第13話 汚れた英雄と隠遁の掃除道

「ゼクス先生!」「我らが守護神!」「サインください!」


 ヴォルカを撃退してから数日。俺は学園内を移動するだけで、生徒たちからアイドルのような歓待を受けるようになっていた。


 正直、鬱陶しいことこの上ない。


(どうしてこうなった……)


 俺は内心で百回目の溜息をついた。


 ただ腹が減って、目の前にあった高カロリーな魔法を食べただけだ。増殖したのは生理現象で、ヴォルカが逃げたのは奴が小心者だったから。それだけのこと。

 だというのに、今や俺は『深淵より来たりて悪を食らう暴食の守護神』などという、とんでもなく恥ずかしい二つ名で呼ばれていた。


「見ろ! 先生が溜息をつかれたぞ!」

「なんと深みのある溜息だ……! 我々愚民の矮小さを憂いておられるに違いない!」

「ありがたや……!」


(違う。お前らの頭の悪さに絶望してるんだよ)


 俺は群がる生徒たちを適当にあしらい、目的地である学園の最上階、大会議室の扉をノックした。中から聞こえてきたのは、教頭のヒステリックな声だった。


「――入れ!」



「――つまり、君の証言を要約するとこうなるわけか」


 重厚なマホガニーの机を挟んで、王都から派遣された特命査察官、ハイベルクが冷ややかな視線を俺に向けていた。

 隣には、青ざめた顔でハンカチを握りしめる教頭が座っている。


「上空から飛来した戦略級魔法『終焉の焦土』に対し、君は自身の肉体をスライム状に変化させて巨大化し、それを『一口で食べた』と」


「はい。味は少々、スパイシーでしたが」


 俺が真顔で答えると、ハイベルク査察官のこめかみに青筋が浮かんだ。


バンッ!


机が叩かれる音が響いた。


「ふざけるのも大概にしたまえ! ここは神聖な査問会だぞ! 人間がスライムになる? 極大魔法を食べる? そんな荒唐無稽な話を報告書に書けると思っているのか!」


(……事実なんだが、まあ無理もないか)


 俺は心の中でため息をつく。今の俺はボロボロの作業着を着た、ただの冴えない中年教師だ。そんな男が世界を救ったと言っても、頭の固い役人が信じるはずがない。


「いいかね、ゼクス君」


 教頭がここぞとばかりに口を挟んできた。


「我々と査察官殿による現場検証、および魔力残滓の解析結果が出た。あの魔法消失現象は、レオナルド・フォン・ローゼンバーグ君の潜在魔力が、極限状態でのストレスにより暴走し、敵の魔法と『対消滅』を起こした――という結論に至ったのだ」


「はあ。そうですか」


 俺は気の抜けた返事をした。


 あまりの理不尽さに一瞬思考が停止したが、すぐに奴らの狙いを理解する。

(公爵家の嫡男が魔力暴走、という事実は彼の将来に傷をつける。だが、『規格外の才能ゆえ』とすれば箔が付く。逆に元魔王軍幹部の侵入を認めれば、学園と王都の責任問題になる。つまり、あんた達の保身のために事実を捻じ曲げると)


「……だが!」


 ハイベルク査察官が、さらに鋭い眼光で俺を射抜いた。


「魔法消失の件はそれでいいとしても、君には重大な規律違反がある!」


「規律違反?」


「これを見たまえ!」


 査察官が投げつけてきたのは、数枚の魔法写真だった。


 そこには、俺が分裂して校庭を埋め尽くした際の後始末――大量の青い粘液でベトベトになった校舎や、スライムまみれになった銅像の惨状が映し出されていた。


「神聖なる学び舎を、あろうことか下等なスライムの体液で汚染するとは何事か! これは『環境汚染』および『公衆衛生法違反』だ! 君の存在そのものが、この学園における『規格外のリスク』なのだよ!」


(ぐっ……。それは、返す言葉もない)


 物理的に漏らしたわけではないが、精神的ダメージはでかい。


「よって、ゼクス教諭。君には懲戒処分を言い渡す」


 査察官は冷酷に宣告した。


「一週間だ。一週間以内に、今回の襲撃者ヴォルカが何を目的に来たのか、その明確な証拠と背景を解明せよ。もしできなければ――君をこの学園から即刻追放する」


「……証拠探し、ですか」


「そうだ。ただし、謹慎の意味も込めて、期間中は一切の授業担当を禁止する。代わりに――」


 教頭が意地の悪い笑みを浮かべて、古びた鍵束を俺の前に投げ出した。


「学園の裏手に、五十年以上封鎖されている『旧校舎』があるのは知っているね? 君には期間中、あの廃墟の単独清掃を命じる。それが君の新しい執務室だ。せいぜい、埃とカビにまみれて反省したまえ」


 窓際どころか、廃墟送りの刑。普通なら絶望するところだろう。

 だが、俺は眼鏡の奥で、密かに目を細めた。


(授業をしなくていい? あの面倒なガキどもの相手をしなくて済むのか? それに、ヴォルカがわざわざこんな辺境の学園を狙った理由――探るには、人目のない旧校舎は絶好の拠点になる)


 それは、願ってもないご褒美(ボーナス)だった。


「……承知しました。騒がしい授業よりは、一人で黙々とできる仕事の方が性に合っていますので」


 俺の淡々とした返事に、査察官と教頭は一瞬、拍子抜けしたような顔を見せた。


 俺は殊勝な態度で頭を下げ、鍵束を掴み取ると、静かに会議室を後にした。



 用務員室からデッキブラシとバケツを借りて廊下に出ると、角を曲がったところで、待ち構えていたレオナルドに呼び止められた。


「――先生!」


 彼は悔しげに唇を噛み締め、俺に詰め寄ってくる。


「聞きました! 上層部の連中、先生の偉業を僕の手柄だと公表する気だそうですね! あんなデタラメ、僕は認めません! 今から行って訂正させてきます!」


「やめろ、レオナルド君」


 俺は慌てて彼を制止した。面倒ごとを増やしてくれるな。


「君の評価が上がるなら、それでいいじゃないか。私はただの、冴えない教師だよ」


「くっ……! どこまでも無欲な……!」


 レオナルドは感動したように震え、そして俺が手にしているボロボロのデッキブラシと、錆びた鍵に目を留めた。


「そ、その鍵は……まさか、『旧校舎』ですか!?」


「ああ。処分として、あそこの掃除を命じられてね」


「なっ……! あんまりだ! あそこは長年放置され、怨念と瘴気が渦巻く『魔の巣窟』と恐れられている場所ですよ!? 英雄に対する仕打ちが、廃墟の清掃夫だなんて!」


 レオナルドは憤慨し、拳を握りしめた。

 だが次の瞬間、彼の瞳にいつもの「アレ」な光が宿る。


「……はっ! まさか……!」


 彼は俺の顔と、旧校舎の方角を交互に見比べ、ハッと息を呑んだ。


「そうか……これは処分などではない。先生は、自ら望んであそこへ行かれるのですね?」


「……はい?」


「俗世の喧騒、名誉、称賛。それら全てを『雑音』として切り捨て、あえて誰も近づかない辺境の廃墟(旧校舎)に身を置く。それは――」


 レオナルドの声が、崇拝の熱を帯びていく。


「孤独と静寂の中で己の精神を研ぎ澄まし、更なる『深淵』を覗くための……『隠遁と修行』なのですね!?」


(……掃除だよ。ただの掃除)


 否定しようとしたが、レオナルドは既に自分の中で物語を完結させていた。


「行ってらっしゃいませ、先生! 僕もいつか、その境地に辿り着いてみせます!」


「……ああ、うん。授業、遅れるなよ」


 俺は適当に手を振って、逃げるようにその場を去った。


 その背中を、レオナルドが聖人でも見送るかのような眼差しで見つめている。


「見ろ……あの背中を。理不尽な汚名を泥のように被りながら、その魂は一点の曇りもなく輝いている。これこそが、真の強者の在り方なのか……!」


 彼の熱い呟きなど知る由もなく、俺は旧校舎へと向かった。



 学園の敷地の最北端。鬱蒼とした森を抜けた先に、その旧校舎はあった。

 石造りの壁はツタに覆われ、窓ガラスは割れ、屋根にはカラスが止まっている。まさに幽霊屋敷だ。


「……さて」


 俺は錆びついた鉄扉に鍵を差し込み、重い扉を押し開けた。

 ギギギギギ……。


 不快な音と共に、中からカビ臭い空気と、凄まじい量の埃が舞い上がった。廊下は泥とヘドロで汚れ、天井からは蜘蛛の巣が垂れ下がり、床板が見えないほどゴミが堆積している。


 普通の人間なら、悲鳴を上げて逃げ出すだろう。

 だが。


「……ほう」


 俺は眼鏡の位置を直し、口元をニヤリと歪めた。

 デッキブラシを握る手に、力が籠もる。


 四天王になる前、魔王城の下働きとして、トイレ掃除を完璧にこなしてきた俺の「職人魂」に、火がついた。


「いい汚れだ。やりがいがある」


 俺は上着を脱ぎ捨て、袖をまくり上げる。


「上等だ。魔王軍仕込みの清掃技術(クリーニング・アーツ)、見せてやるよ」


 俺は一歩、暗闇の中へと足を踏み入れた。

 処分? 左遷? 違うな。


 ここからは、俺の独壇場(ステージ)だ。

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