第26話 分別なき侵入者と清掃員の静かな逆鱗
学園中が、祭り特有の浮かれた熱気に包まれている。
『学園対抗魔法試合』の開幕を控え、正門前には色とりどりの馬車が列をなし、他校の代表選手たちが続々と到着していた。
黄色い歓声、高まる魔力、ぶつかり合う若きエリートたちのプライド。
まさに青春の1ページだ。
「……うるさい。実にうるさい」
俺は深く帽子を目深に被り、そんな喧騒を背に、校舎裏のゴミ集積所にいた。
華やかなメインストリートから最も遠い、日陰の場所だ。
俺が身につけているのは、灰色の作業つなぎに、ゴム手袋、そして首から下げた『設備管理班』の入館証。
最高だ。誰もここには来ない。誰も俺を見ない。
「よし、ペットボトルのラベル剥がし完了。キャップは別回収……完璧だ」
俺は目の前に積み上げられたゴミ袋を満足げに見下ろした。
生徒たちが無造作に放り込んだゴミ袋を開封し、中身を再分別する。地味すぎる作業に、ここ数時間没頭していた。
だが、苦ではない。
混沌としたゴミの山が、俺の手によって秩序あるカテゴリーへと整理されていく過程には、精神的なカタルシスがあるのだ。
俺は分別されたゴミ袋を、属性別に美しく整列させた。まるで芸術作品(オブジェ)のように。
俺が空を見上げ、一息つこうとした時だった。
ザッ、ザッ、ザッ。
規則正しすぎる足音が、集積所の横の通路から近づいてきた。
一般生徒の、だらけた歩調ではない。
重心が常に低く保たれ、アスファルトの上を滑るような、訓練された『潜入者』特有の歩法だ。
(……おや?)
俺はゴミ袋の陰から、こっそりと様子を窺った。
現れたのは、漆黒の制服に身を包んだ十数人の集団。胸には『黒蓮(ブラック・ロータス)学園』の校章が見える。隣国にある、実力至上主義で有名な魔法学校の代表チームだ。
だが、俺の目は騙せない。
先頭を歩く、妖艶な美貌を持つ女子生徒。その骨盤の動きを最小限に抑えた歩き方は、いつでも全方位へ対応できる戦闘態勢を維持している。
(……ミスティークか)
俺は心の中でため息をついた。
魔王軍四天王『幻惑』のミスティーク。彼女が率いる工作部隊『影縫い(シャドウ・ステッチ)』が生徒に化けて潜入してきたというわけか。
(……まあ、関係ないな)
関わったら負けだ。
俺の任務はトロフィーの管理と清掃。彼らの仕事は潜入工作。業務内容が違う。管轄外だ。
俺はそっと息を潜め、石のように気配を消した。
ミスティーク率いる一団は、俺の存在になど気づく素振りもなく、集積所の横を通り過ぎていく――はずだった。
「ん? なんだ、この汚らしい袋は。邪魔だぞ」
列の中ほどの男子生徒(工作員)が、足を止めた。
彼のブーツの先が、俺が丹精込めて整列させた『資源ゴミ(洗浄済みプラスチック)』の袋に触れている。
「どけ、下賤の者が」
工作員は苛立ったように舌打ちすると、あろうことか、その袋を思い切り蹴り飛ばした。
バシャアァッ!!
袋の口が裂け、中身が弾け飛ぶ。
俺が丁寧に洗ったばかりのプラスチック容器が宙を舞い、隣にあった『燃えるゴミ(生ゴミ含む)』の袋の上に降り注いだ。
さらに悪いことに、蹴り飛ばした勢いで生ゴミの袋も倒れ、中身が混ざり合う。
コーヒーの残滓が、綺麗なプラスチックを茶色く汚していく。
分別という名の秩序が、暴力という名の混沌によって、無惨にも破壊された。
「けっ。アークライトの連中は、こんな所にゴミを置きやがって。品性がねえな」
工作員は鼻で笑うと、そのまま歩き去ろうとした。
ピタリ、と俺の動きが止まった。
周囲の喧騒が、遠のいていく。
俺はゆっくりと顔を上げた。俺の目は魔王軍の工作員たちを見てはいなかった。
ただ、無残に混ざり合ったゴミの山を、凝視していた。
(蹴った……? しかも……混ぜた……?)
プチッ。
俺の脳内で、何かが決定的に切れる音がした。
「おい、何とか言ったらどうだ。汚いゴミと一緒に突っ立ってないで、さっさと道を開けろ」
工作員が、イラついたように言った。
俺はゴミ袋の陰から、ゆらりと立ち上がった。
「……すみません」
俺は、静かに、しかし心の底から冷え切った声で言った。
「あなた方の教育課程に、『ゴミの分別』という科目はなかったのですか?」
「……は?」
工作員が、呆けた声を上げる。
俺の額に、ピキリ、と青筋が浮かんだ。
「燃えるゴミと、資源ゴミは、きちんと分ける。これは社会生活における、最低限のルールです。子供でも知っている」
「な、何を言っているんだ、こいつは……?」
「なるほど」
俺は深く、深く頷いた。
「魔王軍も、深刻な人材不足のようですね。こんな、分別もできない知能レベルの者を、工作員として採用しなければならないとは」
「……貴様、今、何と……?」
工作員の顔色が変わる。だが、もう遅い。
「いいでしょう」
俺は手に持っていたトングをカチリと鳴らした。
「教育が必要です。あなた方には」
この瞬間、俺の中で彼らのカテゴリーが書き換えられた。
もはや、彼らは魔王軍の敵ではない。ミスティークの手下でもない。
ただの、『駆除対象の害虫』だ。
「まずは、ゴミの拾い方から、徹底的に叩き込んで差し上げますよ」
俺の静かな宣言に、工作員たちは背筋に氷を突き立てられたような悪寒を感じて、一歩後ずさった。
魔王軍最強の座を追われた男の、清掃員としてのプライドを懸けた戦いが、今ここに幕を開けた。
まずは、この散らばったゴミを片付けるところからだがな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます