第6話  琵琶法師との出会い

信長の軍の大勝に終わった越前一向一揆との戦いだった。越前の国から浄土真宗の僧侶とお寺は一掃された。信長の名代として柴田勝家が75万石を与えられて北ノ庄城に入り、越前府中10万石は前田利家・佐々成政・不破光治に均等に与えられ、府中三人衆として勝家の補佐・監視役を担った。

 信長は大軍を率いて美濃に凱旋したが、捕虜となった栄吉たちは奴隷として連れていかれた。その数は3万とも4万とも言われている。各地の城に分かれて連れて行かれた奴隷たちだが、栄吉と与蔵は信長の本拠地である岐阜城に連行されていた。岐阜城には約3000人の奴隷が配置され、城下の土木作業や小高い山の上にある岐阜城への荷物の運搬などにあたらされた。毎日きつい仕事をさせられたが食べさせてもらって死ぬことはなかった。


 翌年(1576)、突然栄吉たち奴隷が西に向けて移動させられた。岐阜から大垣を超えて関ケ原を超えれば近江の国である。さらに南へ下り安土の地で城を建設する作業に従事することになった。各地に配置されていた奴隷が何万人も集められ、建設工事現場近くに作られた掘立小屋で寝起きして、飯炊き女が作る薄い雑炊を掻き込みながら道路建設や石垣づくり、天守閣つくりなど命令されるままに働いた。このころ栄吉たちは20歳を超えていた。越前の国で生き延びていられたら今頃はおひなと所帯を持っていたかもしれない。子供もできていてもおかしくない年頃に成長していた。


 栄吉と与蔵の最初の仕事は石垣用の大きな石を運ぶ仕事だった。安土の城の石垣に使われた石は安土山やその近辺の湖東地区の自然の石が使われている。江戸時代の石垣が石切り場から掘り出した巨大な石を使っているのと比べると小さな石だが、その積み上げ技術はその時代の最高のものが用いられている。


 栄吉は与蔵と共に琵琶湖の水運を利用して船で運ばれてきた大きな石を運んだ。荷車に乗る程度のものは荷車に乗せたが、荷車に乗せられない大きなサイズのものは修羅という木材を組んで作ったそりのような台車に乗せ、その下に丸太を並べて引きずった。激しい肉体労働で多くのものがけがをして死んでいった。栄吉と与蔵は力を合わせて働いたが、命を落とさないように気を付けて頑張った。いつか越前の国に帰ることが出来るその日を夢見て。

 作業は毎日休みなく続いたが、完成させようとしている城はこれまでの城とはスケールが違う巨大なものだった。城に至る道だけでも石段が組まれ、どんな大きな寺の参道よりも長くて立派なつくりであった。石垣は壮大でそれまでの山城のイメージとは全く違うものだった。この城をモデルにそれ以後の城の作り方が変わってしまうので、この時の驚きは想像を絶するものがあった。

作業開始から2年半を終え、城の全体像がようやくうっすらと見えてきた。作業の途中で城を見上げた栄吉は

「与蔵よ、この城の天守はどこまで高くするのかの? 天まで届きそうだ。」

と呟いた。

「そうよな。こんなでかい城は見たことがねえ。それに城まで続く道は普通の城はわざとくねくね曲がっていて、敵の侵入を防ぐような造りになっているが、この城の参道はまっすぐで広い。もう敵になるような奴はいないってことかな。」と感心していた。

「完成まではあと半年くらいかな。この城が完成したら俺たちはどこへ連れていかれるんだろう。奴隷って言うのは死ぬまで自由には、なれないのかな。」

先の見えない奴隷生活に与蔵が弱音を吐きだしたが、栄吉は

「おれはあきらめないぞ。夜逃げしてでも越前に帰ってやる。与蔵、逃げるチャンスを見逃さないで頑張ろう。」

と希望を口にした。2人は奴隷としての身分に耐えながら逃げ出すチャンスを探して仕事に励んでいた。


 それから半年で城は完成した。完成記念式典が行われ城の建設に携わったすべてのものが勢ぞろいして信長の入城を祝った。栄吉たちは必要な物資を運んで城の上まで上がったところで仕事は終わり、琵琶湖畔の掘立小屋へ戻るために歩いていた。その時、信長を迎える家臣たちが勢ぞろいした列に見たことのある武将を見つけた。捕虜として捕まった時の羽柴秀吉だ。小さな男でネズミのような貧相な顔立ちは忘れることが出来ない。捕虜にされたから憎しみもあるが、殺されずにつれて来てくれたので命の恩人かもしれない。複雑な心境で彼のことを見つめたが、武将たちが全員安土城の入口に集合して信長が岐阜城からやってくるのを待っているという事はチャンスだと考えた。今は警備が手薄になっているはずだ。おそらく今日の夜は城で宴会のはずだ。夜陰に紛れて琵琶湖に漕ぎ出し、対岸まで渡り切れば逃げられるのではないか。そう考えた栄吉はそのプランを与蔵に耳打ちした。2人は掘立小屋に戻ると夜が来るのを待った。お城では大宴会が行われ、城の外でも下級武士たちが久しぶりの御馳走で酒を酌み交わしているのだろう。大きな歓声がかなり遠い栄吉たちの掘立小屋まで聞こえてくる。どんどん飲んでくれ。栄吉は心の中でそう願った。


 夜のとばりが深まって来た。月明かりもなく周りはすべて闇の中である。掘立小屋で寝ていた栄吉と与蔵は周りのみんなが寝ていることを確認して寝ていた筵から起きだした。真っ暗闇の中、小屋から出るといつも監視の人間たちがいる門を避け、塀の一番低いところを狙って飛び乗った。塀を超えると自由の世界である。松林が隣接しているがその松林を抜けると琵琶湖が見えた。波は静かでほとんど明かりがない。月は出ていないので星の明かりだけである。目を凝らすと近くに朽ち果てそうな古ぼけた小舟が係留されているのが見えた。2人は目を見合わせてこの舟で逃げることを確認した。舟はあるが櫂も櫓もない。しかし今を逃すわけにはいかない。2人は舟を出して左右に分かれ手を水面にかきいれて舟をこいで沖に出た。対岸へは朝方までには着けそうである。


 2人は必死に腕を回して舟をこいだ。逃げたい。ただ助かりたい。進め、前へ進め。戻ったら負けだ。ただひたすら琵琶湖を渡って信長から離れたい。琵琶湖の対岸に極楽浄土があるわけではないことはわかっている。しかし安土の町よりは自分たちにとって光と希望が待っている気がした。

『進者往生極楽 退者無問地獄』

ふいに頭にこの言葉が浮かんだ。一揆の時にむしろ旗に描かれていた顕如の言葉だ。この4年はまさに地獄だった。板取の城での戦いで怖くなって後ろへ下がったから地獄へ来てしまったのだろうか。あの時、信長軍の勇猛果敢な武将たちの前に鎌だけを持って前進していったら今頃極楽に行けていたのか。でも、極楽と言うのは死ぬという事なんじゃないか。死んだらおひなにも会えないし、夫婦になるという約束も果たせない。あのむしろ旗の意味は本当なんだろうか。お寺や道場でお坊さんたちから聞く話では、極楽浄土と言うのは花が咲き鳥が歌う美しいところで、阿弥陀様は私たち凡夫が極楽に行けるように願ってくださっているらしい。だから私たちは一心に念仏を唱えて、阿弥陀様に感謝するのだそうだ。死ぬときに目を閉じて、再び目を開けた時には極楽浄土に着いているという事だ。しかし、行って見てきた人は誰もいない。私たちが死んで得をするのは本願寺の門主だけのような気がしてならなかった。加賀の一向一揆の時は当時の門主の蓮如様は一揆に反対したと言うではないか。どうしても死にたくない。せめて村に残してきたおひなと千代に会って、その手や髪に触れたい。


 いろいろなことを考えながらも必死に腕を回し、明け方には対岸にたどり着いた。2人は乗ってきた小舟を隠し、濡れた服が乾くのを待って歩き始めた。しかし着ている服が奴隷用の服なので近くの民家で洗濯して干してあった百姓の作業服を盗んだ。

 戦国時代の奴隷は戦争があるたびに戦利品として下級武士たちが民間人を連れて行って奴隷市場で売りさばく風習がはびこっていた。奴隷は裕福な層に売買されたが大きな戦いで大量の奴隷がもたらされると価格が暴落して価値が下がることも多かった。越前の一向一揆の時に3万人以上の奴隷が近畿・東海地区に連行されたので奴隷価格は下落し、奴隷が脱走してもあまり目立たなくなっていた。そのことも幸いし、2人の脱走は意外と問題にならず、追っ手も迫っては来なかった。

 2人は越前を目指して琵琶湖西岸を北へ向かって歩き始めた。鳴鹿までは30里くらいありそうだ。1日5里歩けば6日くらいかかる。問題は何も食べるものがないという事だ。空腹は限界に達していた。暗くなるのを待って畑で作られていたジャガイモを掘り出して琵琶湖の水で洗って食べたりもした。


 2人が琵琶湖岸をとぼとぼ歩いていると遠くから乞食のような粗末な服を着た琵琶法師が近づいて来た。盲目ではあるが琵琶を背負って歩いていた。すれ違いざまにその琵琶法師が

「あなた方、どちらからいらっしゃったんですか。なんか悩んでいる雰囲気を感じますが。」

と話しかけてきた。黒っぽい法衣を着て坊主頭で目を瞑り、足元のわらじはすり減っていた。手には杖を持って全国を行脚しているようだが、不思議な雰囲気を醸し出している。

「お坊さん、何で悩んでいるとわかるんだい。」

与蔵が応えると

「気を感じるんでございます。元気とか陰気とか天気とか言うではございませんか。気と言うのは不思議な力なんですよ。あなた方が近づいてくるにしたがってもやもやしたものが感じられたんです。きっと何かに悩んでいらっしゃるんだと思ったんですよ。」

と法師は明確に答えてくれた。

「お坊さん、鋭いね。俺たちは4年前、越前の一向一揆で捕虜になって信長に連れてこられて安土城の建設をやらされていたんだ。でも3日前にお暇を頂いて越前に帰るところだ。でも、この4年間を振り返るとおかしいと思うことがたくさんあったんだよ。」

栄吉が応えると

「おかしいと思う事と言うとどんなことなんですか。」

法師が尋ねた。

「おれたちは一向一揆の戦いに参加したんだ。村から50人出せと本願寺からの徴兵の割り当てが来たんだ。戦いに行ってみると『進者往生極楽、退者無問地獄』と書かれたむしろ旗があって何があっても後ろへ下がるな、下がったものは地獄に落ちるぞって脅されていたんだ。でも俺たちは恐ろしくて後ろに下がって小さくかたまっていたところを捕まって捕虜になったんだけど、地獄にはいかなかった。死んだら地獄に行くのかもしれないけど、村の道場で蓮如様の御文書を読んで聞かされたけど、もろもろの雑行雑習自力の心をふりすてて一心に阿弥陀如来を唱えることで我らが今度の一大事の後生を助けてもらい、極楽浄土に往生できるって聞かされてきたんだ。いったいどっちの教えを信じたらいいんだい。そんな悩みだったんだよ。」

と心の中を吐露した。話を聞いた琵琶法師は2人の様子をながめて

「それは数奇な運命をたどられたんですね。一向一揆に参加されたなんて信長の軍隊は怖かったでしょうね。さきほどこちらの方は『お暇を頂いて』とおっしゃってましたが織田軍に捕虜になったのならば奴隷として働かされていたのを逃げ出してきたのではありませんか。」

2人のことを見透かしたように話した。さらに法師は続けて

「このところ越前の一向一揆でも長島の一向一揆でも大量の奴隷が発生して畿内に連れてこられています。奴隷の価格は下落し、逃亡事件も増えていて街道筋で見かける不審な輩は奴隷だった農民が多いです。あなた方もそういう面ではあまり目立たないと思いますよ。無事に越前まで帰られることをお祈りします。ただ、先ほど悩んでおられることが一向一揆の時に聞かされていた『進者往生極楽、退者無問地獄』について本当の所どうだったのかという事でしたよね。率直にあなた方は前に進んで死ねば極楽に行けると思っていましたか?」法師の問いに

「おれは半信半疑だったよ。『進者往生極楽、退者無問地獄』という言葉は聞こえはいいけど疑いを持たずに信じ切ることは俺たちには難しかったんだ。」

与蔵は下を向きながら当時の心境を語った。栄吉も同感だった。法師は

「確か、浄土真宗の教えではひたすら南無阿弥陀仏と念仏を一心に唱える事で来世に向けて仏によって救われるという教えですよね。しかも悪人ですら救われるんですよね。親鸞も蓮如も浄土真宗のために戦えば極楽に行けるとは説いていません。しかも加賀の一向一揆の時には蓮如は戦争することに反対しています。誰がこんな恐ろしい言葉を考えたんですかね。」

と本願寺の顕如を批判するようなことを話し始めた。栄吉はこの言葉を聞いて自分たちが信じていた本願寺のことを批判されることに嫌悪感も感じた。しかし、少し盲目的に本願寺を信じすぎていたのかもしれないというような気持ちも湧いて来た。2つの気持ちを持ったまま怪訝な表情をしていると法師は続けて

「結局、一向一揆で百姓の持ちたる国が出来て一番得をしたのはどこだと思いますか。あなた方、1年半、百姓の持ちたる国になってよかったことはありましたか。」

厳しいところをついてきたが、この法師が世の中の情勢についてよく知っているなと感心した。

「領主が朝倉氏から本願寺に変わりましたが、年貢も安くならないし、あまり変わりはなかったように思います。」

と答えると

「大坂本願寺は各地で一向一揆が成功することで莫大な収入が上がるようになったことはご存じですか。九州でも四国でも伊勢でも北陸でも一向一揆は起きていますが、大阪の本願寺は戦国大名が得ていた収入の数か国にあたる財源を手にするわけです。だからその金額を想像してみるとわかるでしょ。しかも、兵士はお寺を通じて各村に動員をかければいくらでも出てくるわけです。しかも信仰のために戦死したら極楽に行けると信じさせれば、命がけで前に進む勇敢な兵士を調達できるんですよ。本願寺にとって都合のいい制度だと思いませんか。大坂本願寺と信長の戦いはまだまだ続いていますが、私はお寺が戦争するのは反対です。延暦寺も高野山も北陸だと平泉寺も僧侶は僧兵として恐れられていますが、宗教は戦争のためではないはずです。宗教戦争の色合いが強くなると悲劇しか生みません。お二人も北陸へ帰られて普段の生活に戻ると思いますが、信長のやり方も間違っていると思いますが、本願寺を盲目的に信じ切ることも御用心くださいませ。」と言って琵琶を背中からおろしお腹の前に抱えると静かな調べを演奏して歩いて去っていった。


 いったい何者だったのだろう。不思議な琵琶法師だった。親鸞の生まれ変わりではないだろうか。そんな気さえしてきていた。どんな教えも最初に説かれた時の精神が後世に正しく伝えられることは大変難しい。途中の人たちの利害関係が絡むと、自分に都合がいいように解釈を捻じ曲げてしまうからだ。最初の頃の純粋な精神を忘れないように気をつけなくてはいけないと栄吉も与蔵も思いを新たにした。


 そこからは順調に越前の国の鳴鹿村まで歩きとおした。村に帰るとみんなが幽霊でも見るように驚き、4年ぶりに帰ってきた2人を迎えてくれた。特におひなと千代は驚きを隠せなかったが涙ながらに胸に飛び込んできた。2人とも新たな嫁ぎ先を探さず、この2人の帰りを待っていてくれたことを栄吉も与蔵も感謝した。

2人は琵琶湖の西岸で出会ったあの琵琶法師のことを思い出しておひなと千代に話した。盲目の法師だったが世の中のことをよく見てよく知っていた。それに引き換え自分たちは目が見えているが神髄を見ていなかったことに気づき、盲目であったのは自分たちの方だったと思い知らされた。4年間の地獄を味わい、やせ細った体に目だけがギラギラ光る姿になって戻って来た2人をおひなと千代は優しく包み込むように抱きかかえてくれた。九頭竜川の鳴鹿の渡しの渡し場で2組の夫婦が川を眺めながら戻ってこられた幸せをかみしめて肩を寄せ合っていた。70年ほど前に一向一揆の戦いで一向衆の軍勢と朝倉軍の軍勢が睨みあったこの場所で。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

盲目の戦士 @eijiro2011

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る