紺碧の断罪
紺碧の断罪
作者 見咲影弥
https://kakuyomu.jp/works/822139838285377587
息子を失った母と恋人を失った青年が死の真相を追い、やがて壮絶な深い闇に辿り着く喪失と贖罪の長編ミステリー。
家族愛と社会問題を絡めた深い人間ドラマ。
伏線が見事に張られ、謎解きの面白さが際立っていた。息子の秘密と死の真相に迫る母親の愛と葛藤はスクロールする指を震わせるほど深い。
性被害や偏見を家族の血と涙に昇華し痛みと希望を丁寧に描く筆致に心奪われた。序盤の緩やかなテンポはやや退屈だが、中盤以降の展開と真実味が圧倒的で一気に引き込まれる。
最後の手紙は赦しと生きる覚悟が静かに滲み余韻を残している。喪失の果てに差す希望が読後、胸の奥で疼き続けた。
主人公は図書館司書をしている鳴瀬百合子。一人称、私で書かれた文体。ラストの手紙は大学生の堂島一実。一人称、僕で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られ、感情の距離感を絶妙に演出している。落ち着いた語り口で丁寧に心理と情景を描写し、行間に人物の内面を巧みに滲ませている。
難解な表現を避けつつ深層心理を表現する技術に長け、細やかな感情の揺れや生活感を積極的に取り込んでいる。爆発する瞬間にだけ熱を帯びる「静と動の波」が非常に上手い。詩的な比喩(深海・青・潮騒・血の匂い)が全編に統一感を与え、読後感を青く染めている。会話も自然で親近感が湧きやすい。
二重構造型・対比的葛藤曲線と女性神話の中心軌道に沿って書かれている。
三幕八場の構成になっている。
一幕一場 始まり
大学生だった息子の鳴瀬飛鷹が崖から転落死してから数か月。母である百合子は図書館司書として日々を淡々と過ごすが、心は凍りついたままだ。ある日、飛鷹の恋人だった堂島一実が現れ、「死の真相を一緒に調べてほしい」と申し出る。二人は毎週ファミレスで会うようになる。
二場 目的の確立
百合子は飛鷹の遺品からスマホ・煙草ケース・ショップカードの欠片などをみつけ、一実は大学のゼミ教授の小野寺に相談。飛鷹の死が本当に単なる転落事故だったのか」を明らかにするために調査が始まる。
二幕三場 最初の課題
飛鷹の元カノである城崎鏡花との接触で「高校時代にカモフラージュ用の彼女がいた」ことが判明。一実はショックを受けつつも「それでも受け入れる」と言い、百合子に「どんな真実でも知りたい」と告げる。
四場 重い課題
中学時代のいじめ被害者、首藤光輝と接触。飛鷹が生前、性被害の実態を公にしようとしていたことがわかる。さらに幼なじみだった真田類の家を訪ねると、類は狂気に近い状態で「真っ青な光の底で飛鷹と溶け合った」と語る。百合子と一実は、加害者が最愛の父親代わりであるカフェ「アトランティス」のマスターである可能性にたどり着き、凍りつく。
五場 転換点
小野寺教授が飛鷹の中学時代の詩『深海』を読み解き、「性被害によるトラウマの叫び」であると断定。百合子は全てを悟り、一実は復讐を決意し連絡を絶つ。
六場 最大の危機
飛鷹の命日。一実はナイフを手にマスター殺害に向かおうとする。百合子はそれを阻止するため、一実を自宅に呼び、睡眠薬で眠らせる。
三幕七場 最後の課題・ドンデン返し
百合子は一人で「アトランティス」へ行き、マスターと対峙。マスターはあっさり「秘密をバラそうとしたから仕方なかった」と自白。百合子は果物ナイフでマスターを刺し、自らもテラスから海へ身を投げる。
八場 結末・エピローグ
マスターは重傷ながら生存、逮捕される。カフェと自宅から大量の証拠が発見され、数十人規模の児童性被害が明るみに出る。殺人未遂で服役(推測)している百合子の元に一実から長い手紙が届く。一実は心理学部に編入し、被害者支援に尽力。真田類も治療を始め、首藤光輝も前に進み始めている。手紙の最後には「だから百合子さん、生きてください。また会いましょう」と結ばれていた。
「ほんの少しのきまぐれだった」の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どんな関わりを見せていき、どのような結末に向かっていくのか、とても興味が湧いた。
本作の冒頭は、近景からはじまる。
「ほんの少しのきまぐれだった。本の上にうっすら積もった埃に息を吹きかけてみると、綿毛のように宙を舞っていった」図書館内のホコリからはじまり、近景「薄ら寒い蛍光灯の光の中で、埃はさながら夜空の星みたいに煌めき、そしてどこかに消える」蛍光灯と埃の煌めきを描く。
心情「こんなものにさえ心を動かされてしまう、我ながら清貧な人間だと思う」と語る。
また近景「棚の場所と背ラベルを確認しながら返却本を一冊ずつ、丁寧に差し込んでゆくこの作業は(中略)音を立てたら爆発するなんていう大層な話でもないのだけれど、それに近い感覚で慎重に本を戻している」が描かれてる。
再び心情「そうは言うものの、私はこの作業が好きだ。淡々とした作業ながらも、他に思考が逃げないからだ。息を潜め、一挙手一投足に神経を尖らせる。そうしている間は、それ以外の何もかもを忘れられるのだ。現実逃避にはちょうどいい作業だった。同僚は皆、動き回ることの少ない返却処理やカウンター対応などをやりたがるけれど、私は率先して排架作業をする。その理由はきっと誰も知らないはずだ」
再度、近景で図書館内の客層「昼下がりの図書館はシニア層と主婦層の利用者が多い。それと子連れがちらほら」と描き、近景から心情へ「『静かに』と制する母親の声のほうが子供のささやき声より大きいのだから可笑しい」と移っては、また心情「そんな微笑ましい光景に心も幾分か和むけれど、浸りすぎてはいけない。自分自身の心の空洞に否応なく目を向けざるを得なくなってしまうから。私もあの頃は、なんて考えてしまえば、仕事に身が入らなくなってしまう」思いにふけったのち、近景へ「彼女らに背を向けて、私は独り排架作業へと戻る」と移る。
ここでようやく遠景(窓の外の景色)「突き当りの大きな窓からは青々と茂った木々が覗いていて、木漏れ日がアスファルトの上で揺れている」遠景+季節感「絵に描いたように穏やかな午後」を入れて遠景「この時間はまだ、自然光のほうが明るい。からりと晴れた空に対して、図書館の中はどちらかというと薄暗く、湿っぽい空気を帯びている」
遠景から近景で自身の体感を語り、「昼間は室内でも汗ばむほどに暑かった。エアコンがさほど効いていない図書館で動き回ると、汗でびっしょりになってしまう」心情へと入っていく。「昼休憩のときエプロンを脱ぐと肩のラインに汗染みができていたのを思い出した。今も少し、肩の辺りに汗が溜まっているような気がする」
近景→近景→心情→近景→心情→近景→遠景→遠景から近景→心情といった具合に、本作は近景からはじまり、心情と近景を小刻みに行き来しながら、最後にやっと遠景へ抜け、近景、心情へと至る流れで書かれている。
非常に珍しい「内側→外側へゆっくりと浮上していく」構成。
普通の小説なら遠景(穏やかな午後)から始めて徐々に内面へ潜っていくところを、あえて「図書館の中の埃」からはじめ、「埃にすら心を動かされる自分」という心情を先に突きつけてから、最後にやっと外の青々とした木々を見せている。
この順番こそ、百合子はまだ深海の底に沈んだように、外の世界をまともに見られない心理状態を、冒頭で読者に身体感覚として叩き込んでいるのだ。
だからこそ読者は、「この人はまだ死んだ息子のことで壊れている」と即座に理解し同時に、「でも日常は続いている」という残酷なコントラストに描いてみせようとしている。
意図はわかるが、まだこの段階では息子が死んでいることを読者は知らない。なにかしら気持ちが沈んでいる、寂しげで憂いのある感じを漂っているように感じ取るのではと推測される。
どんな主人公なのかを描くことに成功しているのだけれども、読み応えあるエンタメ作品として、冒頭から面白そうだと思わせられているかといえば、やや弱い。
息子を失って「心に空洞」「睡眠薬がないと眠れない」「遺体の冷たさがまだ手に残る」「埃にすら感動してしまう」孤独な日常を過ごしている主人公の姿に可哀想に思う。
「自分は最低な母親」「逃げてるだけ」「意地悪な質問をして後悔」「綺麗事を言って自分に嘘をつく」弱さやエゴ、自己嫌悪を全部さらけ出すところに人間味を感じる。
図書館で音を立てない気遣い、シングルマザー時代に素直に感謝できた謙虚さ、若い子の生き方を心から祝福する寛容さ、最後「逃げ続けた自分を変える」と決意する勇気には、誰もが望む資質がある。
「こんなに辛いのに、こんなにダメなところもあるのに、こんなに優しくて立派な人」という三拍子が揃った瞬間、百合子に共感し、離れられなくなって読み進めていける。
伏線回収はなされているところが良かった。
セブンスターの箱の欠片、シトラスの柔軟剤の匂い、「しー」の仕草、Ψマーク、未送信メール。すべてが最後の数十ページで一気に繋がる。
青のモチーフが全編を支配している。アトランティスの照明、マスターのニット帽、真田類の「真っ青な光の底」、血で染まる海。タイトルの『紺碧』が最後につながる瞬間は、言葉を失うほどである。
性被害という重要テーマを、直接描写なしで描き切る抑制は圧倒的。飛鷹の詩と被害者の壊れた仕草だけで何が起きたかを完全に理解し、胃が締めつけられる。
最大の逆転劇は復讐の主体が母である点。読者は恋人である一実が復讐すると信じ込んでいるところを、百合子が睡眠薬で眠らせ「私が殺す」と決行する。
母の愛が最も恐ろしい形で爆発する展開には驚かされる。かといって復讐を果たして絶望の底で終わらせない。性被害という重いテーマを「愛と贖罪」に昇華させている。
ラスト一実の手紙が届く。二五〇〇文字という手紙らしい長さ、言葉の選び方、「希海」という名前。望みと救いを残し、読者は初めて息をつけられる。
心理描写の深さ、登場人物の多層性、社会的テーマを押し付けない筆力、感情を積み上げる構成力が実に良かった。
五感描写は、無駄な装飾は一切なく必要な瞬間に鋭く刺さるよう描かれている。
視覚は、「ジャケットには少しだけ血がついていた」「こんなに大きくなってたんだ」「ひしゃげたセブンスターの箱」「真っ青な光の底で、僕らは溶け合って、ひとつになったんだ」「血溜まりがじわじわと放射状に広がり、どす黒い血溜まりをつくってゆく」「月光がステンドグラスに入射して、床面を青く染めていた」「夜空から降り注ぐ月光を浴びて水面が時折煌めいている」
聴覚は、「潮騒が、言葉にならない思いを総て攫っていくように響いていた」「バイクの音がした」「血がとくとく溢れ出す」「ごぼ、と血を吐きながら彼は私の名前を呼んだ」「寝息だけが聞こえた」「からんころん、とベルが鳴って」
嗅覚は、「セーターにはあの子の匂いがまだ残っている。我が家のものではない、柔軟剤の匂い」「なにか強烈な臭いがした」「油性絵の具のものだ」「鉄の臭い」「潮風が首筋を優しくなぞった」「血に塗れた肌を優しくなぞってゆく」
触覚は、「冷えた指先」「手汗がひどくて」「震えていた」「温い飛沫」「冷たい潮風が頬を裂くように滑る」「ぬらり、と温い液体が指を伝ってゆく」「冷たい水が、私を優しく包み込んだ」「ナイフの柄からそっと手を離して」
味覚は、「相変わらず、ここのコーヒーは薄い」「マンデリンを一口飲むと、ハーブのような風味が広がった。特有の苦みが染み渡り」「口に含んだコーヒーの味も美味しいのか不味いのかもう分からない」「冷たい水が、私を優しく包み込んだ」(海水の塩味が暗示されている)
五感はすべて「青=海=カフェ『アトランティス』」と直結し、読み手は無意識のうちに「ここは危険な場所だ」と刷り込まれていく。特に最終話では、視覚(青い光+血の赤)、触覚(血と潮風)、嗅覚(鉄の臭い)、聴覚(潮騒)が同時に襲いかかり、深海に沈む感覚を身体ごと味わう構成になっている。五感を用いた書き方が、最後に届く一実の手紙で救う作品といえる。
主人公の百合子の弱みは、目を背ける癖があること。息子の変化に気づかず、都合のいい母親像に固執している。過剰な自己犠牲を持ち、息子を守れなかった罪悪感で自分を罰し、最後まで一実を「守らなきゃ」と暴走してしまう。真実を受け止める覚悟が遅いため、気づいていながら認めたくない気持ちが働いてしまう。
数行の中におなじ言葉がくり返し使われて重複っぽく感じるところがある。「そして、という、ような、ように、みたい、そんな」などの水増し表現やこそあど言葉などの指示代名詞は、ここぞというところ以外は削るか別の言葉に置き換えるかすると読みやすくなる。
長すぎる地の文や心理描写は、短い段落に分けることで、視覚的な読みやすさとリズム感が向上する。口語的な会話文を増やしたり、セリフと地の文を交互に配置したりして、物語にテンポをつけてはどうだろう。比喩や五感描写を織り交ぜて臨場感を増すことで単調さを防げる。
テーマが重いので、間に日常のほっとする場面やユーモアを感じさせる描写(飲食のシーンや人物のささやかな交流など)を挿入されていると、読者は息継ぎできる。書かれているけれども不穏な空気が漂っているので、主人公と若者の会話の、ほのぼのとしたやり取りや人物間の笑顔や自然な仕草描写を挟み、物語のキツさと希望や救いの兆しを織り交ぜて読者の感情の起伏を作り、没入感を持続させる。そのために、ホッとする描写で緩急をつけられるといいのではと考える。
本作は、冒頭のフックが弱い。
最初の十行ほどで「埃が舞う」「排架作業が好き」「現実逃避」と書かれ、読者は主人公は誰で、ここはどこで何が起きているのかと悩む。
「息子が死んだ」話が出てくるのは三千六百字くらい、原稿用紙だと十枚くらい読み進めていかないと出てこない。一次の冒頭チェックの分量だとギリギリ、もしくは満たない状況で見えてくるのだ。
最初の事件性や謎、衝撃がゼロ(図書館を利用する親子や、本をきっかけに一実と会っているので、ゼロは言いすぎかもしれない)で、現在進行形でとんでもないことが起きる気配が皆無。
世に出ている一般レーベルの書籍だと、書き出しは良くない。
一次選考では冒頭フックでBをつけた。
だけれども、作者は意図的にフックを抑えていると思われる。
ファンタジーなどで見かける、日常からはじまり非日常に入り彷徨い、日常へと帰還する流れで書かれている。しかも普通の日常からはじめることで、これから訪れる地獄の残酷さを際立たせるためなのだ。
「埃に感動する寂しい母親」からはじめて無防備に感情移入させ、その状態で第三話「実は息子死んでました」と明かして心臓を鷲掴みにさせる。
静かな冒頭だからこそ、最後「母がナイフで刺す」シーンが衝撃的になる。
最初からド派手にするとクライマックスで麻痺し、インパクトが薄れるかもしれない。
だとしても、読み応えあるエンタメで質の高い作品を求めているので、冒頭のつかみは何かしら欲しい。
現在の本文の意図を損なわず、フックある冒頭が欲しい。
「息子はもうすぐ一周忌を迎える。なのに私は今日も、図書館の本の埃を吹き飛ばして、『綺麗だな』なんて思ってしまう。我ながら、最低な母親だ」を書き加えるか、あるいは「私はこの作業が好きだ。だって、こうしている間だけ――飛鷹が死んだことを、忘れられるから」というのを冒頭後に書き加えるだけで、原文を残したままフックが強くなると想像する。
カフェ・アトランティスは海岸沿いにあると書かれている。
「テラスに出ると、潮騒が耳に届いた」
「テラスに出て、夜の外気に身を晒す。それから、テラスの欄干に上った。どこまでも果てしなく広がる海に両手を伸ばす。海は、まるで私の罪をも包み込むかのような穏やかな表情をしていた」
「ふっと身体の力を抜いた。私の身体はゆっくりと前傾してゆき、欄干から爪先が離れる。ふわりと宙に浮いて、刹那、鈍い水飛沫とともに海に呑まれる。冷たい水が、私を優しく包み込んだ。吐き出した泡沫が次第に遠ざかる」
ただ、カフェのテラスがどういう場所にあるのかわからないため、モヤモヤする。
二話で、「『アトランティス』――真っ白な壁が特徴の、スタイリッシュなカフェだ」とあることから、平屋か二階建ての低層店舗な雰囲気。高さ十メートル以上ある断崖絶壁の上にある高台のカフェのテラスから飛び降りるなら、生き残れないだろう。
建築基準法や海岸法、都市計画法で考えると、崖地(傾斜三十度以上)は「崖崩れ危険区域」に指定されやすく原則として建築不可。海岸保全区域内は「工作物の新築」が厳しく制限される。
とはいえ、崖の上に建てることは稀にある。海岸の断崖絶壁にあるカフェとしては、福井県の「IWABA CAFE」兵庫県淡路島の「TRATTORIA amarancia」など。テラスから海を一望できるが、すぐ海に行けるほど傍に立っているわけではない。
東京湾にせり出した千葉県の「The SUNSET Pier & Café」は、高低差は少ないのでテラスから落ちても助かると思われる。北海道の「ペンギンズ・カフェ工房」は海前にあるが崖はないし、高低差もない。北海道の「まりんはうすふるびら」は目の前が海でも砂浜が前にある。
テラスを乗り越えて断崖に近寄っていき、飛び降りる流れを描かれていると自然に受け入れらるのではと考える。
マスターの告白シーンは物語の山場。場面としては盛り上げているが、現状では告白シーンがあっさりしており、感情の揺れや心理的な葛藤が浅く、読者が没入しづらい状態になっている。
クライマックスは物語の山場で、キャラクターの感情が最高潮に達し、物語全体のテーマや葛藤の核心が明らかになる重要な瞬間。そのため、告白シーンには心理描写や情景描写、緊迫感を丁寧に積み重ね、言葉以外の伏線や沈黙、手の震えや息づかいや沈黙など非言語情報を使って深みや迫力を出すことで強い印象を残せると考える。
さらに、怪物に見えがちな加害者であるマスターにも、人間らしい弱さや葛藤を見せることで、物語により深いドラマ性と共感を生み出し、母親の複雑な感情も強化できるかもしれない。
・マスター告白シーン前
夕暮れの『アトランティス』。カウンターに置かれた冷えたグラスを手に、彼は言葉を探しているようにゆっくりと視線を彷徨わせていた。百合子は息を呑み、覚悟を決めて問いかける。
・告白シーン
彼の声は震え、ためらいながら絞り出す。
「百合子ちゃん……俺だって、怖かったんだ」
手が小刻みに震え、眼鏡を外し、目元を覆いながら苦悩を隠す。
「最初は、ただ寂しかっただけだ。子どもたちが来てくれて……嬉しかった。けど、止められなくなってしまって……」
一瞬の沈黙。百合子は彼の背中の揺らぎに心を掴まれそうになる。
「飛鷹は……俺のことを『お父さん』って呼んでくれたこともあったんだぜ……。それなのに、裏切られた気がして……許せなかった」
再び沈黙が場を支配する中、彼はかすれた声で呟く。
「ごめん……本当に、ごめん……」
彼はゆっくり百合子に手を伸ばし、力尽きるように倒れ込む。
・告白シーン後
静寂の中、カウンターに広がる深いため息。窓の外には夜景が柔らかく揺れている。百合子の胸の内では激しい葛藤が渦巻いていたが、やがて決意が芽生え、復讐への道を歩む覚悟を固める。
告白シーン前後に非言語的情報を加えた丁寧な描写することで、人間らしい弱さや葛藤が浮き彫りとなり、告白の説得力が格段に増しながら緊張感を高め、読者を引き込めるのではと考える。
読後、タイトルを見直す。
「紺碧」は、あの夜の海、血の混じった深海、青い光の底。
「断罪」は、母が犯人と自分に下した刃。
物語のすべての重さと美しさが、深く重たく胸に落ちてくる。
重いけど確実に刺さる読者層はいる。
杞憂だと思うけれども、しいていえば性被害描写があるので、十八歳未満には注意が必要なのかもしれない。描写が暗示に留まっているため逆に「想像の余地」が残りすぎて、一部読者が不快に感じる可能性も考えられる。
本作は、カクヨム甲子園の感想を書くのと並行して読んでいた。なので、続きが気になって仕方がなかった。それだけ出来が良かったので、冒頭のフックが弱いと思いつつも一次のときから上位にあった。
手紙前で【了】で終わったとき、「これで終わりか」と驚きとともに残念に思った。バッドエンド、百合子は死に一実は復讐も出来ず永遠に孤独。復讐はしたけど無駄に終わったような虚無感が残り、作品としてはいいかもしれないけれども二度と読まれない作品かと思い、二次止まりにした。
でも、募集締切り後に確認すると、ラスト『贖罪』という手紙があった。
おかげで読後感が良くなり、考えを改め、最終に残した。
ただ問題が一つあって、おそらく大半の人は「百合子さん生きてる! よかった!」と救われ、胸が温かくなって終われるけれども、一部の読者は「一実は死んでる人に手紙書いてるんだ」と気づくと思う。
結局どっちなのかわからないバランスが読後、もう一つ足らないと思ってしまう。どちらにもとれるよう、読者の判断に委ねているのかもしれない。
だけども、この手紙の最後に「たとえ、もう会えなくても」を入れて、百合子さんは死んでしまったことを読者に伝えると、出来が更に良くなると考える。
復讐を果たした百合子さんが死んだと思って終わるも、一実の手紙から生きていると思わせて救われたとほろりと涙ぐんでから、百合子の死が確定し、さらに泣かされる。
「だから、百合子さん、貴方も生きてください。またいつか、バイクで海へ行きましょう。ファミレスの薄いコーヒーを一緒に飲んで、まずいねって言いたいです。僕は貴方を、いつまでも待っています。 ――たとえ、もう会えなくても」
くどいし蛇足な感じもするけれど、救いを一瞬だけ見せてすぐ奪い絶望する。それでも一実の「いつまでも待っている」愛に、さらに泣ける気がする。
カクヨム甲子園のころから読んできてますが、相変わらず凄まじい出来だった。
続きが気になって、更新されるのを楽しみにしながら読めたのがよかった。二時間サスペンスのドラマでみたいだと思った。
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