白息の四月

白息の四月

作者 緑山陽咲

https://kakuyomu.jp/works/16817330666932306589


 禁忌を抱え逃げた兄妹が終末の旅路の果てに赦しと再会を見出す青春ドラマ。


 悩み抜いて、倫理的難題を挑発でなく誠実に描き切った力量を選んだ。四月の雪にけぶる兄妹の白い息が、生きたいのに凍えていく悲痛を伝えている。

 逃避行を装いながら愛と罪の狭間で生きる姿が胸を締めつけ、比喩に頼らず描写で泣かせる筆致がとても印象的だった。叔父不在に希望を失い、崩れゆく過程の痛切さも深く残る。

 終盤の赦しと再会は静かに痛みと優しさが交わる余韻があり、そこに至る心の成熟が作品の芯を支えていた。


 主人公は男子高校生の蓮。一人称、僕で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。だが舞の心情が透けて見える、半透明の一人称。

 叙情的で詩的、硬質なリズムで季節を反復しながら、季節外れの雪、吐く息の白さ、海の匂いなど「寒さ」をモチーフに統一感を保っている。会話は少なめで内面描写が多く、視覚や聴覚、温度表現がよく書かれている。短文と長文を用いて緩急をつけ、冷たい描写の中に微熱的な言葉を挟みながら独自のリズムを生み出している。

 ダッシュを用い、時間や感情の空白を表現している。首絞めシーンなどふくめ、性描写は直接的ではないが、暗示が異常に生々しい。


 二重構造型・対比的葛藤曲線を軸に、絡め取り話法と純文学の日常叙景型の中心軌道に沿って書かれている。

 三幕八場の構成からなっている。

 一幕一場 始まり

 四月、季節外れの雪が降る地方の鉄道。兄の蓮と妹の舞が電車に揺られながら、寒さに震えて目的地へ向かう。親元を離れ、逃避の旅の最中にある。

 二場 目的

 二人は、田舎で産婦人科を営む叔父のもとに身を寄せようとしていた。父の暴力と家族の崩壊から逃げ出すためであった。互いに寄り添うことだけが生きる支えとなっている。

 二幕三場 最初の課題

 三保三隅の医院はすでに閉鎖され、叔父は不在。頼る場所を失い二人は途方に暮れる。舞は「大人は皆裏切る」と冷静に言い、蓮は幻想が崩れた苦しみを噛みしめる。

 四場 重い課題

 寒さの中、益田のホテルに泊まる二人。寄り添いながら過去の記憶が蘇る。兄妹は対照的に育てられ、蓮は劣等感に囚われ、舞は期待に縛られていた。彼女の「完璧」は痛みの裏返しであることが明らかになる。

 五場 転換点

 深夜、蓮は目覚め、眠る舞の献身に心が揺れる。「疲れた」と口にした瞬間、彼女も目を覚まし、「終わらせよう」と囁く。絶望と共依存が強まっていく。翌朝、蓮は一人で外に出るが、舞が追いかけてくる。二人は再び列車に乗る。

 六場 最大の課題

 車中、舞が「殺してほしい」と告げ、蓮は衝動的に手をかけてしまう。首を絞められた舞は苦しみ、蓮は理性を失いながらも途中で手を離す。二人の間に決定的な断絶が生じる。

 三幕七場 最後の課題、ドンデン返し

 終点で舞は冷静に歩み出し、「もう終わりにしよう」と告げる。海辺で二人は最後の会話を交わし、「さようなら」と言い残して別れる。蓮は彼女を失い全てを手放す。

 半年後、二人の逃避行の由来が明かされる。兄妹はかつて禁断の関係にあった。母に知られ、家族は崩壊。舞が「行こう」と言った夜から始まっていたのだ。

 八場 結末、エピローグ

 四年後。蓮は大学二年生に、舞は高校三年になった。舞の誕生日に、あの海辺で再会を果たす。二人は笑いながら手を伸ばし再び波の中で出会う。赦しと希望の中で幕を閉じる。


「次は、三保三隅」と響く女性の声の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どのように関わり、どんな結末に至るのか気になる。

 遠景『次は、三保三隅、三保三隅です』の聴覚描写からはじまり、近景「耳に響く女性の声。微睡みの中にいた意識が徐々に晴れていく」主人公の意識が目覚め、心情「肌に覚える確かな寒さに身体を震わすが、ぼんやりとした意識の中で今が四月であった事を思い出す。寒冷前線が異様に発達しているという話だが、詳しい話は分からない。今いる場所が海沿いであるという事も、多少は影響しているのだろう」内面が語られていく。

 遠→近→内の三段階移行が滑らかで、導入の流れが理想的。


 親の期待に押し潰されて深夜に泣いている舞。「燃えるように寒いのに、暖かいのは互いの熱だけ」から可哀想に感じ、孤独と救いには誰もが理解できる。

 努力家の優等生なのに、心を許せる相手が兄しかいない舞。

「僕の肩に頭を載せる彼女を、少し揺する。すぐに瞼が開かれるのを見るに、きっと、彼女は寝てなんかいなかったんだろうなと思う」他者を気づかう繊細さ。登場時点で蓮の優しさと不器用さが示されている。

 テストで四十二点しか取れず、母に失望される蓮の描写。「叔父を頼る」という選択の幼さから、自立できない弱さ、子供らしい希望が痛ましくも人間味を感じる。

 これらから、すぐに蓮の脆さと優しさを理解でき、共感していく。


 本作は島根県と山口県の山陰地方を舞台にしたフィクションだが、登場する駅名、場所、移動経路、天候、施設などの描写は現実的で、地理や交通、気象など事実に基づいて書かれているところに現実味が感じられるのがいい。

 三保三隅駅は、島根県浜田市三隅町西河内にある海沿いにある山陰本線の駅。二〇一三年頃に無人化。海沿いの田舎駅で、乗降客少なく閑散。周辺は木々・住宅が多く、観光地(森鴎外記念館など)ある。

 益田駅は、三保三隅から西へ電車で三十~四十分のところにある島根県益田市の中心駅(山陰本線・山口線)。ビジネスホテル(ルートイン、瑞穂インなど)が複数あり、駅前再開発で賑やか。

 長門市駅は、山口県長門市東深川にある山陰本線の駅。益田から西へ約四十キロ。駅から車五分以内の大浜海水浴場(砂浜)ある。

 三保三隅→益田→長門市→鹿児島方面。山陰本線を西へ進むルートで、田舎の寂れた雰囲気(閑散としたホーム、雪の予感)が山陰地方のイメージと合致している。

 四月の島根、山口での天候、雪の描写について。

 山陰地方は日本海側気候で、四月でも山間部や日本海沿岸で雪やみぞれが降る可能性があり、山陰本線は雪や風で遅延が多発している。作品の「四月の雪」は情緒的だが気象庁データで稀に確認でき、珍しいが異常気象として現実的である。

 未成年二人によるビジネスホテル泊まりについて。

 益田駅近くのシングルルームで可能。現実のビジネスホテル(ルートインなど)は身分証明不要の場合が多く、子供連れOKだが、未成年単独は稀(運が良かった設定)。金切れで警察保護も現実的。

 親の対応、離婚について。

 近親相姦発覚後の暴力や分離、条件付き再会(大学卒業まで)は、社会的法的(民法の親権、児童福祉法)として正しい。地方の祖父母預かりも一般的。

 ラストの海のシーンについて。

 長門市の砂浜(大浜海水浴場)で遊ぶ描写は、遠浅の美しいビーチとして一致。夏の再会(八月十一日)も海開き時期である。

 作中で描かれていることは作者がよくリサーチしたと思われ、矛盾も誤りもなみられない。


 本作の良さは、心理描写がとても丁寧で正確なところ。

 蓮の嫉妬と愛情が同時に動く様子や舞が完璧な優等生の仮面の下でどれだけ疲れているか、一つひとつの仕草や視線で伝わってくる。押しつけがましくないのに読んでいるうちに胸が締めつけられる。

 構成がしっかりしているのもいい。

 無駄な場面が一つもなく、叔父の医院が閉まっていたこと、飴をあげた夜、海での別れ、すべてが最後に自然に繋がる。時系列が前後しても混乱しないのは、作者が最初から最後まで設計を固めているからだ。

 情景と心情が無理なく重なっている。四月の雪や吐く息の白さ、海の冷たさは飾りではなく、二人の関係をそのままを表している。

 比喩が派手すぎず、風景がそのまま感情になっている印象がある。重いテーマを扱っているのに描写が清潔で陰惨な感じがしない。首を絞める場面も、暴力的というより切実さが先に立つ。

 読んでいて不快感や汚れ感が残らないのは、余計な装飾をしていないから。だから最後まで読みやすく、読後感も静かに澄んでいる。重さはあるけれど、どこか透明で、終わったあとに深い息ができるような小説だった。


 五感描写は、視覚と触覚が圧倒的に強く、聴覚も効果的に使われている。嗅覚は「潮の匂い」のみで繰り返し、味覚は「飴」一回だけ。五感の偏りが、寒さや息苦しさ、触れ合うことしかできない関係性を際立たせ、閉じた兄妹の世界となっている。

 視覚は「窓の外、一面に雪が降っている。電車の中で見たあの雪粒とは比べ物にならない、視界を覆うような純白」「吐く息にかかる白い霞」「綺麗な。それでいて黒い、どこまでも真っ暗な瞳」「健康的でどこか艶めかしい肉のラインは、だけれど少し力を加えてみれば簡単に折れてしまいそうなほどの危うさすら孕んでいて」「涙に象られた、大好きであるはずで、でも何故か今は心から恐ろしいと思うその瞳」

 聴覚は「『次は、三保三隅、三保三隅です』」「『っぜえぇぇ――』」「汚い、気持ちの悪い、うるさくて不快な音」「甲高いブレーキ音を響かせながら、電車がホームに入線してきた」「極小さな、彼女の声が聞こえて。『――っ』それは微かな、だけれど確かな彼女の泣き声であった」「潮騒が聞こえる」

触覚は「肌に覚える確かな寒さに身体を震わす」「暖かいのは、ただお互いの熱だけだから」「手に力を入れる」「首を鷲掴みにしているかのような格好」「立てた爪に幾条も傷が生まれ」「靴で踏みしめると「ぐしゃり」と泥でも踏んだかのような湿った音を鳴らす」「今の時期ではまだ冷たい水の中に足を入れた」

 嗅覚は「潮騒が聞こえる。誰かの笑い声が聞こえる。それ以上に、君の息の音が聞こえる」「潮の匂いが広がっていた」「潮騒が聞こえる。潮の匂いが広がる」海の匂いがくり返し象徴的に使われている。

 味覚はないが「寒さ」と「息」による喉の乾きを暗示。「手の中のものを見て、彼女は少しだけ笑った。『何これ。兄さん飴なんか持ってたの?』」甘い味=飴=蓮が舞に与えられる唯一の優しさを象徴している。


 主人公の弱みは現実逃避癖があること。状況判断より感情に流されやすい。自己肯定感の低さ。劣等感と罪悪感に支配。他者に依存する傾向が強く、舞の存在が無いと自分を保てない。決断力の欠如(叔父を頼る幻想、途中での迷い)。

 これらは物語の必然として描かれ、欠点が成長や破滅に直結していく。


 数行の中におなじ言葉がくり返し使われて重複っぽく感じるところがある。「そして、という、と言う、ように、ような、と言った」などの水増し表現やこそあど言葉などの指示代名詞は、ここぞというところ以外は削るか別の言葉に置き換えるかすると読みやすくなる。

 本作は一人称で書かれているので、地の文に書かれていることは主人公の蓮が思ったり感じたり考えたりしたこと。なので、ここぞと強調するところ以外はわざわざ「と思った、感じた、考えた」と書かなくてもいい。


 エンタメに寄せるなら、セリフと改行を増やして文体密度を調整してもいいかもしれない。主人公の内省による静かな緊張感は維持されているのだけれども、一文が長く、情報量の密度詰まりすぎて若い読者層の中には読み進めづらいかもしれない。

 たとえば「ふと窓の外を眺めてみれば、白い雪粒が視界に映る。季節外れの雪だけれど、それでも、そんな情動的な光景に心安らぐだけの余裕は、僕らには無かった」のところは、「窓の外を眺めれば、白い雪粒が視界を横切った。四月の雪だ。きれいだと思う余裕は、もう僕らにはなかった」と短くしてみる。

 内面描写の後にセリフを一行挟むのもリズムが作れる。


 主人公の思考する中で結論が出てしまう場面が多く、行動への反映が弱いところがある。それが問題ではないのだけれども、映像的な起伏が薄れて場面が想像しにくく、掴みづらくなる気がする。「疲れた」や「諦め」などのあとに行動を一つ加えてはどうだろう。

「『疲れたよ』僕は顔を上げ、ロビーに射す光をぼんやりと見つめた」みたいに、主人公の内面を動きで示すことで補われ、気持ちが視覚化、読み手もイメージしやすくなり、腑に落ちやすくなる。

 駅周辺やホテル、雪の描写に「触れる、歩く、持つ」など手の動きを差し込み、動きが感情の現れみたいに描いてはどうかしらん。


 一番悩ましい倫理、タブー描写を整理することを勧める。

 性行為の描写が暗示に留まっているが、年齢設定(中一〜高三)だと法的にアウトになる可能性が大きい。舞の年齢を最低十六歳以上にするか、描写をさらに曖昧にしたほうが紙上に出せるのではと考える。

 兄妹の関係を描いたところに受け取り方がわかれる気がするので、直接的な肉体描写を象徴的な表現に変えるだけでも読める読者層が広がるだろう。

「抱いた」表現はそのまま残しつつ、心理心情へと重心を移してみてはどうか。

「秋の夜、僕は舞の涙に触れた。それが互いを抱くことと同じ意味を持った」みたいに肉体的だけでなく、心情の一致として読めるよう含みをもたせることで、意図は変わらず倫理的にも受け入れやすくなり、広い読者にも読んでもらいやすくなると想像する。

 暴力シーンは、行為のリアルさより後の沈黙を強調すると、映像的視覚的描写の刺激を抑えつつ、内省の緊張が続くのではと想像する。


 ラストの再会場面に外の世界を感じさせてはどうだろう。

 本作は、二人の閉じた世界で完結している。純文学としてはいいのだけれども、エンタメかつ書籍化されている文芸作品にするには他者の視線が少なく感じる。

 海辺の再会で第三者の存在、たとえば離れた砂浜で子供が砂遊びをしていたり、遠くで釣りをしていた人が主人公たち二人を一瞥し、軽く頭下げて去っていくみたいな場面を入れてはどうだろう。

 日常から非日常を経て日常へと帰還したのを感じさせるように、元の世界である実社会で生活している背景を描くことで、再会が赦されたものとして感じやすくなると思う。

 もしくは主人公の独白の中に、誰かに見られても構わないといった文言を入れて、世界と和解しつつ、二人きりの世界の印象を和らげると、読後感が暖かいものに変わってくるのではと邪推した。


 読後、タイトルを見直す。

 春の気配を感じさせながらも凍てつく寒さが、主人公たちの心情と重なり、胸を締め付けられた。恋愛小説ではなく、ヒューマンドラマ。冷たさに唯一の熱があり、最後に報いのような赦しがある。

 近親相姦という題材を、ただのタブー破りや刺激的なネタとして使ってない。

 むしろ、だからこそ「逃げられない」「救われない」「愛してしまう」という、どうしようもない人間の弱さと深さを容赦なく、でも優しく抉り出している。

 安易に美化していないし、かといってただの破滅譚でもない。

「中途半端なまま、それでも生きていくしかない」といった、ものすごく生々しい現実の重みを主人公に背負わせている。

 応募された中で、構成や文体が文学的で、真っ先に目を引いた。

 U24杯は読み応えあるエンタメで質の高い作品を求めている。

 文学的過ぎるし倫理的テーマと心情の構築からみれば、純文学に該当する気がした。純文学なら本作のテーマを扱えるがエンタメとしてはどうかと逡巡し、最初は選外にした。

 兄弟の近親相姦は、いろいろ問題があると思ったからだ。

 本作の題材は、純文学なら受け入れられやすいが、そもそもU24杯はエンタメ作品を求めている。純文学ではないのだ。

 ただ、今年のカクヨム甲子園2025では純文学寄りの作品が多数、中間選考され通過していた。

 カクヨム甲子園の延長みたい、私は作品を見ているので、エンタメ要素があれば純文学寄りの作品も有りだろうと考え、改めて検討しなおした。

「逃避行→禁断の愛→再会」という普遍的なドラマで起承転結で書かれ、第一幕から第三幕にかけての展開に「目的→挫折→絶望→再生」という高低差があり、中盤の暴力と赦しに倫理観を揺さぶられ、作品世界に没入させている。

 セリフや情景描写の選び方、主人公の心情を地道に積み上げていて、五感描写と間の表現が良く、登場人物も現実味を感じさせている。結末の赦しは感動の押し付けではなく余韻として残る。

 文体や型、テンポなど構造はエンタメであり、繊細な描写や言葉の美しさといった核となる内面は純文学で書かれた「文学性のあるエンタメ」として書かれていると結論づけた。

 引っかかっていたのは、倫理的にどうかという点。

 迷ったあげく運営側に相談し、作品の出来の良さで選んだ。

 もし、今年のカクヨム甲子園に純文学寄りの作品が多く選考されていなければ、エンタメだけの基準で選考していたら落としただろう。


 カクヨム甲子園で『蒼、インザレフ』を読んだことを思い出す。あれから腕を上げられたというか、成長目覚ましい。


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