つめていただろうか。

 気がつくと巨大な竜は姿を消し、代わりに一人の青年が立っていた。彼は無言でリンを見下ろしている。


「えっ? あれ」

 

 リンは困惑しながらも、突如として目の前に現れた青年を眺める。毛先が虹色に輝く白い髪と白銀の瞳。それを見てようやく、彼は先程見た巨大な竜と同一人物らしい、と理解した。


(人間の姿にもなれるんだ……)

 

 ヒルデブラントは、疑いとわずかな期待が入り混じったまなざしでリンの顔をのぞき込むと、何かを確認するように尋ねてくる。


「お前、僕が近づいても平気なの?」


 鼻がくっつきそうなほどの距離にヒルデブラントの顔が近づく。思わずのけぞったリンだが、視線は相変わらず彼の瞳から離せなかった。


「は、はい」


「本当に? 眩しくて目が開けられなくなったり、僕のそばにいて息が苦しくなったりしない?」


「大丈夫です」

 

 なぜこのようなことを聞くのだろうか。リンは首をかしげる。


 どうやら、ヒルデブラントがリンに抱いていた疑惑は確信に変わったようだ。一人納得した様子で頷くと、彼はしゃがんでリンと目線を合わせた。


「お前――いや、君。名前は?」


「えっと、オルトリンデ……オルトリンデ・シュタイナー、です」


「そうか。オルトリンデ――リンでいいかな。 君に一つお願いごとをしてもいいかな?」


 リンの肩にヒルデブラントの手が置かれる。そこに込められた力の強さから、リンを子どもとしてではなく、一人の人間として扱っていることが窺われた。


「――君のこれからの人生を僕に捧げてほしい。世界の平和のため、僕とともに生きてほしいんだ」


「えっ……!?」


 リンは六歳だ。まだ将来のことなど考えられない。


 でも、ヒルデブラントの切羽詰まった声色と、縋りつくように潤んだ瞳。それを見ると、彼を放っておくことはできない、と思う。


 ――きっと、この人が頼れるのはわたししかいないんだ。


 だから、断るという選択肢は考えられなかった。


「――はい、わかりました。わたしなんかでよければ」


「……っ」

 

 リンが頷くと、ヒルデブラントは驚愕の表情で目を見張った。


「きちんと考えた? ほんとの本当に、いいんだね?」


「はい」


「後悔しない? やっぱり嫌だと言っても、後から取り消してあげることはできないよ」


「あの、本当に大丈夫ですから」


 ヒルデブラントから問いかけてきたことなのに、彼は何度も何度もリンの意志を確認してくる。 

 リンが本心から言っていることがわかると、ヒルデブラントは力が抜けたように座り込んだ。


「……そうか。ようやく……ようやく、僕にも……」


 ヒルデブラントの瞳から、宝石のように輝く雫がぽろぽろとこぼれる。


 ――神竜王ヒルデブラントが、泣いていた。


 そばに控えていた神官たちが、顔を覆う布越しにざわついている。リンもまた、なんて声をかければよいのかわからなかった。大人が泣く姿を初めて見たのだ。


「あ、あの。どうぞ……」


 とりあえず、衣服から取り出したハンカチを手渡す。それを見た瞬間、ヒルデブラントの涙は滝のように流れて止まらなくなった。


「えぇ……」


 まさか悪化するとは。

 とめどなくあふれるヒルデブラントの涙を、リンは優しく拭う。これではどちらが子どもかわからない。

 しまいには、ヒルデブラントはリンに抱き着くと声を上げて号泣し始めた。彼の涙でリンの衣服も濡れてしまう。


「すみません、これ、どうすれば……」


 リンは助けを求めてアトリの方を見る。そもそも、なぜヒルデブラントは泣いているのだろうか。


 アトリの声はなぜか、微笑ましいものを見ているかのように穏やかだった。


「おめでとうございます、オルトリンデ様。あなたは『神竜の巫女』――選ばれし存在なのですよ」


   ◇◇◇


 その後、あっという間にリンとヒルデブラントの婚約が決まり、現在に至る。


 世界の守護者である神竜王ヒルデブラント。

 彼は伴侶として、寿命の短い人間ではなく、同じ時間をともに生きることのできる『神竜の巫女』を望んでいた。

 だが、遥か昔から出現を預言されていながら、リンと出会うまでには三千年ほどの時を有した。初めて会った時のヒルデブラントの喜びようも、今なら少しは理解できる。


 とはいえ、大変だったのはそれからだ。

 未来の神竜王の妻として、『神竜の巫女』として、リンには多くの能力が求められた。外国語や歴史、社交ダンスなど、勉強漬けの毎日が続いた。親元を離れて聖都ラグナルに移住したこともあり、時にはホームシックにも苛まれた。


 一方で、ヒルデブラントは驚くほどリンに甘かった。彼はリンが欲しがったものなら何でも買ってくれる。たとえ欲しがらなくても、服やお菓子など、毎日大量の贈り物をしてきた。その甘さを例えるならば、砂糖菓子の上にさらにまぶした砂糖のごとくだ。

 また、ヒルデブラントはリンと離れることを極度に嫌がり、公務がない時は片時もそばから離れようとしなかった。


 ヒルデブラントのおかげでリンは次第に寂しさを感じなくなっていったが、いかんせん愛が重すぎる。出会ってから十年たった今では、彼のことは少しうざいとすら思っている。

 とはいえ、あの時の選択を後悔したことはない。過保護で鬱陶しい以外には彼との生活に大きな不満はなかった。


「――それで、今日の学園生活はどうだった?」


 ソファに腰を下ろすと、ヒルデブラントがさっそく尋ねてくる。


 ヒルデブラントは公務で忙しく、リンも学園に通っているため、日中はあまり顔を合わせる機会がない。そのため、毎日夕食の前か後にヒルデブラントの部屋で一日の出来事を報告することが日課になっていた。特に、夕食前の時間帯だとおやつが出てくる。


「ああ、そうね……」


 咄嗟に思い浮かんだのは、階段から落ちたところを助けてくれた騎士のことだ。あの時、リンは校内で迷子になったために授業に遅れそうになっていた。急いでいたせいで名前も聞けずに別れることになったのが残念である。


 ――また会うことができるだろうか。


(……いけない、わたしってば何を考えているのかしら)


 ヒルデブラントの前だというのに、一瞬別の男に意識が囚われていた。我に返ったリンは、なんてことのない風を装って答える。


「うーん。いつも通りで変わり映えしなかったわ」


 ヒルデブラントは怪訝そうな表情をリンに向ける。


「本当に? 誰かに悪口を言われたり、嫌がらせをされたりしてないかい? 何かあったらすぐに僕に言うんだよ。持てる限りの権力で解決してあげるからね」


「逆に相談したくないんだけど……」


「どうして!?」


「だって大事になりそうだし」


 リンのことを溺愛しているヒルデブラントだが、基本的には人間嫌いだ。リンが監視していない時は人を人とも思わないような態度を取ることがあるし、ひどい時は「人間」呼ばわりしていることすらあった。


 おまけに、非常に嫉妬深くて心が狭い。リンが他の男にときめいていたことを知られたら、相手にどんな嫌がらせをするかわからない。

 一応世界の守護者という性質上、人間を直接傷つけることはできないらしいが……。

 

 ちょうどその時、神官がお茶とお菓子を運んできた。ヒルデブラントは甘いものを好まないため、リンのために用意されたものである。

 本日のおやつは、あんこを求肥で包んだ餅のようなもの。聖都の東方にある第二王国の名産品だ。


「わあ、おいしそう――」


「おいお前」


 餅に手を伸ばそうとしたリンを、ヒルデブラントが遮る。彼はそのまま、運んできた神官に険しい顔で詰め寄った。


「は、はいっ。なんでしょうか……?」


 声をかけられた神官はどうやら新人らしい。かわいそうに、ヒルデブラントの迫力に押されすっかり怯えてしまっている。


「今日の菓子を用意した人間を呼んできてもらえるかな」


「あ、あああああの。わ、わわわわかりました――!!」

 

 新人の神官は脱兎のごとく走り去っていった。


「ちょっと、神竜様? いったいなんだというの」

 

 ヒルデブラントの怒りの原因がわからず、リンは困惑する。それからすぐに神官長が部屋へ到着した。


「お呼びですか神竜様」


 その声は、かつてリンをヒルデブラントの元まで案内してくれたアトリのものだ。彼の声を聞くなり、ヒルデブラントはため息をこぼす。


「やはりお前か、神官長。道理でセンスが古臭いわけだ」


「えっ、古臭い!? そ、そんな……最近流行のすいーつだと聞きましたが」


 古臭い、と言われてアトリはショックを受けたようだ。声に憤慨の響きが混じる。


「何十年前の話だと思っているんだ! こんなもの、リンの口に合うわけないだろう? だから年寄り臭いなんて言われるんだ」


「なんてことをおっしゃるんですか!? いくら神竜様といえども、言っていいことと悪いことがあります。私はまだピッチピチですよ!!」


「その言葉遣いがすでに古い」


 目の前で不毛なやり取りが繰り広げられる。

 どうやらヒルデブラントは、お菓子の選択が気に入らなくて怒っていたらしい。


「もう、やめなさいよ神竜様! わたしの好みを勝手に決めないでくれる?」

 

 確かにリンは、流行の最新スイーツが好きだ。でも、それしか食べないわけではない。

 リンは餅をフォークで器用に切り分けると、口に入れた。


「うん、おいしい」


 あんこの優しい甘みと求肥のもちもち具合がくせになりそうだ。


「……ほら、私の選択は間違っていなかったでしょう」

 

 アトリはどこか得意げな様子で胸を張る。リンの目の前だからか、それとも神官長というポジションゆえか。他の人間に比べると彼は気安い言動が許されている。


 一方のヒルデブラントは、裏切られたような表情で空になった皿を見つめていた。

 アトリが退出してからも微動だにしないので、リンはさすがに心配になって声をかける。


「神竜様、大丈夫?」


「そんな……僕がリンの好みを把握できていなかったなんて」


「こら、ショックを受けるところはそこじゃないでしょ!! 迷惑をかけた神官たちにあやまりなさいよ」


 リンはヒルデブラントを怒鳴りつける。彼はどこまでもリンのことしか眼中にないようだ。

 もちろん、ヒルデブラントに悪気がないことはよくわかっている。彼はただ、リンに喜んでもらいたいだけなのだ。しょんぼりした顔を見ていると、なぜかこっちが悪いことをしたような気持ちにすらなる。


 うなだれているヒルデブラントを、リンは呆れながら眺める。

 世界を守るために働いているはずのヒルデブラントだが、リンの前では子どもっぽい姿ばかり見せてくる。気を許しているといえなくもないが。


 ――学園を卒業したら、とうとう神竜様と結婚するのよね。

 

 あらためて、不思議な気分になる。

 

 リンはこれでもヒルデブラントのことを大切に想っている。だが、彼がリンに向ける「好き」という気持ちとは種類が違うようだ。

 子どもの頃から生活を共にしてきたせいか、リンがヒルデブラントに対して抱く感情は、家族愛に近い。だけど彼の方は、最初からリンを伴侶として、つまりは恋愛対象として見ていた。


 お互いの熱量の差は今後も埋まることはないだろう。それでも、ヒルデブラントが相手であれば結婚後もうまくやっていける、とリンは確信していた。だから将来のことなど何も心配ない――そのはず、だった。


 学園卒業まで、あと二年。

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