第28話 古の体術と不法投棄ゴミ

ワァァァァァァァッ!!


 地響きのような歓声が、円形闘技場(コロシアム)を揺らしていた。

 今日から始まった『学園対抗魔法試合』の予選。国中から集まった魔法自慢の学生たちが、己のプライドを懸けて激突する、青春と熱血の祭典だ。


「……うるさい。実にうるさい」


 俺は闘技場の最上段、観客席の最後列にある通路の暗がりに立っていた。

 灰色の作業つなぎに、目深に被った帽子。手にはゴミ袋とトング。完全に風景と化した『設備管理班』スタイルだ。


(なぜ俺が、こんな騒音の中で休日を過ごさねばならんのだ)


 眼下では、派手な爆発音と共に、赤や青の光が飛び交っている。観客たちは興奮してポップコーンを撒き散らし、飲み物をこぼす。俺の仕事は、その惨状を片付けることだ。地獄かここは。


『さあ、始まりました注目の第4試合! 我らがアークライトの至宝、レオナルド・フォン・ローゼンバーグ選手に対し、対するは伝統校ヴィオレシア学園の誇る炎の貴公子、フィリップ選手だ!』


 実況の馬鹿でかい声と共に、会場のボルテージが最高潮に達する。

 フィールドの中央に、白銀の髪をなびかせたレオナルドが現れた。その表情は、いつになく真剣だ。


「ふん。首席とは聞いていたが、大した魔力量じゃないな」

 フィリップとやらが、鼻で笑うのが見えた。


「僕の『紅蓮の三重奏(トリプル・フレア)』で、そのプライドごと焼き尽くしてやる!」


 ゴングと同時、フィリップが巨大な火球を三つ同時に放った。観客席まで熱波が届く、なかなかの威力だ。


「レオ君、危ないですぅ!」

 観客席の最前列で、リリィが悲鳴を上げている。


 だが、レオナルドは動かなかった。いや、棒立ちではない。

 彼は防御魔法を展開するでもなく、ただ静かに、スッとその場で沈み込んだ。膝を曲げず、股関節のみを畳むような、奇妙な前傾姿勢。


(……ん? あのフォームは)


 俺が見覚えのある姿勢に目を細めた瞬間。


 ダッ!!


 レオナルドの姿が掻き消えた。否、あまりに姿勢が低すぎて、観客席からは見えなくなったのだ。三つの火球が、彼のいた場所を薙ぎ払い、轟音と共に爆発する。しかし、そこに彼の姿はなかった。


「なっ!?」


 フィリップが驚愕に目を見開く。

 レオナルドは地面スレスレ、数センチの高さを、まるで氷の上を滑るように疾走していた。足の指先だけで地面を蹴り、摩擦を極限まで殺した超低空高速移動。

 昨日、俺が「膝をつくな」「重心を低く」「一直線に」と命じた、あの過酷な『廊下雑巾がけ』のフォームそのものだった。


『な、なんだぁーっ!? レオナルド選手、魔法を使わずに全て回避! なんという体捌きだ!』


 実況席が、そして会場全体がどよめいた。

 予測不能な軌道で滑り回るレオナルドに、フィリップが矢継ぎ早に魔法を放つが、全て空を切る。


『おおっと! この動きは……まさか!』


 解説席に座っていた老魔法使いが、興奮して立ち上がった。


「間違いない! あれは古文書にのみ記された、失われし古の体術……『地摺り(グラウンド・スライド)』じゃあッ!!」


(……いや、だから雑巾がけだって)


 俺の心のツッコミを肯定するかのように、すぐ近くの席でリリィが興奮して眼鏡をカチャカチャさせていた。


「そうですぅ! あれぞ先生直伝の『無想の構え』! 重心移動の予備動作を完全にゼロにすることで、敵の動体視力から『認識』ごと滑り落ちる高等技術です! 合理的……あまりにも合理的ですぅ!」


 周りの観客たちが「な、なるほど……!」と感心している。


 当のレオナルドは、恍惚とした表情で叫んでいた。

「これか……! これだったのかッ! 師が私に示したかった『境地』は!」


 彼は敵の魔法の嵐を滑り抜け、一瞬でフィリップの懐に飛び込むと、手刀を首筋にトン、と軽く当てた。


「……僕の、勝ちだ」


 シン……と静まり返った闘技場は、一拍遅れて、割れんばかりの大歓声に包まれた。



 その頃。


 熱狂する闘技場の地下通路では、数人の影が蠢いていた。

 漆黒の制服――黒蓮学園の生徒に化けた、ミスティークの部下たちだ。


「よし、今のうちだ。観客どもは試合に夢中になっている」

「第一魔力伝導管に、この『阻害装置』を設置するぞ」


 彼らが壁のパネルを外し、パイプが剥き出しになった区画に、黒い円盤状の機械を取り付けようとしていた。


(……まったく。こんな場所に、ゴミを放置するとは)


 俺は清掃用のカートをガラガラと押しながら、彼らの背後に音もなく近づいていた。俺の『粘液盗聴網』は、彼らの不穏な会話をすべて捉えている。


「設置完了。起動まで、あと10秒……」


 工作員が、装置のスイッチに指をかけた、その時だった。


 カチャッ。


 背後から、長い金属製のトングが伸びてきて、設置したばかりの装置を軽々と掴み上げた。


「なっ!? 誰だ!」


 工作員たちが一斉に振り返る。

 そこに立っていたのは、灰色の作業つなぎを着た、死んだ魚のような目をした冴えない用務員だった。


「すみませんね」


 俺は無表情のまま、トングで掴んだ装置を掲げた。


「ここは、不法投棄の場所ではありませんので」


「き、貴様ッ! それをどこへ!」


「どこへ、とは?」


 俺は心底不思議そうな顔で、首を傾げた。


「もちろん、分別して、正規のゴミ箱へですが?」


 俺は工作員たちが呆気に取られている間に、装置を素手で掴むと、ミシリ、と力を込めた。


 バキィ! ゴギギギッ!


 特殊合金で作られ、防衛術式まで組み込まれているはずの装置が、俺の手の中でいとも容易く、ビスケットのように砕け散る。


「ひっ……!?」


「ふむ……」


 俺は手のひらの残骸を吟味し、冷静に選別し始めた。

「外装はプラスチック……これは可燃ゴミへ。基盤と配線はレアメタルが含まれているので資源ゴミ。バッテリーは有害ゴミですね」


 俺は手際よくそれらを分別し、カートに備え付けられた三つのゴミ箱へ、それぞれ正確にシュートした。


「い、今のは……何だ……?」

「我々の……秘密兵器が……ただのゴミに……」


 一人が、震える声で呟いた。


「ま、まさか……設置した瞬間に、空間転移魔法か何かで、処分されたというのか……!?」


 その言葉に、全員の顔が恐怖に引きつった。そうだ、そうでなければ説明がつかない。この冴えない用務員が、素手で特殊合金を握り潰せるはずがない。

 この学園には、我々の知らない、規格外の防衛システムがあるのだ。


「……お客様」


 俺の声は、深海のように冷たく響いた。


「ここは神聖な競技場です。不法投棄は条例違反。そして何より――」


 俺は一歩、彼らに近づいた。

 死んだ魚のような濁った瞳で、彼らを見下ろす。


「私の担当エリアを汚す害虫は、徹底的に駆除(クリーニング)するというのが、私の仕事の流儀(ポリシー)でしてね」


「ヒッ……!?」


 工作員たちが息を呑んで後ずさる。俺から放たれる、魔力ではない、純粋な『清掃の殺意』に圧されたのだ。


「ま、待て! 俺たちは……!」


「言い訳は不要です。あなたは『可燃ゴミ』ですか? それとも『不燃ゴミ』ですか?」


 俺がトングをカチカチと鳴らしながら迫ると、工作員は顔面蒼白になり、脱兎のごとく逃げ出した。


「ひ、ひいいいいっ! ば、化け物ぉぉっ!!」


 通路の奥へと消えていく足音を背に、俺は深くため息をついた。

 華やかな舞台の裏側で、俺の孤独な掃除(戦い)は続く。



 一方、逃げ出した工作員は、会場の地下倉庫で震えていた。


「ど、どうした? 装置の設置は完了したのか?」

 仲間が尋ねるが、彼はガタガタと歯を鳴らしながら首を振る。


「だ、駄目だ……! あいつはヤバい! 設置した瞬間に、装置が……ゴミとして回収されたんだ! 一瞬で分解されて、分別までされて……!」


「何を言っているんだお前は。錯乱しているのか?」


「本当なんだ! あいつは……あいつは人間じゃない! 『掃除』という概念が服を着て歩いているような化け物だ!」


 工作員の目には、底知れぬ恐怖が焼き付いていた。

 リーダー格の男が、不敵に笑う。


「フン、たかが掃除夫一人に。ならば、次の手だ。我らが誇る『変身魔人(ドッペルゲンガー)』を使う」


「変身……?」


「そうだ。奴らの中で最も信頼されている人間に化け、内部から崩壊させる。……例えば、あの妙に目立つ掃除夫自身に化けてやるのも面白いかもしれん」


 彼らはまだ知らなかった。

 ゼクスという男を模倣することが、どれほど危険で、そしてどれほど『退屈』な地獄であるかを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る