第5話 百姓の国の終焉
栄吉とおひなは栄吉の熱心なアプローチでようやく秋田屋の伊右衛門の許しを得て夫婦になる日を待つばかりになっていた。与蔵も亀屋の千代にアプローチをかけていたが、亀屋の父親がどうしても許しを出さなかった。会う事も許さない状況だった。
ある日、栄吉は与蔵を呼び出して河原で作戦を練ることにした。2人が練った作戦はおひなに頼んで千代を誘い出し、村の裏山の堤で4人で会って千代を説得しようというものだった。百姓の持ちたる国になって一揆に駆り出されることも今のところないという事で、若者たちも少し気が楽になった時期だった。
まず栄吉がおひなを呼び出して作戦を説明した。おひなは4人で一緒に行動できるというところに楽しさを感じたようで大いに乗り気だった。おひなは早速亀屋に行き千代を呼び出し、いっしょに山でワラビやぜんまいを取りに行こうとさそった。千代は
「今日は無理だけど明日ならいいよ。」
と答えたので作戦決行は明日という事になった。
翌日、おひなが千代を誘い裏山に入っていくと程なく堤に着いた。2人が堤の水を眺めていると栄吉と与蔵が山影から現れた。与蔵は
「千代、よく来てくれたな。おれはずーと前からお前のことを好いている。お前の所の親父がどうしてもお前と俺の交際を認めないんだ。おまえはどう思ってるんだ。」
と問いかけると千代は
「与蔵さん、ちょっと待って。おひなちゃん。これは作戦なの?与蔵さんがいる事を知ってて私を連れてきたの?」
と事の成り行きを確かめた。おひなは
「千代ちゃん、だましてごめんね。こうでもしないと千代ちゃんのお父さんが外へ出してくれないでしょ。与蔵がどうしても千代ちゃんと話がしたいって言うもんだから。」
必死に弁解するおひなだった。
「怒ってないよ。うちのおとっちゃん、頑固だから、おひなちゃん、ありがとう。」
とおひなの肩に手をかけ千代は感謝の姿勢を取った。そして与蔵の方を向き
「与蔵さん、あんたの気持ち、とってもうれしい。私も小さい時から与蔵さんのことを好いていたとよ。おとっちゃんが許すも許さねえも、おらの人生だからおらが決める。与蔵さん、このまま与蔵さんの所へ行きたい。」
激しい気持ちを告白した千代だった。
「このままうちに来てしまったら亀屋の親方はうちに火をつけるかもしれない。2人して亀屋のおとっちゃんの所へ許しを請いに行こうよ。千代ちゃんがそんなに思ってくれていたなら話はそう難しくはないさ。」
と言って4人は山菜取りなどはそっちのけで笑顔で村の方へ帰っていった。
亀屋の玄関の戸を開けると土間の奥に伊右衛門さんと庄左エ門が亀屋の主人と話し込んでいた。与蔵は亀屋の主人に
「亀屋の親方、話があるんですけど。」
とおずおずと千代と並んで話しかけようとした。すると栄吉の父親の秋田屋の伊右衛門が
「おまえたち、良いところに来た。あとで若い衆を集めるけどまずはお前たちもいっしょに聞いておけ。庄左エ門さん、お願いします。」
と話題を庄左エ門に振った。すると
「実はな、去年の2月に富田様の軍勢を追い払って越前の国は百姓の国になったんだけど、まだ1年と半年しか経ってないのに織田信長の軍が越前に向かっているらしいんだ。しかも織田信長みずから軍を指揮し、徳川家康や羽柴秀吉や明智光秀、柴田勝家、前田利家など信長の家臣が勢ぞろいで3万の大軍を率いて領地を取り戻しに来ているらしいんだ。今度は桂田様をやっつけた戦いや富田様との戦いの時とはわけが違う。武田勝頼を退け、今や天下人になりつつある信長だ。兵士も戦いのプロが3万人だ。また加賀から援軍が来てくれたとしてもこっちは普段百姓をやっている足軽ばかりだからな。勝てるかどうかわからねえ。でもな本願寺から出撃の命令が来てるんだ。本願寺の顕如上人から守護代の下間様に信長を討てと文が来たそうだ。今度ばかりは気合を入れなおして戦わねえと越前の百姓の国は守れないかもしれない。お前たち、鳴鹿の村の兵を集めるのにも協力して欲しい。」
と悲壮感を漂わせて語った。栄吉も与蔵も鳴鹿の若い衆たちは頑張らないといけないという宗教上の義務感はあった。しかし本願寺側の一向衆の総大将は下間頼照である。本願寺から派遣された守護代だが民衆のための政治ではなく、自らの利益と本願寺の利益を優先した厳しい政治を行った守護代だった。つい最近まで対立した相手を総大将に据えて戦えと言われても本気になれない。しかも今度ばかりは命の保証はないのである。与蔵は栄吉に小声で
「栄吉、信長って言うのは随分恐ろしい奴だというじゃないか。百姓を皆殺しにするのかな。」
と問いかけると栄吉は
「百姓をみんな殺しちまったら誰が田んぼを作って年貢を払うんだい。少しは殺すかもしれないけど百姓じゃなくて武士や坊さんを殺すんだと思うぜ。」
と与蔵の耳元でささやいた。
村の長老で道場役の庄左エ門さんはさらに続けて
「みんな、これまでは村から10人ほどの要請がお寺からあったんだが、今度ばかりは50人だ。若い衆だけじゃなくて年寄りも含めてみんな行かなくてはいけない。今晩の村の寄り合いでみんなが出てくれるようにお前たちも率先して協力してくれ。」
と改めて頼んできた。栄吉の父親の伊右衛門も
「鳴鹿の村は昔から信仰の厚い村だ。村じゅう全員が超勝寺の門徒で毎月3回、御講様を続けてきた村だ。命に代えても一向衆の国を守らないといけない。栄吉も与蔵も力を貸してくれ。俺も年寄りだけど参加するつもりだ。」
と一揆に自ら参加することを表明した。
その日の夜、臨時の寄り合いが道場の大広間で開かれた。庄左エ門さんから事の経緯が説明があり、村から50名出してほしいとお寺から要請があったことを話した。村の男たちは
「せっかく去年、信長を追い出して百姓の国にしたんだし、お寺の御住職が出てくれと言うんだからみんな頑張ろう。」
という意見を言うものもいた。しかし、多くの男たちは
「南無阿弥陀仏は大切だと思うけど、命を懸けるのは難しいな。それに加賀の一向一揆の時には蓮如様は一揆を起こすことには反対だったというじゃないか。百姓はおとなしくして南無阿弥陀仏と念仏を唱えていればいいんじゃないかな。」
という意見も多かった。いろんな意見が飛び交った。しかし最終的は村の長老たちの意見で他の村からも要請通り出るから、鳴鹿としても命を落とさないように気をつけながら要請通りの数を出す決議をした。
取り急ぎ村を出た栄吉たち鳴鹿の衆50名は集合場所である板取の城(現今庄町板取)に入った。板取城には下間頼俊と加賀・越前の一揆勢が配置され、ほかにも木目峠や鉢伏城、今城・火燧城 大良越・杉津城 竜門寺などに分散して戦いに備えた。板取の山城で加賀からの援軍の一向衆と合わせて数万の軍勢だったが、相手は織田信長の軍勢という事で一向衆の百姓たちは恐怖におののいていた。栄吉も明日をも知れぬ命を悲しみ、死の恐怖から身震いがしておさまらなかった。
「与蔵、おれ怖くてたまらねえよ。信長の軍はえらく恐ろしいって言うじゃないか。長篠の合戦では天下無敵の武田の騎馬隊を鉄砲で打ち破ったらしい。抵抗して捕まると容赦なく首を落とされるっていううわさを聞いたぞ。」
と与蔵の耳元でささやくと
「おれも聞いたぞ。小谷城を攻めた時も妹のお市の方の主人である浅井長政を許さず、城を焼き討ちして全滅させたとか。おそろしいお方だな。」
与蔵も恐怖におののいていた。
城に集まった百姓の足軽たちにむかって司令官と思われる坊主がむしろ旗に書かれた文字を示しながら何か叫んでいる。
「皆のもの、よく聞け。おぬし等は御仏に守られた一向宗徒だ。一心に南無阿弥陀仏と唱えることで大事な後生を極楽で過ごせるのだ。この戦いに際し、恐怖に耐え一心に南無阿弥陀仏と唱えながら敵に対し前進することこそ阿弥陀如来の教えにこたえる道である。この旗を見よ。『進者往生極楽、退者無問地獄』とある。南無阿弥陀仏を唱えながら前に進むものは極楽に行ける。しかし後ろに下がったものは問答無用で地獄に落ちると書いてある。本願寺より頂いたお言葉である。決して下がることのないように。命を懸けて越前を守るのだ。」
と百姓たちを鼓舞した。百姓たちは「おー」とときの声をあげたが、栄吉たちを含めて心の中では恐怖に支配されていた。
織田勢の到着は思いのほか早く、8月12日に岐阜を出発し、翌13日に羽柴秀吉の守る小谷城に宿泊。ここで小谷城から兵糧を出し、全軍に配り、14日には織田軍は敦賀城に入った。15日には南条を超え、府中(現越前市)に入った。越前の国、全域で激しい戦いが始まった。板取城で構えていた栄吉たちの所にも一気に織田の先鋒隊が攻め込んできた。明智光秀と羽柴秀吉の軍であった。どちらも信長の命令で各地を平定してきたつわものである。栄吉たちは城に籠り織田軍の攻めにじっと耐えていたが、織田軍の鉄砲隊と武将の先制攻撃にばらばらに退散せざるをえなかった。しかしその場を離れるに際には指揮官から言われた『進者往生極楽、退者無問地獄』が頭の中をよぎった。しかし命には代えられず全力で後ろに後退してしまった。指揮官は「下がるな」と叫んでいた。しかし所詮百姓のにわか仕立ての足軽である。指揮官の言葉も聞かず安全な場所に後退してしまった。
板取の城の戦いは大将の首がとられて、わずか半日で決着してしまった。栄吉たちは命からがら逃げたものの城から出ることもできず、後方の蔵の前でうずくまって戦さが終わるのを待っていた。恐怖から顔をあげることもできず小さくなっていると織田信長軍の武将たちが入って来た。鎧兜を身につけた立派な武士が見事な刀をふりかざして歩いて来た。周りには何人もの武士が脇を固めている。
「殿、お気をつけてください。残党がたくさん残っています。」
「わかっておる。歯向かうものは切り捨てよ。恭順を示すものは捕虜として連行せよ。」
とその武将は命令した。その声を近くで栄吉は聞いていた。その時、他の武将が呼びかけた。
「秀吉殿、無事でございますか。残っている足軽たちにも気を付けてください。」と話しかけている。栄吉はその話を聞いてこの鎧兜の武将が秀吉であることを知った。そしてわずかに顔をあげてその人物の顔を確認した。背丈は小さく小男で顔は猿のように赤ら顔であった。天下にその名を知られた秀吉と聞いていたのでどんなにつわもの顔かと思ったが、鳴鹿の村にもいくらでもいそうな百姓顔だったので拍子抜けした。
その時、その武将も栄吉に気が付き
「こやつ、生きておったか。切り捨ててやる。」
と刀をあげて近づいて来た。栄吉は殺されると思いその場を逃れる方法を考えたが、何も浮かばなかった。そこで
「お許しください。連れてこられた百姓でございます。」
と言ってその場に平伏して土下座をしながら泣き叫んだ。秀吉は冷静に刀をおさめると周りの取り巻きに
「捕虜として連行しろ。」
と言って栄吉と与蔵を連れて行った。これが秀吉との最初の出会いであった。とにかく栄吉たちは織田軍につかまり捕虜となってしまった。
敵陣地の捕虜収容の場所に連れてこられた栄吉は与蔵たちがどうなったのかと周りを見渡した。すると与蔵も鳴鹿から来た他の連中も何人かいるのを確認できた。50人で来たが今確認できたのは15人ほどであった。35人はどうなったんだろう。殺されてしまったのが20人いたとしても15人は城を抜け出して鳴鹿に帰ったのだろうか。不安になったが他のものの心配をしている場合ではなさそうだ。捕虜となった自分たちはこのあとどうなるのだろうか。本願寺と織田信長の間で捕虜を交換するような交渉があるとは考えにくい。信長にとって本願寺は天敵なのだ。看守の目を盗んで与蔵に近づくと
「おれたちどうなるんだろうな。」
と話しかけた。
「殺されるのかな。信長にとって一向衆は天敵だからな。でも寺の坊主は憎いかもしれないが、俺たち百姓は坊主の指示に従っただけの兵隊だから、別の使い方をするかもしれないな。金に換えるために奴隷として売るかもしれない。」と与蔵は冷静な判断をした。恐怖の中で与えられた食事を食べ、自らの命がどうなるのかわからず途方に暮れる栄吉だったが、同じ思いの百姓たちは板取だけで数千人もいた。
一揆は完全に崩壊し、一揆衆の多くは混乱の中取りあえず右往左往しながら山中へ逃げていった。しかし信長は殲滅の手をゆるめず、
「山林を探し、居所が分かり次第、男女を問わず斬り捨てよ」
と命じた。特に坊主は見つけ次第殺され、越前の国の百姓の持ちたる国はわずか1年半で終焉を迎えた。
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