マオグイの家

マオグイの家

作者 白洲尚哉

https://kakuyomu.jp/works/822139838595356867


 伝承文化の蠱毒や猫憑きの怪異をテーマに、多層的な怪異事例を調査し供養して救済していく実話怪談ミステリー。


 身近な怖さを感じた。伝承怪談を題材に、猫憑きと蠱毒の怪異が絡み合う構成が秀逸。臨場感ある描写と緻密な謎解きに引き込まれる。

 感情描写にさらなる深みは欲しいが、淡々とした手つきには現実味も漂う。説明調の長文に少々骨が折れるが、補って余りある情報量の豊かさがあった。

 ホラーとミステリーを融合し、実話のリアルさを活かした構成が素晴らしい。伝承文化を背景に、怪談ライターと拝み屋が真相へ肉薄する展開に魅了された。


 三人称、怪談師の深寺蛇羅介視点で書かれた文体。実話怪談らしい淡々とした口語調をベースに心理描写を控えめに抑えつつ、会話が異常にリアル書かれている。取材記録風の箇条書きや地名、企業名を具体的に出すことで「本当にあった感」を演出。である調と、ですます調を意図的に混在させ、怪談師の語りと取材メモの距離感をバランスよく表現している。恐怖と謎解きが交互に訪れる緩急ある展開で引き込まれる。最後のメタ落ちが完全に「語り=呪い」に落とし込む構成。


 表層はホラーサスペンスの構造、深層はメタフィクションの構造の中心軌道で書かれている。

 三幕八場の構成からなっている。

 一幕一場 状況説明、はじまり

 二〇二四年七月半ばの深夜。怪談師・深寺蛇羅介はアパートの一室でレコーダーのテープ起こしをしている。再生されるのは「二十年前に蠱毒を作り、捨てた男」の告白。虫が這う感覚に24年苦しみ続け、「呪いはやっちゃいけない」と語る声が流れる。同時にテレビのニュースが小さく流れる「鷹森市内のマンションで機械会社社長・井藤信雄一家三人が不審死。死因は急性心不全、外傷なし」深寺はこの二つの音を聞きながら、奇妙な符合を感じ取る。

 二場 目的の説明

 翌日、後輩ライター乙野京華から連絡。「去年死んだ井藤一家も、死ぬ直前まで『見えない猫』の話をしていた」と告げられ、深寺はYoutubeに上げた「Y家の猫憑き」との類似に気づき、本格取材を決意する。

 二幕三場 最初の課題

 井藤工業とマンションを取材。一家は死の半月前から幻聴・幻覚に悩まされ、眠れずに衰弱していたことが判明。

 四場 重い課題

 太田建夫(井藤のライバル社長)も一年前、同じ猫の怪異で事業が傾き死亡。因縁が明確になる。

 五場 転換点

「Y家の猫憑き」の家=井藤の実家で、母の多頭飼育崩壊「猫屋敷」だったと判明。すべての線がこの家に収束する。

 六場 最大の課題

 乙野がネタのためにその家に住み始め、異臭を放ち、夜な夜なゴミ捨て場でネズミを貪る完全猫化状態に。深寺は旧友の拝み屋、椿野灰門に助けを求める。

 三幕七場 最後の課題、ドンデン返し

 灰門が庭から「生き残った猫の白骨」を掘り出す。井藤信雄は片付け時に「まだ生きていた一匹」を殺して埋めたことで無自覚に「猫の蠱毒=マオグイ」を完成させていた。太田を呪い殺した後、祀りを怠ったため家族に跳ね返った真相が明らかになる。灰門がマオグイと百匹の猫霊を祓い、乙野は回復する。

 八場 結末、エピローグ

 深寺は一連の取材を本にしようと原稿を書き始めるが、最初に起こしていた「二十年前の蠱毒告白」の音声データが、深寺の相槌だけを残して完全に消滅している。あの告白はマオグイが次の術者を選ぶための「物語の種」だった。深寺はすでに新たな語り手=術者として取り込まれていくのだった。そして物語を読んだあなたも……。


 鷹森市内のマンションで起きた事件の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どのように関わり、どんな結末に至るのか非常に気になる。

 遠景では、鷹森市内のマンションで機械会社社長の井藤信雄一家の不審死のニュースのあと、二十年前に蠱毒を作った男の声がレコーダーから流れ、近景で「レコーダーを一旦止めて、深寺蛇羅介は軽く伸びをした」と主人公の世ぷすが描かれ、心情で「けれど、深寺は生まれてから今日に至るまで、怪異体験らしきものをしたことがなかった」と内面の独白が語られていく。

 冒頭で遠景を二段階重ねることで、読者は最初から過去と現在が重なっている違和感を植え付けながら物語へと誘っている。


 冒頭は非常にインパクトがあり、読者の興味を引きつける力があるが、同時に意図的な「わかりにくさ」がある。

 怪談やホラーにおいては、読者を不安にさせ、物語世界に引き込むための戦略的な手法と捉えることができるが、一般読者は「ニュースの報道内容」と「主人公の告白」を会話の羅列として受け取り、状況を整理するのに少し時間がかかると考えられる。

 これは作者の意図である。一旦読者を混乱させて読み進めていくと、これらがその後で一気に明かされ、なにか恐ろしい話を聞かされている受け身の立場から怪談師の仕事場を覗き見ている能動的な立場へと視点が切り替わり、種明かし的快感を得て没入感を高めていく手法画と荒れているのだ。


 ホラーは、他のジャンルと大きく違うところがある。

 感情移入や共感より情報と描写の積み重ねが大事で、本作はその手法は上手く書かれているため、主人公への共感や感情移入は意図的に薄くしてある。

 深寺蛇羅介は「視えないコンプレックス」を抱えているが、読者は「かわいそう」とはあまり思わない。むしろ「自分も怪異を追いかけてるオタクだな」と距離を置いて見る作りになっている。

 乙野京華も「ネタのために無茶するバカ」として描かれ、同情より「やめとけよ……」という冷ややかな視線が先に来る。これは意図的であり、読者がキャラクターに感情移入しすぎると「積み重ねの恐怖」が鈍るためた。


・井藤一家の不審死(報道)

・「死ぬ前は眠れなかった」「痩せた」という証言

・太田社長も同じ症状で死んでいた

・実家が猫屋敷だった

・乙野が異臭を放ち始める

・記憶が途切れ、ゴミ捨て場でネズミを喰う

・「にゃあああお」と人間の喉で鳴く

・庭から白骨が出る

・それが「殺された最後の一匹」だったと判明

・録音が消える


 読者をゾクゾクさせるために丁寧に一つずつピースを積み上げていき、最後に全部が繋がったと気づかせる。どれが一つでも欠けたら恐怖は半減する。積み重ね構造がよかった。


 共感を誘う描写は、恐怖を増幅させるための一部しか使われていない。

 乙野がネズミを喰った後の「口の中が生臭い……」

 乙野に感情移入するのではなく、自分の口の中を想像してゾクッとする。

 蠱毒の男の「透明な虫に二十四時間這われる痒み」 読者は男に同情するのではなく、自分の首筋を触ってしまう。

 読者自身の身体感覚を呼び覚ますためにしか使われていない。


 実話怪談は読者に『自分ごと』と思わせすぎると嘘っぽくなる。だから主人公はあえて薄めに描いて、事実と描写だけを積み重ねるのが一番怖い。読後、ゾワゾワが止まらないではなく、頭の中でピースがカチカチ繋がって鳥肌が立つ積み重ね型ホラーとして、非常によくできていた。

 実話怪談を基にしたリアルな怪異体験の積み重ねと伝承の融合が実に面白かった。キャラクターの専門性(怪談師、拝み屋、編集者)を生かした多角的視点もいい。最終的な供養儀式による解決の爽快感と救済。緻密ながらも読みやすい文章構成もよかった。


 五感の描写は、実話怪談なのであえて控えめにしつつ、決定的な場面だけを極端に生々しく突きつける手法で最大の恐怖を引き出している。淡々と書かれているからこそ逆に頭にこびりつく。特に、嗅覚と触覚はくり返し使われ、自分だったら耐えられないと読み手に想像させる仕掛けとなっている。

 視覚は、障子が「びりびりに破れていた」「鋭利な刃物でひっかいて切って回ったように」。新太くんが四つん這いで「焦点の定まらない目」で虚空に向かって鳴く。乙野の口許に「べったりと赤い血」「灰色の毛」がこびりついている。庭から掘り出された「長さ五十センチほどの、四本脚のある、牙のある獣の白骨」

乙野がゴミ袋に頭を突っ込み、がさごそ動かしては顔を上げてまた突っ込む。

 聴覚は、「みゃああおぅ、みゃああおぅ」「にゃあおぅ、にゃあおぅ」 人間の喉から出る猫の声。家の中から響く「争う声、餌をねだる声、金切り声、狂乱の合唱」灰門が弓で鳴らす「びいいん、びいいいん」という低い鳴弦の音。祓いの最中に壁と天井を這うような「ぎゃああああお」という猫の怨嗟の渦。最後にレコーダーから流れる「長い無音」だけ。

 嗅覚は、蠱毒の壺を開けたときの「すごい臭い」乙野から漂う「ドブを頭から被ったような」「生ゴミと猫の糞尿が腐敗したような異臭」編集者が言う「口臭がどぶ臭い」乙野本人が回復後に袖に鼻を近づけて「くっさ! え、なに?」と叫ぶ。

 触覚は、蠱毒の男「寝ていると手にさわさわと這う」「首筋を這う」「透明な虫に二十四時間這われ続け、痒みが出る」井藤一家「足を引っかかれる」「胸に乗っかられる」「手首を噛まれる」太田建夫「胸が苦しくて目を開けると、ぎらぎらした目が喉元に牙を立てる寸前」乙野「体の節々が痛いのに記憶がない」(ゴミ捨て場で寝ていたため)

 味覚は、口内の感覚、乙野がネズミを喰った後の「口の中がなんか生臭い」回復後に「おええ」と吐き気を催す描写(読者に味を想像させる)

 

 主人公、深寺蛇羅介の弱みは、「自分は一生怪異の当事者になれない」という強いコンプレックスを抱いていること。視えないからこそ怪異体験を収集するが、結局他人事でしかないという「永遠の部外者」であること。これが最後に自分に呪いが降りかかる伏線になっている。


 数行の中におなじ言葉がくり返し使われて重複っぽく感じるところがある。「そして、という、ような、ように、みたい」などの水増し表現やこそあど言葉などの指示代名詞は、ここぞというところ以外は削るか別の言葉に置き換えるかすると読みやすくなる。


 乙野京華の猫化シーンがもう少し段階的に描写されていると、よりゾクゾクが増すかもしれない。

 乙野の猫化シーンが「急にゴミ袋に頭突っ込んでネズミ喰い」まで飛ぶので、もう一~二段階あっても良いのではと想像する。

 たとえば、乙野からLINEが来て、「先輩、なんか冷蔵庫の刺身が全部なくなってたんですけど……寝ぼけて食ったみたいで口の中が生臭い……」とか書かれて笑い話レベル。

  編集部からの電話シーンで「最近、乙野さん夜中にコンビニのゴミ捨て場を漁ってるって近所の人から苦情が来てまして……」なんて話が来る。

 最終的に後をつけていき、ゴミ袋に頭突っ込んで生ネズミ喰う場面が来て、「人間じゃなくなってる」と読み手に実感させる流れにしてはどうかしらん。


 太田建夫のエピソードが学生の又聞きで終わっていてやや説明的なので、もう一場面、太田家の誰か、親戚でもいいので実際会って太田家の様子、現場の空気を見せるシーンがあると深みが出るのではと想像した。


 読後、タイトルを見直す。

 なんだろうと思わせるタイトルが良かった。

 私は、目で読むだけでなく音声読み上げ機能もつかって耳でも作品を読むので、本作はラジオドラマやオーディオブックにしてもいいのではと思えるほど、いい出来だった。

 最後の「最初に蠱毒を語った男は誰だったのか」が気になる。ネコを飼っている人読者は、大丈夫かなと不安に思うかもしれない。

 怪談好きに強く刺さるだろう。多少の説明過多は目をつむれるし、リアルで怖さがじわじわと染み込んで、謎解きも楽しめるところが万人向けすると思える。

 よく、ライターを主人公にしないほうが良いといわれる。理由は選考者の中にはライターもいる場合があるから。相手の得意分野で作品を書かないほうがいいという提言だと思われる。ライターが登場するといっても主人公の後輩だし、本作の主人公は怪談師だから気にすることはない。テープ起こしをしているところや怪談を語るために話を集める辺りに現実味を感じられた。

 伝承怪談の蠱毒や猫憑きといった独自性の高い題材を、実話怪談ミステリーの形で巧みに紡ぎ出している点が面白かった。

 複数の怪異事件が主人公たちの調査を通して絡み合い、一連の物語として収束していく緻密な構成が非常に魅力的だった。怪異描写も臨場感があり、恐怖と謎に引き込む力が強い。また、調査と供養という文化的な深みを加えつつ、物語全体に一定の救済感をもたらしているのも楽しめる要因になっている。

 現代的怪談師と拝み屋のコンビが複数の事件を調査して真相へ迫る物語は、商業的にもいけそうな内容で、新人賞やライト文芸にも向いているのではと考える。

 いまのままだと、書籍化できるだけの文量が足らないので、シリーズ化すれば、ホラーでもミステリーでも、ライト文芸でも道がひらけそうな気がする。


 ホラー作品として卓越して出来が良かった。

 選考に迷った理由は、本作は京都大学推理小説研究会の機関誌『蒼鴉城 第50号 二〇二四年十一月初版』にて掲載されている作品であり、機関誌はネット販売もされていること。

 一般文芸の賞が求めている作品は未発表のものでなければならず、会誌や会報だろうが掲載されているものは発表済と見なされることが多い。

 文芸作品の下読みをされる人たちの中には、未発表作を読みたく、すでに世に出ている作品は読みたくない、と思われている方々がいらっしゃると聞く。何処かに出して落選した作品をそのまま応募してきた作品も同様に思っている、とも聞く。

 文藝や群像、新潮、小説すばるなどの文壇と呼ばれるようなところだと聞く。そうではないレーベルの小説募集なら、ネットや同人などで発表されている作品でも寛容な場合もある。

 ちなみに、U24杯の応募要項の中に、「現在行われている『カクヨム甲子園二〇二五』参加作品や参加作品をベースとした作品での参加は不可とします。過去のカクヨム甲子園参加作品の改稿であれば問題ありません」と書かれている。

 カクヨム甲子園の作品において過去作品の改稿がされていれば問題ない、つまり流用は良くないとも取れる記述がある。

 であるならば、機関誌に掲載された作品も同様の扱いになるのかもしれない。

 心配して運営に確認したところ問題ないとわかり、作品の出来で本作を選んだ。


 書籍化を考えるなら、短編では難しい。シリーズ化すればまとまった分量になる。本作はシリーズ化できそうなので、あと二つ三つ作ってみて、考えてはどうかしらん。

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