第4話 群れと個

翌朝、義経は馬の嘶きと、男たちの怒声で目を覚ました。

与えられたゲルの外に出ると、朝もやの中で、部族の若者たちが鍛錬を行っていた。


馬を駆り、動く標的に向かって矢を放つ。あるいは、馬上から相撲のように取っ組み合い、相手を落とそうとする。


個々の技術は高かった。


幼い頃から馬上で育った彼らにとって、騎乗は歩行と同義であり、弓は手の延長だ。その野生の勘と身体能力は、坂東の武者たちをも凌駕するかもしれない。


だが、義経の目は冷ややかだった。

(雑だ)


彼らの動きには、規律というものが一切なかった。

それぞれが自分の武勇を誇示することに躍起になり、隣の仲間と連携しようという意識が皆無だ。

あれでは、ただの馬に乗った暴徒の集団に過ぎない。


「……あれが、我が部族の精鋭たちだ」

いつの間にか、隣に族長のトオリルが立っていた。誇らしげな口調だが、その裏には不安が見え隠れする。


「精鋭? ただの狩人の群れの間違いだろう」

義経の容赦ない言葉に、トオリルの顔が引きつった。


「なっ……! 彼らは勇敢な戦士だ! 馬術も弓術も――」

「個人の武勇など、戦(いくさ)では何の役にも立たん」

義経は吐き捨てるように言った。


「あのような戦い方では、数で勝る敵には包囲されて終わりだ。組織だった軍隊の前では、烏合の衆に過ぎん」

義経の脳裏には、整然と隊列を組み、一糸乱れぬ動きで矢衾(やぶすま)を作る鎌倉武士団の姿があった。

憎き敵だが、その強さは認めざるを得ない。

今のこの部族が彼らと戦えば、赤子の手をひねるように蹂躙されるだろう。


「では、どうすればいいと言うのだ、クロウ殿」

トオリルの声には、縋るような響きがあった。

義経は、鍛錬場の隅で、不満げにこちらを睨んでいる若者たちのリーダー格に目を向けた。

昨夜、義経の加入に反対していた男の一人だ。

「まずは、あの無駄な自尊心をへし折る必要があるな」


義経は冷酷に笑った。

          


その日の午後、トオリルのゲルで、部族の今後の方針を決める会議が開かれた。

集まったのはトオリルと、数人の長老たち。そして、昨夜食事を運んできたトオリルの娘、ボルテも同席していた。

彼女はこの部族には珍しく、聡明な瞳をしていた。ただの給仕係ではなく、父の相談役も兼ねているようだった。

会議の空気は重かった。

話題は、尽きかけた食料と、周辺の脅威についてだ。


「タタル族の動きが活発だ。昨日の斥候だけでなく、本隊も近くまで来ているかもしれん」

「すぐにここを離れるべきだ。もっと北へ逃げよう」

長老たちは口々に悲観的な意見を述べる。彼らの思考は「戦う」ことではなく、「逃げる」ことに固定されていた。


義経は腕組みをしたまま、黙って彼らの議論を聞いていた。

(くだらん)

逃げたところで、ジリ貧になるだけだ。この過酷な草原で、弱い者は淘汰される。


「……逃げてばかりでは、いずれ飢え死にするだけです」

凛とした声が響いた。ボルテだった。


「それに、北へ行けば、今度はメルキト族の縄張りに入ります。彼らはタタルよりも凶暴です」

「ではどうしろと言うのだ、ボルテ! 我々には戦う力などない!」

長老の一人が声を荒らげる。

ボルテは唇を噛み、視線を床に落とした。彼女もまた、絶望的な状況を理解していた。

だが、その視線が、ふと義経の方に向けられた。


「……我々には、彼がいます」

全員の視線が、義経に集まる。

義経は、ゆっくりと顔を上げた。

「逃げる必要はない」

彼の低い声が、ゲルの中の空気を支配した。

「ここに留まり、戦う」

「なっ、馬鹿な! 自殺行為だ!」

「敵は何百騎もいるのだぞ! 我々の戦士は五十人もいない!」

長老たちの反発を、義経は冷たい視線で黙らせた。

「数が多ければ勝つのか? ならば、なぜお前たちは昨日、十人の斥候に怯えていた? 私は一人で彼らを皆殺しにしたぞ」

その事実に、長老たちは言葉を詰まらせる。

義経は続けた。


「戦(いくさ)は数ではない。駆け引きと、地の利だ」

彼は、ゲルの中央に広げられた、羊皮紙の粗末な地図を指差した。

この野営地がある谷の地形が描かれている。


「この谷は、入り口が狭く、奥が広い。袋小路のようだが、両側の崖は急峻で馬では登れない」

義経の指が、地図の上を滑る。かつて、一ノ谷や屋島で、神懸かり的な地形の利用を見せた天才の頭脳が、この異国の地でも回転を始めた。


「敵が攻めてくるとすれば、必ずこの狭い入り口からになる。大軍であればあるほど、ここでは隊列が伸び、動きが制限される」

彼の説明は、簡潔にして論理的だった。

戦いに疎い長老たちでさえ、彼の言葉に引き込まれていく。

ボルテの瞳が、感嘆の色を帯びて輝いた。


「トオリル、私に五十人の戦士の指揮権を預けろ」

義経は族長を見据えた。

「三日だ。三日で、彼らを『軍隊』に変えてみせる。そして、攻めてくる敵を、この谷で迎え撃ち、殲滅する」

それは、あまりにも傲慢な提案だった。

だが、その言葉には、絶対的な自信と、有無を言わせぬ迫力があった。

トオリルは迷った。

部族の命運を、この得体の知れない異邦人に委ねて良いものか。

その時、ゲルの外から、切羽詰まった叫び声が聞こえてきた。


「報告! 報告します! 南から砂煙! 数は百騎以上! メルキト族の旗印が見えます!」

最悪のタイミングだった。

タタルではなく、別の好戦的な部族、メルキトが動き出したのだ。弱った獲物の臭いを嗅ぎつけたハイエナのように。

ゲルの中はパニックに陥った。

「ああ、終わりだ!」「すぐに逃げ支度を!」

トオリルも顔面蒼白になり、腰を浮かせた。

だが、義経だけは動じなかった。

むしろ、その口元には、微かな、獰猛な笑みが浮かんでいた。


「……ちょうどいい実験台が向こうから来てくれたようだ」

義経は立ち上がり、腰の刀の柄に手をかけた。

その全身から、修羅の気が立ち昇る。


「トオリル、決断しろ。座して死ぬか、私に従って生き残るか」

トオリルは、震える声で答えた。

「……頼む。我らを、救ってくれ、クロウ殿!」

義経は短く頷くと、振り返りもせずにゲルの外へと歩き出した。

その背中を見送るボルテの胸は、恐怖とは違う、激しい動悸に襲われていた。

この男は、我らに破滅をもたらす悪魔か、それとも――。

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