承・5

 ──それから、数日が経った。


 七草は、朝から夕方まで聞き込みと資料探しを続けていたが、得られる情報はどれも薄く、曖昧で、どこか濁っていた。


 ホテルへ戻る頃には、体の芯が鉛のように重かった。


 部屋に入ると、昨日よりさらに気になる点が増えている気がした。


 机の上のペンが、斜めに置かれている。


 置いた覚えのない角度で。


 カーテンの端が、昨夜閉めた位置より数センチずれている気がする。 


(⋯⋯あれ?確か昨日⋯⋯どう置いてたっけ?)


 時計の針が刻む音が、昨日より“不規則”に響く。


 七草は額を押さえ、長く息を吐いた。


 几帳面な性格が悪い方向へ捻じれていっている。


 “整っていないもの”があるたびに、胸の奥がざわりと荒れた。


 ペンをまっすぐ置き直し、カーテンをきっちり閉め、ベッドのシーツを伸ばし……。


 動作は、一つ一つゆっくりで、しかしどこか“強張っていた”。


 その時──


 スマホが震えた。


 画面には「五十嵐」の文字。


「⋯⋯もしもし、立花です。」


『おい、大丈夫か? ⋯⋯なんか、声が疲れてるぞ。』


 七草は、少しだけ安堵した。


「ただの疲労ですよ。調査は⋯⋯進んでいるとは言えませんが。」


『⋯⋯そうか。俺もな、ちょっと調べてみたんだよ。昔の記事を辿ったり、知り合いの記者にも聞いてみた。』


「それで⋯⋯?」


『⋯⋯あとで詳細を送るが、ひとつ、手がかりになりそうな名前を見つけた。“織田要一”──加害者の名前らしい。被害女性と交際してたって話だ。ただ⋯⋯』


 五十嵐が下を向いてこめかみを掻く気配が、電話越しにも伝わる。


『この事件、どうも妙なんだ。記録が途切れすぎてる。関係者の証言も抜けてる。⋯⋯何か嫌な感じがしてな。』


(普通じゃ⋯⋯ない?)


『立花、お前、あまり深入りすんなよ。⋯⋯いいな?』

 七草は息を飲んだ。


 ここ数日で胸に積もっていた“焦げつくような違和感”が、言葉を押し出す。


「⋯⋯でも、私は⋯⋯このまま放っておけません。」


『はぁ、お前なぁ⋯⋯。』


「すみません。⋯⋯明日、織田要一について調べてみます。」


 電話の向こうで、五十嵐が深くため息をついた。


『⋯⋯分かったよ。だけど、無茶すんなよ。立花、お前……何か、声が違うぞ。本当に大丈夫か?』


「はい。大丈夫です。⋯⋯大丈夫、ですので。」


 言った瞬間、自分の声が、どこか“他人の声”のように聞こえた。


 電話を切ると、すぐに五十嵐から一通のメールが届いた。


 内容は、事件の詳細についてだった。



 

 部屋の静けさが一気に押し寄せてくる。


 空気が妙に重たい。


 時計の音が、今日も乱れたリズムで鳴る。


 七草はベッドに腰を下ろし、深呼吸を試みる。


 だが、肺がうまく膨らまない。


(⋯⋯寝よう。明日、連絡しないと。)


 ベッドに入る。


 カーテンの隙間が少しだけ気になったが、体が動かない。


 目を閉じようとした瞬間──


 壁の向こう側から、


 昨日よりずっと近い距離で、“何か”の気配がした。


 七草は息を止めた。


(⋯⋯疲れてるだけ。⋯⋯大丈夫、大丈夫⋯⋯。)


 そう繰り返しながら、七草は震えにも似た呼吸のまま、眠りに落ちていった。

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