ラブレター

ラブレター

作者 荒木明(旧:家猫のノラ)

https://kakuyomu.jp/works/822139836377810853


 覆面作家の殺人告白小説は本当か? 編集者が真相を追う、狂気と才能のメタミステリー。


 数字は漢数字など気にしない。

 匿名作家文化とSNS社会を背景に創作の衝動と罪を描き切った傑作。複数の視点が交差し、作家と編集者、読者と作品が入れ子状に繋がっていく構成が見事で、ひとつの出来事を多層的に描き出している。

 現実を思わせる細部の描写と論理の積み重ねが全体に確かな説得力を与えている。

 中盤の鉄道調査の描写をさらに磨き、会話のテンポを整えれば物語への没入感は一層高まるだろう。創作者の誠実さと孤独を描いた完成度の高い作品だ。


 主人公は、女性編集者の及川景、綺音雲呂阼こと生田明。一人称、私で書かれた文体。最後はN大学の文藝サークル部員の僕、荒木先輩もしくは第三者の俺。自分語りの実況中継で綴られている。

 LINEやSNSなどを表現、官能と暴力が同居し、最後に「全部嘘だったかもしれない」と突き放す余韻と、読者もまた同じだと、共犯者に仕立て上げるメタ構造がみられる。


 男性神話と女性神話とメロドラマとそれぞれの人物の思いを知りながらも結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプと、メタフィクションの中心軌道で書かれている。

 三幕八場の構成になっている。

 一場 状況の説明、はじまり

 編集者である及川景は、覆面作家・綺音雲呂阼の最新作『ルピナスによろしく』を読み、女子高生生田明が木暮希先輩をピーナッツアレルギーで殺したという告白に衝撃を受ける。

 二場 目的の説明

 景は特集記事執筆のため、警察官の黒沢春樹や編集部長の父とともに「この小説は実話なのか」を検証し始める。

 二幕三場 最初の課題

 青い私鉄、学ラン、図書館から見える富士山などの描写を頼りに光明高校を特定しようとするが、S高校はミスリードだと判明する。

 四場 重い課題

 描写の矛盾から「木暮希は実在しないのでは」という疑念が生まれるが、生田明の告白の生々しさに打ち消される。

 五場 状況の再整備、転換点

 相鉄線沿いの神奈川県立K高校を特定し、文化祭で綺音雲が現れると確信、景と春樹は現地へ向かう。

 六場 最大の課題

 文藝部室で綺音雲呂阼と対面し、生田明=木暮希の同一人物であり、「殺したのは自分の中の凡庸な自分」だと明かされる。

 三幕七場 最後の課題、ドンデン返し

 しかし綺音雲は「怪談の原因は私」と頷いただけ。実際に殺人を犯した証拠は一切なく、すべてフィクションの可能性が浮上する最大のドンデン返しとなる。

 八場 結末、エピローグ

 一年後、景は自分の小説を完成させ、春樹と結ばれる。殺人はあったのかなかったのか、真相は読者に委ねられて物語は終わる。


 夏目漱石『こころ』の一節「然し君、恋は罪悪ですよ」の謎と、主人公に起こる様々な出来事がどのように関係し、どんな結末に向かっていくのか気になった。

 遠景「夏目漱石『こころ』より 然し君、恋は罪悪ですよ。」からはじまり、近景で「綺音雲呂阼『ルピナスによろしく』より(1)」の冒頭が描かれ、心情「アパレル企業から転職し、雑誌編集者になって四年目、二十九歳。及川景おいかわけい、私には推しがいた」という三段構成で読者を物語の世界へと誘っている。


 先輩の視界の端にしか入れず、自分から声をかけられない「待つだけの存在」であり、かわいそうに思える。

 木暮希先輩のへにゃっとした笑みを見れるのは私だけ、と言うところに人間味を感じる。

 及川景の、綺音雲呂阼の小説を「常に過去最高を更新し続ける」と純粋に崇拝し、誰よりも深く理解しようとする文学的才能と感受性には、誰もが望むような資質がある。

 こうしたところに共感して読み進めていく。

 全体的な流れはこれでいいけれども、読みはじめのところで軽く躓いてしまう。


 冒頭で生田明=語り手の立場や年齢、文藝部所属が描かれ、場面の把握は容易で読み手は共感しながら読み進めていく。だが「木暮先輩を殺した」発言以降、メタ構造へ急転。次章は及川景=文芸編集者視点への切替がかなり複雑で、読者によっては一瞬置いていかれる可能性がある。

 平たく言うと、強いフックからはじまった冒頭のおかげで読者は生田明に興味を持ち読み進めていたところ、次の章では別の主人公が登場し、説明がはじまるのだ。

 せっかくキャラに共感して物語に感情移入しかけたのに、ゼロからまた新たなキャラに共感して感情移入し直さなくてはならなくなったのだ。

「アパレル企業から転職し、雑誌編集者になって四年目、二十九歳。及川景、私には推しがいた。綺音雲呂阼。ミステリー作家だ」

 しかも、推しである謎の作家についてはじまる。

 読み進めていくことで共感し、感情移入していけるし、作中の合間に生田明視点の『ルピナスによろしく』の作品の断片が入ってきて、物語全体の構造、読み方がわかってくるので大きな問題はないし、主人公の入れ替わりは文学的には高度でいいのだけれども、ライト文芸読者にはやや抽象的で説明不足かもしれない。

 若干のわかりづらさがある。

 映像的な描写がなく、説明が続くからかもしれない。



 単なる小説ではなく、「創作という行為の内部告白」として成立しているところが本作の良さだろう。「書く者・追う者・読む者」の三者が入れ替わり続ける構造そのものが、創作の宿命(自己模倣・他者殺し・物語転生)を体現している。

 一連の構成は、三層の入れ子構造からなっている。


①『ルピナスによろしく』(作中作)=生田明と木暮希の物語(フィクション)

②『ルピナスによろしく、を追って』(取材線)=及川景と黒沢春樹の調査記(メタノンフィクション)

③「批評・こぼれ話」=読者を最終層に引き戻す脱メタ構造(現実)


 最後の文学部サークルの会話と「本屋の青年」の導入で閉じることで、「創作とは世界を創り直す行為」というテーマを、形式そのものに書き込んだ極めて高度な構成といえる。

 第十三話の殺害描写〜伏線回収は最も緻密。炭酸とナッツのアレルギー。乙問の会話「食べられない」。図書館の「富士山が見える」「正装の日」の伏線。すべてが第十三話で収束。しかも「木暮希=kogurenozomi→綺音雲呂阼=kinegumorozo」というアナグラムによる自己同一化。

 ミステリーの種明かしを感情的クライマックスとして成立させ、読者を惹きながら圧倒される結末へと誘っていくところも良かった。

 テーマ「創作と罪」「理解されない創作者」「他者になる願望」の三軸が最後まで貫かれており、三島由紀夫の『仮面の告白』引用で美と同一化欲望=破滅を導入し、夏目漱石から連なる日本近代文学の倫理系譜を現代SNS文化へつなげている。

創作の倫理を「殺人」「推し文化」「AI」「メタ描写」で並行提示する手法は、

現代創作者の孤独を最も鮮烈に書かれている。

 緊張が最後まで途切れないのもいい。第二章以降は表層の整い方が変化する。

 序盤は取材記の文体。中盤は心理描写の詩的文体。最終章では完全な文学的一人称モノローグ。とくに殺害シーンの文体変化は圧倒的で、感情の高まりとともにリズムと句読間が変化する。文章が呼吸するかのようだ。

 メタ構造にもかかわらず、説明臭さがない。作中作を現実と誤認しながら読ませる流れと、最後の「文藝サークル批評」で再び現実を転倒させる構成が働いている。

ラスト「有隣堂で本を手に取る青年」によって、読者が次の登場人物となる。没入感の維持を考えられた作品は稀だ。

 AI生成チャットとの対話で人間理解と機械模倣を描きつつ、SNS文化の推しと暴力的同一化を恋愛と文学のメタファーに融合させ、出版界/創作界の倫理問題を文学そのものの構造で告白する。現代的で時代性、オリジナリティーがある。

「ルピナスによろしく」で始まり、「ルピナスによろしく」で終わる螺旋構造。

最後の文藝サークルの会話は、ノックスの十戒をわざと「引用して破る」という文学的遊戯。作者自身が推理小説の形式を超越し、物語内で自らの違反を指摘しながら閉じる。「どこまでがフィクションか」という問いのまま終わる無限の読後感がある。

 本作はミステリーなので、早い段階から読者を「考察勢」に変える構造として書かれているのが良かった。SNSで語りたくなるネタの詰め込みや、官能と暴力のバランスが絶妙。推し活の本質を抉っているのもいい。最後まで真相が確定しないようにしているところと、読者の中にも生田明=木暮希がいるという恐怖と共感が読み応えを良くしていた。



 五感描写はバランスよく書かれている。

 特に、触覚と嗅覚が異常に鋭く描かれている。視覚は「遠景→近景→極端なクローズアップ」の三段活用で没入感を生んでいる。味覚は「苦い・不味い・痺れる」をくり返し、殺意の味を身体化させている。嗅覚は「太陽の匂い」というフレーズで先輩を印象付けているのが良かった。

 視覚は、「天井の染みを見ていた」「先輩が視界の端に映った」「アイスクリームがべしゃりと溶け落ちた」「春樹の瞳は東京を反射して輝いていた」「窓の外の入道雲と、広い校庭が見えた」「壊れた蛍光灯に照らされた髪の毛がてらてらと、櫛の絡まる人形の髪の毛のように」「吐瀉物がついていて、腕は力なく奇妙な方向に投げ出されていて」「富士山と入道雲が、見えない」「電車の中で窓の反射に映る自分と先輩」「春樹の黒い薄手のオープンシャツは、柱に貼られた派手な広告を背景にして、目立っていた」など。

 聴覚は、「踏切の音だけが、時を刻んでいた」「快速の電車がやってきた音」「

後夜祭の準備で軽音楽部が弾く流行りのポップス」「ドラムのリズムが緊張で走ってる」「春樹が扉を叩く音『景っ!!』」「萌え萌えキューンの野太い声」「炭酸の泡がしゅわしゅわと馬鹿らしい音を立てる」「キスをした後のような小さな音が鳴った(瓶と唇が離れる音)」など。

 触覚と体感は、「床に掌をぺたりとつけて、半ズボンから出た足にも床が触る」「私の足が冷やされていくのか、床が温まっていくのか分からない」「炭酸で舌が痺れて、痛くて、苦くて」「雨の日の湿気でうねる髪」「肩がすこし触れ合った」「喉仏を上下させ、飲み続けている感触」「手の甲に涙がぽたりと落ちて、指先に流れ、爪を濡らし」「背中を丸めて、肩を震わせていた」

 味覚は、「苦くて、不味くて、たまらなかったソーダ」「炭酸が苦手だから、少し顔をしかめた」「普通のソーダも、普通じゃないソーダの味も分からない」「ピーナッツのエキスを入れたソーダの苦味」「レモネードの安っぽい、甘酸っぱさ」など。

 嗅覚は、「先輩は、太陽みたいな匂いがする」「残暑の喧騒」「雨の日の、湿気を纏う本の匂い」「鬱蒼とした草木の匂い」「部室の高温多湿、クッキーを保存するには酷く向かない空気」など。


 主人公の弱みは、自分の中に「生田明」という存在がいる恐怖があること。及川景は「小説家になりたかった夢」を殺して大人になったことへの後ろめたさ。好奇心が暴走し、他人の人生を土足で踏み荒らす罪悪感と快楽もある。


 数行の中におなじ言葉がくり返し使われて重複っぽく感じるところがある。「そして、という、ような、ように、みたい、ただ、何か」などの水増し表現やこそあど言葉などの指示代名詞は、ここぞというところ以外は削るか別の言葉に置き換えるかすると読みやすくなる。


 十二話の鉄道ヲタパートは冗長に感じる。とはいえ、削って短くするわけにもいかない。綺音雲を追う中で、人と人との繋がりが生まれ、クライマックスに向けて盛り上がっていく場面だから。ダラッとした印象を推進力に変える書き方をされるといいかもしれない。

 春樹が電話をかけ、村松が「僕にできることなら、なんでも」と少年の顔になり、

下山が登場して鉄ヲタ全開トーク開始。二人のやり取りに圧倒された及川景が割り込む。「ちょっと待ってください! 私、電車のこと全然わかんないんですけど、要するにどこですか!?」

 下山と村松が同時に「相鉄線、K高校しかない!!」即決着。その直後、及川景のモノローグで、たった三分で答えに他取付いた裏で知らない二人の男の子が少年みたいに目を輝かせていた。綺音雲を追うことでまた誰かが繋がった。

 みたいな感じで、鉄ヲタの彼らの見せ場と作品のテンポを活かしていくと、ワクワク感とともに真相に迫っていきながら人とのつながりを感じられて、K高校の場面へと繋がっていったらいいのではと邪推した。


 殺人シーンが残酷すぎたかもしれない。読者層をどこにもっていくのか。

 大人向けなら問題ないと思うけれども、大勢の人に読んでもらおうと考えるならば、高校が舞台でもあるので、十代読者も読みやすく不快さを少し抑えてもいいのではと想像する。

 残酷さを残しつつ、一般読者層が耐えられるラインにする。

 このあたりの描写がリアルなので、内蔵云々のところは無しにして、胃の中のものを撒き散らしたではなく「床に倒れ込んで吐いた」とか、「櫛の絡まる人形の髪の毛のように、不自然で不気味で、愛おしい光を帯びていた」は、「蛍光灯に照らされた髪が、濡れたように光っていた」くらいにしてもいいのかなと邪推する。

 このあたりのバランスは、表現を柔らかくすることを考えてもいい気がする。


 ラストの批評やこぼれ話の是非を考えてみる。

 これらがなければ、普通のミステリー作品として楽しめる。でも加えたということは、読者にも自分ごとのように感じてほしいという作者の強い思いがあったからだろう。

 残すのであれば、意図が伝わるラストになっているのかを考えなくてはならない。

 こぼれ話の一人称「俺」は誰かしらん。批評でN大学文藝サークルに登場する荒木と考えられるが、本屋を訪ねた第三者ともとれる。それこそ、本作を読んでいる読者自身をさしているとも言えそうだ。

 であるならば、「そんな梅雨の晴れ間のような心の動きのままに、俺はその本を手に取った」で終わるのではなく、最後にもう一つあると、読後の印象が変わるかもしれない。

 本の裏表紙を見たら帯に『次はお前が殺す番だよ』みたいなことが書かれてあるとゾワッとするかなと、余計なことを考えてみた。


 読後、タイトルを見直す。

 本作品は、生田明から木暮希へ、綺音雲呂阼から及川景をはじめとする物語世界の読者へ、また及川景から綺音雲呂阼である生田明へ、最後に作者から私たち読者全員へ綴られたラブレターである。

 読み出した瞬間から「殺した先輩へのラブレター」を開封したこととなり、読み進めることで受け取った私たちの中にも、生田明と同じ存在を持っていることに気付かされる。だから読後、自分に宛てられたラブレターだったかもしれないと思えてくる。とくに作家を志している人には刺さり、背筋が凍るかもしれない。

 書籍化されたときの帯は「殺した先輩へ、――好きでした」かしらん。.


 よく、編集やライターを主人公にしないほうが良いといわれる。理由は選考者の中にいる場合があるから。相手の得意分野で作品を書かないほうがいいという提言だと思われる。

 主人公(及川景)はアパレル企業から出版社に転職したとある。現実的な事例が複数確認できる。未経験でもアパレルの広報バイトやwebメディア経由で経験を積めば可能で、トレンドセンスや顧客対応スキルが出版の企画業務で活かせる。たとえばイカロス出版の編集者・近江秀佳さんは「美大卒→アパレル経験→鉄道書籍編集者」に転職したキャリアを「アパレルから出版へ」の異色経歴がヒット作を生む原点として紹介されている。

 まさに主人公の及川景の転職に近く、現実味がある。

 登場するフィクションの傘咲出版は弱小出版社で、エンタメ寄りの雑誌(ミステリー・ゴシップ特集)を扱う設定。日本の出版には「さくら舎」や「イカロス出版」のような弱小社が多数あるので、傘咲はこれらの一つとして、ミステリー記事の月刊誌を扱う中小規模のイメージ。

 現在は雑誌が売れない時代で、弱小社の経営は極めて厳しいのが実情。

 本作では、売れない雑誌の厳しさを逆手に取り、「二か月後の七月の一面、開けてください!」という啖呵切りや徹夜の検証作業が情熱的に描かれている。

 現実の弱小出版社の、神風ヒット作待ちと一致し、赤字体質が「編集者の結束」を生むドラマを生んでいる。経営が成り立つかより「プライド」で回るフィクションとして描かれ、傘咲も「いつ潰れてもおかしくない」緊張感が物語のリアリティを高めていると考えられる。

 これら描写は、業界のブラックでクリエイティブな実態を正確に反映していて、共感できるレベルだろう。

 ただ引っかかるのは、今どきタバコの煙はどうだろうか。

 編集室に煙草の煙が充満、黒沢編集部長が加えタバコでデスクにいるなどは、リアリティが低い。出版業界のオフィス環境も法規制と社会規範で厳しく制限されてる現在、編集室での喫煙はほぼ不可能。テレワーク増加と健康意識の高まりで、煙草の煙描写はイメージが古い。

 禁煙オフィスでは電子タバコすら控え、喫煙者は屋外喫煙所への声が主流。編集者の日常としては、煙草の代わりにコーヒーやエナジードリンクで描かれるのが現実的だと思う。

 あるいは、煙草を「電子タバコの微かな霧」や「禁煙パッチの匂い」に置き換え。黒沢部長の「煙一つ」は「ため息一つ」に変えたり、喫煙を屋外喫煙所での息抜きシーンに移し、禁煙室の外で部長が煙を吐きながら電話するなど現代のストレス描写として描いてはどうかしらん。


 選考するとき、作品の良さで選びたいので、作者名は気にしないようにしている。カクヨム甲子園でそこそこ読んできたけれども、家猫のノラ様の作品の中では一番出来が良かった。一次の段階から上位にしていた。

 選外にあった上位三作品がなかったら、いまとは違う結果だった。

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