第24話 輝けるトロフィーと磨かれた心の鏡

パニックに陥った教頭と査察官が、蜘蛛の子を散らすように階段を駆け上がっていく。


 後に残されたのは、半裸の俺と、狂信的な眼差しを向ける二人の生徒。そして、重苦しい静寂だけだった。


「……はぁ。また残業ですか」


 俺はボキボキと首を鳴らし、重い足取りで地上への階段を登り始めた。


 背後からは、やたらとキラキラした声がついてくる。


「御意! いざ、新たなる戦場(フェスティバル)へ!」

「先生の残業に、どこまでもお供しますぅ!」


(来なくていい。というか、残業は確定事項じゃない。断固として回避する)


 地上へ戻ると、空気は一変していた。

 地下の陰鬱な雰囲気とは真逆の、浮き足立った熱気が学園全体を包んでいる。中庭には色とりどりの幟がはためき、生徒たちが楽しげに飾り付けを行っていた。


 年に一度の祭典、『学園対抗魔法試合』。バカ騒ぎの季節だ。


「ゼクス君! ちょうどよかった! 君も来なさい! 緊急対策会議だ!」


 血相を変えた教頭が、有無を言わさず俺の腕を掴み、引きずっていく。


 ああ、俺の平穏なモブライフが、また一つ音を立てて崩れていく。



 会議室は、戦場さながらの混乱に陥っていた。


「警備の騎士団を増員しろ! 正門と全校舎の入り口に結界を!」

「馬鹿者! 相手は四天王だぞ! 小手先の警備など、正面から破られるに決まっている!」

「では中止か!? 王族までご臨席されるこの一大イベントを、今更中止にできるわけがなかろう!」


 怒号と悲鳴が飛び交い、誰もが責任のなすりつけ合いに終始している。


(……時間の無駄だ)


 俺はこの喧騒から逃れる方法を必死に考えていた。

 どうすれば、この面倒なイベント期間中、誰にも干渉されず、静かに過ごせるか。

 目立たず、楽で、責任のない仕事……。


 ふと、会議室の隅に立てかけられた掲示板が目に入った。

『学園対抗魔法試合・運営委員募集!』


 俺はリストの一番下、小さな文字で書かれた募集要項に、目を釘付けにした。


『設備管理班:大会の裏方、縁の下の力持ち! 主な業務:会場設営、備品管理、清掃業務』


(……これだ)


「――では、ゼクス君」

 不意に、査察官ハイベルクが俺に話を振ってきた。


「君には、その規格外の能力をもって、大会期間中の特別警戒任務についてもらう」


「お断りします」


 俺は即答した。


「なっ……!?」

「私は、しがない窓際教師ですので。そんな大役、務まりません」


 俺は掲示板を指さした。


「それよりも、こちらに立候補させていただきたい。設備管理班に、ぜひ私の力を」


「は……? せ、設備管理……?」


 会議室にいた全員が、ポカンとした顔で俺を見る。


「君は正気か? それはただの雑用係だぞ!」


「いえ。私は、縁の下で学園を支えたいのです」


 俺は、人生で初めてかもしれない殊勝な態度で頭を下げた。


 これで特等席でサボりながら、ヴォルカの標的であるトロフィーを間近で監視できる。一石二鳥だ。


 俺のあまりに真剣な申し出に、教頭も査察官も毒気を抜かれたようだった。


「……まあ、君がそう言うなら。好きにしたまえ」


 ハイベルクが、吐き捨てるように言った。

 よし、計画通りだ。



 数分後。俺は学園の地下最深部にある『特別保管庫』にいた。

 分厚いミスリルの扉を開けると、ひんやりとした空気が肌を撫でる。部屋の中央、ベルベットの台座の上に、それは鎮座していた。


 今年の優勝トロフィー。建国記念に王家から下賜されたという、特大の『純魔結晶』で作られた芸術品だ。


「ほう……。これが、例の『鍵』ですか」


 俺は歩み寄り、しげしげと観察した。

 だが、俺が眉をひそめた理由は、その魔力的な価値ではない。


「……汚い」


 俺はスキル『完全模倣』の解析眼を発動させた。

 一般人の目には美しく輝いて見えるだろう。だが、俺の目には見えてしまった。


 表面に無数に付着した、脂ぎった指紋。空気中の埃が静電気で吸着した、微細な汚れ。そして何より、カッティングの溝に溜まった、製造過程での研磨剤の残りカス。


「許せん……」


 俺の職人魂(という名の潔癖症)が、メラメラと燃え上がった。

 王家の宝だか何だか知らないが、こんな手垢まみれの状態で飾られるなど、清掃のプロとして我慢ならない。


「やるか」


 俺は上着を脱ぎ捨て、腕まくりをした。

 ポケットから取り出したのは、スライムの消化液を、金属や結晶を溶かさないギリギリのpH濃度に調整した、俺特製の『超強力研磨ローション』だ。


「ふふふ……。分子レベルの平面(フラット)を出してやりますよ」


 俺はローションをクロスに染み込ませ、トロフィーの表面を愛でるように磨き始めた。


 キュッ、キュッ、キュッ。


 一定のリズム。一定の圧力。俺は無心で磨き続けた。時間を忘れ、己を忘れ、ただ「汚れを落とす」という行為に没頭する。


 ――ガチャリ。

 重厚な扉が開く音がした。


「失礼します、ゼクス先生。教頭から、先生の監視……いえ、お手伝いをするように言われまして」

「……お邪魔しますぅ」


 レオナルドとリリィだ。

 俺は無視して磨き続けた。今、手を止めるわけにはいかない。


「せ、先生……?」


 背後で二人が息を呑む気配がした。


「……静かに」

 俺は低く、地を這うような声で言った。

「今、佳境なんです。話しかけないでください」


 俺の全身からは、湯気のような魔力(実際は、摩擦熱とスライム液の気化ガス)が立ち昇っている。


 その鬼気迫る背中に、レオナルドとリリィは立ち尽くした。


「こ、これは……」

 レオナルドの声が震える。

「なんという……集中力だ。先生の姿が、揺らいで見える……」


「ただの研磨作業ではありません……! 見てください、あの手の動きを! 完全に一定の周波数を保っていますぅ!」

 リリィが眼鏡をカチャカチャさせながら叫ぶ。


「あれはただ汚れを落としているのではありません! クリスタルの表面構造そのものを再配列させ、魔力の伝導率を極限まで高めているんです! いわば、トロフィーを『超伝導体』に作り変えている……!」


「なっ……なんだって!?」

 レオナルドが目を見開く。


「そうか……! 先生は、このトロフィーが敵に狙われていることを知っている。だからこそ、これを単なる飾りではなく、いざという時の『武器』として仕立て上げているというのか!」


(……いや、ただの手垢落としだ)


 俺の心のツッコミは届かない。レオナルドの妄想は、さらに飛躍する。


「いや、違う……。それだけではない」

 彼は一歩踏み出し、俺の背中を見つめた。その瞳には、涙すら浮かんでいる。


「あの背中を見ろ、リリィ君。……あれは、祈りだ」

「祈り、ですか?」

「そうだ。武人が刀を研ぐ時、それは単なるメンテナンスではない。己の魂と向き合う神聖な儀式なのだ。先生は今、このクリスタルという『鏡』を通して、ご自身の内なる深淵を磨いておられるのだ……!」


「す、すごいですぅ……! 汚れ一つない鏡面に、先生の『虚無』が映り込んでいるんですね!」

「ああ、美しい……。我々は今、伝説の瞬間に立ち会っているのかもしれない。『心の鏡磨き(マインド・ポリッシュ)』……。これこそが、真の強者が到達する精神統一の極致ッ!」


 二人が感動に打ち震えている間に、俺は最後のひと拭きを終えた。


「……終わった」


 クロスを離すと、そこには恐ろしい光景が現れた。

 トロフィーは、もはや「透明」を超えていた。表面の凹凸が完全に消滅したことで、光の乱反射がゼロになり、周囲の景色を歪みなく透過・反射している。


「よし。指紋一つない」


 俺が満足げに頷いた、その時。


 ピカーッ!!


 トロフィーが、部屋の照明を反射し、レーザーのような強烈な閃光を放った。


「うわぁっ! 目が、目がぁぁ!」

「きゃあああっ! 反射率100%超えですぅ! 物理法則が仕事してません!」


 レオナルドとリリィが目を押さえてのたうち回る。


「……おや。少し磨きすぎましたか」


 俺はサングラスを取り出して装着した。

 これでは展示会場の照明を反射して、観客の網膜を焼きかねない。

 まあ、俺の仕事はここまでだ。あとは知らん。

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