転・1

 ──翌朝。


 私は、かすかに震えの残る手でスマホを操作し、五十嵐からもらった手がかり──被害者「都築」家の連絡先へ電話をかけた。


「⋯⋯はい、都築です。」


 女性の声だった。


 落ち着いていて静かな声。


 けれど、電話口越しに“抑揚の無い声”だと感じた。


 取材の申し出を伝えると、驚くほどあっさり了承が得られた。


 もっと拒絶されると思っていたので、逆になぜか背筋が冷えた。


(⋯⋯会ってくれるだけ、ありがたい。)


 自分にそう言い聞かせる。

 


 都築家は、町外れの古い住宅地のさらに奥。


 地図アプリにもほとんど載っていない細い路地の先にあった。


 家は清潔に手入れされているのに、なぜか生活音がしない。


 人気のない、模型の家のようだった。


 インターホンを押すと、数秒の静寂ののち──

ガチャ。


「⋯⋯どうぞ。」


 被害者の妹だという女性が、無言に近い声で出てきた。


 私より、二回りほど年上に見える。


 控えめで穏やかそうな顔立ち。


 整いすぎている、と感じたのは気のせいか。


「立花七草と申します。突然押しかけてしまい、すみません。」


「いえ、大丈夫です⋯⋯。ありがとうございます。姉のことを、気にかけてくれて⋯⋯。」


 微笑んだように見えたが、まぶたが動かない。


 口元だけが細く吊り上がる。


(⋯⋯この感じ、どこかで⋯⋯。)


 ホテルで感じた、“人形の顔”のような違和感を覚えた。

 


 居間に通され、私は録音の許可をもらってから、話を聞いた。


被害者──都築結衣。

加害者──織田要一。


 二人は恋人同士で、とても仲が良かったのだという。


 真面目で、穏やかで、誰からも羨ましがられる関係だったらしい。


 結衣の妹──都築芽衣は話す。


「姉も要一さんも⋯⋯とても優しい人たちだったんです。だから、あの事件のことだけは⋯⋯今でも信じられなくて。」


 話す内容は、淡々としているのに、どこか“感情が乗らない”。


 笑う場面で笑っているのに、目だけが笑っていない。


 私は胸の奥がそわついた。


「加害者の織田さんは、その⋯⋯急に変わったんですよね?」


 芽衣は、短く頷いた。


「ええ。事件の、⋯⋯半年ほど前から。

 姉によると、"誰を見ても同じ顔に見える"って言っていたそうです。」


「同じ⋯⋯顔⋯⋯。」


 背中が微かに粟立つ。


「姉の事だけは⋯⋯違ったみたいですけどね。

 ⋯⋯最後まで、姉さんだけはちゃんと見えていたみたいで。」


 なぜか、それを語る彼女の声が少しだけ嬉しそうに聞こえた。


 私は震えを悟られないよう、ノートをめくるふりをした。



 一通りの話が終わると、芽衣は立ち上がった。


「⋯⋯あなたに、見せたいものがあります。」


 部屋の奥から小さなファイルを持ってきた。


 時間の経った紙の匂いが広がる。


 表紙には、



『織田要一 記録』



とだけ書かれていた。


「これは……?」


「要一さんの日記です。⋯⋯警察に返されたコピーですが、家族は誰も読みたがらなかったんです。」


 私は、胸の奥に冷たいものが落ちるのを感じた。


 日記は何冊もの束をコピーしたもので、表紙と思しき最初のページには、赤黒い血の跡のようなものが薄く付着している。


 私は息を呑んだ。


「……どうして、これを私に?」


 芽衣は、ゆっくりと私を見つめた。


 その顔は微笑んでいるのに、影のような静けさがあった。


「読んだ方が⋯⋯いいと思うんです。この事件を知りたいのでしょう?⋯⋯ここに、すべて書かれています。」


 私は言葉を失った。


 受け取るべきではない。


 そう思ったのに、手が勝手に伸びてしまう。


 ファイルは、指先に触れた瞬間、妙に生暖かく感じられた。


「ありがとう⋯⋯ございます。」


 私は、そっとページをめくった。

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