第2話 闇に隠された真実の予感

翌日、私は体調不良を訴えて学校を休んだ。昨日経験した極度の緊張と精神的な衝撃は、頭痛と吐き気という形で、明確に肉体を蝕んでいた。枕に顔を埋め、暗い部屋の中でうずくまっても、瞼の裏には踊り場に立つ、下半身のないセーラー服の残像が焼き付いて離れない。


 昼過ぎ、意を決して私は自分の部屋を出た。廊下の隅から、恐る恐る階段を覗き込む。太陽の光が、苔が生えたコンクリートの壁を照らし、踊り場のシミや汚れが詳細に見えた。彼女の姿は、どこにもない。


「やっぱり、気のせいだったんだ。夕暮れの光のイタズラだったんだ」


 心底、安堵が広がった。全身の力が抜けていくような感覚に襲われる。私は階段を下り、団地の外へ出て、新鮮な空気を吸い込んだ。


 団地の外側は、どこにでもある、古びた集合住宅の風景だ。どこにも怪異の気配はない。しかし、再び四号棟の階段に戻り、四階から五階へ上がろうとした瞬間、私の額に、昨日と変わらない、冷たく粘着質な視線が突き刺さった。


 私は足を止め、顔を上げた。そこにいるはずの五階へ続く踊り場には、誰もいなかった。だが、見えない何かが、頭上、踊り場から私を見下ろし、私の存在を静かに値踏みしているような、確かな圧力を感じた。


 私は、その踊り場を通り過ぎる時、無意識に呼吸を止めて駆け抜けた。この団地では、目に見えない何かが、常に私を監視している。


 その日の午後、私は自分の抱える恐怖が、単なる幻覚ではなく、この団地に隠された過去の真実と繋がっていることを突き止めなければ、精神が確実に破壊されると悟った私はノートパソコンを開き、インターネットの闇へと手を伸ばした。


 検索窓に、呪文のように「T団地 事故」と打ち込む。最初にヒットするのは、区役所の古い防災情報や、不動産の賃貸情報ばかり。しかし、検索ワードを「T団地飛び降り階段」「T団地変死女子高生」と絞り込むと、インターネットの奥底に追いやられていた、怪しげな情報が浮上してきた。


 それは、公的なニュースとは程遠い、古い匿名掲示板のスレッドや、都市伝説マニアの個人ブログだった。情報源は不明確で、日付や人物名は曖昧だが、ある一点で、驚くほどに共通する記述があった。




    四号棟は出る。階段の噂は本物。見ても逃げるな。


    三十年くらい前の事故。夜中に女子高生が階段から落ちた。ただの事故じゃなか


   った。


    下半身の損傷が酷すぎて、警察は当初、事件性を疑ったが、住人の証言がすべて


   一致したため、最終的に「転落による事故死」として処理された。


    遺体の発見場所は、四階と五階の間の踊り場。




 私の心臓は激しく波打ち、手のひらがキーボードの上で汗に濡れた。下半身の損傷。女子高生。発見場所は、私が恐れて見上げた五階へ続く踊り場。そして、私が住む四号棟。  


 私が目撃した恐怖の光景は、三十年前にこの団地で実際に起こった、凄惨な事件の生々しい残像だったのだ。


 しかし、なぜ、ただの転落ではありえないほどの損傷を負ったのか。そこに、この団地が三十年間隠し続けている、人間の悪意が絡んでいることは間違いない。公的な記録は、団地の平穏を保つために改竄され、封印されているはずだ。


 私は、この過去の事件の真相、そしてあの女の正体を突き止めるには、この団地の奥深くにいる、過去の生き証人を探すしかないと確信した。


 私は、団地の裏手にひっそりと佇む管理人室の田村さんを思い出した。彼は、団地ができた頃からここにいる、全てを知る老人だ。彼の口から、この澱んだ空気の根源となる真実を引き出す必要がある。私の日常を取り戻すためには、この悪意に満ちた過去と対峙するしかない。

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