第12話 暴食の神と深淵の誤解

「灰になれ! 極大魔法『終焉の焦土(メギド・フレア)』!!」


 空から、太陽が落ちてくる。

 元同僚、『煉獄』のヴォルカが放った純粋な熱量と質量の塊。それが、俺たちがいるアークライト魔法学園の真上で、邪悪な輝きを増していた。


「あ、あぁ……嘘だろ……」

「終わりだ……。あれは戦略級の破壊魔法。着弾すれば、学園はおろか、この一帯が地図から消滅する……!」


 先程まで俺の神業に熱狂していたレオナルドですら、ガクリと膝をつき、血の気を失った顔で空を見上げていた。

 誰もが死を覚悟した。だが、俺の感覚は違った。


(――熱いな)


 俺の身体は今、スライムだ。

 熱源探知(サーモグラフィー)に切り替わった視界には、空から落ちてくる巨大なエネルギーの塊が、とてつもなく美味しそうな「高カロリーの食事」として映っていた。


『警告:エネルギー残量低下。分裂・再構築による消耗大。至急、カロリー摂取を推奨』


 脳内で無機質なアラートが鳴り響く。

 さっき変異種の核(コア)を食べたばかりだが、あんなものじゃ足りない。俺の身体を維持し、さらにこの状況を打破するには、もっと莫大なエネルギーが必要だ。


(あー……腹減った)


 俺の思考は、もはや「恐怖」ではなく「食欲」に支配されていた。

 俺は一つ、ため息をついた。生徒たちが泣き叫び、世界の終わりを覚悟する中、俺はゆっくりと天を仰いだ。


「――あー、戦闘したら腹が減りましたね」


 俺の場違いな呟きに、レオナルドが「は?」と間の抜けた声を漏らす。

 俺は、人間の構造を完全に無視した。下顎の関節を外し、口蓋垂を喉の奥に収納し、食道を直径数十メートルまで無理やり拡張する。


「なっ……!? せ、先生の口が……ありえない大きさに!?」


 俺の口が、まるで巨大な洞窟かトンネルのように、空に向かってガパリと開かれた。

 その光景を見て、レオナルドが引き攣った声で叫ぶ。


「な、何を……!? まさか、あの極大魔法を……受け止める気ではなく、迎え撃つつもりか!?」


(違う。ただの晩飯だ)


 俺は内心で訂正しながら、落ちてくる太陽に向かって、その大口を開放した。


「――『いただきまーす』」


 パクリ。

 ジュボォォォォォォッ!!


 着弾の瞬間、世界が白く染まる――はずだった。

 だが、爆音はしなかった。代わりに聞こえたのは、巨大な掃除機がゴミを吸い込むような、間抜けな吸引音。

 俺の粘液質の口腔が、火球を包み込み、一口で丸呑みにしたのだ。


「…………は?」


 上空で、ヴォルカが固まっていた。

 世界から、音が消えた。熱も、光も、衝撃も、何一つ発生しなかった。

 ただ、俺の腹が、風船のようにパンパンに膨れ上がっただけだ。


(ぐっ……! 熱っ! 辛っ! 激辛スープを一気飲みした気分だぞ!?)


 俺の体内で、スキル『超消化』がフル稼働する。灼熱の魔力が、俺の消化液によって瞬時に分解され、純粋なエネルギーへと還元されていく。


 数秒の沈黙の後。


「げふっ」


 戦場に、ちょっと大きめのゲップが一つ、響き渡った。


「……ごちそうさまでした。少々、胸焼けがしますね」


 シン……と静まり返った学園で、最初に我に返ったのはヴォルカ本人だった。


「な……ななな、何が起きた!? 俺の『終焉の焦土』が……ゲップ一つで消されただと!? 馬鹿な! ありえん! そんな芸当、魔王様ですら不可能だぞ!」


 ヴォルカが狼狽する中、レオナルドが震える指で俺を指差した。


「み、見たか……! 魔法を無効化したんじゃない! 物理的に『捕食』したんだ! あの方の胃袋は、一体どうなっているんだ……異次元に繋がっているとでも言うのか!?」


 だが、俺自身はそれどころではなかった。


(う、うぐぐ……! やばい、食い過ぎた! カロリーオーバーだ! このままだと熱暴走して自爆する!)


 俺の身体が、膨れ上がった魔力を処理しきれず、まるで沸騰したヤカンのようにボコボコと泡立ち始めた。

 俺はスライムの生態記憶に従い、最終手段――『細胞分裂による排熱処理』を実行する。


 ボコッ! ボコボコボコッ!


 俺の身体の至る所から、瘤のような膨らみが出現し、ちぎれるようにして分裂していく。

 あっという間に、地面は百人以上の「ぐにゃぐにゃしたゼクス」で埋め尽くされた。


「「「「「げふっ」」」」」


 分裂した俺たちが、一斉にゲップをした。その光景は、控えめに言っても地獄絵図だった。


「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」


 上空のヴォルカが、この世のものとは思えない絶叫を上げた。


「ま、魔法を喰らい……増殖しただとぉ!? な、なんだテメェは! 人間じゃねえ! スライムでもねえ! 貴様の正体は一体、何なんだぁぁぁっ!?」


 ヴォルカの瞳に、初めて『恐怖』の色が浮かんだ。

 百人以上の俺たちが、一斉にぬるりとヴォルカを見上げる。全員が同じ顔で、全員が同じ声で、無機質に呟いた。


「「「「「まだ、足りない」」」」」

「「「「「おかわりを寄越せ」」」」」

「「「「「デザートは、お前だ」」」」」


 もちろん、これはただの排熱に伴ううわ言だ。まだ腹が熱いから冷たいものが欲しいだけだ。

 だが、ヴォルカの目には、地獄の軍団からの宣戦布告として映ったらしい。


「く、来るな! こっちに来るなぁぁぁぁっ!」


 ついに彼の精神が限界を迎えた。ヴォルカは情けない悲鳴を上げながら、転がるように転移魔法陣を展開し、一目散に逃げ出していった。


「覚えてろよ、変態スライム野郎ォォォォッ!!」


 捨て台詞を残し、赤い彗星となって彼方へ消えていく。


 それを確認した俺は、分裂した身体を一つに戻しながら、深くため息をついた。


 シュゥゥゥ……。白煙と共に、俺は元の「人間の姿」へと戻る。服はボロボロ、全身ヌルヌル。疲労困憊の中年男が一人、瓦礫の中に立っていた。


「……ふぅ。お腹いっぱいで苦しい」


 俺がぽつりと呟いた、その時だ。

 背後で、誰かが膝から崩れ落ちる音がした。振り返ると、レオナルドが、その場に両膝をついてひれ伏していた。

 いや、彼だけではない。生き残った生徒、教師、その場にいた全員が、涙を流しながら俺に向かってひれ伏していたのだ。


「……あ、あなたは……」


 レオナルドが、感極まった声で叫んだ。


「あなたは……我々、人類の……『守護神』ですッ!!」


 その言葉を合図に、万雷の拍手と歓声が巻き起こった。


「皆、刮目せよ! この御方こそ、深淵より来たりて悪を食らう『暴食の守護神』であらせられるぞ!」

「「「ゼクス先生! ゼクス先生!」」」


 学園中に響き渡るゼクス・コール。

 崇拝の眼差し。熱狂の渦。俺は頭を抱えたくなった。


(……どうしてこうなった)


 盛大な溜息をついた俺の視界の端に、校門から入ってくる数台の馬車が見えた。車体には、王都の紋章。中から降りてきたのは、神経質そうな銀縁眼鏡の男――王都からの査察官と、真っ青な顔をした教頭だった。


「……なんだ、この惨状は」


 査察官が、粘液まみれになった校庭と、半壊した校舎を見て眉をひそめる。

 そして、その冷たい視線が、ヌルヌルの中年男――俺に向けられた。


「説明してもらおうか、ゼクス教諭。なぜ、神聖な学び舎が、これほどまでに『汚染』されているのかを」


 熱狂が一瞬で冷める。

 俺の直感が告げていた。

 ――ああ、これはまた、別の意味で「面倒なこと」になるな、と。

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