第29話 完璧な猫背と死んだ心
「おい聞いたか? ゼクス先生、なんか今日、めちゃくちゃ機嫌いいぞ!」
「ああ! さっきの授業、全部自習にしてくれたんだぜ! 『諸君の自主性を信じよう。試合を楽しんでおいで』だってさ!」
「まじかよ! 案外いい先生かもな!」
……なんだと?
俺はモップを握りしめたまま、用具室の陰で戦慄していた。
校舎全体に薄く塗り広げた『粘液盗聴網』が、俺の平穏なサボりタイムを妨害する、不穏極まりない会話を拾ってきたのだ。
俺の目撃情報が多発している。
しかも、「機嫌が良くて」「爽やか」で「生徒思い」だと?
「……ふざけるな」
俺の長年の努力で築き上げた「無気力・無関心・存在感ゼロ」の窓際ブランドが、根底から覆されようとしている。
これは、由々しき事態だ。
俺は帽子を目深に被り直し、気配を消して情報源のエリアへと向かった。
この学園に、俺以外のゼクス・グレイが存在するなど、あってはならない。
これは「掃除」の案件だ。
◇
西校舎の渡り廊下。
そこに、憎むべき「彼」はいた。
「やあ、君たち。怪我はないかい? 応援もいいけど、水分補給は忘れないようにね」
女子生徒たちに囲まれ、キラキラとした笑顔を振りまく男。
くたびれたスーツに、ボサボサの黒髪。見た目は完全に俺だ。
だが、決定的な何かが違う。
(……姿勢が良すぎる)
俺は物陰から、ギリリと歯噛みした。
背筋がピンと伸び、歩き方には自信が溢れ、声には張りがある。
あんなの、ただの「コスプレをしたイケメン」じゃないか。
「キャーッ! ゼクス先生、素敵ー!」
「ありがとう。君たちの笑顔が、僕の活力だよ」
ウィンクまでしやがった。
吐き気がする。俺の顔で、あんな健康的で希望に満ちた表情をするな。営業妨害だ。
俺は意を決し、モップを引きずりながら、ぬらりと姿を現した。
「……随分と、楽しそうですね」
「ん? おや、君は……」
偽物が振り返り、俺を見て目を丸くする。
女子生徒たちが「えっ? ゼクス先生が二人!?」と悲鳴を上げて後ずさる。
「……生徒の皆さん。ここは清掃区域です。速やかに退去を」
俺は地の底から響くようなドスの利いた声で告げた。
案の定、彼女たちは「ひぃっ、こ、こっちが本物の不気味なほうだ!」と叫んで逃げ出した。よし、ブランドイメージは守られた。
廊下には、俺と、偽物の俺だけが残された。
「……なるほど。貴様が本物か」
偽物の表情から、スッと笑顔が消えた。代わりに浮かんだのは、冷酷な忍びのような殺気。
「はじめまして、元四天王殿。私は黒蓮学園工作部隊『影縫い』所属、『変身魔人(ドッペルゲンガー)』。貴様になりすまし、学園内部から混乱を引き起こす手はずだったが……ここで消えてもらおうか」
偽物は、俺と同じ顔で、ニヤリと不敵に笑った。
「……はぁ」
俺は深く、重いため息をついた。
「失格ですね」
「何?」
「まず、声に覇気がありすぎる。なってない。
もっとこう、人生に絶望しきった、淀んだ声でなければ。
それに、その姿勢。良すぎる。希望に満ち溢れて、背筋がピンと伸びている。まるで新入社員だ」
俺は自分の背中を丸め、完璧な猫背を披露した。
「いいですか。俺のこの猫背は、長年の社畜生活で培われた、いわば魂の形。そう易々と模倣できるものではない」
「き、貴様……!」
偽物の顔が、屈辱に歪む。
「極め付けは、その目です」
俺は一歩踏み出し、偽物に顔を近づけた。
「希望、野心、活力……そんな不純物が混ざっています。俺の目はね、もっとこう……光を一切反射しない、深海の魚のようであるべきだ」
俺は偽物の耳元で、静かに、しかし明確な殺意を込めて囁く。
「俺の『死んだ心』を、舐めるなよ」
「ふ、ふざけるなッ!!」
プライドを木っ端微塵に砕かれたのだろう。偽物は奇声を上げ、鋭い爪を伸ばして襲いかかってきた。
生徒たちが逃げた後で助かった。これで残業は確定か。
「死ねぇッ!!」
俺は迫りくる爪を最小限の動きでひらりとかわすと、おもむろに自分の身体を液状化させ始めた。
「なっ!?」
「面倒なので、これで失礼します」
俺の体は青いスライム状になり、近くにあったスチール製のロッカーの、扉の隙間へとスルスルと吸い込まれていった。
まるで、そこに逃げ込むように。
「逃がすかァッ!」
偽物はロッカーに殴りかかり、分厚い鉄の扉をベコベコに凹ませる。
だが、その瞬間、奴は気づいていなかった。
背後の天井から、青い粘液が音もなく垂れ落ち、俺の姿を再構成していることに。
ロッカーに入ったのは、ほんの一部の囮。本体は壁を伝って、とっくに奴の死角に回り込んでいたのだ。
「清掃の時間です」
「――え?」
偽物が振り返った時には、もう遅い。
俺は、近くに立てかけてあった愛用の業務用モップを、奴の顔面に叩きつけていた。
バシャッ!!
「ぐわあぁぁっ!? ごぼっ……!?」
ただの雑巾ではない。
床の汚れと俺の汗と涙が染み込んだモップには、酸素の透過を阻害するスライム粘液がたっぷりとコーティングされているのだ。
俺はモップで顔面をグリグリと制圧しつつ、粘液化した脚部で相手の足を払った。
ドサリと崩れ落ちた偽物の首筋に、モップの柄を正確に叩き込み、完全に意識を奪う。
「……ふう。片付け完了」
俺がモップを離した、その時だった。
「……せ、先生ッ!?」
背後から、息を呑む声がした。
振り返ると、廊下の角からリリィが顔を覗かせていた。
彼女は、床に倒れた「ゼクス」と、モップを持って立つ「ゼクス」を交互に見つめ、眼鏡をカチャカチャと震わせている。
「こ、これは……まさか……」
リリィの瞳が、狂気的な輝きを帯び始めた。
「先生が……もう一人の自分(ドッペルゲンガー)を倒している……!?」
(……まあ、見たまんまだが)
「自己との対話……いえ、これは『過去の克服儀式』ですぅ! かつて『希望』を持っていた頃の自分を、現在の『虚無』に至った先生が物理的に抹殺することで、更なる悟りの境地へ至ろうとしているんですね!?」
「……は?」
リリィはブツブツと早口で考察を始めた。
「あの倒れている先生は、背筋が伸びて希望に満ちている……つまり『未熟な過去』の象徴! 対して今の先生は、完全に脱力した『自然体(ナチュラル)』! 自分自身の弱さ(希望)を、清掃用具(モップ)という日常の象徴で洗い流す……! 哲学的すぎますぅ! これが『解脱』……!」
「……リリィ君。見なかったことにしてくれ」
「はい! この神聖な儀式、他言は無用ですね! 私の胸にしまっておきますぅ!」
リリィは涙ぐみながら深く一礼し、走り去っていった。
……まあ、正体がバレるよりはマシか。
俺は気絶した偽物の襟首を掴み、ズルズルと引きずってゴミ集積所へ向かった。
人間(しかも工作員)は分別が難しいが、まあ「燃えるゴミ」でいいだろう。
◇
偽物をゴミ箱にシュートし、俺は再び会場へと戻った。
準決勝が始まろうとしている。
次のレオナルドの対戦相手は、黒蓮学園のエースだと聞いている。
会場のモニターには、対戦相手の紹介映像が流れていた。
『――影を自在に操る、漆黒の暗殺者! その実力は未知数!』
画面の中で、不気味な男が、自分の「影」から刃を出して笑っている。
俺は眉をひそめた。
(……影、か)
照明係として、少し気になるな。
影が濃すぎる。あれでは観客席から演者の表情が見えにくい。
俺は天井を見上げた。観客席上部のキャットウォークに設置された照明機材。しばらく掃除されていないのか、レンズが曇っているのがここからでも分かる。
「……汚い」
俺の職人魂が疼いた。
あんな汚れたレンズで照らされるなど、舞台に立つ者が可哀想だ。
「掃除しに行くか」
俺はモップを担ぎ直し、関係者以外立ち入り禁止の梯子へと足をかけた。
ついでに、あの生意気な影使いに、照明(ライティング)の重要性を教えてやるとしよう。
準決勝のゴングが、鳴ろうとしていた。
魔王軍で『芸がない』とリストラ候補にされ、潜入先の学園でもスライム飼育係を押し付けられた俺が、ヤケクソでスライムを『模倣』したら、生徒たちに『神速の幻影使い』と勘違いされ最強の守護者になった件 人とAI [AI本文利用(99%)] @hitotoai
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